第百十三話

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第百十三話 前半
五の線2 第百十三話 前半
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第百十三話 後半
五の線2 第百十三話 後半
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ー見てられない…。お前…おまえは…クソだ…。
ー村上…。
心臓の鼓動と併せて激しい痛みが襲う頭を両手で抑えながら、鍋島は目を瞑った。
3年前
眠りに落ちた一色をおぶり、村上を残して山小屋を出た。そして周囲を覆う雑木林の中に入っていった。
ーくそ…意外と重ぇぞ…こいつ…。
暗闇の舗装も何もされていない獣道。ぬかるんだ地面に時折足を取られながらも鍋島は淡々と進んだ。暫くすると彼は熨子山の墓地公園に出た。
ーこいつもここに眠ることになる。
「う…。」
居並ぶ墓地をすり抜けるように進んでいた彼は、ふと足を止めた。
ーいま、何か声がしたような…。
振り返って自分の肩越しに見える一色の様子を窺うも、彼は深い眠りについたままのようである。
ー気のせいか…。
墓地公園の駐車場に止めてあった車のトランクに一色を詰め込んだ鍋島は、エンジンを掛けた。ダッシュボードに表示される時計を見て彼は車を発進させた。
ー山小屋から最短で麓に降りるには一旦山頂の展望台に出て、そこから一気に駆け下りる。あの時の経験を村上が身体で覚えていればそうするはずだ。
麓に向けて駆け抜けてた鍋島だったが、ここでブレーキを踏んだ。
ー念のため確認するか…。
車を反転させ進路を麓から山頂にとった彼はアクセルを踏み込んだ。
鍋島は展望台がある山頂の駐車場に到着した。腕時計に目を落とすと時刻は0時40分だった。エンジンを切った彼は車から降りて展望台の方に向かった。
「うん?」
ふと地面を見ると舗装されていない道にタイヤの跡がある。
ー待て…。まさかこの先に誰かいるのか…。
息を潜めた鍋島はゆっくりと進んだ。
「ま…待ってください…。」
男の声が聞こえる。
「お…落ち着いて…。お…俺らは何もしていませんから…。」
ー俺ら?
物陰から鍋島は声のする方を覗いた。
そこには腰を抜かしたような体勢で後ずさりする男の姿があった。よく見ると女性が彼にしがみついて身体を震わせている。鍋島は男の視線の先を見た。
ー村上。
白いシャツに血しぶきをつけた村上がハンマーを持って、彼らにゆっくりと近づいている。
「お…お願いです…。い…命だけは…。」
恐怖のあまり男も女も動けないようだ。男はとうとう後ずさりもできなくなってしまった。村上と彼らの距離は着実に縮まっている。村上は手にしているハンマーを振り上げた。
「由香っ!」
女の名前を呼んだ男は、彼女の頭を自分の腕の中に抱きしめた。自分の身を呈して彼女を守ろうというのである。しかしこの行動とは裏腹に男の身体は恐ろしく震える。
ハンマーを振り上げたまま、直ぐ側まで来た村上はそこで動きを止めた。
「ひいっ…。」
「く…。」
「ひいいいい…。」
「あ…が…。」
「ゆ…由香…。」
振り上げられたハンマーは村上の手を離れ地面に落下した。
「え…。」
「あ…く…か…。」
「え…。」
村上は膝から崩れ落ちた。そして息遣いが荒くなった。
「はぁ…はぁ…はぁ…。」
「え…え…。」
「行け…。」
「は…。」
「はや…く…行け…。」
村上のこの言葉に立ち上がろうとするも、下半身に力が入らず男は立てない。それは一緒にいる女も同じだ。
「はやくここから去れっ!」
男と女は村上に背を向け、這ったまま力なく車の方に向かった。
「ちっ。」
物陰に隠れていた鍋島が突如として2人の前に立ちはだかった。
「悪く思うな。」
男の背後に回った鍋島は両腕で彼の首の骨をへし折った。そして間髪入れずに女の首も同じくへし折った。
「鍋島ぁー!」
その様子を見ていた村上が大声を上げた。
「うるせぇよ。このヘボが。」
変わり果てた2人をそのままにして鍋島は村上の方に向かった。
「なんだお前。もう効き目が切れたか?」
「お前…いま自分が何やったのかわかってんのか!」
「だからうるせぇって。黙れよ村上。」
鍋島は村上を指差した。
「お前こそ何なんだよ。血まみれだぞ。」
自分の姿を改めて見た村上は体が震えだした。
「て…てめぇ…俺に何をさせた…。」
