第九十八話

ダウンロード
第九十八話
五の線2 第九十八話
99.mp3
MP3 オーディオファイル 28.0 MB
「片倉さん。スタンバイOKです。」
部屋の鍵をかけた黒田はこう言ってパソコンの前に座った。
「よし。まずはお前に俺の身分を明かす。」
「え?」
「俺は公安や。商社マンじゃない。」
「え…公安…。」
タイピングする黒田の手が止まった。片倉の背景に何か大きなものが動いている。彼がそう感じたのは当たっていたようだ。
「悪かったな今まで嘘ついとって。」
「嘘...っていうか…。」
突然の告白を受けた黒田が衝撃を受けなかったといえば、それもまた嘘となる。しかしこの時の彼は衝撃よりもむしろ覚悟を感じた。片倉は自分の本当の身分を黒田に明かすことで、これから自分がしゃべるであろうことに信憑性を持たせようとしているのだ。
「本当のことですか?片倉さん。」
「すまんかった。」
言い訳めいたことは言わない。それが更に信憑性を高め、時間の貴重さを訴えかける。ここであまり詮索はしないほうが良い。黒田は謝る必要はないと返事をしそのままタイピングを続けた。
「まず藤堂について話す。」
「はい。」
「藤堂豪は鍋島惇だ。」
「え…。」
「鍋島惇は死んどらん。藤堂の顔写真はお前、岡田から見せてもらったな。」
「はい。」
「顔は別人やけどアレは同一人物。鍋島の整形の成れの果てがあの顔やと思ってくれ。」
「整形手術…ですか…。」
「そうや。あっちこっちで細かく整形して今の顔形になっとる。一見別人やけどあの写真の男は紛れも無く鍋島や。」
黒田はもたらされる衝撃的な事実に、自分の知り得た情報を紐つけて分析を試みようとするが、片倉はそれを遮るように滔々と話し続けた。
「熨子山事件の背景に一色貴紀の交際相手の山県久美子が井上と穴山によってレイプされた事件があったのは、お前にやった資料からお前は知っとるはずや。」
「ええ。ですがその実行犯は井上でも穴山でもなかったんですよね。」
「ああ。その実行犯はどうやら藤堂。そこまではお前は知っとるはずや。」
「はい。」
「その藤堂が鍋島やったってわけや。」
「…そういうことになりますね…。」
「そもそも何で鍋島が生きとるんか。」
「ええそれです。」
「結論から言うぞ。」
黒田は唾を飲み込んだ。
「県警に鍋島の協力者がおった。」
「え…?」
「それが誰かはいまの段階では言えん。しかしこれは確実な情報や。」
「言えないって…片倉さんは誰だかわかってるんですか。」
「ああ。」
「あの…協力者…ですか?」
「ああ。その協力者が鍋島の存在をかき消すように当時の捜査を終結した。」
「終結?」
黒田はこの単語に引っかかるものがあった。
「七尾で殺害された人物は鍋島ではなく全くの別人やった。ほやけどそいつが鍋島やとでっち上げた。そうすることで、鍋島はこの世から存在を抹消された。」
「片倉さん。待ってください。その協力者は今はどこで何をしている人ですか。」
「それは追ってお前に話す。いまは俺の喋っとることをとにかくメモしろ。」
「あ…はい。」
「熨子山事件の被疑者村上隆二は逮捕時に怪我をして病院に入院しとった。」
「ええ。」
「病院っちゅう閉鎖された空間で警備体制も万全。安全なはずの病院にもかかわらず、村上は何者かによって殺された。」
「それについては村上殺害後に当時の警備担当だった警察官が忽然と姿を消して、その後日本海で水死体で発見されていますね。」
「ああ。警察発表は自殺。ほやから世間的には報じられとらん。だが黒田。そん時のそいつの遺体に不自然な点があったんや。」
「と、言いますと?」
「長尾の時とおんなじや。一見自殺による水死体。けど首がぱっくりやられとった。」
「え…。」
「コロシよコロシ。」
「まさか…。」
「まぁ今になればこいつを警察がなんで隠したんか分かる。」
「なんででしょうか?」
「記録が残っとるんや。」
「記録?」
「当時の病院の監視カメラに鍋島惇と思われる男の姿が映っとったんや。」
「え?警察発表じゃカメラの映像は粗くて解析不能って話でしたけど…まさか…。」
「ああ。そのまさかや。鮮明な映像があったんや。」
「え…。」
「その鮮明な映像はある男を捕らえとった。それが当時死んだと思われとった鍋島。鍋島の存在も当時の経緯も知っとる警備担当者が後日、口封じのために殺された。」
「う・そでしょ…。」
「嘘やと思いたいけどな。つまり内部の人間がどうにかして鍋島という存在が未だあることを隠蔽したかった。そのためにこのような工作活動を行った。こう考えるのが一番説明がつく。」
