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第6話

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第6話
五の線3 第6話
3-6.mp3
MP3 オーディオファイル 10.3 MB

 

石川大学病院の会計待合にひとり佇む男がいる。
彼は会計処理完了の表示をするモニターと並んで設置されたテレビの画面を見ていた。
「人が乗っていた痕跡が確認されないことから、ハングル文字が書かれたこの船は朝鮮半島より何らかの形で流れ着いたものとして警察は捜査しています。」
朝鮮籍の船が漂着した一昨日のニュースが端的に報じられ、次のニュースに移った。
男は周囲を見回す。
自分と同じ高齢の人間が多いこの空間で、ほとんどがスマートフォンに目を落としていた。
人間は放っておいても賢くなるとよく言ったものだ。
かつてはスマートフォンのような難しい機械操作は若い世代にしか対応できないと思われた。
一定の年齢層には受け入れがたい代物だと思われた。
しかし今はどうだ。老いも若きも男も女も暇さえあれば手元で5インチ程度の液晶画面を見ている。
受付番号が表示されると彼は窓口に向かった。
「今日は3,800円です。」
彼は携帯電話を係の女性に見せた。
「電子マネーですね。どちらのお支払いですか。」
「TD(ティーディー トチカディンギ)。」
携帯電話をリーダーにかざすと決済音が鳴った。(ディンギ♪)
「お薬は院外処方となっています。どちらの薬局さんでもこの処方箋を見せればお薬処方されますので…。」
病院正面玄関を出ると春のものとは思い難い冷たい風が吹き込んできたため、彼は思わず身をすくめた。
「さみぃなぁ…。」
MA-1ブルゾンのジッパーを上げて、ニット帽を深くかぶり直した彼は胸元からサングラスを取り出してそれをかけた。そして携帯電話に目を落としながらゆっくりとした足取りで歩き出した。
ニット帽の上から自分の頭を人差し指でポリポリと掻きながら、携帯を操作する。ちらちらと前を見るも彼の関心は携帯電話に注がれていた。手に持っているそれを時折目から遠ざけて気難しい表情で見つめる姿は明らかに老眼の症状を表現している。
しばらくして彼は直ぐ側のコンビニに入った。
そのまま雑誌コーナーに立ち、週刊誌を広げて立ち読みをはじめた。
(ディンギ♪)
「お大事にー。」
自動ドアが開く音。
「寒っ。」
身をすくめた彼女はトレンチコートのベルトを締め直した。
左腕に目を落として足早に歩き出した。
コツコツ…
寒風が吹く平日昼間の石川大学病院付近の人通りは少なかった。
通りを行き交う者は院外処方を受ける外来患者ばかり。大体が高齢者だ。
そんな中、ヒールを履いた女性などそうも居らず彼女の踵の音だけがあたりにこだまする。
足取り重い体調がすぐれない人間が多数を占めるここで、
リズミカルにも聞こえる彼女のそれは、どこか心地よささえ感じさせるものだった。
病院内に止めた自分の車に乗り込んだ彼女は
エンジンをかけて病院を後にした。
彼女の姿をコンビニの雑誌コーナー越しに観察していた彼は、手にしていた週刊誌を元の位置に戻して店から出た。
そして先程彼女が出てきた調剤薬局に入り、処方箋を受付に提出した。
待つこと20分。自分の名前が呼ばれた。
「古田さーん。古田登志夫さーん。」
古田は薬剤師が座る窓口に座った。
「古田さん。こんにちは。」
「こんにちは。」
「古田さん、お薬飲んで具合悪くなったとかなりましたか?」
「いや…別に。」
「なんかふらつくとか、暑くて顔が赤くなるとか、おしっこによく行くようになったとか…。」
「なんも。」
「ほっか。ほんならいいげん。また今日もいつもの降圧剤でとるし、またいつものとおりに飲んでください。」
「はい。」
「もしも薬のことでわからん事とかあったら、なんでも聞いてくださいね。ここにお薬の説明書もいつもの通り入れとくし、よかったら読んでおいてくださいね。」
レジ袋に古田の薬とそれの説明書を入れた。
その中身を簡単に確認した古田はその薬剤師にこういった。
「いつもすまんな。」
会計を済ませて薬局を出た古田もまた先程の彼女のように病院に止めてある車に乗り込んだ。
車の中で彼は薬が入ったレジ袋を弄って先程の薬の説明書を取り出した。
二つ折りの状態でA5サイズになっているそれを広げると、間から1枚の紙が滑り落ちた。
古田はそれを拾い上げた。
「光定公信(みつさだきみのぶ)…。」
車の中に置かれた鞄に手をやって、彼は一冊の手帳を手にした。
そしてペンで何かをメモしている。
「またブロチゾラムか…。」
メモ帳を閉じた古田はため息を付いた。
「今月も適当な量の睡眠導入剤。医師の診断に進展なしと…。」
おもむろに彼は携帯電話を耳に当てた。
「もしもし。あぁワシや。ちょっくら調べてほしい人間おれんて。」
「言うぞ。光定公信。石川大学病院の医師。山県久美子の担当医師がこいつに変わっとった。」
「あの病院の人事関係とあわせてネタくれんか。」
「わからん。ほやけどなんや引っかかるんや。頼む。」
エンジンをかけた古田はひとり呟いた。
「なんか嫌な予感がするんやって…。」