「見ての通り、結構ヒデェ事やったんじゃねぇか。」
瞬間、地面に落ちたハンマーを手にして村上は鍋島に襲いかかった。しかしそれは見事にかわされた。
「なんだよお前。そうやってあいつらもやっちまえば俺の手煩わせなくてよかったじゃねぇか。」
「貴様…。貴様はなんでこうも人の命を虫けら同様に扱うんだ…。」
「はいはい。お説教はもういいよ。さっき山小屋の中で嫌ってほど聞いた。」
「山小屋?」
「あーそのあたりは記憶ぶっ飛んてんだ。」
鍋島は村上からハンマーを取り上げた。そして二体の遺体の方に向かった。
「こいつも一色の犯行にしておくか。」
「え?」
そう言って彼は二人の顔面めがけてハンマーを振り下ろした。
「あ…ああ…。」
顔面に振り下ろされるたびに鈍い音が闇夜の静寂にこだまする。この恐怖の光景を村上は力なく見つめるしか無かった。
やがて鍋島は立ち上がった。
「こいつらがこうなったのもお前の責任だ。」
「なに…。」
「お前がこいつらに遭遇さえしなければ、こいつらはこうはならなかった。すべてお前の不注意によるものだ。お前のヘマがこの結果を作り出した。」
「え…。」
そう言って鍋島はサングラスを外した。
「これはお前がやった。お前は山小屋で穴山と井上の顔面を粉砕し、そこから逃亡を図る際にこの二人と遭遇した。お前はこいつらを口封じのために殺して、こいつらの顔面も粉砕した。そう一色の犯行に仕立て上げるためにな。」
鍋島と目があった村上は何も言えない。ただ彼の瞳を見つめるだけである。
「とにかくお前は麓に降りて、その格好をなんとかしろ。後で合流だ。」
サングラスをかけ直した鍋島を見て村上は口を開いた。
「わかった。」
「いいだろう。」
「こいつらはこのままにしておく。」
「そうだな。」
「では後ほど。」
そう言って村上は闇夜に消えていった。
変わり果てた遺体の前にしゃがんだ鍋島はそれに向かって手を合わせた。
「あなたがた2人の死は決して無駄にしません。」
深々と頭を下げた鍋島はその場に背を向けた。
「誰が好んで人殺しなんかするよ…村上…。」

 

ふと麓の方に目をやると金沢の夜景が彼の目に飛び込んできた。
「俺は地獄にすら行けねぇよ…。」
「はぁはぁはぁ…。」
ークソが…。
鍋島は展望台の真下に止めてある車を眺めた。
ーこのタイミングでまた誰かいるのか…。
彼は物陰に身を隠した。そして周囲の様子を伺った。
ー誰もいない…車の中か…。
ー待て…車にエンジンがかかっていない…。窓も明いていないじゃねぇか…。
深夜と言えども7月中旬である。気温はさほどでもないかもしれないが、湿気が酷い。こんな中でエンジンを切って誰かが車の中にいると思えない。
鍋島は息を潜めて車の側に寄った。
人の気配がしない。
ーどういうことだ…。
こっそりと車の中を覗いたときのことである。鍋島の動きが止まった。
「あ…。」
再び彼は膝から崩れ落ちた。
「な…なに…。」
車の運転席と助手席にはそれぞれ間宮と桐本の遺影が置かれていた。
重い木製の引き戸を開き、壁に埋め込まれた照明スイッチを押すとそこは剣道場だった。
「相変わらず(゚ν゚)クセェな。」
剣道場から醸し出される独特の臭気に、佐竹は渋い表情を見せた。
「あれ?」
「なんです。」
「へぇ道場にエアコン入ってんだ。」
そう言って彼はそれの電源を入れた。
「あ、俺のときにはもう入っていましたよ。」
「あ、そうなの。」
佐竹は道場正面に礼をして中に入った。相馬と京子もそれに続いた。
「おい相馬。」
「あ?」
「俺らもいいんか。」
「おう。一応正面に礼して入ってくれ。」
「え?こうか?」
ぎこちない様子で相馬達の動きを真似た長谷部と麗も中に入った。
「ねぇ相馬君。なんでこの部屋に入るのにお辞儀なんかするの。」
麗が尋ねた。
「え?」
相馬は固まった。そこに何の意味があるかなんて今まで考えたこともなかった。
「下間さんだったね。この手の道場に入るのはじめて?」
佐竹が麗の質問に答えた。
「え…はい。」
「はっきりとした解説はできないんだけど、この場所を使用させていただきますっていう素朴な気持ちの表明だって俺は聞いたことがある。」
「え?誰も居ないのに?」
「そう。ほらよく八百万の神って言葉があるだろ。自然界の万物にはすべて神が宿っているって。この道場にもそういった神様がいて、いまからこの道場を使わせていただきます。なので使用している間は怪我や事故などが起こらないよう見守っていて下さいって会話をすることなんだと思う。」
