第百二十二話

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第百二十二話
五の線2 第百二十二話
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霞が関合同庁舎の前に立った片倉は、登庁する職員に紛れていた。皆、言葉も何もかわさずただ黙々と歩き続ける。立ち止まった彼はおもむろに携帯電話を取り出して電話をかけた。
呼び出し音
「片倉です。おはようございます。」
「おはよう。いまどこだ。」
「公庁の前です。」
「なに?予定は15時だぞ。」
「なにぶん不慣れな東京です。昨日の夜金沢出て車で休み休み来ました。」
「車?」
「はい。これがあと半年先ですと北陸新幹線で2時間半とちょっとでここに来ることができたんかもしれませんが。」
「北陸新幹線な…。」
「まぁ部長との予定の時間まで随分ありますから、それまでどっかのネットカフェで休憩でもとります。」
「待て。せっかく来たんだ。俺の部屋まで来い。」
「え?」
「こっちも遠路はるばるお前が来るから、何かおもてなしをしないとと思って、その準備をしようとしていたところだ。」
「そんな…気を遣わんでも…。」
「こんな時間にまさか貴様が来るとは思わなかったから、何の準備もできていないが、空調が効いた部屋にいるほうがお前も疲れがとれるだろう。」
「あ…いいんですか?こんな田舎のいちサツカンが部長の部屋で休憩をとるなんて。」
「いい。俺の部屋は治外法権だ。」
「ふっ…。」
「なんだ。」
「じゃあお言葉に甘えさせてもらいます。」
「話を通しておく。そのまま庁舎に入って受付に案内してもらえ。」
「はい。」
携帯を切った片倉は拳を握りしめた。
「治外法権ね…。」
片倉は部長室のドアをノックした。
「おう。ちょっと待ってくれ。」
部屋の中から朝倉の声が聞こえた。暫くしてドアが朝倉の手で開かれた。
「良く来たな。片倉。」
「すいません。こんな早い時間に。」
「まぁ入れ。」
「失礼致します。」
部屋に通された片倉は備え付けの応接ソファに腰を掛けた。
「金沢からどれくらいかかった。」
「ノンストップなら6時間もあれば着くんでしょうが、本当に休み休みで来たんで結局10間ぐらいかかりましたよ。」
「そうか…。ご苦労さん。」
そう言うと朝倉は缶コーヒーを片倉に差し出した。
「すまんな。まだ庶務の人間が登庁してないんだ。なんでも急に子供が熱を出したとかでな。俺はお茶出しとかの気の利いたことはできん。だからこれで勘弁してくれ。」
「そんな…ありがとうございます。」
そう言って彼は缶コーヒーを開けて口をつけた。
「手際が良いじゃないか。片倉。」
「え?何のことですか。」
「今回の捜査のことだよ。」
「と言いますと?」
朝倉は呆れた顔で片倉を見た。
「何言ってんだ。県警の捜査から離れたと思ったら、その後釜の人間が一気にホシを検挙。」
「あ・あぁ…それですか。」
「見事だよ。今川は土岐部長によってパクられ、奴の上司に当たる七里も外注先のHAJABの江国も一気にパクった。」
「…それは俺の部署とは直接的な関係はありませんよ部長。」
「なに?」
「そもそも俺はチヨダの人間です。表向きは俺は土岐部長の直属の部下ですが、実際のところは察庁の松永理事官の指揮下にあります。チヨダマターは土岐部長には何の関係もありません。けど俺らが追っとった今川は情報調査本部の土岐部長の手でパクられた。俺はむしろ手柄を土岐部長にかっさらわれたわけですわ。」
朝倉は無言になった。
「第一うちのチームは鍋島も下間も誰もとっ捕まえとりません。それどころか鍋島に原発に入り込まれて爆発事故まで起こしとるんです。俺ん所は全然駄目です。犯罪を水際で食い止めるのが俺ら公安の仕事。ほやけど最近は水際どころか表に出てきとる。こうなると俺ら公安の存在意義がどんどんなくなっていきます。」
「片倉。自分を責めるな。」
「普通の仕事はなにかがあったらそれにどう対応するか。どう営業成績をあげるか。これが評価の対象です。ですが公安の仕事は違う。俺らは出版の校正マンみたいなもんです。世の中に出回る本は誤字脱字がなくて当たり前。当たり前の状況を作り出すことが校正の仕事です。もしも誤植があれば一大事。問題が発生することそのものが校正マンにとってはあってはいけない事です。つまり目に見える事が起こることがマイナス評価。他人の目に触れることがない仕事をしとるわけですから、評価なんかされにくいですわ。」
