第百二十話

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第百二十話
五の線2 第百二十話
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「ご苦労さん。トシさん。今どこや。」
「病院や。」
「傷は。」
「幸い大した事ない。」
「…良かった。いきなりガサッっていってトシさんうめき声出すんやからな。」
「ふっ。ワシも長いサツカン人生で撃たれたのは初めてやわいや。こんでしばらく手は上がらん。」
「痛いんか。」
「あたりめぇや。だらほど痛いわ。」
「ほんだけ元気があるんやったら、すぐにでも復帰できそうやな。」
片倉は煙草を咥えた。
「トシさんを撃って、すぐさま鍋島の頭を撃ち抜く。悠里のやつここまでの腕を持っとったとはね。」
「あぁ得物はVSSらしい。」
「VSS?」
「あぁワシはその手の重火器についてはよく分からんが、SATの詳しい奴が言うにはロシア製のもんらしい。なんでも開発時に要求されたんは「400メートル以内から防弾チョッキを貫通する完全消音狙撃銃」。(出典https://ja.wikipedia.org/wiki/VSS_(狙撃銃))悠里が狙撃をしたんは丁度400メートル離れたマンションの屋上。そこから射程ギリギリの標的を見事狙撃するわけやから、あいつの腕は恐ろしいもんやと。」
「ほうか…。」
「こんだけの腕をもった連中がツヴァイスタンの秘密警察にうようよしとる。そう考えると背筋が寒くなるわ。」
片倉は煙草の火をつけた。
「まぁ便利な世の中になったもんや。」
「あん?」
「ワシはネットのこととかよく分からんけど、ワシの目の前で起こっとる状況を音声だけとは言え、こんだけお前に伝えることができるんやからな。」
「何言っとれんて。トシさんの携帯、通話中のまんま放置しただけや。携帯電話の技術の進歩のおかげ。」
「喋っとるワシの声だけじゃなくて、周りの音まで聞こえとってんろ。」
「ああ。SATが発砲したんはきれいに聞こえた。ほやからなんの音も聞こえんがにトシさんが倒れたような音が聞こえた時は、まさかSATがトシさんを間違って撃ってしまったんじゃねぇかって焦ったわいや。」
「それやったら大事やったな。」
「まあな。」
「ところで片倉。お前今どこなんや。」
片倉は窓の外を眺めた。
「駒寄(こまよせ)のパーキング。」
「駒寄?どこやそれ。」
「群馬。こっから霞が関までは約2時間てところか。」
車の時計表示は2時40分である。
「ほんまごとはどうなんや。」
「あぁひととおり喋るだけ喋った。いまごろ黒田のやつひぃひぃ言って記事にまとめとると思うよ。」
「どこまで喋った。」
「それは記事を見てくれればトシさんも分かる。」
「勘弁してくれま。ワシやって手負いなんやぞ。こんな状態でパソコンの画面なんか見れんわいや。」
「熨子山事件については俺が知りうること全部話した。当時の本多、マルホン建設、仁熊会、警察の癒着の流れ。ほんでその事件の背後に警備課長の更迭があったこと、村上警備担当が不審死を遂げとったこと、村上が鍋島に操られとった可能性があること、鍋島の背後にツヴァイスタンがあるちゅうこととかみんなや。」
「鍋島の妙な力は。」
「伏せた。これはカク秘や。」
「ほうか。」
「んで最近の事件についてもある程度喋った。」
「どんなこと喋った。」
「長尾が公安のエスやったってことは伏せた。その代わり長尾と三好さんの接点については喋った。」
「小松の件は。」
「それも伏せた。小松がツヴァイスタン側のエスやって世間にばらしたら、それこそ金沢銀行の信用問題を大きくしてしまう。ただでさえ金沢銀行はかちゃかちゃや。こんなにぞろぞろ不審を買う材料が出てしまうとあの銀行は破綻しかねん。」
「確かにな。ほんで小松は自殺としての処理のまんまか。」
「佐竹の部下の真田と武田っちゅうドットメディカルの出向社員が小松の自殺は疑わしいと言っとる。ほやからいずれ岡田んところの帳場と連携とってコロしの線で再捜査になるやろ。」
「そこら辺で小松とツヴァイスタンの関係性が浮上したらどうするんや。」
「潰す。」
「潰す?」
「ああ。加賀たっての希望や。」
「なんで。」
「小松は金沢銀行の役員連中にも人望があったしな。こいつが敵国スパイの協力者やってなると、行内に動揺が走る。金沢銀行は熨子山事件はじめ守衛殺しの事件で信用が落ちてきとる。ほんで橘の不正や。ここに小松の件が加わるとガタガタになる。ほやからせめて行内だけはしっかりと統率を取らせてくれってな。」
「他ならぬ強力なエスからの頼み事や。しゃあねぇな。」
「とりあえず今は金沢銀行内の調査と岡田んところの帳場の行方を見守るのが得策と判断した。」
「ほやけどどうやって潰す。」
「カク秘。」
「ふっ。」
片倉は座席を倒した。
「トシさんさ。」
「なんや。」
「どうやったけ…。」
片倉は両腕を伸ばして大きく伸びた。
「鍋島の最後。」
古田はしばし無言になった。
「…あっけねぇわ。」
「ほうか…。」
「正直ひとが撃たれる現場っちゅうもんを生で見たことなかったし、一瞬何が自分の前で起こっとるか理解できんかったわ。」
「俺もひでぇ現場見てきたけど全部事後の現場や。」
「片倉。人間ちゅうもんは瞬時に肉塊になるんやわ。」
「そうか…。」
