第百十二話

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第百十二話
五の線2 第百十二話
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ーチッ…2時間後に来いって言っておきながら、どれだけ待たせてんだよ。
北高のすぐ前にあるコンビニの書籍コーナーで興味もない雑誌を手にとっていた悠里が目を落とすと、彼の腕時計は23時を指そうとしていた。
ーしかし、深夜の時間帯にも関わらず北高ってところはこんなに出入りが激しいのか。
窓越しに見える金沢北高の職員室と思われる一角は煌々と電気が灯っている。
ー鍋島のやつ、職員が残る学校なんかで何をしようっていうんだ…。
金沢北高は学生に軍隊並みの厳しい規律を課している。それと同じように、ここで働く教職員についても学生同様の激務が課せられているのだろうか。下間悠里はドットスタッフ代表取締役仁川征爾として、北高のブラック企業ぶりに閉口した。
ーなるほど…第三者がいる極めて狭い空間に自分の身をおくことで、俺に手出しをさせないようにしたのか。
広げていた雑誌を閉じた悠里は拳を握りしめた。
ー小賢しい。
悠里は缶コーヒーを買い求めてコンビニを出た。そして灰皿が設置されている箇所でそれを口につけ、あたりを見回した。
ー鍋島。残念ながら俺はその手には乗らんぞ。
前方から駐車された車に乗り込んだ悠里はエンジンを掛けた。そしてルームミラーをさっとだけ見てバックギアをいれアクセルを踏み込んだ。
23時か…。」
長谷部が運転する車の後部座席で携帯電話を見た相馬は呟いた。
「なぁ相馬。」
「あん?」
「普通に考えてこんなおっせぇ時間に学校なんかやっとらんけ?」
「さぁ知らん。俺だってこんな遅くの学校なんか行ったことねぇもん。」
「あぁそうなんけ。」
「あたりめぇやわいや。いくらシバキ主義の北高って言っても、そこまで頑固に残ることなんか無かったわ。」
「でも、もしも誰もおらんって感じやったらちょっと気味悪くねぇけ。」
「ほうやな…。」
「そこには本当にその古田って人おれんろうな。」
「おってもらわんと困る。」
熨子町の交差点を右に曲がると、その前方に金沢北高が見えた。
「おうおう。電気ついとるわ。」
「本当や。職員室やわあれ。」
「ちゅうか何ねんお前の学校。いっつもこんな遅くまで職員残っとらんけ。」
「だから知らんって。」
「生徒シバくけど、職員もシバけんな。」
「確かにお前の言うとおりかもしれんな…。」
突如長谷部は急ブレーキを踏んだ。そのため車内にいた三人は前につんのめった。
「あ!だら!」
「おい!長谷部!何ねん!」
「えーま!だら!」
北高の前にあるコンビニエンスストアからバックで出てきた車とあわや接触しそうになったようである。
「あんの野郎…。なんもこっち見とらんがいや。」
長谷部はクラクションを鳴らした。
「長谷部君落ち着いて。」
助手席の麗が彼をなだめる。
「どいね。これから警察関係者と合流するっていうげんに、事故ったりとかしたら面倒くさいことになるがいね。」
「あ…そうね…。」
「お。ヤバい。」
クラクションを鳴らされた悠里はギアをドライブに入れ元いた駐車位置に戻した。
「はいはい。ごめんなさいね。」
ルームミラーを再度見ると、学生風の男がそれに乗っているのが確認できた。
「こんな夜遅くにふらふらしやがって。良いご身分だね日本の学生は。」
一度止まった車は、そのまま金沢北高に吸い込まれていった。
「なんだ…こんな遅くに学生風情が高校なんかに…。」
振り返った先には明かりが灯る北高があった。
「資本主義の成りの果てがこれかよ。国家の根幹をなす教育がこんなブラック企業みたいだと、この国もやがて終わりだな。」
こう言って悠里は今度は何度も周囲を確認し、慎重に車を発進させた。
「まぁこれからその教育現場でひとりの男が死ぬ。この国の崩壊の幕開けにはもってこいの儀式になるかもな。くっくっく…。」
金沢北高の来客用のスペースに車を止めた長谷部はエンジンを切った。
「おい。駐車場いっぱいやぞ。」
「本当やな。」
車から降りた4人は周囲を見回した。職員室から漏れ出てくる明かりが辺りを照らす。
「今って受験とかの季節やったっけ?」
「いや。もうちょっと後やろ。高校生って夏休みにけっこうガッパなって勉強とかするんじゃなかったっけ?」
「そうやよな。」
「おい。相馬。どこで古田と待ち合わせるんや。」
