第百十八話

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第百十八話 前半
五の線2 第百十八話 前半
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第百十八話 後半
五の線2 第百十八話 後半
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「さ…さたけ…。」
鍋島の後方2メートルで木刀を手にした佐竹はサングラスをかけている。
「頭が痛いか?鍋島。」
自身の頭部を手で抑える鍋島を佐竹は遠い目で見つめた。
「別に…。」
「まぁ…お前に破滅に追い込まれた人間に比べれば、その痛みはクソみたいなもんだから我慢しろ。」
「て…てめぇ…。」
「その頭、昔っから出来が良かったよな。」
「あ…ん?」
「出来が良すぎて、一色の教えることすんなり覚えて、日本語も上達して、俺らなんかより難しい本読むようになって、テストでもいつも俺らより良い点取ってた。」
「…お前らのような愚民とは構造が違うんだ。」
「確かに構造が違う。普通の人間なら自分の邪魔をする存在すべてを、この世から消し去るなんて発想はできたとしても実行に移すなんてことはできやしない。お前は頭の構造も行動力も身体能力もおれら凡人のものとは違う。」
「ほう。珍しいな佐竹。お前が俺を褒めるなんて。」
「褒める?」
「あぁ。」
「勘違いすんなこのクソ野郎。」
「あん。」
「俺はお前を褒めてんじゃねぇんだよ。」
「けっ意味わかんねぇ。」
「そんだけすげぇ能力を持っていながら、その使い道を明後日の方に使ってしまったお前自身はクソだって言ってんだ。」
「なにぃ…。」
佐竹はポケットから折りたたみ式の古い携帯電話を取り出した。
「これ一色の墓の側に落ちてたぞ。」
「落ちてたじゃねぇだろ。着信あって赤松と二人してびびってたくせに。」
「ああビビった。」
「そういや赤松はどうしたんだよ。佐竹。なんで赤松がここに居ないんだ。」
「ここにあいつ連れてくるわけにいかないだろ。」
「なんで。」
「あいつも既にお前の妙な力に操られてんだから。」
グラウンドの中央に佇む古田は煙草を吸い始めた。
「ほう…どこで気がついた。」
「美紀だよ。」
鍋島は舌打ちした。
「俺と赤松が夜の熨子山に行った次の日から赤松が俺の動きを美紀に聞いている。」参照71
「…。」
「これを見ろ。」
佐竹は現在使用している携帯電話を取り出した。そこには山内美紀からのメッセージがずらりと並んでいる。
「美紀はいま何をしているかって俺に何度も聞いてきた。俺は精神の病気を持っているから、美紀のそういった探りを入れるメッセージには慣れている。だけどこの頻度は尋常じゃない。俺は美紀に聞いた。なんでそんなに俺の行動を監視するようなことをやるんだって。そしたら赤松が聞いてくるって。」
「クソが…。」
「ピンときたよ。俺の行動を監視する役を赤松が担っているって。」
「…。」
「会社じゃ橘さん。プライベートは赤松。そりゃ俺の動きが逐一お前に伝わるわけだ。まぁどこでどうやってお前が赤松と接触したかわからないけどな。」
「…。」
「ここで俺が赤松を疑って、あいつに探りを入れだそうもんなら俺らは同士討ちを始めるようなもんだ。俺と赤松の関係がうまくいかなくなれば、美紀の立場も気まずいものになる。こうやって俺らの信頼関係をぐちゃぐちゃにしてやろうってのがお前の企みなんだろ?」
「ふふふ…。」
「なんだよ。何がおかしい。」
「( ´,_ゝ`)クックック・・・( ´∀`)フハハハハ・・・(  ゚∀゚)ハァーハッハッハッハ!!」
闇夜のグラウンドに鍋島の笑い声がこだました。
「相変わらず勘だけはいいな。佐竹。」
この言葉に佐竹は咄嗟に鍋島の胸ぐらを掴んだ。
「何だそのもの言いは。」
「熱くなんなよ。昔っからそうじゃねぇか。一色も言ってたぜ。あいつお得意の人物評ってやつだ。」
「一色が?」
「ああ。一色だけじゃない。村上も赤松も。」
「なに…。」
