第九十七話

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五の線2
五の線2 第九十七話
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金沢北署の正面入口を駆け足で通過して階段を登った先に「金沢銀行殺人事件捜査本部」が設置されている大会議室があった。彼はその扉を勢い良く開いた。
「あっ!!課長!!」
本部に詰めている所轄捜査員たちが一斉に岡田の方を見た。
「どうなってんだ。」
「…どうもこうも。こっちが聞きたいくらいですよ。課長っていきなり姿消すんですから。」
「あ?お前ら署長から何も聞いとらんがか。」
「え?署長ですか?」
「おう。」
岡田は部屋の様子を見回した。捜査本部長である若林が座るはずの席は空席である。
「おい。署長は。」
「え…。」
「署長はどこやって言っとるんや。」
「あの…。」
捜査員は口ごもった。
岡田は若林の席のそばの、県警本部の捜査一課の捜査員の前に立った。彼は苦虫を噛み潰したような表情である。
「若林署長はいずこに。」
本部の人間は頭をふる。
「はぁ!?」
「だら。声でけぇって…。何か分からんけどお前がおらんくなってから、ここよう空けとるんや。」
「え?それって…。」
「指揮官不在が頻発。現場は混乱しとる。」
確かに周囲には捜査員の殆どが集結し、机の上に資料を並べて何かを討議している。普通ならその殆どが出払って事件現場で聞きこみに奔走しているはずなのにである。
「ほんなんあんたら本部の方でうまいこと指揮すればいいじゃないですか。ってかあんたらはそのためにおるんでしょ。」
「何言っとれんて。人間の配置は変わっとらんげんぞ。あくまでもお前が主任捜査員のまんまや。ほんねんに本部の方でちゃちゃいれれんわいや。金沢銀行殺人事件の捜査本部長は若林署長。わしらはあのお方の指示を受けて動く。そんなこと勝手にやったら越権行為やがいや。」
「…そうなんですか?」
「はぁ?そうなんですかって…お前…。お前こそ何ねんて。急に捜査本部から消えて何しとったんや。こっちは本部との調整でたいへんやってんぞ。」
岡田は本部捜査員にむしろ叱られた。
「あの…いや…。」
「こっそりお前ん家に電話しても奥さんは知らぬ存ぜぬ。お前の家もどうなっとれんて。」
「んなら直接俺の携帯に電話くれればいいがじゃないですか。」
「駄目やって言われとるもん。しゃあねぇがいや。」
「え?」
「署長にお前と直接連絡取ることは相成らんってお達しや。」
岡田は意味がわからなかった。
「若林署長は察庁お気に入りのキャリアや。わしらノンキャリがあの人すっ飛ばして現場引っ掻き回せるはずねぇやろいや。ったく…。察庁お気に入りかなんか知らんけど現場引っ掻き回すことだけは勘弁してくれま。」
「いや…その…。」
「姿くらましとってんから、よっぽど旨いネタ仕込んできたんやろうな。」
本部捜査員は岡田の背中をその分厚い掌で叩いた。
夜の帳が下りた県警本部の通信指令室にひとりの男が現れた。
「あ!最上本部長!。」
総合司令台の係官が驚いた様子で立ち上がり、彼に敬礼した。
「いいよ。座っていなさい。」
そう言って最上は隣の空席に腰を掛けた。物腰柔らかな言葉を発する彼の姿は大柄で恰幅がよく、まるで帝国陸軍の大山巌を彷彿させる堂々たるものであった。
「どうされたんですか。」
「いやね。ちょっとね。」
これだけ言って彼は前方にある巨大なカーロケーターシステムの画面を眺めた。
110番通報を示す青のランプが点灯した。
「はい110番。I県警です。事件ですか事故ですか。」
受理台が110番に出たのを見た最上は、隣りにいる総合司令官にその受理情報を表示させるよう命じた。
受理台で応答している通話の内容やタブレット端末に速記される情報が最上の前の画面にも表示された。
「事件っていうか…。」
「何でしょうか。」
「藤堂と会いました。」
「え?藤堂?」
最上の顔つきが変わった。
「本部長。まさか藤堂って…。」
「司令官。無線指令を止めてくれ。」
「え?」
「いいから。」
I県警では受理台で受け取った110番通報は、その後方に位置する無線司令官が共有し、通報者とのやり取りをしている間に現場へ指示を出す。最上はこの一連の行動を止めるよう、総合司令官に指示を出したのである。
「いつですか。」
