第九十九話

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第九十九話
五の線2 第九十九話
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「なんだ…何やってんだ…。」
車を運転しながらスマートフォンに表示される鍋島の位置情報をみた悠里は呟いた。鍋島のGPS情報は金沢市内のとある住宅の極めて狭い範囲を移動していることを表示していた。
「こんな狭い範囲うろついていたら、直ぐに顔が割れて警察にパクられるぞ。」
彼は赤色で点滅するそれを拡大表示させた。よく見るとその表示は隣り合う家と家との間を通り抜けるような動きをしている。
「おかしい…。」
一旦車を路肩に停車させそれを手にとった時のことである。
路肩の植木の中から一匹の猫が現れこちらを見た。
「猫…。」
ぷいっと視線をそらして、猫は再び物陰に隠れてしまった。
「まさか…。」
そう呟いた瞬間、手にしていたスマートフォンに着信の表示が現れた。見覚えのない者からの電話である。
「誰だ…。」
通話の表示をタップして、悠里はゆっくりとそれを耳に当てた。
「はい。」
「仁川さんの携帯でよろしかったでしょうか。」
「どちらさまですか。」
「鍋島です。」
「え…。」
「仁川さんでよろしかったですか。」
「…。」
「返事は。」
「…なんだ。」
「くくく...お前さんがねぇ。」
「…何のことだ。」
「惚けんな。親父に言われて俺のこと消そうとしてるんだろ。」
「…。」
「え?悠里。」
「気安く下の名前で呼ぶな。」
「けっ。」
「…鍋島…お前携帯をどこに捨てた。」
「あ?」
「機密情報が詰まった大切な携帯をどこに捨てた。」
「捨ててねぇよ。なんでそんなこと言うんだ。」
「…。」
「わかってるよ。悠里。」
「…何をだ。」
「あそこにGPSの発信機が埋め込まれてて、俺の居所が逐次お前のところ行ってるの。」
「ぐ…。」
「言っとくが捨ててねぇ。ちょっと預けただけだ。だから心配すんな。警察に拾われてお前らの悪事がすべて白日の下に晒されるなんて恐れはない。」
「猫か。」
「よく知ってるな。」
「くそっ!!」
悠里はダッシュボードを叩いた。
「そんなんじゃあ俺をやるなんて無理だ。」
「…。」
「おかしいな〜。ツヴァイスタンで英才教育を受けたはずなのに、そんな幼稚な仕掛けしかできないなんて。あそこの秘密警察ってのもその程度か。」
「うるさい。」
「さあどうするよ悠里。」
「…。」
「目標を見失ったお前はどうやってこの難局を切り抜ける?」
「…。」
「まさかお手上げってことで親父に泣きつくんじゃないだろうな。」
「…。」
「何も言えない…か。相当お困りのようだな。ふっ…。」
「何の用だ鍋島。」
「あ?」
「何の用があって俺に電話をかけてきた。」
「何だと思う。」
「…わからん。」
「なんでこのタイミングでお前に電話をかけたか。」
「はっ!」
咄嗟に悠里は周囲を見回した。
「おっと。」
「え?」
「…気がついたか。」
「…まさか。」
「お前は俺を見失った。しかし俺はお前を捕捉している。」
「な…。」
「絶体絶命だな。くくく…。」
悠里は絶句した。
「仁川征爾が本当に存在するとするなら、こんなヘマはしないだろう。」
「…。」
「東一を卒業し大手商社に入社。その後ドットメディカルの今川に引きぬかれて現在ドットスタッフの代表取締役。なんでこうも優秀な男がそんなヘマをする?」
「貴様…。」
「この誰もが羨むような経歴を持った38歳の仁川征爾という秀才はこの世にいない。お前はあくまでもツヴァイスタンで反乱分子を粛清するしか能の無い下間悠里だ。」
「…。」
「お前らのような共産思想の連中は上の連中の言った通りのことをするしか脳の無いただの組織の一部だ。自分で考えて行動するという発想に疎い。だから現場での臨機応変の対応に弱い。よっていまのこの状態がある。」
