第百十話

ダウンロード
第百十話
五の線2 第百十話
111.mp3
MP3 オーディオファイル 19.7 MB
藤堂豪の行方を追う金沢北署の捜査本部にはめぼしい情報が入っていなかった。
ー発生署配備に止めろって…本部長はいったい何考えとるんや…。普通広く網かけて、だんだん狭めていくやろいや。始めっから絞って何なれんていや…。
岡田は頭を抱えた。
「課長。」
若手捜査員が岡田の前に立った。彼はスマートフォンを手にしている。
「何かとんでもない事が起こっとるみたいです。」
「あ?」
小声で囁いた捜査員は岡田にスマートフォンを手渡した。
「え…?」
それを覗き込んだ岡田は息を呑んだ。
ー何やこれ…。
「俺も知らんことがさっきからバンバン上がっとるんです。」
ーほんまごと…。これってまさか…
39
「片倉さん。」
「何や。」
「さっきの黒田の件ですけど。」
「おう。」
「大丈夫なんですか。あいつ。」
「あ?」
「藤堂の情報を流してやってくれって片倉さんに言われてあいつの顔写真とか分かる範囲で教えましたけど。今のところどういう素性の人間かはウチらでも把握できとらんがです。」
「しゃあねぇよ。分からんもんは分からんがやし。」
「いや、おれが気になっとるのは、今の段階で警察が重要参考人の素性を調べきれていないってことがマスコミに突っつかれると困るってことなんです。」

 

「心配すんな。黒田はそんなみみっちい報道をするのが目的じゃねぇ。それにお前なんねんて、若林のあほんだらに啖呵きって飛び出してきてんろ。そんな古巣のことなんかほっとけ。もしも黒田がそのことお前が言っとったように報道すりゃあいつの立場が無くなって好都合じゃいや。」
ーってか何なんやこれ…。藤堂豪は鍋島惇?熨子山事件も一色のレイプ事件も背後にツヴァイスタン?ツヴァイスタンの工作活動?は?おいおいおいおい。
「こいつさっきからすごい勢いで記事を更新しとるんです。ってか本当に藤堂豪は鍋島惇という男なんですか?」
ー待て待て。こっちが聞きたいわ。…あ…。もしもこのブログがあの黒田が書いとるやつやったとしたら、片倉さんはこのブログを黙認しとるってことになる。ってことは…まさかこのブログ、片倉さんがわざとこの情報を上げとるってこと?
「課長?」
「あ・あぁ。」
「なんでこのブログ、俺らも知らんネタ上がっとるんですか。」
「…ふん…。創作やろ。」
「でもこれがもしも本当のことやったら、いま能登イチの爆発事件で行方を追っとる藤堂豪、俺らが追っとる金沢銀行守衛殺害事件の藤堂、これが熨子山事件で死んだと思われた鍋島惇ってことになります。」
「だから創作やって。ウラ取りようがねぇもんにアワアワしてどうすらんや。」
「ですがこれ、SNSで拡散されとるんですよ。」
「は?拡散?」
「ええ。」
「なに…このブログが方方で共有され始めとるってか。」
「はい。現に俺もさっき知り合いからこのリンク回ってきました。」
ー何やと…。っちゅうことは熨子山事件しかり、ツヴァイスタンしかり。こいつらが世間に明るみになりつつあるってか。
岡田はブログ記事を読み進めた。
「え?」
「どうしました?」
ーは?長尾?
「あの…課長。」
「あん?」
「そんなに興味あるんやったらリンク送りますんで、課長のアドレスか電話番号教えて下さいよ。」
「あ…。」
「俺もやわら捜査に戻りたいんで。」
「あ・すまん。」
若手の捜査員は岡田にリンクを送り、その場を後にした。岡田は自分の携帯で再びそのほんまごとの記事を開いた。
ーなんで長尾俊孝がこんなところに…。いや待て…反原発運動のS…。えす…。下間…。まさかこのSは下間芳夫か…。
更に岡田は記事を読み進めた。
「え?」
思わず岡田の口から声が漏れた。
ー今川が金沢銀行の橘に便宜を供与。その見返りに橘は消費者ローンにおいて外国籍を持つ連中にとって有利な融資審査をしとったやと?
