第百話

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第百話
五の線2 第百話
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相馬と京子はリビングのソファに掛け身体を寄せ合っていた。
「お母さん何も言ってこんね…。」
「いいげん。このままが良い。」
相馬は京子の頭を撫でた。
その時である、京子の携帯の画面が光った。
「あ、携帯光った。」
「え?」
京子はそれを手にしてすぐにそれをテーブルに戻した。
「何や?」
「どうでもいいやつ。」
「どうでもいいやつ?」
「うん。SNSの通知。」
「え?いいが?」
「だって付き合いだけで入れとるもん。しばらくアプリ起動しとらんかったら、友達がこんなこと書いとるからウォール覗けって言ってくるげん。大きなお世話やわ。」
「無視け。」
「無視じゃないよ。スルー。」
「同じことやと思うけど。」
相馬のこの言葉を受けて京子は渋々再び携帯を手にとった。
「意外とおもろいこと書いとるかもしれんよ。」
「どいね、SNS嫌いやって言ってアプリとか一切入れとらんくせに。」
「あ…ごめん。」
「どうせご飯の写真とか、どっかに行ったとか、意識高いコメントとか、シェアさせていただきますとかってリア充自慢ポストばっかやって。」
「リア充ね…。」
「あ、リア充じゃなくて拡散希望やった。」
「拡散希望ね。よく見るね。記事のタイトル部分だけ書いてURL貼り付けとるやつやろ。そんなんに限って大したネタじゃないんや。」
「…。」
相馬に寄りかかっていた京子はソファに座り直し、無言で携帯の画面をじっと見つめた。異変に気がついた相馬は彼女に声をかけた。
「どうしたん?」
「周…。ちょっと…これ…。」
「何?」
京子の携帯を覗き込むと見覚えのあるページが表示されていたため、相馬の動きが止まった。
「ほんまごと?」
京子がほんまごとのページを開いていることが第一義的に驚きであったが、次の瞬間それは別の驚きに置き換わっていた。
「何?周このサイト知っとらん?」
「…あ…ちょっと。」
至急報1と題された記事を読み、彼は戦慄した。
「藤堂豪は鍋島惇?」
「ちょっと周…このサイトって何なん?」
「黙って。」
相馬は記事を読み進めた。
「え…待ってくれま…村上さんは鍋島さんに殺されたって?…それ今までの情報と逆やがいや…。ってか警察に鍋島の協力者がおったって?え?残留孤児3世?…は?ツヴァイスタンからの資金提供…。藤堂豪こと鍋島惇はかつて一色の交際相手だった女性を…レイプ…。穴山と井上はそのスケープゴートで、そのレイプ事件の真の実行犯は鍋島…。その鍋島は現在、ここ石川県に潜伏中…注意しろ…。」
「周…。」
「…マジか…。」
「ねぇこのサイトって信用できらん。」
京子を見ずに相馬はそれに答えた。
「あ…昔、熨子山事件のこと知りたくてネット漁っとったら、このサイト引っかかって一応フォローしとったんやけど…。」
「ぱっと見た感じ、結構掘り下げていろんな記事書いとるみたいやね…。」
「ああ…。」
「ねぇ周…さっきの一色さんの手紙の件。」
「え?」
「ほら『いろんな人達が自分の力の限りを尽くして、いま香織ちゃんをコミュから遠ざけることを実行しているでしょう。』ってやつ。」
「それがどうかした?」
「このブログってのも…その一環とか…。」
「まさか…。」
「だってタイミング良すぎん?」
「まぁ…。」
「でも…これ本当のことやったとして、私ら何できるん?」
「え…。」
「何か分からんけど私らの知らんところで、すっごい大っきい何かが動いとる。私らはその中でひとつの役割を担わされとる。そんな気する。」
「京子ちゃん…。」
「多分、お父さんもこのことでいま何かしとる。ねぇ周。私らはいま何せんといかんげんろ。」
京子の表情が変わった。先程までの悲哀に満ちた表情とは打って変わって目に力が宿り、凛とした顔つきになっている。
「俺らの役割は岩崎さんをコミュから遠ざけること。それ以上でもそれ以下でもない。」
「岩崎さんっていまどんな感じねんろ。」
「長谷部に聞いてみるか。」
「うん。」