「戦争体験談とかで目の前で仲間がばたばた倒れていくっていうのは聞くけど、多分今回のような状況が常態化するんやろうなと思うと気がおかしくなるわ。」
「そんなにか。」
「あぁ。ついさっきまで意思を持って言葉を発しとったもんが一瞬でただの肉の塊になる。形をかえた肉の塊にな。」
片倉は無言になった。
「あぁほうや。」
「なんや。」
「その鍋島について興味深いネタが上がっとる。」
「興味深いネタ?」
「おう。」
「なんねん。」
「なんでも鍋島の財布の中から一色の社員が見つかったらしいんやって。」
「一色の写真?山県久美子の写真じゃなくて?」
「おう。」
「なんじゃ…それ…。」
「普通、財布の中に自分が忌み嫌うもんを入れっか?」
「いや。」
「そこで佐竹は興味深い説を打ち立てた。」
「どんな。」
「鍋島バイセクシャル説。」
「バイ?」
思わず片倉は大きな声を出してしまった。
「あぁ…ここからは想像の域を超えんけどな。聞くか?」
しばらく片倉は黙った。
「…トシさん。俺…いいわ。」
「うん?」
「ホンボシの鍋島は死んだんや。五の線ついてはもうあいつら自身に任せようぜ…。」
「なんや興味ないんか片倉。」
「興味ないことなんかねぇ。でもな…いまは俺は正直そこまで考えが及ばん。」
「そうやな…。」
「俺は俺のやることをやり遂げる。その後にゆっくり聞かせてくれ。」
「…わかった。」
電話を切った片倉は車の天井を見つめた。
「生まれながらにして社会的マイノリティやった奴が性的マイノリティか…。」
こう呟いた彼はそっと目を閉じた。
深い夜の時間にも関わらず、石川大学の下間研究室の明かりは点いていた。
研究室のソファに横なった下間は目を開いて壁にかけてある時計を見た。時刻は3時を回っている。
ー今日のコミュまでにあと16時間。悠里は大丈夫だろうか。
大きく息を吐いて再び目を瞑るも眠ることが出来ない。下間は身を起こして窓側に移動した。ブラインドの隙間から外の様子を窺うと、自分の研究室と同じように明かりがついている他学部の研究室も見えた。
携帯のバイブレーションが作動した。
彼は咄嗟にそれを手にする。
「今川…。」
件名のないメールであった。
ーこの時間に連絡…。何か嫌な予感がする…。
下間の鼓動が激しくなった。それによって携帯を手にする指が僅かながら震える。
ー任務完了の報告は悠里から直接あることになっている…。悠里じゃなく今川からてこの時間に私に連絡となると…。
荒くなってきている息遣いを落ち着かせるように、下間はわざとらしく深呼吸をした。そして意を決して今川からのメールを開いた。
「悠里が…警察に…。」
メールには悠里が鍋島を追う過程で警察に取り囲まれた。その際悠里の車の中からVSSが発見されたため緊急逮捕となったと書かれていた。
「終わった…。」
下間は呆然とした。
暫くして再び今川からメールが届いた。下間は力なくそれを読んだ。
「キャプテンの力で悠里をどうにかできないか掛け合ってみる。お前は俺に悠里とのやり取りが分かるように簡単にまとめて今すぐ送れ。鍋島についてもキャプテンに再度指示を仰ぐ。」
「今川さん…。」
下間の目に力が宿った。パソコンの前に座った彼は直近の悠里とのやり取りを箇条書きに記した。
 ・鍋島の殺害指示を悠里へ伝達
 ・殺害期日を悠里へ伝達
 ・警察から尾行された悠里からそれを巻いた報告あり
 ・案外警察のマークが厳しい。そのためコミュの件を慎むよう悠里からの進言
 ・鍋島殺害は上からの命令があるため実行を確認
これを下間は直ぐに今川に返信した。
「悠里の忠実さを打ち出して、朝倉の同情を買うしかないか…。まったく…非科学的な組織だ…。」
下間は頭を抱えた。
「頼む…今川…なんとかしてくれ…。」
研究室のドアをノックする音が聞こえた。
ー誰だこんな時間に…。
「下間先生。細田です。」
「え?」
「気分転換にキャンパスの中を歩いてたら、先生の研究室に電気がついていたのでちょっと来てみました。」
パソコン周りを片付けた下間は研究室の鍵を空けた。そこには白髪姿の細田が立っていた。
「先生も今日は徹夜ですか?」
「最近、家には帰っていないんですよ。」
「それはそれは…なんですか学会発表か何か?」
そう言うと下間は細田に研究室の中に入るよう促した。
「この日のために。」
「え?」
突如細田の背後から神谷が現れ、彼は細田を隠すようにその前に立った。
「下間芳夫。」
「なんだお前は。」
「警察だ。」
神谷は警察手帳を開いて下間に見せる。
「下間芳夫。下間悠里による鍋島惇の殺人幇助の疑いで逮捕する。」
「なに!?」
下間は神谷によって瞬時に後ろ手に手錠をかけられた。
「ま…まて…。」
手錠をかけられる間、下間は細田と目があったが彼は何の反応も示さなかった。
「残念だったな。下間。細田はこっち側の人間だ。」
神谷が下間に声をかけた。
「な…。」
「鍋島は死んだ。鍋島を殺した悠里は我々の手で抑えた。」
「え…。」
そう言うと神谷はスマートフォンを取り出した。そしてその画面を下間に見せる。すると下間は膝から崩れ落ちた。
神谷が手にするスマーフォンの画面には、先程下間が書き出した箇条書きのテキストが表示されていた。
「今川も確保済みだ。」
数名の男が下間と神谷の間を割って、研究室に入った。
床に手をついた下間はそのまま力なく地面を見つめた。
「下間確保しました。」
無線に向かって神谷は口を開いていた。