第百五話

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第百五話
五の線2 第百五話
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両目をこすり、首を回したところに机の上に置かれていた携帯電話が光った。
「片倉さんすいません。キャッチです。」
「手短に済ませれ。」
「はい。」
携帯を手にした黒田は表示を確認した。見覚えのない番号である。
「あー丁度いいわ。ちょっとだけ休憩させてもらうわ。終わったら電話くれ。」
そう言って片倉は電話を切った。
誰からのものか分からない電話であるが、疲労が溜まってきた黒田にとって、この電話のおかげで自分に休息がもたらされたのは間違いない。彼はとりあえずそれに出た。
「はい。」
「北陸新聞テレビの黒田さんですか。」
「…え。はい。」
「面白いネタがあるんです。」
「え?」
脱力していた黒田は思わず姿勢を正して座り直した。
「誰から僕の番号教えてもらったんですか。」
「言えません。」
「なんで。」
「言えないから言えないんです。」
黒田はため息をついた。何かの嫌がらせかもしれない。彼は適当にあしらって片倉との電話に戻ろうと考えた。
「で、なんです?要件は手短にお願いします。」
「わかりました。手短に済ませます。」
「どうぞ。」
「明日、金沢銀行が記者会見を開きます。その発表内容を事前にあなたにお知らせします。」
「え?」
「あの会社で3年前から顧客の信用情報データベースを不正に改竄していた人間が行内にいたことが内部調査によって明らかになりました。金沢銀行は先ほどその人物に処分を言い渡しました。」
「え…ちょ・ちょっと待って下さい。」
慌てて彼はペンを手にとった。
「事実関係だけお知らせします。本日、金沢銀行で顧客の信用情報が改竄されている事実が行内の調査で発覚しました。行為者は改竄された信用情報を利用して特定の人間に対して優先的に融資を実行できるよう便宜を図っていたのです。行為者はこれによって自分の融資実績を不正に積み増ししていました。さらに彼はある人物からも利益を供与されていた疑いがあります。結果として行為者は先程取締役会で懲戒解雇の処分を言い渡されました。この件について金沢銀行は明日の朝10時から記者会見する予定です。今回はいち早く黒田さんにこの情報をお伝えしました。」
黒田の疲れは吹っ飛んでいた。
「それではこれで失礼します。」
「あ!ちょっとまって!」
彼は鼻息を荒くして電話の先の人物に質問をする。
「あの質問です。よろしいですか。」
「手短に済まさなければいけないんじゃなかったですか。」
「その…。」
「私に答えられることならお答えします。どうぞ。」
電話の先の人物は柔軟に対応してくれた。
「犯行に及んだ動機は?」
「現在のところまだはっきりとはしていません。」
「そうですか…差し支えなければ、その犯行に及んだ人物の役職と名前を教えてくれませんか。」
「公表は控えてくれますか。」
「ええ。」
「金沢銀行融資部部長 橘圭司。」
「部長?」
「はい。」
「かなりのポジションじゃないですか。」
「ええ、彼はつい先日副部長から昇格して部長になったところでした。その際の身辺調査ということで彼の周辺を調査したところ、今回の犯行が判明したのです。」
「なるほど。融資実績が好調な橘が部長職に格上げされた。しかしその実績は不正によって作り出されたものだった。」
「そういうことです。」
「今あなたは、特定の人物に融資を実行できるように情報の改竄が行われたと言いました。その辺りをもう少し詳しくお教え下さい。」
「改竄の対象となったのは主に消費者ローンの債務者です。金沢銀行では消費者ローンの融資審査の際、借り入れ申込者の所得を証明する書類の提供を求めます。所得証明とか源泉徴収票とかですね。その証明書はその場でスキャンされPDFのデータとされます。原本は事務管理課で集中的に取りまとめられ、能登の文書管理センターへ。実務はデータで行われます。橘はそのデータを何らかの方法で融資に都合の良いものに置き換え、ある属性の消費者ローンの実行金額を伸ばしていきました。」