「あれこれ分析して科学的に何かを立証して適切な方法論を導き出す力にお前は劣る。それなのに何故かお前の勘による解はいつも最適解だ。」
「…。」
「厄介だよ。思考方法が読めない奴を相手にいろいろと策を張り巡らせるのは。結局、赤松とお前とを仲違いさせて消耗しきったところに絶望を与えてやろうと思ったんだが、その俺の策もお前の勘の前にあえなく崩壊したってわけか。」
鍋島は佐竹の手を振りほどいた。
「クソなんだよ。おめぇは。」
「なに…。」
「一色も、村上も、赤松も…どいつもこいつもクソだが、お前はそれ以上にクソだ。」
「なんだと…。」
「一色も村上はあからさまな正義感を振りかざす。それが目障りだった。一方、赤松にはそういった主張は特にない。いうなれば調整型の人間だ。だが調整役に回るってのは聞こえは良いが、誰からも悪く思われないように接するつまらん人間とも言える。」
「…。」
「そして佐竹。お前はそのどちらのクソなもんをちょうどいい塩梅で兼ね備えるクソの極みなんだよ。」
「なにぃ?」
「お前の人物評には続きがある。お前なりの絶対的な正義感を内に秘め決して表に出さない。しかし、もしその正義感に抵触するようなものを見つければお前は徹底的に処断する。そいつは普段から自分の主義主張をぶつける一色や村上よりもたちが悪い。なぜならお前がどこに価値の重きを置いているかわからないからだ。」
「何が言いたい。」
「いいか。お前はずるいんだ。一色とかよりもな。自分の立ち位置を普段から他人に見せないことで、自分のとった行為を正当化させる。後付の正義を振りかざしてな。」
「随分な言われようだな。」
「ああ。真実だ。」
「で。」
「で?」
「ああ。続きは。」
「けっ…。」
「何だよそれでおしまいか。」
「…それだよ、それ。そうやって他人にべらべら喋らせて、自分の保身を図れる場所を探してる。探してここなら大丈夫だって判断したら、正義の剣を振りかざす。その正義の剣を取り出すタイミングが絶妙だから、お前は打てば響くって評価を得られるんだ。」
「それがお前の俺の人物評か。」
「ああ。そうだ。そんなセコい生き方をしているお前が、大して頭も良くもないお前が、人よりちょっと直感が働くってだけで、平々凡々とした生活を送っている事が俺は許せん。」
「うるさい。このエゴの塊が。」
「な…に…。」
佐竹は手にしていた木刀を肩に担いで鍋島の周りをゆっくりと歩きだした。
「お前は単なる設計主義者だ。」
「あん?」
「自分の思い通りにすべて事を運ばせることにすべての意義を見出す。そのためには手段を選ばない。手段を選ばない結果、お前を取り巻く多くの人間が犠牲になった。さっき古田さんが読み上げた人間たちな。」
「お前に何が分かるよ。偽善を振りかざすお前に。」
「分からんよ。」
「何だと。」
「分からないし分かる必要もない。お前は結果的に多くの人間を殺めた。そこにどういった大義名分があろうと、この結果は決して受け入れられるもんじゃない。」
「けっ。」
「確かに俺はお前が言うようなクソ野郎かもしれない。でもな。このクソ野郎を信じて自分が死んだ後でも落とし前をつけさせようとした人間も居るんだよ。俺だけじゃない。自分と関わりを持った人間を信じて後を託した人間がな。」
「それが一色だとでも言いたいのか。」
「ああ。そうだ。」
「あっそ。」
「あいつはいつも最後の判断を俺たちに委ねた。自分はこうこうこう言う筋道でこう思っている。だからこういう方向で行こうと思う。だが実行するのは俺らだ。実行するかしないかは俺ら現場に任せるって具合に。」
「だからその回りくどいやり方が気に食わねぇんだよ。やれって言ったらやる。やるなって言ったらやらない。これで十分だ。」
「ほう。」
「なんだ。」
「じゃあ聞く。お前は一色がやれって言ったらやるのか?やるなって言ったらやらないのか?」
「…。」
「違うだろ。お前は設計主義者だ。お前はすべてを自分色に染めたい。そんなお前が他人の指図なんか受けるかよ。」
「…。」
