第百四話

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第百四話
五の線2 第百四話
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MP3 オーディオファイル 20.0 MB
「ちょ…。このSってまさか…。」
長谷部は絶句した。
隣りに座る麗はため息を付き、重い口を開いた。
「凄いわね。完璧よ。」
「え?」
「私たちのこと調べあげている。」
「長谷部。その先もちゃんと読め。」
後部座席の相馬がこう言ったっため、長谷部と麗は記事を読み進めた。
<S 再び>
いまから15年前の新月の暗闇の中、夜釣りに出掛けていた中年男性が妙な光景を目撃したと警察に届け出てきた。
釣り道具を抱えた高校3年程の風貌の少年が暗闇の中ひとり肩を抑えて漁村の中を歩いていたというものだ。どうやら少年は怪我をしているようで足を引きずっているようにも見えた。中年男性は高校生に声をかけた。しかし彼は見向きもしない。大きな声で呼んでも何の返事もしない。せめて足を引きずる少年に手を貸そうと中年男性は彼に近づこうとした。その時少年は振り返った。そして中年男性にこう言った。
「それ以上近寄るな。」
その時は周辺に明かりらしいものがなかったため、少年がどういう表情でこちらを見ているかはっきりとは分からなかった。ただ得も言われぬ負の力が自分の身体を覆い尽くそうとしてるということだけは、彼は感じたようだ。圧倒的な負のエネルギーに耐えかねて彼は思わず後ずさりした。気が付くと少年は海沿いの一軒の民家の前に立っていた。家の玄関に明かりがつき扉が開かれた。どうやらそれが少年の家のようである。
その時である。中年男性は家の明かりに照らされた少年の衣服を見て、異様さを感じ取った。少年の衣服には大量の血痕らしきものが付着していたのである。それは彼がおさえる肩の辺りに特に付いていた。中年男性の足は震えだした。玄関扉を開いた少年はその家に入っていった。
この通報は所轄の警備課所属のMの耳に入った。月齢表を確認した彼は手勢を連れて現場に急行した。
所轄から現場までは10分だった。しかし現場に到着するも通報者の姿が見えない。不審に思ったMは通報者の行方を探すよう部下に指示を出す。暫くして「漁村のとある側溝に男が倒れている」との報告が入った。Mがそこに急行すると首を鋭利なもので切られた、通報者の変わり果てた姿があった。
この頃、何事かと漁村の所々から住民が外へと出てきていた。部下たちは規制線を張り、現場の保全を始めた。
ここで何かに気がついたのかMはひとり海岸へ急いだ。漆黒の闇である海岸で懐中電灯を照らす。光線は波打ち際を沿うように当てられ移動し、やがて止まった。一艘の木造ボートが闇夜に照らされていたのである。Mは即座に緊急配備を依頼する。
Mは所轄を出る際に月齢表を確認している。これが何を意味するのか。
警察は掴んでいたのである。ツヴァイスタンが新月の深夜という最も闇が深い時期を狙って、日本に侵入していることを。
通報から現場到着まで10分。中年男性が目撃した少年はまだその家にいる可能性がある。周辺の聞き込みに戻ろうとした矢先、彼の目に妙なものが映りこんだ。振り返って再度ボートに光を当てる。よく見るとガンネルに何かがぶら下がっている。Mはボートに近寄った。そこで彼は足を止めてしまった。光の先に人間の腕があったのである。駆け寄るとそこにはこれまた首を鋭利なもので掻き切られた男の遺体が転がっていたのである。
通報者が言っていた血痕をつけた少年というのは、この事を指していたようである。首を鋭利な刃物で掻っ切る殺人の手口の共通点が見えることから、この船員と通報者の殺人は同一犯によるものと推定される。一刻もはやく重要参考人である少年を探さねばならない。Mは再び通報者の殺害現場へ戻った。