「或る属性?」
「三親等以内に外国人がいる層。」
「え?」
「彼が融資部の副部長になってから、その顧客層の取扱件数、実行金額が膨れ上がっています。」
「え…。なんでその層だけを…。」
「彼がどういう動機でそういったことをしたのかは依然としてわかりません。ですが結果が全てを物語っています。橘は外国人を親戚縁者に持つ連中を優遇しました。そしてその報酬として、特定の人物から金銭を受け取っていました。」
「あの…その特定の人物とは。」
「金沢銀行にそのシステムを提供しているドットメディカルのCIO。今川惟幾。」
「え?」
「金沢銀行はドットメディカルのシステムを採用しています。つまり橘はシステム納入業者と結託して債務者の信用情報を改竄していたんです。」
「え…?でも…僕はよくわかりません。」
なんでシステム納入業者がそんな自作自演をする必要があるのか。自社のシステムの脆弱性を知らしめてあの会社に何の得があるというのだ。黒田は彼の言葉に不信を抱いた。
「実はドットメディカルはマルホン建設買収資金の融資を金沢銀行に願い出ていました。この件が今回の信用情報改竄の遠因となっています。」
「買収ですか?」
「ええ。マルホン建設は3年前の不祥事から立ち直るためにドットメディカルと業務提携をしました。その後資本においても両社の提携関係が深められます。これを受けて、マルホン建設の業績はV字回復しました。たった3年であの会社の売上高は当時の倍になり、マルホン建設の市場価値はぐんと高まりました。そこでドットメディカルはマルホン建設の更なる成長を図るためにマルホン建設にIPOをするべきだと迫るようになります。このドットメディカルの交渉担当者が今川惟幾なのです。」
「今川がマルホン建設の買収交渉担当者…。」
「マルホン建設の社長である本多善昌は今川の提案をことごとく突っぱねました。やがてドットメディカルとマルホン建設との信頼関係に微妙な空気が漂いだしました。ここで今川は一計を案じます。それが未公開株であるマルホン建設の買収です。」
「利害関係者の調整が手間だから、いっそのこと子会社して自分の思い通りにマルホン建設の経営をコントロールしようということですか。」
「はい。現在のマルホン建設の資本割合は社長の本多善昌が40%。ドットメディカルが30%です。残りの25%が本多の親族。そして残りの5%が金沢銀行です。今川はこの本多の親族と金沢銀行に狙いを定めました。」
「どういうことですか。」
「提携解消の噂を流したんです。」

 

「提携解消?」
「はい。マルホン建設のV字回復はドットメディカルによるところが大きい。そのドットメディカルがマルホン建設から手を引くとなるとどうなります?またもあの会社の業績は転落するのではないかとネガティブな憶測が飛び交います。マルホン建設の株は未上場。そこでドットメディカルは本多の親族を切り崩しに掛かった。」
「切り崩し?」
「ええ。今川は市中に出回っていないこの株を額面金額の3倍で買い取ると本多の親族に持ちかけたんです。」
「3倍ですか。」
「はい。マルホン建設の株は額面100万円。これが2,000株発行されています。本多の親族はこの25%ですから100万✕500株=5億円。5億の3倍ですから15億。これに親族の気持ちは揺らいだ。なにせ彼らは3年前の事件で一度、世間から本多善幸の不祥事と慶喜の自殺で世間から白い目で見られていますからね。」
「確かに。」
「一方、ドットメディカルはその株の買い取り資金を金沢銀行に融資するよう求めてきた。ドットメディカルがマルホン建設から手を引けば、あの会社の業績は転落する可能性が出てくる。しかしドットメディカルがマルホン建設を買収し、実質的な経営権を持てば、IPOをしてキャピタルゲインも狙えると。金沢銀行は中長期的に見てドットメディカルに分があると見て、ドットメディカルに融資をする方向で検討した。しかし。」