「待て待て待て。」
岡田はA4の用紙をとりだしてそこに人物名を書き始めた。
ー長尾はOS-Iすなわち今川惟幾のことについて何らかの探りを入れていた。これは間違いない。OS-IはHAJAB端末のOS。いまのところこのOS-Iが搭載されている端末は金沢銀行のシステムぐらいや。ちゅうことはまさか長尾がこの今川の不正を掴んどったってことか?
白紙の中心に長尾俊孝の名前を書く。その右隣りに今川惟幾の名前を書き、その下に下間芳夫と記して括弧書きでSと書いた。そして今川のさらに右隣に江国健一の名前を書き記した。そして今川と江国から線を引っ張ってきて、そこに橘の名前を書いた。
ーいやまて、さっきの記事はどうすれんて。そもそも警察関係者のMって誰なんや。
心のなかでそう呟いた岡田はその用紙をぐしゃぐしゃと握りつぶした。
「おい。」
近くに座っていた本部捜査員が岡田の様子を見て声をかけた。
「おまえどうしたんや。」
「あ…いやなんも…。」
「携帯なんか見てなにメモとっとらんや。」
「あ・いえ…。」
「携帯なんかでネタ取るよりも自分の足やと俺は思うぞ。」
ーなに言っとれんて。それが詰まっとるから捜査も煮詰まっとるんやろいや。
その時である。捜査本部のドアが開かれた。
「あ…。」
「あ…。」
捜査本部に詰めていた全員が開かれたドアの方を見た。
「若林署長…。」
立ち止まった若林は岡田の方を鋭い目つきで見つめた。その刺さるような視線を前に思わず彼は目を背けてしまった。
「岡田課長。」
若林はツカツカと革靴の音を鳴らして岡田の前に立った。
「なんで君がここにいるんだ?」
「あの…それは…。」
自分の前に立つ、若林から石鹸の香りが漂ってきた。
「答えろ。」
「本部長の命令です。」
本部捜査員が二人に割って入った。
「何?」
「最上本部長のご意向です。」
「最上本部長?」
「はい。捜査本部の長が不在とあっては捜査は進みやしません。若林署長。あなたが不在がちであるのを見かねて最上本部長が岡田課長を主任捜査員からあなたの代わりに捜査本部長として任命しました。」
捜査本部に戻ってから、何かにつけて岡田にダメ出しをする捜査員であったが、ここで味方についてくれる彼を岡田は素直に頼もしいと感じた。
「ほう。」
「我々は岡田課長の指揮下にあります。」
「捜査の状況は?」
「捜査本部から外されたあなたに説明する必要性はないかと。」
「…ふん。」
「若林署長。」
「なんだ。」
「先程からあなたから石鹸の匂いが漂ってきますが。どこぞでひとっ風呂浴びてこられたんですか?」
岡田も感じていた違和感を直球で問い詰める本部捜査員の肝っ玉の座り具合に岡田は驚いた。
「何言ってるんだ気のせいだ。お前が嗅いでいるのは車の芳香剤の匂いだ。」
「ここに詰めとる捜査員はここ数日ろくに風呂も入れない状況が続いています。それなのにあなたは随分とこざっぱりされとるようです。」
「貴様、自分の立場をわきまえろ。」
「わきまえとります。」
「なに?」
本部捜査員は若林にだけ見えるように自分の警察手帳を見せた。
「これでどうでしょう。」
それを見た若林はしばらく黙った。そして無言のまま席を立った。
ーなんや…。この本部の人間は…。一体何もんなんや…。
二人を背にした岡田は静かに捜査本部をあとにした。
「おい。」
「え?」
「おいこれからどうすれんて。いけ好かんキャリアはお家に帰ったぞ。」
「あ…。」
「あくまでも今はお前さんがこの帳場任されとらんや。藤堂逮捕のための指示を早よ出してくれ。」
突然の若林の出現に取り乱していた岡田であったが、この言葉に我を取り戻した。
「俺がここに戻ってきてから藤堂に関するネタは上がっとらんがですよね。」
「はい。」
「じゃあこれ、あんたはどう思う?」
岡田は携帯を本部の人間に渡した。