朝倉は片倉の語りに耳を傾ける。
「最近は何やっても鍋島や下間に裏をつかれるし、ほんで手柄は身内にかっさらわれる。」
「鍋島はどうなんだ?」
片倉は首を振る。
「未だ行方知らずか。」
「はい。」
「挙句、貴様の家庭は問題を抱えたまま…か。」
「そうです。もう俺は踏んだり蹴ったりなんですわ。」
朝倉はため息をついた。
「片倉。」
「はい。」
「貴様は自分の能力を過小評価している。俺は貴様を評価しなかったことは一度もない。」
「部長…。」
「ただ今の貴様は精神的に相当参っているようだ、電話でも言ったように今の貴様には休息が必要だ。先ずは休んで心を落ちつけろ。そして家庭に向き合うんだ。」
「はい。そのつもりです。」
「足元をしっかりと固めてからでいい。それまで俺は待つ。それから共に仕事をしよう。」
片倉の瞳に熱いものがこみ上げた。
「お・そうだった。」
そう言うと朝倉は時計を見た。
「片倉。ちょうどよかった。貴様に紹介したい人間がいる。」
「え?」
「あとしばらくでここに来る。どうだ会ってみないか。」
「あの…どういった人間で?」
「モグラだ。」
金沢銀行殺人事件捜査本部の本部長席に座った岡田はモバイルバッテリーを刺した自分の携帯電話を見ていた。
ーこの「ほんまごと」、情報の確度が高すぎる。これが黒田の記事ってやつか…。ほんでもネタ元が片倉さんやとすっと、あの人なんでこんだけのネタ持っとらんや…。あの人はサツカンから足洗ったはずねんけど…。
「岡田課長。」
若手捜査員が岡田の名前を呼んだ。
「何や。」
「最上本部長がお呼びです。別室までお願いします。」
「本部長が?」
岡田は携帯を持ったまま離席した。
部屋に入ると先日同様、テレビに最上の姿が写し出されていた。
「おはよう岡田くん。」
「おはようございます。」
「発生署配備を解除してくれ。」
「え?」
「藤堂豪こと鍋島惇は死んだ。」
「ええ!?」
思わず岡田は大声を上げた。
「こらこら…朝からそんな大きな声出すと、びっくりして僕の血圧が上がってしまうよ。」
「え…申し訳ございませんが私には本部長がおっしゃっていることが全く飲み込めません。」
「説明は割愛させてもらうよ。これは君に対する報告だ。」
「でも…。」
「とにかく金沢銀行殺人事件捜査本部が追う被疑者鍋島惇は死亡した。よってこの帳場は解散だ。」
「しかし…。」
「しかし何だね。」
「…その…仮に鍋島が死亡したとしても、金沢銀行顧客情報が何らかの形で置き換わった件はどうするんですか。」
「解決済み。」
「え?」
「OS-Iとかドットメディカルの今川とか、HAJABの江国の件だろう。」
ーえ…なんで本部長はそこまでのネタを把握しとるんや。俺はこの話、若林にしか話しとらんぞ。
「別働隊が関係者を全て検挙した。」
「え?別働隊?」
「うん。」
「え…どういうことですか。」
「別件でドットメディカルの今川を捜査していた。そこで芋づる式に金沢銀行のシステムの話も出てきてまとめてパクった。簡単に説明すればこういうことさ。」
「あ…そうなんですか…。」
「ところで岡田くん。」
「何でしょうか。」
「君が教えてくれたSNSで拡散されているブログ記事の件。僕も読ませてもらったよ。」
「あ。」
「君はあの記事を率直にどう思ったかね。」
しばし黙り込んだ岡田はゆっくりと口を開いた。
「…真実に迫るものがあると思います。」
「真実に迫る…。」
「はい。」
「どうしてそう言えるんだ。」
「おそらく私はこの記事を書いとる人間と直接会ったことがあります。」
「ほう。」
「その著者が信頼に足る人間かどうかは、正直私はわかりません。ですがその著者と思われる人物を紹介してくれた人間は信頼できる人間です。」
「…そうか。」
最上は目を伏せた。
「はい。」
「岡田くん。」
「なんでしょう。」
「君もやはりそのクチか。」
「え?」
最上の口元がやや緩んでいるように見える。
「頼めるかね。」
「あの…本部長…。」
「最後の仕上げを君に頼みたい。」
岡田はキョトンとした。
「ホテルゴールドリーフ。ここに今から来てくれ。」
「え?」
「そこに来れば全てが分かる。」
こう言って最上はまたも一方的に通信を遮断した。