「しかし?」
「ある事実が融資を妨げました。」
「或る事実?」
「仁熊会とドットメディカルの関係です。」
「仁熊会?」
黒田の手が一瞬止まった。
「仁熊会の熊崎仁とドットメディカルの今川惟幾が市内某所で時々密会している現場を、金沢銀行が雇った探偵によって抑えられたんです。」
「反社会的勢力と成長著しい新興企業ですか。」
「反社会的勢力と仲良しな企業に融資をすることは何よりもリスクです。それに何よりも今回の橘の不正で明るみになったことがあります。」
「なんでしょうか。」
「橘は今川から資金を提供されて、特定の層の消費者ローン実行残高を水増ししていました。そして彼はその目覚ましい実績でもって融資部の部長まで昇進した。融資部の部長になれば当然、そのドットメディカルのマルホン建設株買い取り資金の融資においても一定の裁量を持ちます。」
「あ…。」
「つまり今川は業者として金沢銀行のシステムに入り込み、さらに行内の橘を協力者とすることで、常にドットメディカルにとって有利な状況を作れる基盤を整備していたということになります。これはいまあなたが書いたツヴァイスタンのスパイ活動と通じるところがあります。」
「え…?」
「ツヴァイスタンのスパイ活動になぞらえると、橘は現地協力者。今川はツヴァイスタンのスパイ。仁熊会がツヴァイスタン本体もしくは出先機関と言った感じですか。」
この時間にすでに自分が書いた記事が一定の読者に届いていて、それなりに理解が示されていることが第一義的に驚きであった。しかしさらに、なぜこの内通者は自分がほんまごとの管理者だと知っているのか。これには黒田は驚きよりも背筋が寒くなるのを覚えた。
「守衛が殺され、翌日には金沢銀行の総務部長が自殺と見せかけて殺される。この混乱に乗じてドットメディカルは金沢銀行に融資の催促をする。金沢銀行が事件の対応に奔走する中、マルホン建設との提携解消を流し、そのタイミングで自分の協力者を主要ポジションにねじ込んでくる。恐ろしい陰謀ですよ。金沢銀行は今回の件については関係機関に通報済みです。捜査の進展を見守ってしかるべき対応をとるよう検討をしています。」
「あの…。」
「少しだけと言っていたのに、随分と長い時間喋ってしまいましたね。」
「あの…最後にひとつだけ良いですか。」
「なんでしょう。」
「どうして…私がほんまごとの管理者だと?」
電話の向こう側の人物はひと時の間を持ってそれに答えた。
「エスですから。」
こう言って電話は切られてしまった。
「エス?」
黒田の携帯が震えた。片倉からである。
「すいません。片倉さん。どうしても外せないネタが入ってしまったんで。」
「ネタ?」
「はい。」
「何の?」
「あ…言えません。」
「スクープってやつ?」
「ええ。でも…。」
「なんねんて。」
「ネタ元がよくわかんないんです。」
「は?」
「ネタが凄すぎて、ネタ元が誰なのか聞くの忘れてしまいました。」
「はぁ…だらや…。」
「どうしましょう。」
「…でもおめぇ、それスゴネタやって思ってんろ。」
「…はい。」
「ほんならほんなもん、ネタ元ちょろまかしてブチかませ。ウラなんか適当にしときゃいいがいや。」
「でもスポンサーなんですよ。スクープの対象が。」
「だら。誰がテレビでやれって言ったいや。いまから上司に掛け合って絵抑えてとかやっとったらアホみたいに時間かからいや。」
「え?」
「ほんまごとやほんまごと。」
「え、これも?」
「こうなったらもう一切合切流せ。こっちのネタはまだまだあるんや。さっさと書けま。」
「でも…。」
「やれ。今日は徹夜の覚悟で来い。」
「て…徹夜?」
「ああ。1時間後また電話する。」
電話を切られた黒田は大きく息を吐いた。
「もうどうにでもなれ…。」
頭をかき乱した黒田はパソコンに向かって激しくタイピングを始めた。