「そんな…信じられない…。」
「まぁ自分という存在をこの世から消し去られた鍋島はそのまま逃亡を図った。そして3年の月日を経て、再びここ石川県に舞い戻ってきた。」
何もかもが黒田にとって初めて知り得た情報である。とにかく一言も書き漏らしてはならない。彼は必死に片倉の言葉に耳を傾けた。
「なんで鍋島がここに戻ってきたかは、正直その本当のところは分からん。ほやけどお前がかつて「ほんまごと」に書いたネタが多少なりとも関係しとるはずや。」
「なんでしょうか。」
「お前、熨子山事件の背景にツヴァイスタンが見え隠れするとか言っとったな。」
「ツヴァイスタン?」
「おう。それや。」
「え?」
「黒田。おまえ鍋島の出自は知っとるな。」
「ええ…。残留孤児3世ですよね。」
「おう。」
「幼少期に両親が離婚、全国各地を転々とし、高校時にここ石川県に来た。しかしそこで母親が蒸発。年老いた祖父母を抱えての苦学だったと聞いています。」
「お前、その時の金主は突き止めたんか?」
「いえ。それがどうやっても顔が見えなかったんです。」
「ほうか…実はその金主がツヴァイスタンなんやって。」
「え?」
「正確に言うとツヴァイスタンの工作員。つまりスパイ。こいつが鍋島の金主やった。」
「え…?…ということは…まさか鍋島はツヴァイスタンの工作員ってことですか?」
「さあ、そこはよくわからん。ただツヴァイスタンのシンパやったんは確かや。」
「まさかツヴァイスタンが…熨子山事件に直接的な関係があったとは…。」
「残留孤児で語学にハンデがありながらも、あいつの頭の良さは折り紙つきやった。あの一色さえも舌を巻くほどやった。そんなあいつが高校卒業後、進学もせずに自衛隊に入隊した。」
「あの…それはその経済的な部分をなんとか自分で工面するためだったんでは?」
「違う。それならあいつはそのままおとなしく自衛隊で仕事をするはず。ほやけどあいつは1年余りでとっとと除隊した。」
「そこには隊内でのいじめがあったと自分は聞いています。」
「確かに俺も当時はその情報を掴んどってそう思っとった。残留孤児の恵まれん状況から考えると納得できる話やったからな。」
「違うんですか?」
「ああ違う。さっきお前に鍋島の金主の話したよな。」
「ええ。ツヴァイスタンって」
「その情報は当時には無かったんや。そこ踏まえてみぃや。」
「あ…。」
「そうや。あいつは防衛情報を盗み出すために自衛隊に入隊した。んで頃合いを見てとっとと除隊した。」
黒田は唖然とした。
「片倉さん…そのツヴァイスタンの工作員って一体何者なんですか。」
「それは後で。」
この電話の先の男、一体どれだけの情報を持っているのか。果たして今の自分に彼が言う情報を処理しきれるだろうか。黒田は不安を抱えながらも、とにかく必死にキーボードを打った。
「黒田。鍋島という男はツヴァイスタンの息がかかった男。そう考えると何か見えてこんか。」
「片倉さん…俺はいまあなたが言ってるネタをメモするので一杯一杯なんです。変な推理をさせないで下さい。」
「推理じゃねぇって。」
「え…。」
一旦手を止めた黒田は考えた。
「熨子山事件も山県久美子レイプ事件も背後にツヴァイスタンがいる。」
「そう。」
「鍋島の単なる思いつきとかで引き起こされた事件じゃない。」
「ああ。」
「まさかすべてがツヴァイスタンによる陰謀だった?」
「その陰謀論は一面的には正しい。」
「一面的?」
「おう。」
「え?ちょっと待って下さい。ツヴァイスタンと熨子山事件の関係について、俺は「ほんまごと」で一回記事にしてます。ツヴァイスタンは仁熊会と接点を持っていました。この仁熊会がマルホン建設はじめ本多善行、金沢銀行、I県警と蜜月の関係を持っていることから、当時の県警本部長朝倉は一色を使ってそれらの勢力の殲滅を計り、ツヴァイスタンの影響を排除することを画策した。」
「ああ。そう書いてあったな。俺も読ませてもらっとる。」
「この話と今の片倉さんの話を合わせると、あの事件は朝倉本部長や一色貴紀をはじめとする警察の良心派VSツヴァイスタンだったってことになりませんか?」
「おう。」
「しかし一色貴紀が鍋島によって殺害され、鍋島自身も県警に入り込んでいた鍋島の協力者によって逃された。つまりツヴァイスタンの勝利を決めた事件だった。」
「そうなるな。」
「でもそれが一面的って云うんですか?」
「ああ。一面的。」
「じゃあ別の側面を教えて下さい。」
「…わかった。その前にお前、今のところを記事にしてブログにアップしろ。」