石川県庁から白山市方面に向かって伸びる海側環状線を走行する1台の車があった。
「聞かないの…?」
「え?」
「長谷部君、私迎えに来てから何もしゃべらない。」
「…。」
助手席に座る岩崎の方を見ずに長谷部はゆっくりと口を開いた。
「聞いて欲しい?」
「え?」
「…俺は何かやっきねーことがあったらさっさと寝て忘れるか、そこらへんブラブラして頭空っぽにしてなんとなくそいつを考えんようにしとる。結局のところその手のやつは時間しか解決してくれんがやわ。」
「…。」
「まぁ話聞いて少しでも気が紛れるなら聞いても良いけど。結局、そのなんか引っかかるもん解決するのは岩崎さん自身やよ。」
「…そんなのわかってる。」
岩崎は髪の毛を掻き上げた。
「時間が解決してくれそうもないの。」
「え?」
「むしろ時間が経てば経つほど、事態が悪くなるような気がする。」
「なんねんそれ。」
岩崎はため息をついた。
「あのね…。」
「なに?」
「わたし勘当されちゃった。」
「え?」
「ひとりで生きて行けってさ…。」
「なに…どういうことねん…。」
「わたしが長谷部君と合っているの、どこかで気づいたらしいの。」
「え?まさか岩崎さんの親が?」
「ううん…兄さん。」
「兄さん?岩崎さんって兄弟おったんや。」
岩崎は頷いた。
「え…でも俺と岩崎さんが会っとること気づいて、なんで…勘当…。」
「長谷部君。私みたいにいろんな女の子誑かしてたでしょ。」
「え…。」
長谷部は思わずブレーキを踏んだ。車はそのまま徐行しハザードランプを点けて路肩に停車した。
「なんだかね…兄さんが長谷部くんのこと調べたの。」
「…俺のことを調べた?」
「うん。」
「…どう調べた?」
「大学入学当初は県庁の職員になって、石川の未来をこの手で作るって意気込んでたけど、それはいつの間にか拝金主義へと転向。ネットワークビジネスに手を出すがそれは失敗。ころころと主義主張を変え、関心事は女性に移り、言葉巧みにいろんな女の人に手を出した。」
長谷部は何も言えない。
「大学に入ってから長谷部君と肉体関係をもった人は33名。悪魔のような男だって。」
「悪魔…。」
「そんな悪魔に誑かされてお前はその34人目にノミネートしようとしている。汚らわしいって。」
長谷部は岩崎の顔を直視できない。彼は思わず窓の外を眺めた。
「やっぱりそうなんだ。私から顔を背けるって事は思い当たるフシがあるのね。」
煙草を取り出した岩崎はそれを咥えて火を付けた。
「俺のせいで…」
岩崎は煙を吹き出した。
「そうよ。長谷部くんのせいで私、勘当されちゃった。」
長谷部は自分の口のあたりを手で覆った。妙な汗が彼の首筋に湧き出てくる。
「変よね。そんな悪魔みたいな男とちょっと一緒にいただけで、まるで私が長谷部君と付き合ってるみたいに決めつけて。」
「え?」
「だってそうでしょ。一緒に駅前のショッピングセンターに行っただけ。」
「あ…。」
「別に男と女の関係をもったわけじゃない。」
「う…うん…。」
「ねぇ長谷部君。」
「なに?」
「兄さんが言った通り、私もその33人と同じなの?」
「え?」
「私もあなた暇つぶしの道具のひとつなの?」
「それはない。」
長谷部は即答した。
「じゃあ何なの。」
「特別な存在や。」
「それはどういうこと?」
「いつも笑顔でおってほしい存在。」
「わかりにくい。」
「岩崎さんの壁になっとるようなことがあったらなんとかしたい。ただそれだけ。」
「そうすることでどうなるの。」
「岩崎さんが楽しければ俺も楽しい。」
「それは33人の女にも言ったんでしょ。」
長谷部は黙った。
「他の女もその手口で落としてきたんでしょ。」
深い溜息をついた長谷部はゆっくりと頷いた。
「じゃあなんで私と他の女は違うって言えるの。」
「…だって…。」
「だって何?」
「だって好きになってしまったからしょうがないがいね。」
「え?」
「さっき岩崎さん言った俺の過去のエピソード、完璧や。正解。確かに俺は変節漢かもしれん。んで手当たり次第女の子と関係をもった。そうただヤるだけのために。」
「最低…。やっぱり悪魔だわ。」
「でも岩崎さんは違う。」
「何がよ。」
「変に思わんで欲しいんやけど、そういうヤリたいとかって気がおきんげんて。」