「世の中いろんな人間が居る。百人百様の考え方を持っている。そんな中で自分の主義主張を他人に押し付けるなんてことをすれば、どこかに歪みが出てどこかでそれは爆発する。そんなことは一色は知っていた。知っていたからこそ判断は常に委ねた。俺らは高校時代、あいつの練習方法や作戦のレクを受けた。そしてあいつの音頭に乗った。確かに音頭を取ったのはあいつだが、それに乗ったのは俺らの自由意志によるところだ。お前もその中のひとりだろ。」
鍋島は無言である。
「俺もお前も赤松も村上も一色も、剣道を通して得るものとして自分の思い描くものは別々だったかもしれない。だけど目下の大会でいい成績を収めたいというのは共通認識としてあった。それを実現するには一色の案がベストではないとしてもベターだと判断した。だから力を合わせて練習に打ち込んだ。…鍋島…お前、回りくどいって言っただろ、いま。」
「ああ。」
「回りくどいもんなんだよ。世の中は。何かをしようと思えば何かが邪魔をする。その邪魔をいかに説得して、妥協を図るか。この連続なんだ。少なくともここ日本ではな。」
「俺はその手法が効率的でないと踏んだ。変化が必要な時、スピードが大切だ。その為には他人の言うことに耳を傾けている余裕はない。邪魔をするやつは力で排除しないといけない。」
「その最も効率的な方法が洗脳と暴力か。」
「そうだ。それでしか革命は成し得ない。」
佐竹はポリポリと頭を掻いた。
「やっぱり無理だな鍋島。」
「なに?」
「無理だよ鍋島。そんな設計主義のお前もお前のさらに上の設計主義者によって設計されている。」
「どういうことだ。」
「ツヴァイスタンや鍋島。」
グランドの中央に立って煙草をくゆらす古田が声を上げた。
「おめぇは自分なりのご立派な思想を持っとるんかもしれん。救済の手始めは金。どんなゴタクよりも金。経済的援助のない励ましはただの偽善。そうやよな。」
「なんだ…。」
「その金のありがたみをお前は下間芳夫というツヴァイスタンの工作員から教えてもらった。ツヴァイスタンこそ自分らのような恵まれん環境にあるもんを救ってくれる。口だけの援助はなんの足しにもならん。」
「そうだ。」
「その時点でお前は下間っちゅう設計主義者の下僕(しもべ)の下僕に成り下がっとるんや。お前はなんか勘違いしとる。お前は自分自身の考えを元に誰の力も借りずに、他人を自分色に染めてこの世の理想郷を作り出そうとしとるかのように振る舞っとる。しかしその実、その源流となるもんはすべて下間や今川、その背後にあるツヴァイスタンの設計思想からくるもんや。いまのお前の思想はツヴァイスタンなしには語れん。つまりお前は設計された人格やってことや。他人を設計しようと思っとるお前が、設計された人間。」
「なぁ鍋島…いい加減やめようぜ…。お前もツヴァイスタンっていうシャブにどっぷりハマっている。俺も本多っていうシャブにハマっている。シャブから足を洗おう。」114
鍋島は再び頭を手で抑えた。
「うっ…。」
「哀れやな鍋島。とどのつまりお前には自分の主義主張なんてもんは何一つないんや。他人の言ったことをそのまま忠実にこなすだけのただのマシーン。もはや人でもない。」
「自分の頭で考えて、自分の判断に責任を持つ。その重要性を一色は教えてくれていたにも関わらず、お前だけは最後までそれに気づかなった。気づかないどころか間違った方向に突き進んだ。」
「突き進んだ上で、最もやったらいかんことをしでかした。」
「法を破るって四角四面なもんじゃない。人としてやってはいけないことをやった。しかも立て続けに。」
「その行為がもたらすもの。」
「憎しみ。」
「憎悪。」
「やめろ…。」
「いまお前の心は人から向けられるその感情で支配されている。」
「や…やめろ。」
「ワシの頭ん中もそいつで一杯や。」
「くそぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「えっ?何やいまの声…。」
職員室の応接ソファーに座っていた相馬が声を上げた。
「追い詰めとるんや。」
「え?」
相馬達の輪の中にひとりの中年男性が居た。ぱっと見は社会科の先生のようである。
「佐竹と古田。この2人が鍋島の頭ン中を引っ掻き回しとる。」