「あ…でも…。」
「長くなるんや。途中に休憩挟まんとお前も俺ももたん。とにかくこの藤堂豪と名乗る鍋島惇がいま、金沢銀行で守衛を殺してこの石川県をうろついとるって書いてくれ。」
「鍋島が今もここをうろついている?」
「ああ。」
「そんなこと書いても良いんですか。」
「いい。市民への注意喚起や。」
不特定多数に向けて凶悪犯がこの界隈をうろついていると発すると、混乱を生み出す可能性がある。
「びびんな。捜査の大勢に影響はない。俺がケツを拭く。心配すんな。」
「あ…はい…。」
体勢に影響がないということは、警察側はこのネタを黒田発で世間に流通されるのをむしろ期待しているのかもしれない。
「あの…山県久美子のレイプ事件のことは書いても良いんですか?」
「いい。実名を出さないかぎりは。」
「久美子自身の安全は。」
「大丈夫や。」
「分かりました。一色の交際相手とだけします。」
「おう。」
黒田は片倉に言われる通り、手当たり次第打ち込んだ短文を編集してひとつの記事を作る作業を始めた。
「黒田。編集しながらでいいから聞いてくれ。」
「ええ。」
「お前正直、スパイって信じるか?」
「うーん…。本当のところはピンと来ないんですよ。」
「そうやな。普通の人はそんなもん映画の中の話やって思うわな。」
「でもそんなこと言ってしまったら、いま編集してるこの記事自体がぱあです。なんで実感はありませんけど信じるしかありません。」
「その読者層ってやつもやっぱりそう思うかな。」
「俺自体がピンときてないんですから。」
「そうか。じゃあそこんところを次に記事にしてもらうか。」
パソコンに表示されている時計を見ると時刻は20時を指していた。
「はい…ええ…そうですか…分かりました…。」
電話を終えた古田は首を回して凝った肩をほぐした。
「どちらからですか。」
「いや、ちょっと…。」
「まさか課長からですか。」
「いや。」
「いいじゃないですか警部。」
パソコンを睨んでいた冨樫が神谷の詮索を止めた。
「ねぇ古田さん。」
古田はニヤリと笑って冨樫に応えた。
「あ…冨樫さん。」
「マサでいいですよ。」
「あぁマサさん。ちょっと検索して欲しいんやけど。」
「なんでしょうか。」
「平仮名で『ほんまごと』っちゅうサイトねんけど。」
「『ほんまごと』?ですか?」
「おう。」
素早く彼はそのサイトを画面に表示させた。
「え…なんですかこれ…。」
「うん?」
「これ…熨子山事件のこと書いてあるブログじゃないですか。」
「おう。マサさんはこれ知らんかったんけ。」
「ええ…ちょっと待って下さいよ…。これ…そこいらの週刊誌とかよりもよっぽど確度が高いネタ転がっとるじゃないですか。」
「どこらへんが?」
「ほら…山県久美子のレイプ事件の件とか、警察内部の権力闘争とか、ツヴァイスタンの影とか…。」
冨樫の側に寄った神谷もその画面を見つめた。
「ほんとうだ…。」
「これプロでしょ。」
「多分。」
「こんだけ深い内容ってことは、ネタ元は当時の関係者ですね。」
「そうやろうな。」
「ちゃんと取材して記事にしとる。」
「多少の間違いはあるけどな。」
古田は冨樫にサイトをリロードするように言った。
「あ。」
「どうした?」
「新しい記事が…って…これ…。」
煙草の煙を吹き出した古田は遠い目をしている。
「これ…完全にリークじゃないですか…。」
「何て書いてあるけ?」
古田のこの問いかけに、神谷は「至急報1」とタイトルに書かれた記事を読みだした。
ここでは熨子山事件に関する情報を私なりに取材し、裏を取り、記事にしてそれをアップしている。その情報の真贋は読者に委ねている。言うなれば仕入れた材料を自分なりに料理し、それを世に出して評価を仰ぐというもので、料理人のそれに似ているかもしれない。しかし、今回はその料理を放棄させていただく。ネタ元からの情報をそのままここにアップする。仕入れ材料をそのまま提供することにする。
何故か。ネタの鮮度が重要だからだ。ぼやぼやしていると、この新鮮な材料は一瞬にして腐ってしまう。よって私の方で料理をせずに、採れたままのものを提供してみようと思う。読者に皆さんでその真贋を見極めて欲しい。
ー藤堂豪は鍋島惇だー
結論から書こう。信頼できるネタ元(以後、X氏とする)によると過日発生した金沢銀行殺人事件の重要参考人である藤堂豪は熨子山事件にも登場した鍋島惇である。
「え…。」
「とんでもない暴露記事ですな…。」
「警部。続けて。」
