第百十一話

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第百十一話 前半
五の線2 第百十一話 前半
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第百十一話 後半
五の線2 第百十一話 後半
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「おっしゃー。」
エンターキーを軽妙に押し込んだ黒田は、天井を見つめてそのまま両腕をだらしなく垂らし、背もたれに身を委ねた。
片倉から提供されたネタを裏取りせずに、そのまま右から左へと流すだけの作業とはいえ大変な作業だ。なにせ情報量が尋常じゃない。まるで洪水のようだ。黒田は疲弊しきった脳をひとまず休ませるように目を閉じて深呼吸をした。
ーもう何も考えられない…。
彼は部屋の壁のシミを見つめた。
ー公安か…。
姿勢を正して黒田はブラウザを立ち上げた。
ーあいつらは何もかもが秘密のベールに包まれている。俺みたいなサツ回りの人間とも決して接点を持たない。それなのに片倉さんは自分から俺と接触を図っている。そう、熨子山事件以降からずっと…。
黒田は机に置かれたペットボトルのお茶に口をつけた。
ー片倉さんが俺のネットを利用した報道に共感してくれているのはありがたい。でもあの人は公安だ。思想に共感するからってだけの理由で、公安の人間がネタを俺に流してくれるだろうか…。ひょっとして俺は公安片倉肇にいいように利用されているだけじゃないのか…。
黒田は自分の顔を両手で何度か叩いた。
ーいかんいかん…。今、俺がやっていることはまさに俺が思っていた民主的な報道活動そのものじゃないか。たとえ俺が公安に利用されているとしても、俺も目的を達成している。あの人が言うようにWinWinの関係だ。
ーふっ…おかしいな…。何も考えられないって思ったはずなのに勝手に頭が動いてる。
パソコンを操作した彼は「ほんまごと」のアクセス解析ツールの管理画面を開いた。
瞬間、彼の動きが止まった。
「え…。」
ほんまごとのPVが今までの10倍の数字を表示していた。
「マジか…。」
なぜ突如としてこんなアクセスがあるのか。解析ツールを操作するとある傾向が読み取れた。
「ほんまごと」を閲覧する人間の殆どがご新規さん。そのご新規さんはSNSに貼られたリンクからやってきている。
「俺のブログが拡散されてる?」
黒田はすぐさまブラウザでSNSサイトを開いた。そしてそこで「ほんまごと」のキーワードで検索をかける。すると信じられない数のコメントが引っかかった。
「今まで固定の人間しか来なかったこのブログになんで突然?」
ーいくら更新の頻度が激しいって言ったって、それだけでここまでアクセスが伸びるなんて考えられない。となるとこれは、片倉さんの力以外に考えられない。でもなんでこんな公開捜査みたいな真似をあの秘匿性が高い部署がやるんだ?公安はその存在が明るみになった時点で意義がなくなる。
彼は何気なくアクセス解析ツールでどの地域からのアクセスがあるのかを調べた。
「あれ?」
画面には日本地図が表示され、アクセスが集中している地域には濃い青色。そうでない地域は薄いもしくは白色と言った具合に色付けされている。黒田の日本地図は石川県だけが濃い青色でほかは薄青色である。
「いつもと同じユーザー分布だ…。ってことは石川からのアクセスだけが急激に増えたってことになる。」
腕を組んだ黒田は首を傾げた。
ーなんで石川からのアクセスだけが集中してるんだ…。普通拡散って言ったら国境を超えたものになるはずなのに…。熨子山事件がいくら石川のローカルネタだって言っても、この流れは不自然だ。…まさか公安は意図的に拡散の範囲を絞り込むことができるのか?