「頭ン中を引っ掻き回す?」
「ああ。鍋島は普通じゃねぇ。普通じゃねぇ奴を相手にすっときはこっちも普通じゃねぇ感じでいかんとな。」
「でも…。」
相馬はあたりを見回した。物々しい無線機材が並び、スタッフが何かの指示を出している。
「あん?これか?」
「ええ。これだけ警察の人らがおればどんな人間でも手も足もでんでしょ。」
「まぁな。」
「でもなんで刑事さんらがここで待機しとるんですか。」
「さっさと鍋島確保しろってか。」
「え…あの…。」
「そりゃいつでもできる。けど佐竹も古田もオトシマエつけんといかんって言っとるんや。ここまで来るにはあいつらの力もでかかったからな。それくらいはあいつらの好きなようにさせんとな。」
「そのオトシマエって何なんですか?」
「知らん。お前さんこそ知らんがかいや。」
「あ…ええ…。」
「まぁ話があるんやろ。話してどうこうなるもんじゃねぇけど、なんちゅうか話して自分の気持を本人にぶつけんことにはどうにも収まらん。そんなところやろ。」
そう言うとこの捜査員は装着しているイヤホンに指を当て眉間にしわを寄せた。
すっくと立ち上がった彼はそのまま窓の方に向かった。背伸びをして首を回しながら外の様子を窺う。あくびをして鼻の付け根を指で抑えながら踵を返した彼は、無線機が並ぶ方に向かって、三つ揃えのスーツを着た男に耳打ちした。
「関班長。ここから400メートル先に6階建てのマンションがあります。あそこは大丈夫ですか。」
「どこです。」
「ここです。」
机に広げられた地図のある箇所を指差すと関は腕を組んで考えた。
「指揮班。」
「はい。」
関の隣に座る男が応えた。
「狙撃支援班から周囲には気になる箇所はないとの報告だったが。」
「はい。ひととおり暗視スコープで周囲を監視。不審な動きは確認できていません。」
「ここはどうだ。」
スーツ姿の男はマンションを指差した。
「…確認します。」
指揮班の男は無線で狙撃支援班に連絡をとる。
「そこから2時の方向にある6階建てのマンションが見えるか。」
「…はい。」
「人影らしきものは。」
「ちょっと待ってください。…いえ…なにも見えません…。」
「何も確認できないようです。」
指揮班の報告に関はまたも腕を組んだ。
「ふうむ…。」
「班長。自分確認に行きます。」
「…気になりますか。」
「はい。勘ですが。」
「人員の関係上、応援はつけられませんよ。」
「承知の上。」
「県警本部の課長さんに何かがあったらどうするんですか。」
「班長の調整力でなんとかしてください。」
「ふっ…。」
関は呆れた。
「いいでしょう。あなたは帰宅する職員に成りすまして校舎から出て下さい。」
「それでは。」
課長と呼ばれる捜査員は職員室を後にした。
関と捜査員のやり取りを見ていた相馬は思わず彼に声をかけた。
「あの…。」
「自分で考えて自分ができることを全てやりきる。そういうことだよ。」
「どういうことですか。」
「君らは君らなりのできることをやり遂げた。僕らは僕らのできることをやりきる。佐竹も古田もそうだ。そしてさっきまで君らの話し相手になっていたあの男もね。」
「…。」
「いま君らが見ているこの光景は、きっとその後の人生にプラスになるものだと思うよ。」
気のせいか関の口元が緩んだ。
「僕もはじめてだよ。こんなに気持ちが高ぶるのは。」
「何だ。今の声は。」
かすかに聞こえた声に反応した悠里は暗視スコープを覗き込んだ。
ーくそ…鍋島のやつ、どこに行った…。
悠里は鍋島を見失っていた。
「あ…。」
グラウンドの中央に男が立っている。
「なんだあいつ…。学校のグラウンドで煙草なんか咥えて何やってんだ…。」
悠里はしばらくその男の姿を観察した。
「なに…サングラスをかけているのか…あいつ…。」
画面に映る人物は一方だけを見て誰かと話しているようだ。
暗視スコープの視点をグラウンドの中央に立つ男が見る方向に移動させる。
「え…。」
そこには頭を手で抑えて座り込む男の姿があった。
「あれは…な…鍋島…。」
咄嗟に悠里は暗視スコープの倍率を下げ、グラウンドを広くおさえた。
