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第百十四話

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第百十四話
五の線2 第百十四話
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MP3 オーディオファイル 20.5 MB
どんな鬱陶しい気候でも涼し気な顔の鍋島であるが、今の彼は苦悶に満ちた表情であった。

 

「はぁはぁ…。」
山頂から金沢北高側の獣道を暫く降りると開けた場所に出た。
ポッカリと大きな穴が開いているようにも見える、その漆黒の空間に白いペンキの跡が見受けられる。それは闇の天空に浮かび上がる月明かりの仕業だった。
「え…。」
鍋島の目にあるものが飛び込んできた。一件の朽ちた小屋である。
ーな…なんだ…。ここもあの時のままじゃないか…。
月明かりは小屋の側にある一台の原動機付自転車とセダン型の自動車を薄っすらと照らし出していた。
「ぐっ…。」
またも強烈な痛みが彼の頭部を襲う。心臓が脈打つ度に拳銃で頭を撃ち抜かれたのではないかと思われるほどの痛みと熱が走る。
「クソが…。クソが…。」
呻き(うめき)声を発しながら、鍋島はその場に跪いた。
3年前
「おい!鍋島!」
鍋島に抱えられていた一色が崩れ落ちるようにその場に倒れた。そこには変わり果てた穴山と井上がある。
「村上。引くことは許されん。俺は一色を別のところで始末する。穴山と井上への犯行は一色のものだと工作しておいてくれ。後で落ち合おう。」
そう言って鍋島は凶器のナイフとハンマーを床に落とした。
「そのナイフとハンマーに一色の指紋を付けろ。」
「え?」
「いいから早くしろ。」
「…おい…。鍋島…もういいだろ…。」
「は?」
「お前…自分が何やってんのかわかってるのか?」
「どういう意味だ村上。」
「…自分の理想とする世界を実現するために、お前はどんだけの犠牲を払わせるんだ。」
「理想を実現するために犠牲はつきものだ。今更何を言ってるんだ。」
「お前…それで一色まで始末するのか…。穴山と井上だけでなく、一色まで始末するのか?」
「村上。同じことを繰り返して言うな。一回聞けばわかる。」
「…なぁ…もう止めろよ…。」
「何?」
村上は肩を落とした。
「もういいだろ…鍋島…。一色はお見通しなんだよ。」
「何がだよ。」
「赤松の親父を殺したこと。病院の横領事件絡みの殺し、それの捜査を撹乱させるための久美子への強姦。」
サングラスをかけたまま鍋島は村上の方を見つめる。
「こいつらが全部お前による犯行だってことをな。」
「けっ…。」
「一色はそうとは断言していない。でもこいつは分かっている。分かっているからこそ、最後の情けであいつはここに単騎で乗り込んできた。乗り込んで自主を促してきた。そうだろ?」
「…。」
「なぁ…もう…もうやめようぜ鍋島。もういいだろ。そもそも残留孤児の問題は一色に責任がある問題じゃないだろ。」
「大ありだよ。」
「え?」
「村上。お前今更何言ってんだ?お前は俺の味方だろ?俺の考えに賛同してるから、いままでお前は俺を庇ってくれたんだろ。それが何?いまこの段階で突然手のひら返すわけか?俺の行く手を遮るやつはすべて悪だ。俺のジャマをするやつは同胞の邪魔者だ。お前がやれないんだったら俺がやる。」
床に落ちているナイフとハンマーを手にして、鍋島はそれを眠る一色に握らせた。
「こうすりゃ一色は穴山と井上を殺した凶悪犯罪者だ。」
「鍋島…。」
「警察キャリアが成人男性二人を殺す凶悪犯罪を起こして姿を消す。こいつは前代未聞の事件になるな。」
「お・お前…。」
「県警の信用は失墜。そうなりゃああいつらは当面派手な動きはできなくなる。これで本多の周辺の捜査は打ち切りだ。そうすればお前に対する本多の信用は完璧なものになるだろう。」
「あ…。」
「俺はお前にやってほしんだよ。俺ら同胞の救済をさ。たった数名の人命と俺ら同胞の多くの人命。どっちが重いよ。」
鍋島は村上の肩を叩いた。
「頼りにしてるぜ。村上。」
「鍋島…。」
「あ?」