黒田は再びペットボトルに口をつけた。
ーそもそも片倉さんにも俺にネタを提供するには何かの意図がある。その意図がこの結果を作り出している。つまりこの結果が片倉さんの期待していたこと。石川のネットユーザー中心に熨子山事件の情報とツヴァイスタンの情報を周知させる。鍋島の生存を知らしめる。この先にあの人は何を見てるんだ…。
黒田のヘッドセットから着信音が流れた。携帯の表示は片倉肇である。
ーまあ良い。乗りかかった船だ。とことん突き合わせてもらいますよ。
「はい。」
「記事書くスピード、上がってきたな黒田。」
「ええ、なんだか慣れてきました。」
「じゃあ続き行くぞ。」
「はい。」
「え?今川がパクられた?」
神谷が大声を上げた。
「ああそうだ。」
「誰が…。」
「お前の上司の土岐だそうだ。」
「え?土岐部長ですか?」
「なんでも情報調査本部による県警システムの調査の結果、今川による不正プログラムの疑いが濃厚になったらしい。結果、逮捕となった。」
「え…。」
「どうした?なんでそんな声を出す。」
「あの…理事官…。」
「何だ。」
「自分、執行部になりすましてついさっきまで今川とコンタクトを取っていました。」
電話の向こう側の松永は黙った。
「当然、ドットメディカルにはガサが入ってるんですよね。」
「ああ。」
「ということは自分と今川とのやり取りは土岐部長に抑えられるってわけですよね。」
神谷の首筋に妙な汗が流れた。
「確かに今川に接触して嘘の情報を流したのはマズいな。」
「…。」
「だがその証拠を土岐部長が抑えられるか。」
「え?」
「そもそも彼はそんなことに興味もないだろう。」
松永の発言の意味がわかりかねる神谷は言葉を発することができない。
「まぁやってしまったことはどうにもならない。お前はこれからimagawaを現地でどう仕上げるか絵を書いてくれ。」
「え?」
「まだimagawaは終わっていない。むしろこれからだ。頼んだぞ。」
「あ…ちょっと…。」
神谷の言葉を待つこと無く電話は切られた。
「今川が土岐部長の手でパクられたんですか。」
「ええ。」
「ほんじゃあ、こっちで仁熊会に回した手はどうすりゃいいんでしょうか。」
「うーん…。」
神谷は頭を抱えた。
「あれ?警部?」
「はい?」
「警部、何か汗びっしょりですよ。」
「冨樫さん…。」
「はい?」
「まずくないですか?」
「何が?」
「ほら俺らツヴァイスタンの執行部に成りすまして、今川を撹乱させたじゃないですか。」
「あぁそれが違法とかって奴心配しとるんですか。」
「はい。それに仁熊会のコントロールの件もあります。」
「理事官はなんて?」
「やってしまったことは仕方が無い。そんなことを悔いるよりもこれからの絵を書けと。」
冨樫はニヤリと笑った。
「なんです。」
神谷は怪訝な顔をした。
「理事官がそういうんやったらそうなんでしょう。警部はこれからの絵を描いて下さい。」
「でも…。」
「覚悟決めたんでしょ。いまさらウジウジ言っとっても何も事態は良くなりません。その手のヤバい捜査手法を相殺するくらいの絵描いて下さい。」
腕を組んで神谷は黙ってしまった。
「いいですか警部。ワシらの最終目標は朝倉です。」
「…。」
「今川は単なるフロント。ワシらはまずこのフロントの人間に大量の情報を浴びせて正常な判断ができんようにすることを目的とした。」
「はい。」
「今川は朝倉とか下間をつなげるツヴァイスタン側のHUBですわ。そのHUBが正常な動作ができんようになれば、周辺に居る連中の連携が取れんようになる。今回はHUBが故障してそれが取り除かれただけですよ。」
「ですが、HUBが無くなったことにいずれあいつらは気づくでしょう。」
「そうでしょうね。」
「まずくないですか。」
「まずいです。」
神谷はため息をついた。
「あの、冨樫さん。ちゃんと答えてくださいよ。はっきり言ってこれは土岐部長の暴走ですよ。部長が俺らの捜査を引っ掻き回したんです。」
タバコを咥えた冨樫は神谷の訴えにニヤニヤと笑って応えた。
「警部。」
「なんです。」
「土岐部長。警部にわざわざ電話かけてきとったでしょう。」

 

「え?えぇ…。」
「んでimagawaはお前が仕切れって。」
「はい。」
「警部も言っとったでしょ。ほんとき。なんで土岐部長がimagawaのこと知っとるんかって。」
「はい。」
「わかりませんか?」
「…あ。」
「ほうです。これもimagawaの一環。」
「ってことは…。今川逮捕は土岐部長なりの…。」
「あくまでもワシの予想ですけどね。」
腕を組んで神谷は目を瞑った。
「ちょっと確認します。」
そういって神谷は県警本部の警備課へ電話をかけた。
「あぁ神谷です。」
「あっ神谷警部。お疲れ様です。どうしたんですか。こんな遅くに。」
「あの…つかぬこと聞きますけど、本部で何か変わった動きは?」
「え?こっちでですか?」
「はい。」
「あれですか情報調査本部とかってやつの帳場とか。」
「それもそうですけど。本部全体で。」
「本部全体ですか?そうですね、今のところ別に何の動きもありませんよ。」
「じゃあ金筋(警察幹部)あたりで何かないですか。」
「キンスジ?ですか。ちょっと待って下さい。えーっと…これもあれですか、帳場とか関係なしにですか。」
「はい。」
「えーっと…そうですね。自分が見る限りいつものとおりです。あ…。金筋は軒並み不在っす。ってか帰ったんでしょ。時間が時間ですから。」
