第百二十三話

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第百二十三話 前半
五の線2 第百二十三話 前半
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第百二十三話 後半
五の線2 第百二十三話 後半
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ドアをノックする音
「来たか。」
朝倉はドアに向かって部屋に入るよう言った。
長身の男がドアを開け、ゆっくりとした動作で部屋に入ってきた。
「え…。」
片倉の存在に気がついた男は思わず立ち止まった。
「なんでお前がここに…。」
「これは…どういうことなんや…。」
「部長。これはどういうことですか。」
男は不審な顔で朝倉を見るが彼は意に介さない。
「片倉。この男に見覚えがあるだろう。」
「…え…。」
「紹介しよう。直江首席調査官だ。」
朝倉は直江に片倉に挨拶をするよう促した。
「…直江真之です。いつぞやはお世話になりました。」
「直江…やっぱりあん時の…。」
「朝倉部長。これはいったいどういうことですか。」
直江の顔には朝倉に対する不信があからさまに出ていた。
「貴様の代わりだよ。」
「え?」
「モグラは退治しないとな。」
「モグラ?」
朝倉のこの発言に片倉は絶句した。
「え…。」
「調査対象であるコミュに調査員を派遣させるも、奴らは常にそれを察知していた。」
「なんやって…。」
「公調の動きがどうも奴らに筒抜けになっている。そう考えた俺は警察を装って内密に金沢銀行にコンドウサトミの捜査事項照会書のFAXを送った。」
「…。」
「俺は敢えて週末の業務時間終了後にFAXを送った。それが関係部署の人間の目に止まるのはおそらく週明け月曜の朝。その間、銀行は閉まっている。だがすぐさまその情報は今川らに周った。だから金沢銀行であんな事件が起こった。守衛と警備責任者である小松が消され、コンドウサトミの捜査事項照会書もコンドウサトミの顧客情報もすべて鍋島によって消されるというな。」
「…。」
「俺がFAXを送ってから半日も立たないうちに事件は起こった、この迅速さをどう説明するんだ。ん?直江。」
直江は何も言わずに朝倉を睨みつけている。
「熨子山事件で本多を摘発するなどして有能だった貴様が、組織内部の権力闘争に巻き込まれて閑職に追いやられているのが俺は見るに耐えなかった。だから長官に進言して貴様をここに引っ張った。そして俺の側で働いてもらった。それなのに貴様はあろうことか公調の調査対象そのものにネタをリークしていたわけだ。」
「…。」
「一体いつからだ?直江。いつから今川のイヌになった。」
淡々と話す朝倉、黙って彼の発言を聞いている直江。その両者のただならぬ緊張感に片倉は身動きすらとれない。
「貴様がどういう意図で奴らと接点を持っていたのかは知らん。しかし貴様の目論見は潰(つい)えたぞ。」
「どういうことですか。」
「今川も江国も下間もみな県警にパクられた。」
「…下間もですか。」
「あぁ。芳夫な。」
この瞬間、片倉の方直江がちらりと見たような気がした。直江は大きく深呼吸をして重い口を開いた。
「残念だったな。」
この直江の言が部屋にしばらくの沈黙をもたらした。
「…なに?」
「言いたいことはそれだけですか。朝倉部長。」
「何だ貴様…開き直りか。」
直江は胸元からおもむろに携帯電話を取り出した。
「あなたの都合のいいストーリーを聞くのはもうごめんですよ。」
そう言って彼は携帯を操作して、それを応接机の上に置いた。
「我が公調においてツヴァイスタン工作要因として従前より最重要監視対象であるこの今川が、下間芳夫という別の工作員を介して、あの事件後も尚、鍋島に資金を提供していることが明るみになるとあなたにとって非常に都合が悪い事態となりますね。」
「鍋島惇は死んだと判断したのは俺だ。この俺の判断が間違っていたということになる。」
「当時の事件の重要参考人です。例え不作為であろうと間接的にあなたは鍋島の逃走を幇助したことになる。それはあなたの責任問題にもなりかねない。」
「確かにな。」
「今川はコミュというサークル活動を仁川をして組織させ、そこで反体制意識の醸成を図っている。鍋島がその今川の子飼いの部下であったとなると、これまたあなたは不作為であるにせよ間接的に今川を利する判断をしたことになる。」74
「き…貴様…。」