「お前…本気で言ってんのか。お前、本気で人の命の軽重を数の論理で説いているのか?」
「何言ってんだ村上。お前らが信奉する市場経済に則った考え方だ。ひとつの商品が持つ本来の価値がどうだと言う議論よりも、売れた商品が価値のあるものだっていう考え方と一緒だよ。」
村上はため息を深くついた。
「はぁ…。鍋島。それは違うぞ。」
「あん?」
「日本を反日共産国家のツヴァイスタンと一緒にするな。鍋島。」
「あ…?」
「我が国を人権無視のあの独裁国家と同じにするなと言っている。」
「何言ってんだおまえ。」
「人の命をそこら辺の商品とかサービスと一緒くたに論じるなと言ってるんだ。」
鍋島の口元が引きつった。
「お前の発想はあの国の思想そのものだ。」
「おいおい…何なんだよ村上…。」
鍋島は肩をすくめ、呆れ顔を見せた。
「お前、ツヴァイスタンから直で金を貰っているだろう。」
一瞬、鍋島の動きが止まった。
「は?なんだツヴァイスタンって?」
「惚けんな。お前がツヴァイスタンのシンパだってことは分かってんだ。」
「おいおい。やめてくれよ村上。わけの分からんこと言うんじゃない。」
「じゃあこれは何だ。」
村上は一枚の写真を鍋島に見せた。
「なんでお前がツヴァイスタンのエージェントである下間芳夫と会ってるんだ。」
写真にはとあるホテルのロビーで鍋島が下間と向かい合うように座り、紙袋のようなものを受け取る姿が収められていた。
「仁熊会から金を受け取っているならいざ知らず、お前はよりによって反日共産国のツヴァイスタンから金の援助を受けていた。」
「何が悪いんだ。お前だって仁熊会のパイプ駆使してんだろ。仁熊会とツヴァイスタンは裏でつながっているってことはお前も知っているだろ。」
「ああ知ってる。」
「じゃあ今更なんだ。」
「鍋島…。いいか。俺は自分の意志に関わらず、国家間の思惑で不遇の時代を過ごすことになってしまった残留孤児という存在に思いをした。そして彼ら彼女らを日本政府として救済できる方法がないかと考え、本多に働きかけてきた。」
「なんだよ。この場面で昔話か?」
「いいから聞け!」
村上は鍋島を一喝した。
「残留孤児と言えども日本人だ。日本人の落とし前は日本人でつける。これが俺の大前提だ。俺は国会議員になって日本政府として彼らにちゃんとした保障を提供したい。そのためには政府として残留孤児に対する保障活動は不十分であったことを一旦認めて、彼らに公式に謝罪し、改めて充実した保障政策を執るというプロセスが重要だ。ただ、俺が議員になるためにはまだ時間がかる、だから俺は議員になるまでの期間、自分でできることを先になるべくやろうということで、身の回りの残留孤児関係者に資金援助をしたり、教育の場を提供したり、仕事を斡旋したりした。もちろん俺と同じ思いを持つお前にも協力を惜しまなかった。だが、お前とは根本的に相容れない思想があったみたいだ。」
鍋島は黙って村上の言葉に耳を傾けた。
「確かに俺は仁熊会が裏でツヴァイスタンに協力的だと知っていた。」
「だからそれを知っているのになんで俺を責める。」
「言ったろ。日本人の落とし前は日本人でつけるって…。なんで内輪の問題を日本を敵視する国家の支援を受けて解決するんだ。」
鍋島は黙った。
「残留孤児問題の当事国同士が話し合って、何らかの経済援助策を打ち出すならまだしも、なんで第三国がそれに関わってくる?一応、この問題の当事国同士の話し合いは終了している。帰国した残留孤児の生活保障などの問題はあくまでも日本国内の問題。そこにお前はあろうことか第三国の金を引き込んで問題を複雑化させている。」
「なに…。」
「考えても見ろ。仁熊会がなんでツヴァイスタンなんかと関係を持っているか。」
「金だろ。」
「そうだ金だ。一見羽振りが良さそうに見えるが、実はあそこは資金繰りが厳しい。いくら県内最大の反社会勢力といえど金がなければ立ち行かない。警察の厳しい目をかいくぐって定期的にまとまったシノギを得るにはツヴァイスタンと結ぶのが手っ取り早かった。」
「良いじゃねぇか。合理的な判断だ。」
「バカ言え。それが間違いの元だったんだよ。」
「何がだよ。」
「仁熊会はツヴァイスタンっていうシャブに手を出したんだよ。」
「ツヴァイスタンというシャブ?」