麗はキョトンとした様子である。
「こういったすべてのものを大切にするっていう気持を大切にすることで、相手を敬う心を育成する。そんなところかな。」
麗とは反対に、改めて知る正面への礼の意味に相馬は納得した様子だった。
「いやぁ何にも変わってないな。ここ。」
「そうですか。」
「ああ。黒板に書かれてる内容以外は何にも変わっていない。まるでタイムスリップしたみたいだ。」
「あの…それで…。」
「ああごめん。本題に入ろうか。」
佐竹達五人は道場の中心に車座になって座った。
「相馬君、片倉さん。一色と稽古したんだってな。熨子山事件の前に。」
「はい…。」
「あいつ何か言ってたか。」
「あの…どうやったらこれ以上強くなれるかってことについてアドバイスしてもらいました。」
「へぇ。どんなの?」
剣道の形を大事にすること、かかり稽古の数を増やすこと、そして囲碁の本を渡されたことを相馬は佐竹に話した。
「囲碁?」
「はい。」
「…囲碁ね…。」
佐竹は腕を組んでしばらく考えた。
「どうしたんですか。」
「で、どうだったその本、役に立った?」
「正直僕、将棋くらいはやったことありますけど本渡されるまで囲碁なんか興味もなかったしやったこともなかったんです。なんでその本読んでもよく分からんかったんです。」
「あらら。」
「でも折角一色さんから渡されたんもんを、そこで投げ出すのもしゃくですから取り敢えず入門書片手にやってみました。すると囲碁のルール自体は単純だってわかりました。」
「どういうことかな。」
「碁のルールは自分の色の石で相手より広い領域を囲う。これだけです。僕が難しいって思っとったのは、盤面状態とかゲーム木の複雑さだったみたいです。」
「相馬君。ごめんだけど俺、碁やったことないんだ。俺にも分かるように説明してくれないか。」
相馬は困惑した表情を見せながら口を開いた。
「結論を言うと一色さんは囲碁を通して大局観を身に付けろって僕らに言ったんだと思います。」
「え?」
「どんな世界でもマニュアルみたいなものがあります。こうすればこう。ああすればああ。でもそんなマニュアルで全てがうまくいくんだったらこんなに楽ちんなことはありません。実際の現場では臨機応変の対応が必要です。ただし臨機応変って口で言ってて実際の行動はただのその場しのぎってパターンは結構あります。なんでそんなことが起こるのか。そう、そういう人はその場での形勢判断を的確に行う能力が不足しているからです。」
「その的確な形勢判断能力が大局観か。」
「はい。全体を俯瞰で見るんです。囲碁はその力を養うにはいいゲームです。俯瞰で見える盤面に必勝の形を見出して相手を引き込む。その戦略的思考を一色さんは囲碁を通じて僕らに伝えようとしたんだと思います。」
「そうか…。」
「一色さんはこうも言ってました。」
「じゃあ僕はどういう形をつくればいいんでしょうか。」
「え?」
「僕は出鼻小手が得意です。」
「…それは自分自身で考えな。」
「そんな…。」
「それが練習だよ。みんなで考えて解を導き出したら良い。」
「すいません。一色さん。」
「その必勝の形に相手をおびき寄せたり、試合の主導権を握れば合理的ってことですよね。」
「ああ。」
「でもそれができん時はどうすればいいんですか?」
「…それは勘がモノを言う。」
「勘…ですか?」
「ああ。それは反射神経以外のなにものでもない。」
「じゃあその反射神経を鍛えるにはどうすれば?」
「それは簡単さ。かかり稽古をひたすらやるしかない。」
「かかり…。」
「いやだろう。」
「…はい。」
「おれも嫌だよ。辛いだけだしね。こんなシゴキなんかなんの役に立つんだって僕も昔思っていた。でもその形が突破されてしまって、いざって時にこいつが効くんだよ。」
「いざですか…。」
「まぁそうならないのが良いんだけどね。」
「ふっ…。」
昔を振り返る相馬の言葉に佐竹は笑みを浮かべた。
「どうしたんですか佐竹さん。」
「結果として県体ベスト4。立派な成績だよ。」
「あ・ありがとうございます。」
佐竹は防具棚の方を見つめた。
「一色…。お前は死んだかもしれないけど、お前の戦略的思考法と行動は未だ生きているみたいだな。」
「どうしたんですか佐竹さん。」
「俺らには鬼ごっこ。こいつらには囲碁。」
「え?」
「それに剣道部の鉄の掟。」
「きっちり落とし前つけさせてもらうぜ。一色。お前の代わりにな。」