「鍋島…貴様何様のつもりだ。」
「ファクトだよ。まぁ落ち着け。」
「くっ…。」
「お前さんは組織の歯車のひとつとしては優秀だった。なぜなら執行部とかっていう連中の意のままに動くことができたからな。それであの国では奴らに気に入られ相応の地位を手に入れた。」
「何が言いたい。」
「指示待ちじゃダメなんだよ。ここじゃあ。自由主義経済圏じゃだれもお前のような人間を助けてくれはしない。個々人が自分の頭で考えて自分の責任で全てを決する。例え日本が世界で最も成功した社会主義国って揶揄される国であったととしてもだ。」
「俺が指示待ち人間だと?」
「ああそうだろう。なにせお前はここでは下間悠里じゃなくて仁川征爾なんだからな。その仮面をかぶっている限りはお前は下間芳夫や今川のおもちゃだ。自由意志も何も持たないただの駒だ。」
悠里は反論できなかった。
「もう辞めな。」
「え?」
「もう辞めろって言ってんだ。そんな駒を演じても何も得るものは無い。」
「お前...なに言ってんだ。」
「別に不思議な事はない。俺がそのいい例だ。」
「何…。」
「お前を見ていると、以前の俺を思い出す。」
鍋島の様子がおかしい。
「生活に困窮すると人間は極端な思想に飛びつく。俺もそうだった。」
戸惑いながらも悠里は彼の言葉に耳を傾けることとした。
「下間は経済的に追い詰められた高校時代の俺に、ツヴァイスタンという貧富の差がない地上の楽園があることを教えてくれた。あいつはそれが本当のことであることを証明するかのように、俺に金を融通した。ツヴァイスタンでは能力がある人間は例えどんな出自の人間であろうと差別することはなく、平等に支えるとな。一色だとかがほざいた友情とか絆とかの精神論じゃない。下間の教えは金という物質的な援助もある説得力があるものだった。俺は下間の望む人間になった。下間の望みは俺の望みだとさえ思った。そう信じて軍事関係の知識を頭に詰め込んで、高校卒業と同時に自衛隊に入隊。一定の諜報活動を済ませて一年で地下に潜った。そこで下間の補助をした。しかしだ。俺はそこで知ってしまった。」
「知ってしまった?」

 

「ああ。」
ー自衛隊除隊から1年後のある日ー
都内某所の寂れたアパート。その一室の畳の上で鍋島は横になっていた。
「気の毒だが…。」
部屋を訪問した男に背を向けていた鍋島は、ゆっくりと身を起こし彼と向かい合った。
男と彼の間に小さな骨壷が2つ置かれていた。
「遺書は無かった。」
「そうか…。」
「近所の人間が言うには、お前が石川を去ってからというもの家に引きこもりがちになっていたそうだ。」
そう言って男は鍋島に向かって手をついた。
「すまん。」
「やめてくれよ。下間さん。」
「お前に代わって爺さんと婆さんの面倒を見るといった手前で、この始末だ。」
「仕方ねぇって。自殺だろ。」
下間は頷いた。
「金はあってもコミュニケーションがとれないんだったら、そうなっても仕方が無いさ。」
「本当にすまなかった。」
「いいって…。」
鍋島は骨壷を受け取った。
「首吊ったんだってな。」
「ああ…。」
「何か変わったところはなかったか?」
「変わったところ?」
「ああ。」
「…いや…特には。」
「そうか。」
骨壷をバッグにしまった鍋島はそれを担いで立ち上がった。
「どうした?」
「うん?」
「どこに行く?」
「ちょっと爺さんと婆さんの思い出を辿りに。」
「家は引き払ってしまったぞ。」
「あぁいいんだよ。あのあたりをぶらぶらしてちょっとぼんやりしてみたいんだ。」
「そうか…。俺も行こう。」
「やめてくれ。ひとりにしてくれ。俺だって感傷にひたることだってあるって。」
「そうか…。」
電車に乗り鍋島は金沢へ向かった。越後湯沢で乗り継いで金沢についた時にはその日の夜だった。
北高からそう離れていない住宅地の一角にみすぼらしい平屋建住宅が何棟か建っている。その中に入居者募集の看板が掲げられている建物を彼はしばらく見つめた。
「じゃあ。」