「ほやから言ったがいや。現場は足で稼いでなんぼって。」
「いいから呼んでみて。」
渋々捜査員はそれに目を落とした。時折目を携帯から遠ざけて、老眼のピントをあわせるように眉間にしわを寄せる。どう見ても嫌々である。しかしその様子はものの数分で変化を見せた。彼は食い入るように携帯を見つめる。
「おい…。なんやいやこれ…。藤堂豪は熨子山事件で死んだと思われた鍋島惇やってか?」
「ええ。」
「3年前の鍋島の死は警察によるでっち上げやったてか?」
「にわかに信じがたいネタですわ。」
「確かに。けど…。」
「けど?」
「このツヴァイスタンの件にあるこのMって奴。」
「え?M?」
「おう。」
「え?このM知っとるがですか?」
「おう…。」
「誰なんですか。」
「元県警本部警備部警備課長やった三好のことや。」
「え!?あの三好さん?」
「ああ。この能登の不審船の話は直接本人から聞いたことある。」
ー何やって…。ちゅうことは三好さんは長尾のネタ持っとる可能性があるっちゅうことやがいや。ほしたらOS-Iのこととか、長尾の死の真相も三好さんがなんかの手がかり持っとるかもしれんがいや。でも、三好さんは熨子山事件の時に朝倉本部長に更迭されて、いま何しとるんか知らんしな…。
「金沢銀行の融資部長とドットメディカルの今川がコネコネやって!?関係機関に通報済み?」
捜査員はこう言って頭を抱えた。
「かーっ…今度は金沢銀行が二課に荒らされるんかいや…。んでまたわっけのわからん今川なんかっちゅう男が出て…。えーまややっこしい…。」
ーそうや…。俺はいまは金沢銀行殺人事件の帳場を任されとる。長尾の件は一旦保留や。まずは藤堂確保に全力を尽くす。って言っても最上本部長からは騒がず焦らず、内密にと言われとる。
「岡田課長。」
若手捜査員が岡田の前に現れた。
「どうした?」
「最上本部長から電話がつながっています。」
「わかった。」
「別室の電話に出て下さい。」
別室のソファーに腰を掛けた岡田は電話の受話器をとった。
「はい。こちら金沢銀行殺人事件捜査本部。」
「堅苦しい挨拶は抜きだ。岡田くん。」
「はっ。」
「そろそろ捜査本部の人員を別の場所に配置してくれ。」
「は?」
「いいか。君が間違いないと思える人間を5名程度ピックアップして今から言う場所に配置してくれ。」
「どこですか。」
「金沢北高だ。」
「へ?」
「金沢北高に5名。そうだな、年齢は40から50代の人間が良い。捜査本部から秘密裏に人員を派遣してくれ。」
「は…はい。」
「口が固くて君が信頼を置ける人材であることが条件だ。」
「それにしてもなぜ北高なんかに。」
「理由は聞かないでくれ。現地には別の指揮者ががいる。君が選抜する5名の精鋭は、捜査本部を出た瞬間から彼の指揮下に入ることになるから、そのあたりは了承してくれ。」
「リミットは。」
「今すぐ。10分後に5名を出発させたまえ。」
「は・はい。」
「若林くんにも悟られないようにな。」
「かしこまりました。」
「じゃあ頼んだよ。」
「あ・本部長。」
「なんだい。」
「あの…杞憂かもしれませんが…。」
「手短に。」
「SNSで熨子山事件関係の捜査情報がリークされています。」
「何のことだい?」
「これが我々警察でも知り得なかったネタが満載のブログがSNSを使って拡散されとるんです。」
「それはフィクションとかじゃなくって?」
「わかりません。全く事実そのものっていうのもあれば創作と思えるようなものもあります。」
「ふうん…。」
「どうしますか。」
「どうするかって言われても、一旦世間の耳目に晒されたたものはどうにもならんだろう。」
「まぁ」
「いいよ放っておきなさい。そのうち忘れ去られるさ。」
最上からの電話を切った岡田は、先程の本部捜査員とほか4名を選抜して秘密裏に彼らを北署から出発させた。