「あ…そうですか。」
「どうしたんです?」
「いえ。」
神谷は電話を切った。
「一課も二課も帳場も特に変わったところなしですよ冨樫さん。」
「でしょ。」
「土岐部長は県警内部でも秘密裏に動いている。」
「はい。」
「つまり土岐部長もimagawaの一員。」
「かも。」
「冨樫さん。」
「はい。」
「土岐部長に合流します。」
「で。」
「今度は俺、今川になりすまします。」
煙草の火を消した冨樫は不敵な笑みを浮かべた。
「おやおや。あれだけ違法なことしたってヤバいって感じになっとったんに、更に成りすましですか?」
「あ…。」
「いいんじゃないですか。警部。ワシもお供しますよ。」
「ごくろうさん。」
「ったく人使い荒ぇな。トシ。」
熨子町のとある住宅の前で煙草を咥えていた古田の前に、同世代の男性が現れた。
「俺も爺さんねんぞ。もうちょっとほら、依頼する要件を吟味せいま。」
「いやいや。熨子山のプロである鈴木大先生以外に誰に頼めって言うんや。」
「けっ。」
「夜の山舐めんなってお前むかしワシに説教したいや。素人のワシが夜のあそこに入り込んだら間違いなく崖から転落、身動きとれんくなって凍死や。」
「だら。こんなクソ暑いがに凍死なんかせんわい。」
首に巻いたタオルで鈴木は顔を拭いた。
「首尾よくいったか?」
「首尾よくかどうかは分からんけど、気分は良いもんじゃねぇな。」
ペットボトルの飲料を古田から手渡された鈴木は勢い良く飲んだ。
「しっかしこんなんで本当に何かの効果あるんか?」
「さぁ…わからん。」
「卯辰山側から熨子山の山頂を通って、金沢北高に抜けるルートっちゅうけどな。本当にあいつこのルート通るんかいや。」
「分からん。ほやけど人目につかんように北高に行くっちゅうたらそのルートしかないがいや。」
「まぁ。」
腰をトントンと叩いた鈴木は暗闇に薄っすらと見える熨子山の姿を見つめた。
「しかし…鍋島がね…。」
「ああ。結局、熨子山事件は北高の剣道部連中のいざこざが原因。あすこの落とし前はあすこでつける。これに佐竹はこだわっとる。」
「それに鍋島も乗ってくるってか。」
「ほうや。」
「なんでそう言い切れる。」
「鍋島は常に佐竹の動向を監視しとった。仁熊会を使ってな。」
飲料を飲み干した鈴木はため息をついた。
「なんであいつがそこまでして佐竹の動向を気にかけるか。そこは正直ワシにもわからん。そもそも佐竹も鍋島に対してなんでそこまで執着するんかもわからんしな。」
「北高剣道部の因縁ちゅうもんは厄介なもんやな...。」
「ああ厄介や。おかげでいらん仕掛けが必要になってくる。」
「けどその因縁浅からぬ佐竹やからこそ鍋島を引っ張り出せるっちゅう面もあるんやな。」
「ほうや。さすが鈴木先生。理解力がぱねぇな。」
「ぱねぇって…トシ。お前どこでそんな妙な言葉覚えてんて。」
古田はポリポリと頭を掻いた。
「仁熊会はどうなんや。」
「あぁあいつらはもう鍋島と接点を持っとらん。」
「そうなん?」
「鍋島はどうやら今川らとうまくいっとらんようや。むしろ鍋島はあいつらからその生命すら狙われる状態。」
「粛清ってやつか。」
「おう。そんな状況の鍋島が今川らの協力者である仁熊会に協力を仰ぐなんか考えられん。鍋島はいまは単なる一匹狼や。」
「なるほど。相手がチームでかかってきたら厄介やけど、単騎なら囲い込みも可能ってか。」
「ほうや。一匹ずつ確保。」
「鍋島は常人では理解し難いほど頭脳明晰。んで何か知らんけどわけの分からん眼力も持っとる。」
「おう。いくらあいつには味方がおらんって言っても、あいつは普通の人間じゃない。ほやから普通に接したらむしろこっちが逆襲される。」
「ほんでこいつか?」
鈴木は何枚かの写真を古田に渡した。それを受け取った古田は何も言わずにポケットに仕舞った。
「すまん...。」
「俺は別になんてことはねぇ。けどな、あの山で命を落とした連中とかのことを考えるとな…。」
「...鈴木。」
「あん?」
「お前、ワシに言ったよな。」
「何を?」
「3年前、お前、熨子山事件の犯人をぜってぇパクってくれって。」
「…ああ。」
「ワシはその約束をまだ果たせとらん。」
「ふっ…。」
「今度こそは真犯人をパクる。」
二人の前の家の玄関扉が開かれた。現れたのは身重の女性だった。
「あぁすまんすまん。今戻る。洋子は早く休め。」
鈴木にこう言われた女性は軽く頭を下げて家の中に引っ込んだ。
「孫か。」
「まあな。」
「あれから3年…。時が経てばいろいろ変わるもんやな…。」
「現役の時は仕事仕事っていって家族から逃げ回っとった俺が今ではこの熨子町に嫁さんと移住。洋子は出産のために里帰りや。」
古田は煙草に火をつけた。
「3年前、間宮と桐本は熨子山の山頂で殺された。一方、あいつらと同世代のうちの娘は無事結婚し出産を控えとる。」
「…。」
「一般の市民にそういう事件に巻き込まれんように手を尽くすのが俺ら警察の仕事やったはず。ほやけど何の因果か一般市民よりもサツカンの身内のほうが順調な人生を過ごしとる。」
古田は煙を吹き出した。
「鈴木。自分を責めんな。お前が引き受けることじゃない。」
「…。」
「ワシらの不祥事はワシらで落とし前をつける。せめてそれくらいせんとワシらはあの世で間宮と桐本に弁明すらできんわい。」
「トシ…。」
「もちろん一色と村上にもな。」