このブログを御覧になっている方は「何言ってんだ?」と思われるだろう。そう鍋島惇は熨子山事件で村上隆二によって七尾で殺害された。これは県警からの公式発表でも明らかである。実はこれが大きな間違いの第一歩だった。
ー村上殺害時の県警による嘘ー
逮捕時に怪我をした村上隆二は入院することとなった。そしてその入院先で何者かによって殺害された。
病院内の警備は万全だった。しかし何故か犯人はその監視の目をかいくぐって村上の殺害を成し遂げた。
当時の警察発表では犯人の目撃情報は無かったことになっている。病院内に設置されたカメラも旧式で映像の解析は困難。村上殺害は迷宮入りとなった。
しかし今回、X氏からもたらされた情報はそのすべてをひっくり返すものだった。
実は監視カメラの映像は極めて鮮明なものだったというのである。そしてそこには当時死んだと思われていた鍋島惇本人の姿が写り込んでいたのである。
つまり鍋島惇は七尾で殺されていなかったのである。殺されていないどころか、この時村上を殺すために病院へやってきていたということになる。
そのような証拠がありながら警察はなぜ嘘をついたのか。
ー警備担当者の死ー
実は当時、村上の警備担当者が事件後、日本海岸で水死体で発見されている。警察発表は自殺。自分の警備の不手際によって被疑者を死に至らしめてしまったことを苦に自殺をしたというものだ。自殺であるため世間にはこの事実は伝わっていない。ここでX氏は衝撃的な事実を告白した。「警備担当者は自殺ではない。他殺だ。他殺を自殺として警察は処理した。」
警察が意図的に他殺を自殺とすることはありえるのかという議論はここではしない。ただX氏が言うことをそのまま記すと、事件当時の事情を最も分かっているはずの重要人物が、何者かの手で葬られたことになる。
ー協力者の存在ー
カメラ映像の嘘と担当者の死の隠蔽。この2つに共通して言えることはただ一つ。鍋島惇の生存を知られたくない人間が、警察内部にいたということだ。言い換えれば鍋島の協力者である。この協力者とは一体誰か。それはこの後に書くこととする。
「鍋島が残留孤児ってことだけじゃなくて、ツヴァイスタンとの関係までも書いとるんか…。」
神谷の朗読の声に耳を傾けていた古田は、いつの間にか冨樫のパソコンの前に立って画面を覗き込んでいた。
「ええ…。残留孤児の件は過去に別で記事で詳しく書いてあります。リンクも貼ってあります。」
冨樫は鍋島の経歴のことを記載してある記事を別のタブで開いてみせた。
「なるほど。ここには熨子山事件の情報の蓄積があるんやな。」
「そうみたいですね。かなりの情報量です。」
「見る人がここを見れば、その全容が掴めるっちゅうわけか。」
「ただ、すべてが時系列で綺麗に纏まっていないんで、理解するには時間がかかると思います。」
「確かにぱっと見では理解できんかもしれませんね。」
「今回の記事では山県久美子のレイプ事件についても取り上げられていますね。」
「これだけの情報を一度にリークできる人間って…。」
こう言った神谷は古田を見つめた。
「X氏は片倉課長ですね。」
古田は頷いた。
神谷は再びパソコンを覗き込み、今回の記事の最後の行を読んだ。
「X氏は鍋島は3年の年月を経てこの地に帰ってきていることは確かであり、地元住民は鍋島に十分注意する必要があると警告する。彼は「事件後整形手術を繰り返し、鍋島はいまの藤堂豪の顔を手に入れた。事件当時の鍋島惇の面影は残っていない」とも言う。
これから私はX氏からもたらされる第二、第三の情報を連続してこのブログにアップする。現在進行中の事件の情報であるため、市民の注意喚起を踏まえて読者諸君には拡散を希望する。」
大きく深呼吸した神谷は冨樫に尋ねた。
「冨樫さん。こいつSNS駆使して拡散できますか。」
「…。ええ、当然です。」
「古田さん。」
「はい。」
「拡散は、とりあえずこの石川県を中心としたものに止めようと思います。」
「なぜ?」
「こいつは鍋島に対する市民への注意喚起と奴の情報提供を求めるものです。直接的に関係のないところに拡散しても、混乱を招くだけですから。」
「いいでしょう。」
古田は納得した表情で頷いた。
「…ですがそれだけですか?」
「…いえ。」
「と言いますと。」
「イヌに感づかれるとマズいですから。」
「イヌ…。それはすなわち朝倉ですか。」
神谷は頷いた。
「さすがですな。警部。もう状況を呑み込んでいらっしゃる。」
「身内の人間を自分の都合で抹殺するなんて、警察の風上にも置けませんから。」

 

「気持ちいい言葉です。やりましょう。」