朝倉の表情が変わった。
「まだあります。」
「ふっ...いいだろう。お前は優秀だ。誰かさんと違って物分かりが良い。」
「部長がおっしゃる誰かというのがいまひとつピンときませんが。」
「直江、俺の協力者になれ。」
「人事を握れ。」
「その後は。」
「古田を消せ。」
「直江ぇ!貴様!」
絶叫して朝倉は直江の胸ぐらをつかんだ。
「え…。いま何て…言った…。」
突然の展開に片倉は動揺している。
「貴様!何でっち上げてるんだ!俺はこんなこと言っていない!」
「部長。落ち着いてくださいよ。まだあります。」
机の上に置かれた携帯電話から音声が再生され続ける。
「察庁は何をやっている。」
「さあ。」
「松永は無能か。」
「そうかもしれません。」
「直江、少しはフォローしたらどうだ。」
「いえ。フォローのしようがありません。」
「お前も酷い男だな。」
「ですが、この一件で警察内で明るみになった事があります。」
この言葉に朝倉は15秒ほど沈黙し、ゆっくりと口を開いた。
「コンドウサトミこと鍋島惇の生存か。」
「はい。奴の生存が察庁内で明るみになったということで、熨子山事件に関わった人間の聴取が始まることでしょう。」
「それはお前の方でうまい具合に調整をつけておけ。」
「どのように?」
「知らぬ存ぜぬでいい。」
「と言いますと?」
「鍋島は七尾で村上よって殺害されたと判断するのが当時の状況から最も合理的な判断だった。それ以上でもそれ以下でもないと。」83
「一旦は熨子山事件の自分の判断ミスと間接的に今川らを利することを行った事を認めていたはずなのに、この時点ではそのもみ消しを図っている。」
「知らん!俺は知らんぞ!直江…貴様…そんな録音…どうにでもでっち上げられるだろうが!」
「録音?」
「ああ…。」
「おかしいですね。部長。私はこれを録音なんて一言も言ってませんよ。」
「ぐぐぐ…。」
朝倉は肩を震わせた。
「なんだ貴様は!俺をおちょくってるのか!」
朝倉は直江に殴りかかった。だがそれは片倉によって制止された。
「離せ!離せ片倉!」
「離しません。」
「離さんか!」
朝倉は片倉の腕を振りほどいた。
「はぁはぁはぁはぁ…。」
「朝倉部長。確かにわたしの録音だけだと証拠不十分かもしれません。ですがもうひとつあるとすればどうでしょう。」
「なに!?」
「おい!入れ!」
直江が声を上げると部屋のドアが開かれた。
「…わ…若林…。」
ガッシリとした体格にも関わらず、顔はほっそりとした制服姿の若林が現れた。
「若林くん。朝倉部長に聴かせてあげろ。」
「はい。」
携帯電話を取り出した若林もまた、応接机の上にそれを置いた。
「工夫しろ若林。」
「あまり事を荒立てるなといっただろう。」
「ですが、あまりに突然のことでしたので。」
「その後の工夫が足りんと言ってるんだ。」
「はっ。もうわけございません。」
「しかしお前は籠絡だけは上手い。」
「ありがとうございます。」
「だが程々にしておけよ。あまり深入りすると足がつく。」
「何せ公安の奥方ですからね。」43
音声を聞いた片倉の表情が変わった。
「公安の…奥方…?」
「なんだ若林。」
「今もまだベッドでぐっすり寝ていますよ。そろそろ帰らないといけないんですが。」
「くくく…。」
「いやぁ40しざかりって本当なんですね。」
「そうか…。そんなにか。」
「ええ。ちょっとこっちが引くくらいでした。」
「はははは。この下衆男め。」
いつになく朝倉の表情が豊かである。
「部長。これは仕事です。」
「ああわかっている。からかってすまなかった。」
「こっちも必死なんですよ。何とかして奮い立たせないといけませんから。」
「ふふふ...今日のお前は愉快だな。自分の思い通りにアレを制御できるってのは俺にとって羨ましい限りだ。若さだな。」
「若さですか?」
「いや、特殊能力といったところか。」
「特殊能力?何のことですか?」
「…あ…いや…なんでもない。」
「お褒めの言葉として受け止めれば良いでしょうか。」
「ああ。最大級の褒め言葉だ。なんだこの下衆なやり取りは。ふふっ。」
「では旦那の方は部長のほうでよろしくお願いします。」
「ああ、慰めてやるよ。」83
「酷いですね。朝倉部長。あなたは片倉課長の家族問題を案じるがために、今日この場に彼を呼び寄せた。それがどうでしょうか。このやり取りを聞く限り、どうもあなたが若林くんを唆して(そそのかして)問題の火種をつくっているようにも思えます。」
「わ…若林…貴様…。」
朝倉の震えは怒りから失望によるものに変わっていた。