「そういや北高のどこでとか言っとらんかったなぁ。」
「ここでぼーっとしとると俺らただの不審者やぞ。」
「ほうやな。」
生徒用の玄関口の広場のようなところにスタートダッシュを切る人物を象った(かたどった)一体の銅像があった。暗がりの中に薄っすらと見える躍動的な姿は対象的であり、どこか不自然で不気味でもある。
「こんだけ先生ら残っとるけど、なんかやっぱり夜の学校って気持ちいいもんじゃねぇな。」
「そうやな。」
相馬が長谷部に相槌をうった時のことである。職員通用口の扉が開かれた。
「おい。」
相馬たちは呼ばれる方を見た。
「こんな遅くにここに何の用だ。」
「あの…えっと…。」
「見た感じ学生みたいだけど、用もないのに勝手に入ってきて何なんだ。」
通用口から現れた人物は相馬達の前に立った。
「あ…れ…?」
「え…?」
相馬と京子は妙な声を出した。
「挨拶は人間関係の基本って、ここで教わらなかったか?」
「え…ちょ…。」
「はじめまして。佐竹です。」
「うそ…。佐竹って…あの佐竹康之さん。」
突然の北高剣道部の黄金期メンバーのひとりの登場に相馬と京子は唖然とした。
「驚かせてしまってごめんな。」
「なんで…。」
黄金期のメンバーで2人が会ったことがあるのは一色貴紀ただひとり。しかし北高剣道部の最強時代のメンバーの顔と名前は写真と言い伝えで頭に刻み込まれていた。
「相馬周くんと片倉京子さんだね。」
「え…?」
「君たちがここに来るのを待っていたよ。」
「は…?」
どうして自分たちの名前を佐竹は知っているのか。そしてなぜ初対面のこの男が古田しか知り得ない自分たちの行動を知っているのか。佐竹の発言の何もかもが相馬にとって理解できないものだった。
「その2人は?」
「あ…あの…友達です…。」
「名前は?」
「あの…こいつは長谷部、んでこの子は…えっと…いわ。」
「下間です。」
口ごもる相馬を遮るように麗ははっきりと応えた。
「そうか。長谷部くんと下間さんだね。」
「はい。」
「こんなクソ暑い外じゃなんだから、みんな中に入って。」
「え?でも勝手に学校の中に入って…。」
「良いんだよ。話は通してあるから。」
「どういうことです?」
「俺の同期がいまここの先生やってんだ。」
「え。本当ですか。」
「ああ。そいつに話しつけてあるから入れよ。」
「でも。」
「心配すんなって。今日は深夜残業になってしまうってそいつ言ってたよ。いやぁ生徒に対してシバキ主義な学校だと思ってたけど、職員も同じくらいシバキなんだな。この学校卒業してよく戻ってこようと思ったな、あいつ。」
「あの…それもそうなんですが…。」
「ああ大丈夫。古田さんはじきに合流するさ。」
「え?」
突然目の前に現れたこの佐竹という一色と同期の先輩が、古田のことを知っている。しかもただの知り合いじゃない。古田しか知り得ない直近の相馬達の行動を把握している。
「古田さんがここにくるまで、ひとまず俺が君たちを預かるよ。」
わけがわからない様子の相馬たちを校舎の中に引き入れた佐竹は、彼らの先頭を行く形で暗い廊下を進みだした。
「なぁ相馬君。片倉さん。」
「はい。」
「直接君達の口から聞きたかったんだ。」
「え…何をですか…。」
「君達2人は一色と一緒に稽古したことがあるんだよね。」
「え…そんなことまで…。佐竹さん知っとるんですか…。」
「ああ…。あいつどうだった?」
「どうって…。」
「その時のこと俺に教えてくれないかな。」
熨子山事件が発生するまで、熨子山山頂の展望台は数多くのカップルが訪れる絶好の夜景スポットであった。しかしあの事件以降、殺害されたカップルの霊が出るとかで、夜の時間帯にここを訪れる者はほとんどいなくなっていた。
この日のここの駐車場にはやはり1台の車もない状態だった。
男が茂みから現れた。闇夜に同化する彼は息を整えつつ先の展望台へと足を進めた。
駐車場から展望台に向かう道に差し掛かると突然周囲が開けた。眼下には金沢の夜景が広がっている。その夜景の明かりを纏った彼は黒ずくめの鍋島であった。
「うん?」
展望台の真下に1台の車が駐車されていた。
ーなんだこれは…。3年前のあの時と同じような情景じゃないか…。
刹那、激しい頭痛が鍋島を襲った。
ーやめろ…。止めてくれ…。
思わず彼はその場で膝をついた。
ーなんでこんな状況で、そんなヘマするんだ…。
鍋島のこめかみ辺りから猛烈な汗が流れ出す。
ー見てられない…。お前…おまえは…クソだ…。
サングラスを外してブルゾンの袖で汗を拭う。

 

ー村上…。