住民たちが事件を聞きつけて起きてしまったのか、先程まで真っ暗だった村の家々に明かりが点いていた。外に出てくる人数も多くなり周辺はちょっとした騒ぎになっていた。辺りを見回したMは一軒の古ぼけた木造家屋に目を止めた。明かりが点いていない。深夜であるため眠りについていて外の様子がわからないのだろうか。Mは住民のひとりに明かりが点いていない家のことを尋ねた。すると住民からは意外な答えが返ってきた。「知らない」というのである。
住民が知らないというのも無理もない。この一軒家は賃貸物件でウィークリーマンションのように利用されているため。住人が固定していない。そのため住民はこの家の主を「知らない」と言ったのだ。
田舎なのに知らない人間関係が存在することに違和感をもったMは、真っ先にそこに聞きこみをかけた。チャイムを何度か押すと、中から男が出てきた。それが瀬嶺村で公安の監視対象におかれていたSだったのである。
<Sと少年>
Sはここからしばらく言った先にある能登第一原子力発電所がもたらす環境破壊について調査していると答えた。本日調査を終え、明日ここを引き払うと言う。Mは一人の少年がSの家に入っていったとの目撃情報をぶつける。Sはそれをあっさりと認めた。
「調査の助手をしてくれている村井くんです。私のゼミ生です。」
部屋の奥から山本と名乗る男性が現れた。そしてMは彼の身元などを聞き、肩や足のあたりに怪我をしていないかを確認した。通報にあったような怪我をした様子はない。念のためMは他には誰もいないのかと尋ねるとSは村井ひとりだと答えた。玄関にある靴を見ると2つの靴しか無い。Mは首を傾げてSの住まいを後にした。
結果としてMの聞きこみは徒労に終わった。少年の存在はおろか少年の目撃情報も一切手に入れることができなかった。そして木造ボートで遺体で発見された人物の身元も確認できなかった。
かつて公安にマークされていたSが木造ボート漂着の新月の深夜に現地にいる状況を考えて、Sはツヴァイスタンの工作活動の何らかの補助をしているに違いない。
そう考えたMは後日引き払われたSの住まいを捜索した。部屋の隅々を捜索するも何一つ生活の後のようなものがない。手がかりなしと諦めたMが観念するように部屋の畳に横になった時のことである。Mは何かに気がついた。気のせいか床が少し凹むのである。Mは何度か畳の上を拳で叩いた。そして隣の畳の上も拳で叩く。音が違う。一方は中身が詰まったような音。もう一方は中が空洞のような音である。気になったMは自分が横になる畳をめくり上げた。釘で打ち付けられているはずの床板がずれている。シロアリの仕業かと思ったその時、Mは固まった。その先に見えるはずの基礎や地面がない。真っ暗である。急いで板を除け、そこを懐中電灯で照らし、明らかになったものを見てMは愕然とした。地中深くまで掘られたトンネルがあったのである。
その後の捜査でこのトンネルは漁村の人気のない場所に通じていることがわかった。そしてトンネルの中には目撃者が見たとされる、少年が来ていたと思われる血痕のついた衣服が埋められていた。また、乱数表が記載されたカードサイズの手帳のようなものも発見され、ツヴァイスタンのアジトとして使われていたことが明るみになった。
X氏は言う。
「目撃者の情報は正確だった。木造ボートで日本に侵入した少年は船員となんらかの争いを起こして怪我を負った。少年はその日Sの家に匿われ、トンネルを通じて漁村の外に脱出。警察が聞き込みに来ることを予め想定していたSは、村井という無傷の助手を立ててそれを少年の変わり身とした。」
「村井?なんでこの人物だけ実名?」
パソコンを覗き込んでいた神谷が呟いた。
腕を組んで記事を読んでいる富樫が言う。
「警部。聞き覚えありませんか。」
「え?なんです?」
「ほら…この間のコミュの特集。」