「朝倉部長。あなたは人間を駒としてしか見ていない。だからこんな非道な手法を私に強いた。」
「な…何を言っている…貴様…。片倉!ほ・ほら…貴様の奥方を手篭めにした男がここに居るぞ!こいつだ。こいつが貴様の悩みの元をつくってるんだ。」
「言ってねぇよ。」
「え…。」
「言ってねぇって。朝倉。」
「な…なに?貴様、何呼び捨てしてんだ…。」
「言ってねぇって言っとんじゃ!」
片倉は凄みに思わず朝倉は一歩引いた。
「その録音に俺の嫁なんて言葉は出てねぇぞ朝倉。ほれなんになんでオメェは公安の奥方って言葉だけで、俺の嫁を指すってわかったんや。」
「う…。」
「あのな…。いい加減気付けや。」
「な…に…。」
「はじめから俺らはお前をマークしとったんや。」
「え…。」
片倉を見ていた朝倉は直江を見た。彼は冷たい眼差しを浴びせる。振り返って若林を見ると彼も同様だ。
「き…きさまら…。」
「本件捜査のコードネームはimagawa。朝倉。お前はこのコードネームを俺らが狙うホンボシと勘違いしとったようやな。」
「な…。」
「直江はお前に救われたわけじゃねぇんだよ。潜入だよ潜入。」
「な…なんだと…。」
「若林署長は松永理事官の潜入。」
「くっ…!」
「俺は一色からの潜入だよ。」
「い…一色…だと…。」
部屋のドアが勢い良く開かれ男が現れた。
「ま…松永!」
「若林署長。お務めご苦労だった。」
「はっ。」
「岡田課長が最後の仕上げに選抜されたよ。」
「そうですか。彼ならきっとやり遂げてくれることでしょう。」
若林の労を労った松永は一転して朝倉に冷たい視線を浴びせる。
「朝倉忠敏。往生際が悪いぞ。」
「ま…待て…これは何かの間違いだ…。そうだ!長官は…。」
慌てふためくように朝倉は自席にある電話に手を伸ばした。
「無駄だ。朝倉。」
「え?」
松永の背後から一人の人物が姿を現した。
「げぇっ!」
それは波多野であった。
「あ…あ…あ…。」
驚きのあまり朝倉は言葉を失った。
「聞かせてもらったよ。朝倉くん。」
「あ…。」
「残念だよ。君が黒幕だったとはね。」
「先生…違います…違うんです!」
「違わない。」
「え…。」
「官邸にいるころから分かっていたよ。君のこと。」
「え!…ま・まさか…。」
「そうだよ。本件imagawaは私による絵だよ。」
「…と…言うことは。」
「そうだ。君を県警からこちらに抜擢したのも私の絵だ。公安調査庁長官もその辺りはすべて了承済みだ。」
朝倉は膝から崩れ落ちた。
「俺は…はじめからあんたに…。」
「本当は熨子山事件の時にすべてを解決するつもりだったんだがね。」
「熨子山事件の時に?」
「ああ。君の不審な動きをあの事件の時にあぶり出して、一気にツヴァイスタン側の目論見を潰そうと考えた。だが一色くんが鍋島によって殺害されたために、それが困難になった。だから方針転換して村上の件だけを解決する通常の捜査本部の動きにした。松永くんを派遣してね。」
「あ…あ…。」
「君を含めたツヴァイスタン側の目論見を潰すためには、警察組織の内部に浸透している君自身を欺かなきゃいけない。一色くんには悪いが、熨子山事件はあれで一旦終止符を打った。けれども君はそうとも知らずにその後も今川らと妙な動きをしている。ここで僕はimagawaの実行を決意したわけだ。」
「く…くそぉっ!」
朝倉は拳で地面を思いっきり叩いた。
「くそっくそっ!」
「片倉課長。」
松永が片倉の名前を呼んだ。
「はい。」
松永は手錠を片倉に渡した。
「お前がワッパをかけろ。」
「はい。」
手錠を手にした片倉は朝倉に向き合う。
「朝倉忠敏。」
「…なんだ。」
「あんたはかつてスパイ防止法成立に尽力した。」
「…ふふふ。なんだ今更。」
「その時のあんたの我が国の治安を思うまっすぐな行動は警察内部で賞賛された。」
「…。」
「しかし残念ながらその法案は政治の力で廃案にされ、その手の法案は未だ未整備や。」
「そうだ。政治の馬鹿どもが自分らの利権をいかに守るか、いかに作り出すかで綱引きをしている間に、敵国の浸透工作は進んでいる。あいつらは自分の利権や保身のことしか考えていない。そういう既得権益をぶち壊して、本当のあるべき社会を作り出すには暴力による革命しかないんだよ。」
「革命ね…。」
「そうだ革命だ。」
「…朝倉。ここは日本だぜ。」
「だから何だ。」
「天皇陛下がいらっしゃられる。」
「天皇?」