「ああ。はじめはちょっとした手伝いみたいな仕事を請け負って小銭を稼いだ。ツヴァイスタンは定期的にその小口の仕事を仁熊会に与えた。営業活動をしなくても定期的に仕事を発注してくれる先ほどありがたいものはない。仁熊会はそれに甘えた。そこでツヴァイスタンとの関わりがとどまっていれば何の問題もなかった。だがあそこからの仕事は次第にお大口の仕事になってくる。気がつくと仁熊会はツヴァイスタンからの仕事に依存する自力営業をしない体質になっていた。こうなっちまったら仁熊会はツヴァイスタンのフロントだ。」
「そんなもん自分で招いた結果だろ。」
「そうだ。それを熊崎は悔やんでいた。」
「オセェヨ( ゚д゚)、ペッ。今更どの口が言うんだ。」
「一旦シャブに手を出してしまった人間の末路はお前も知ってるだろ。」
「死ぬまでしゃぶられる。」
「そう。熊崎はそれに気がついた。」
「だからおせぇって。」
「確かに遅い。だがあいつは大事なことに気がついた。」
「は?」
「ツヴァイスタンの本当の目的にな。」
「ツヴァイスタンの目的?」
「工作員を日本に送り込んで、近い将来この国を政情不安に陥れる。」
「…。」
「熊崎の奴言ってたよ。シノギを追求するあまり、自分が今いる国を動乱に巻き込むようなことになると、せっかく得たシノギも紙くずになっちまうってな。」
鍋島は口を噤んだ。
「一旦クスリ漬けになっちまった人間を社会復帰させるには、本人の意志だけじゃどうにもならない。つまり仁熊会自体には自浄作用を期待できないってことだ。そこで熊崎は俺に言った。」
「何をだ…。」
「仁熊会が自爆するとしても、それは自分で巻いた種だから覚悟はできている。しかし曲がりなりにも仁熊会はこの国の下で運営させていただいている。だからこの国に迷惑をかける訳にはいかないってな。」
「自分で自分の後始末さえ出来ない奴がなにをふざけたこと言ってんだ。」
「鍋島。病院横領事件のこと覚えてるだろ。」
「あん?」
「当時県警の捜査二課の課長だった一色は仁熊会にガサ入れして、そのツヴァイスタン関係の金脈を洗い、あいつらを排除しようとした。」
「何?」
「これで仁熊会は終わりだと熊崎は腹をくくった。だがお前が当時の関係者を殺したり、県警のお偉方が一色の捜査を妨害したりして、あの事件はお宮入りだ。」
「…。」
「仁熊会とツヴァイスタンの関係を断つ絶好のチャンス。それをお前はあろうことか妨害した。エージェントの司令を受けてな。」
鍋島は苦々しい顔をした。
「なぁ鍋島…いい加減やめようぜ…。お前もツヴァイスタンっていうシャブにどっぷりハマっている。俺も本多っていうシャブにハマっている。シャブから足を洗おう。これ以上クスリに頼ると俺ら本当に売国奴に成り下がってしまう。」
「妨害妨害って…。だから同じことを2回も言うなって言ってるだろ…。」
激痛が走る頭を両手で抱えながら鍋島は足を引きずった。
ー駄目だ…。休息が必要だ…。
小屋の入り口が鍋島の目に入った。そこには親指ほどの隙間がある。
ーあそこで少しだけ休もう…。
そこに手をかけた彼は扉を開き、中に倒れ込んだ。
「はぁはぁはぁ…。」
ゆっくりと彼は仰向けになった。
少しは痛みは和らいだようだ。鍋島は深く息をした。
仰向けになってわかったことがある。老朽化が進んだ小屋の天井の一部は抜け落ち、そこから月が見えた。
放置された農機具、ロープのようなもの、一蹴りすれば折れてしまうかと思われるほど朽ちた木製の柱と梁。目が慣れてきたのか、小屋の中の様子が見えだした。
ーまさか…ここで俺が横になるとはな…。
身体を横に向けたとき、彼は異変に気がついた。
月明かりに照らされる自分の隣に紐のような長いものが落ちている。それはこの空間のどれよりも新しく純白色である。
やっとの思いで体を起こすと、その紐が何を意味しているか瞬時に解った。
「こ...これは…。」
人の形で囲われた白い紐は、2つあった。
「うぐっ…。」
再び激痛が彼の頭を襲った。
頭を両手で抑えると、汗をふんだんに含んだニットキャップからそれが垂れ落ちてくる。
「あ...ああ…。熱い…。」
今度は顔を手で抑えた。
「熱い…熱い!!热!热!顔が焼ける!」
鍋島は小屋の中でひとり絶叫とともにのたうち回った。