「麗の人気が爆発的に上がったあれですか。」
「ええ。その前段に出とったあいつ。」
「前段?」
神谷は額に手を当てて記憶を辿った。
「あ…。」
「思い出しました?」
「あれ…ですか?」
「何です?」
「ほら、コミュの共同代表とかって…。」
「正解。」
神谷は納得した表情である。
「この時期からすでに村井は下間とつながりを持って、ツヴァイスタンの工作活動に一役買っとった。当時の公安捜査でそれは明らかになっとる。悠里と僅かしか年齢が違わん村井は、あいつが東京におる間、下間の協力者として地元で反原発の旗を振り、能登イチ周辺の住民の意見を二分させるよう活動しとったんです。三好はツヴァイスタンの工作活動を止めることができんかったっちゅうて、この日以降、奴らを目の敵にして捜査をしとった。地味で記憶が遠くなるほどの情報収集の積み重ね。その集大成がこの三好ファイルですわ。」
富樫はファイルを手にしてそれをパラパラとめくった。
「警部。おそらくここで村井の名前を挙げとるってことは、あれですよ。」
タバコを加えた古田が口を挟んだ。
「なんです。あれって。」
「村井の動向に注意しろってサインです。」
「村井...ですか…。」
「ほら、今川言っとったでしょう。悠里と麗を明日のコミュで始末しろって朝倉が言ってきとるって。」
「ええ。」
「あいつらがあそこからおらんくなると、誰があそこを仕切るんです?」
「それは…。」
「共同代表の村井ですわ。」
神谷は黙った。
「村井が下間より上の立場の人間から何かの指示を受けたらどうすると思います?」
「それは…。」
「あいつらは上の命令には絶対に逆らえない。逆らえばそれは死を意味する。」
<突如もたらされた少年の身元>
X氏は続ける。
「Mはあの事件を後悔していた。結果として目撃者と船員の生命が失われた。Mは事件後Sに何度も聴取をとるが決め手にかけた。結局は目撃者が見たとする少年を捕まえないと重要な情報を得られないと判断したMは、地道に情報を集めた。しかしそれは暗礁に乗り上げていた。だが、その流れが変わった出来事があった。彼の捜査は予期せぬところで進展を見せる。当時石川電力の役員であった長尾との出会いだ。」
彼は東京第一大学工学部を卒業し商務省に入省。産業情報政策局電力安全課配属。その後電力畑をめぐって石川電力に天下った。ある日この長尾がMに接触を図ってきた。要件は能登第一原子力発電所の稼働に反対するSについて興味深い情報があるとのことだった。Mは長尾からもたらされた情報に唖然とする。
事件後間もなくして東京第一大学にひとりの少年が入学してきたが、その少年の保証人にSの名前があったのである。しかもその少年の名前は仁川征爾。瀬嶺村の仁川征爾と同姓同名であるというのだ。長尾はこの情報をMに提供する見返りに、Sへの監視を強化し、能登イチ周辺の住民の分断活動をするSの動向を封じ込めて欲しいと依頼してきた。Mは警察官としては協力しかねるが、個人としては協力すると言って長尾と結んだ。
すぐさまMは東京に立ち、仁川を尾行。住居を突き止める。ゴミから仁川のDNA付着していそうなもの何点か押収し、それを分析に出した。そこである事実が判明する。DNAの型がSのものと酷似していたのである。
X氏はこう言う。
「結果的に仁川はSの子どもだった。Sには2人の子どもがいる。そのうちのひとりということだ。そしてもう一人の子どもも今、背乗りして日本に潜伏している。」
これがX氏が私にいま話してくれたツヴァイスタンの工作活動の一例だ。放たれたスパイはこのように我が国に潜入し、世論を分断させるべく活動している。彼らは左右両方に協力者を募り、それらを巧みに操縦し、自国の利益に繋がるよう活動をしている。この背景を踏まえた上で再び熨子山事件に戻って記事を書くこととする。
「ピンポイントでバレちゃってるわね…。」
麗の言葉に車内は沈黙した。