· 

第2話

ダウンロード
第2話
五の線3 第2話
3-2.mp3
MP3 オーディオファイル 14.9 MB

 

「消防によると昨日、金沢の犀川河川敷で起こったガス爆発は、使用されていたガス器具が何らかの不具合を起こしたために引き起こされた事故であるとのことです。警察は当時ガス器具を使用していた人物の回復を待って詳しい事情を聞くこととしています。」
ベッドから身を起こしてテレビを付けると、昨日の犀川での爆発事件の様子が全国ニュースで報じられていた。
「同時に警察は、自爆テロとしてSNSでデマが流布されたことに重大な関心を示し、当時の投稿動画などの分析を行っています。」
テレビを背にした椎名はノートパソコンを開いた。
そしてデスクトップ上のとあるフォルダを丸ごとゴミ箱に入れてそれを空にした。
続いて動画編集ソフトをアンインストールした。
パソコンの下部に表示されている時刻は8時半だった。
「さてと…。」
寝癖頭をボリボリと掻いて、彼は洗面所に向かった。
水を流す音
歯を磨く音
顔を洗う音
ふと鏡に映り込む自分の顔を見ると、目の下にくまが出ていた。
鏡に顔を近づけると自分の顔にシワらしきものの片鱗が現れていることに気がついた。
携帯のバイブの音
携帯を手にした彼はそれに出た。
「おはようございます。」
「あれ。今日はなんか元気ですね。」
「いえ…そんなことありません。」
「今日もよろしくおねがいします。」
「ええ。いつも通り伺います。」
「じゃあよろしくおねがいします。」
「はい。よろしくおねがいします。」
携帯をテーブルの上においた彼はクローゼットを開いた。
そこには数着の洋服が吊るされていた。
寝間着を着替えるとクローゼットの奥に手を伸ばした。
「ん…っしょっと…。」
古ぼけたカメラが姿を現した。
薄っすらとかぶっているホコリを手で払い除けて、彼は何も言わずにそれをしばらく見つめた。
県警本部の駐車場に車を止めた椎名はバックパックを肩に担いで外に出た。
ここ県警の敷地に植樹された桜は散りはじめだった。
時折吹く風によって花びらが舞う。
正面玄関には制服姿の警察官が長めの棒のようなものを持って立っていた。
「ご苦労さまです。」
こう椎名が言うと警官は敬礼で返してくれた。
正面入ってすぐのところに受付があった。
「公安特課へ。」
免許を提示して椎名は受付票に自分の名前と住所を記載した。
ネームプレートを手渡された彼はそれを自分の胸につけた。
県警に到着してからの彼の行動には淀みがなかった。
いつものことのようである。
4階の公安課の前に立った彼は、ためらいもなくその扉を開いた。
「おはようございます。」
部屋はパーテーションで仕切られていて中の様子が全く見えない。
まもなく部屋の奥からひとりの男が現れた。
「いやーどうもどうも。おはようございます。」
「おはようございます。富樫さん。」
「ほんじゃあ、いつもの部屋で…。」
「はい。」
椎名と富樫は公安課がある同じ4階の一室に入った。
部屋はブラインドが下ろされていたためどこか暗かった。
「せっかくこんなにいいお日柄です。辛気臭いのは勘弁ですわ。」
そう言うと富樫はブラインドを上げた。
窓の下には花を散らし始めている桜並木があった。
「いやーキレイですなぁ…。」
「そうですね。」
「満開ってもんもいいけど、ワシはどっちかって言うとこの散り際の感じの方が好きです。」
「へぇ…何ででしょうね。」
「さあ…ねぇ…。」
富樫は椎名に声をかけながら、彼の持ち物検査をし始めた。
「ひょっとしたら、あれかもしれませんね。」
「あれ?」
「ええ。お迎えが近いんかも。」
「え?なんですかお迎えって。」
「ワシは盛りをとうに過ぎとる老いぼれ。散りゆく花のほうが共感できる部分が多い。」
「…何言ってんですか。警察も定年延長されたんでしょ。70まではガッツリ働かないと。」
「無理ですよ。」
「いやいや…。」
「この仕事がどんだけハードか…。」
ひととおり椎名の持ち物を調べて、身体検査を行った彼は彼に着席するよう促した。
「仕事がハードなら、異動願いとか出したらどうなんですか。」
「異動ねぇ。」
「はい。」
「…まぁ、考えておきます。」
さてと言って富樫は切り出した。
「なんか知っとりますか?」
「…ああ、犀川の。」
「はい。」
「いいえ。」
「まぁ…そうですな。」
「なにか知ってたら大事です。」
富樫はため息をついた。
「今回の事件っちゅうか事故っちゅうか。」
「…。」
「なんか今までと違うんですわ。」
「富樫さん…。すいませんが私には警察の意見とかは難しくてよくわかりません…。」
「ああ、すいません。」
富樫はそういうと仕切り直した。
胸元からICレコーダーを取り出してそれを机の上においた。
「じゃあ行きますか。」
「どうぞ。」
「椎名さん。ここで話す内容は今後、警察の捜査において証拠として利用されます。ここで虚偽の報告をすることは、後日偽証罪として立件される可能性がありますので、その点ご了承くださいますか。」
「はい。」
「ありがとうございます。それではいつもの通り、椎名さんの一ヶ月の行動を報告してください。」
返事をした椎名は一ヶ月の行動を逐一富樫に報告した。
月曜から金曜の朝から晩までは中規模印刷会社のDTPオペレーターとして仕事をしている。
勤務中は外に出ることもないので、その間のことはなにか気になった点があれば報告。そうでなければスルーだ。
出退勤のルート、外出時に立ち寄った先、そこでとった主な行動などを携帯のメモ帳を見ながら、
椎名は報告した。
彼の視線は常に椎名の姿を補足していた。その視線は彼の声色、表情、仕草、体温の変化などをすべて計測するかのような、鋭さを持っていた。メモをとるときも決して目をそらさない。手だけがノートの上で動いていた。
富樫の聞き取りは50分を要した。
「今月もご苦労さまでした。」
「いいえ。」
「どうです椎名さん。ちょっとお茶でも飲んで気分転換しませんか?」
「ええ。いただけるなら。」
珈琲の種類を聞いた富樫は部屋を出て姿を消した。
軽くため息を付いた椎名は窓の外を眺めた。
ーこれが一生続くのか。
県警本部に隣接する公園には、多くの家族連れがいる。
屈託のない笑顔を見せる我が子に思わず頬をほころばせる親。
親の心配をよそに遊具で危険な動きをする子供。
その様子を遠い目で見つめる老夫婦。
平和な休日がそこにあった。
「はい。どうぞ。」
椎名の背後から富樫が声をかけた。
ブラックのコーヒーを手渡された椎名は彼に礼を言う。
「椎名さんにはあの情景はどう見えますか。」
富樫もまた椎名の見つめる公園の様子を見ていた。
「家族…。」
「…。」
「私には関係のない情景です。」
「…そうですか。」
「失ったものは帰ってきません。」
「…。」
「ですが私はいま平和な日を過ごせています。それを実感できるっていう意味であの情景は意味があるのかも。」
コーヒーをすすった富樫は納得するようにうなずいた。
「以前もあなたに言いましたが…。」
「…来月下間芳夫の公判があります。」
「…。」
「希望すれば傍聴できます。」
「結構です。」
「…そうですか。」
「もういいんです。仁川征爾は。」
「…。」
「私は椎名賢明なんですから。」