「あんたがシンパシーを受ける共産国家と日本は根本的に違う。あんたの思想は絶対にここ日本では受け入れられん。マッカーサーでもできんかった2600年の国体の破壊をお前ごとき元警察官僚ができるはずもねぇやろ。」
「片倉…。貴様…。」
「日本の治安を守るために必要な法案がくだらん政治家の思惑だけで潰される。確かにそれは残念なことや。けどな。それがこの国の現実なんやって…。平和ボケしたこの国の現実なんや。それを現実として受け止められればあんたは警察官僚としてまだ進むべき道はあったはずや。」
「…なんだ…それは。」
「まどろっこしいけど、防諜の重要さを国民に喚起させるための啓蒙活動。」
「はっ…ばかばかしい。そんなものどこのマスコミに話しても一蹴される。」
「朝倉。もうそんな時代じゃねぇんだよ。」
片倉は携帯電話を見せた。そこには「ほんまごと」が表示されていた。
「ここには熨子山事件の全てが書かれとる。ほんでその背景にツヴァイスタンの工作活動があると書いてある。」
「…なんだこれは…。」
「今はこの手のネットの情報がマスコミのフィルタを通したもんよりも受け入れられつつある。ネットの記事を読んどる連中は分かってんだよ。既存のマスコミの情報にはバイアスがかかっとるってな。重要やと思われたネタはSNSで一瞬で拡散される。」
「拡散…だと…。」
「ああ。この「ほんまごと」は絶賛拡散中。これを読んだ連中はツヴァイスタンがどういった手を使って、この国に浸透工作を行ってきとるんかを知り始めとる。知って我が国の防諜体勢の不備に疑義を唱え始めとる。」
「なんだと…。」
「残念やったな朝倉。あんたのスパイ防止法は時代を先取りしすぎた。いまのタイミングであんたが動いとったらあの法案も国会で通っとったかもしれん。」
「ばかな…。」
片倉は朝倉に手錠をかけた。
「朝倉忠敏。殺人教唆の疑いで逮捕する。」
「殺人教唆だと?」
「ああ。」
「ふっ…その罪状には疑義があるな。」
「なんで。」
「確かに俺は直江に古田の始末を言った。だが直江がそれを行った形跡は見えん。」
神妙な面持ちで片倉は朝倉を改めて見た。
「鍋島は死んだよ。」
「なに!?」
「悠里に頭を撃ち抜かれてな。」
朝倉は言葉を失った。
「あんたが今川に指示を出し、それが下間芳夫に下りる。んでそいつを下間悠里が実行する。これであんたの殺人教唆は成立や。」
「と…言うことは…。」
「悠里はいま北署で取調中。残念ながらきょうのコミュには出席はできんよ。」
がっくりと肩を落とした朝倉はそのまま床に倒れ込んだ。
「おいおいこれぐらいでくたばってんじゃねぇよ朝倉。」
そう言うと片倉は部屋の中にあるテレビの電源を入れた。
画面には記者会見の模様が写し出されている。質疑応答のようだ。
「すいません。もう一度お伺いします。いまの加賀専務のご説明ですと、そのドットメディカルの今川がツヴァイスタンの工作員で、それの行内協力者が橘融資部長ということでいいんですか。」
「な…に…。」
呻くような声で朝倉は反応した。
カメラは加賀の冷静な表情を抑える。
「はい。概ねその認識で結構かと思います。つまり業者を装って当行のシステムに物理的に入り込み、周到な細工を施して特定の層に便宜をはかっていたということです。」
「どうしてそのような対象だけに融資が実行されるようなプログラムを、ドットメディカルは施したんでしょうか。」
「それは今後の捜査の進展によって明らかにされることと思いますので、ここではコメントを差し控えさせていただきます。」
突然記者会見の様子が来られスタジオに戻された。
「えー今入ったニュースです。先程警察の発表でドットメディカル納入のI県警のシステムにおいても金沢銀行同様の不正なプログラムが施された疑いがあるということで、今日の午後に記者会見を行う予定のようです。繰り返します。本日明らかになった金沢銀行の顧客情報システムに、納入業者であるドットメディカルが特定の対象者にとって有利に融資が実行されるシステムを組んでいたことが、金沢銀行の内部調査によって明るみになりました。そしてつい先程、金沢銀行同様の問題が発覚したとの発表がありました。警察はこの件については本日午後記者会見を行う予定です。」
片倉はテレビを切った。
「とりあえず今は殺人教唆。ほやけどこれからあんたの関連する悪ぃことがわんさと出てくる。ほんでも現在の法体系の限界ちゅうもんにぶち当たる。そうすりゃ流石に国民も『ほんなんで本当に日本の防諜体制は大丈夫か?』ってなるやろ。そしたらすこしはスパイ防止法の芽も見えてくるよ。」

 

朝倉の顔から表情がなくなっていた。