「は?」
「女としての魅力がないとかじゃないげんよ。元に岩崎さんは誰が見ても綺麗や。俺もそれに惹かれた口や。けど、なんか違うんやって。」
過去の実績がありながらこういうセリフをいけしゃあしゃあと言える長谷部が奇妙に見えて仕方がない。
「どう違うっていうの。」
「この間も言ったかもしれんけど、無理しとるっていうか、何か仮面を被っとるっていうか…。」
仮面という言葉に岩崎は口をつぐんでしまった。
「俺の思い込みかもしれんけど何かに抑圧されとるように見えるんやって。だってこの間の岩崎さん、全然別人やったし。確かに服とかで別人に見えたけど、それ以上になんかすっきりしとった。重たいもん抱えとらん感じがしとった。んで俺、そんな岩崎さん見てなんか嬉しくなった。純粋に魅力的に見えた。」
「…。」
「何が岩崎さんが抑圧されとるって思わせるんかは分からんけど、なんかその重しを取っ払いたい。そう思っとるんや。気が付くといっつもそう考えとるんや。」
「…。」
「多分、それが本当に好きになるってことなんやと思う。」
「長谷部君...。」
「でも、俺は歓迎されん人間みたいや。岩崎さんにも岩崎さんのお兄さんにも。」
「…。」
「しゃあないな。そりゃ誰だって俺の過去の実績見たら信用なんかできんわ。」
「…。」
「気がついたら俺が抑圧する側の人間やったってことや...ははは…。」
「長谷部君。」
「ははは...笑えるわ…。ダラやな…俺…。」
目を合わせずにただ、運転席側の窓から外を見つめて話す長谷部から鼻を啜る音が聞こえた。
刹那、長谷部の肩が引き寄せられ強引に振り向かさせられた。
「え?」
岩崎の唇が長谷部の口を覆った。
「あ…。」
「責任とってよね。」
唇を離した岩崎は長谷部を見てこう言った。
「私、もう戻れないの。だから長谷部君責任とって。全部受け入れて。」
「え…。」
「そんなあなたを私も好きになってしまったみたいだから。」
もはや長谷部の頭のなかは真っ白である。彼は岩崎の言葉に何の反応も示すことができなかった。
「あなたは私を抑圧なんかしていない。」
「え?」
「抑圧しているのは…。むしろあいつよ。」
「え?あいつ?」
岩崎は頷いた。
「え?誰よ。」
「知りたい?」
「当たり前やろ。」
「知ってどうするの。」
「何とかやってみる。」
「何とかって?」
「話せば分かるはずや。」
「話せば…。」
「人間話せば分かる。」
「何言ってんの長谷部君。なにあまちゃんなこと言ってんの。」
「え?」
「話が通じない人だっているのよ。話してどうこうなるんだったら、そもそも私だって兄さんに勘当なんかされないわ。」
「何言っとれんて、それは話し合いが足りんからやって。それに岩崎さんに勘当って言ったのはお兄さんやろ。親はそうでもないげんろ。」
岩崎はため息をついた。
「長谷部君。私を抑圧するものから救ってくれるって言ったよね。」
「おう。」
「じゃあお願い。」
岩崎は鞄の中からスケッチブックを取り出して、その中のひとりの人物のイラストを長谷部に見せた。
「この人が私を抑圧するの。」
「え?誰?これ。」
「イマガワって男よ。」
「このあごひげ蓄えたイケメンがイマガワ。」
「ドットメディカルのお偉いさんよ。」
「ドットメディカル?え?なんでドットメディカルのお偉いさんが岩崎さんを?」
「私だけじゃない。兄さんも父さんもこの人によって抑圧されている。」
「え?お兄さんとお父さんが?」
「この人の呪縛から私達を解き放って。」
「え…ちょっと待って…。家族ぐるみでなんでこいつに?」
「人質に取られているの。」
「は?人質?」
「うん。私のお母さんが。」
わけがわからない。長谷部は頭を抱えた。
「意味分かんないよね。」
「うん。さっぱり分からんわ。」
岩崎は深呼吸をし、意を決したような顔つきで長谷部と向き合った。
「長谷部君、ごめん。わたし…岩崎香織じゃないの。」
「へ?」
「長谷部くんの言ったとおりよ。私、岩崎香織って別の人間の仮面をかぶっていた。」
さらに長谷部は混乱した。
「私の名前は下間麗。下間芳夫は私のお父さんよ。」
「は?」

 

沈黙が覆う車内で長谷部の携帯が震える音だけがこだましていた。