「な…もう一人居るのか…。」
鍋島と思われる人物が座り込む中、その側には棒のようなものをもったこれまたサングラスをかけた人物がいる。グラウンドの中央にいる人物も、この人物も互いに鍋島に向かって何かを話しているように見える。
「何者なんだ…あの2人は…。こんな真っ暗な夜になんでふたりともサングラスをかけてるんだ。」
「はぁはぁはぁはぁ…。」
鍋島はニットキャップを脱ぎ捨てた。そして滝のように流れる汗を服の袖で拭う。
「スキンヘッドか。なるほどかつらでも被れば、それなりに別人に成り済ませる。」
月明かりに照らされた鍋島の頭部には、手術か何かの縫合の跡が見えた。暗闇の中で目を凝らしてみると、その縫合の跡のようなものが、彼の耳の下辺りから顎にかけても見える。
「ツギハギだらけじゃないか鍋島。」
「うるせぇ…。」
「首から上をそんんだけいじってたらそりゃ昔の面影なんかなくなるだろうよ。」
「けっ。」
「なんでそこまでして俺らを破滅に追い込みたいんだ。」
「ムカつくんだよ。」
「…。」
「俺の身近には年老いたジジイとババアしか居なかった。このジジイとババアはろくに日本語も喋れない。コミュニケーションが取れない人間を抱えた俺は、この2人の生活を何とかしなければならなかった。高校生にも関わらずバイトをして自分の食うものも減らして、何とか生活した。毎日毎日働いた。お前らが学校から帰って家で惰眠を貪る間、俺は寝ずに働いた。空腹と睡眠不足でときにはぶっ倒れたときだってあった。金さえあれば俺はこんなことをやる必要はなかった。その内情を知らずにお前らはたまには遊ぼうぜとか言って、俺を誘う。んなもんできるかよ。それを断ると愛想が悪いやつとか、やっぱり日本に馴染めないとか陰口を叩く。これがムカつくって言わなくて何なんだ!」
「…。」
「ムカつくんだ。お前らが。この世に生を受けながら社会の底辺で生きていくことを余儀なくされた俺に対して、生きるか死ぬかの瀬戸際も経験したことがないお前らが、まるで世の中をわかったかのような正論を俺にあーだこーだと説く。しかも憐れみの目でな。ふざけるんじゃねぇ。」
「…。」
「いいか。金なんだよ。あの時俺が本当に欲しかったのは日本語の習得でも、勉強でいい成績を収めることでも、剣道で優勝することでもない。地獄のような俺の環境を改善させてくれる金。これなんだよ。」
雄弁に語る鍋島を佐竹と古田は黙って見つめる。
「俺が睡眠を削ってバイトをしても、その稼ぎはたかが知れている。これならいっそ高校を辞めてさっさと仕事をして、経済的な問題を解決してしまおうと思ったさ。でもな…。」
鍋島は北高の校舎を見つめた。
「クソでムカつくが…お前らが北高に居た…。」
「鍋島…。」
「クソなんだよお前らは。ムカつくんだよお前らは。でもな…一応お前らは俺に声をかけてくれた。一色は先輩連中に俺のことをバカにするなと食って掛かった。そんとき思ったよ。クソ野郎ばっかの高校だけど、ここを去れば俺はまたひとりになる。」
「…。」
「別にお前らに頼ろうとは思っていなかった。ただ心の何処かでお前らという存在に少しは救われていたのかもしれない。だから高校を辞めようとは思わなかった。」
思わず佐竹は手にしていた木刀を落としてしまった。
「…じゃあ…なんで…。」
「なに?」
「じゃあなんで…一色や村上をお前は…。」
「…。」
「なんで一色の彼女を…。」
鍋島は大きく息を吐いた。
「それ…聞く?」
「え?」
「野暮だぜ…。佐竹。」
そう言うと鍋島は佐竹に背を向けて古田の方に歩み始めた。
「な…鍋島…。」
「俺はツヴァイスタンからの金というシャブに手を出した。シャブに手を出した人間の末路は俺は知っている。」
「お…おい…。」
自分の方に向かってくる鍋島を見て、古田は煙草を地面に捨てた。
歩きながら鍋島は腰元に手を当てた。
「どうせ悲惨な終わりしかないなら、劇的な終わりを俺は望むよ。」
そう言って彼は一丁の拳銃を取り出して、それを古田めがけて構えた。
「こいつとお前を殺す。」
「な…。」
静寂に包まれていたグラウンドであったが、この時一陣の風が吹き始めた。