そう言って彼は空の家に背を向けた。
徒歩で5分のところに誰もいない公園があった。付近の家から漏れ出てくる灯りがそこを辛うじて照らしていた。鍋島はそこのシーソーに腰をかけた。
「うん?」
彼の前を音も立てずにヒタヒタと歩いているサビ柄の1匹の猫がいた。
「チー…。」
バッグの中から猫のエサが入った袋を取り出してそれを振ると、ガサガサという音に反応してこちらにやって来た。
猫は警戒することなくこちらに向かってくる。彼が手にする袋を見つめてミャーミャーと鳴くだけだ。
足元に体を擦り付ける猫の姿を見て、鍋島はそれを抱きかかえた。しかし猫は嫌がるようにジタバタする。
「俺よりもメシかよ。」
そう言って彼は着けられていた首輪を外し、猫を腕から放した。地面に立った猫は相変わらず鍋島に向かって鳴く。呆れた顔で餌を地面に盛ると、猫はそれを貪り始めた。
「チー…。嫌なもん見ちまったな…。」
鍋島の言葉に猫は何の関心も示さない。
「ひでぇ事するぜ…。」
首輪を握る鍋島の手は震えていた。
「嫌なもの?」
「ああ…分かるか?」
「いや…。」
「妙な連中がウチのあたりをウロウロしてるのは昔から俺は知っていた。」
「え…。」
「爺さんも婆さんも薄々気づいていた。自衛隊に入隊するって決まった頃からなんとなくな。下間さんとは別のところで俺らの動向を監視している変な奴がいるってな。」
「何だって…。」
「それが誰だかは正確には分からない。おそらくツヴァイスタン絡みの人間なんだろう。下間さんはあくまでもそいつらの駒の一部。あの人は俺らの経済的援助っていう役割だけを果たす。一方でその妙な奴らは俺らの行動を監視するって具合さ。」
「…。」
「俺らはただでさえ純粋な日本人と違って周囲の目を気にしないといけない存在だ。それなのに輪をかけるように得体のしれない人間の目が光っているんだ。気持ち悪いっちゃあありゃしねぇ。経済的にも精神的にも肉体的にも自立していれば、さっさとそんなもんから決別して自由に生活できるところに引っ越せる。しかし残念ながらその時にはそのどれもが俺の家には無かった。だから俺らは現状を受け入れた。」
「経済的援助と引き換えに自由を捨てる。」
「そうだ。俺らは常に監視の対象だ。自由勝手な行動は出来ない、常に何かの統制下にある。統制下にあるということは生殺与奪権をそいつらに握られているってことでもある。俺らはそれをいつの頃からか意識していた。その中で俺らは取り決めをした。」
「取り決め…。」
「ああ。連中の生殺与奪権が発動されれば俺らは即死。身内も親しい人間もいない中、その死は闇に葬り去られる。せめて残された人間に手がかりになるものを残して、何かしらの意志を託す。」
「意志を託す…。」
「チーはウチで飼っていた猫だ。普段は首輪なんかしていない。こいつがそれを着けた時、生殺与奪権が発動したことになる。」
「…。」
「つまり用なしになった俺の爺さんや婆さんは自殺に見せかけて、奴らに殺された。」
自販機で飲料を購入した鍋島はその栓を開けた。
「今度は用なしになった俺がお前に殺されそうになっている。」
悠里は周囲を見回した。相変わらず鍋島の姿を見つけることができない。
「…ふっ。どの口が言う。お前は俺を補足している。だが俺はお前の姿を捉えられない。逆だろ。」
「まぁそうだ。」
鍋島は飲料を飲み干した。
「止めておけ。」
「はいそうですかとは言えないってことは、お前も分かるだろう。」
「…分かるがどこかで止めないことには、一生自由というものは手に入らない。お前は仁川征爾のまま生きていくことになる。」
「仕方が無い。そうしないと俺の生命そのものが危うくなる。」
「そうか…。」
「そうだ。」
「わかった。」
「何がだ。」
「2時間後、北高に来い。」
「は?」
「お前にチャンスをやる。」
「なに…。」
「2時間の間に自分の身の処し方を考えておけ。北高での行動がその後のお前の人生を左右する。」
「何を偉そうに…。」
「俺にとってもな。」