「日曜の夕方です。」
「どこで?」
「南町。」
受理台は通報者のGPSデータを利用し、彼がいまどこにいるかを瞬時に把握した。通報者の位置情報が総合指令台に送られてきた。
受理台は更に尋ねる。
「具体的にどこで藤堂とあったんですか。」
「金沢銀行の職員駐車場です。」
GPSの地図を拡大すると発信者はいまその場所にいるようである。
「どのように接触をしてきたんですか。」
「全身黒ずくめの胡散臭いあんちゃんが自分の車の側におって、声をかけてきました。」
「どのように。」
「久美子は元気か。今度は一色は居ない。」
受理台のやり取りを聞いていた最上と総合司令官、そして無線司令官が息を呑んだ
「本部長…。一色って…。」
最上は黙って受理台のやりとりに耳を傾けている。
「え?あなたは藤堂と面識があるんですか。」
「ありません。久美子は私の娘です。」
「久美子さんと藤堂はどういった関係なんですか。」
「藤堂はかつて久美子をレイプした男です。その男が父である俺の前に現れて脅しました。」
「…何て。」
「変な動きをするんじゃない。俺がお前の前に現れたことは誰にも言うな。警察にも。もしも警察に通報したのが分かったら再び久美子を犯す。」
この通報に通信指令室は凍りついた。
「本部長。無線指令を直ちに出さなくては!通報者と久美子の安全が!」
「待て。」
「何で!」
「待てというのが分からんのか。」
最上は彼の方を見ない。
「くそっ!」
司令官は机を思いっきり叩いた。
「娘さんはどちらですか。」
「自宅です。」
「住所は。」
「金沢市額賀町3-29。」
「本部長。」
「待てといってるだろう。」
行動を促す司令官を再度最上は制止した。
「現在、所轄署員を現場に急行させています。あなたはその場に居て下さい。娘さんがいるところにも署員がいま向かっています。」
「ありがとうございます。お願いします。藤堂をなんとかして下さい。」
「捜査のご協力ありがとうございました。」
110番のやり取りは終わった。
「司令官。」
「はい。」
「この通報について口外無用だよ。」
「え?」
「この件については俺が預かるよ。君たちは暫くの間胸のうちに留めていてくれ。」
そう言うと最上は立ち上がった。
「無線司令官。北署に繋いでくれ。」
「はぁ藤堂を見た?」
「はい。」
「え?ほんねんに何でおまえ手ぶらねんて。」
「ちょっと事情があったんです。」
「事情?何言っとっんじゃ。捜査本部ほっぽり出してそこら辺で油売って、ホシ見たっちゅうげんに連絡もなしで手ぶらでご帰還か?」
本部の人間は岡田に凄んだ。
「すいません。」
素直に謝る岡田を前に、本部の人間は頭を抱えるしかなかった。
「おい。所轄は何やっとらんや!」
この怒鳴り声に捜査本部の中は静まり返った。
「…捜査本部長の署長さんも、その下の捜査一課長さんもてんでバラバラに好き放題に動いて現場ほったらかしかい。」
「まさか署長が不在とは。」
またも本部の人間は頭を抱えた。
その時である。若手捜査員が岡田のもとにやってきた。
「課長。本部からです。」
「あ?」
「課長と直接話しをしたいとのことです。別室にテレビ電話がつながっています。」
「ほらほら、所轄のグダグダっぷりに業を煮やして刑事部すっ飛ばして本部長直々のお叱りや。」
「まじですか…。」
岡田はすごすごと若手に連れられて別室へと向かった。
別室のモニターには本部長席に座る最上の姿が映し出されていた。岡田はその前に直立不動であった。
「まあ座りなさい。」
「いえ。このままで結構です。」
「そうか。じゃあそのままでいい。」
「はい。」
「岡田課長だったね。」
「はい。」
「さっき通報が入ったよ。」
「え?何のですか。」
「藤堂と会ったって。」
「え?通報者は?」
「山県有恒。山県久美子の父親だ。」
「…。」
「警察に言うなって藤堂に言われて、いままで黙ってたそうだ。その間、君が山県久美子の警護をしてたんだろ。」
「え…。」
「ご苦労さん。」
「本部長はご存知で…。」
「どうだい?捜査本部の様子は?」
「あの…。」
「若林くんはまだ油を売ってるのかい?」
「え?」
「やれやれ。名を挙げる折角の機会をお膳立てしてあげたのに、この非常事態の時に離席が目立つってのは困るね。」
「…ええ。」
「岡田くん。君が捜査本部長として指揮を執ってくれ。」
「は?」
「一般市民からホシの情報が通報されたんだ、可及的に速やかに検挙しなきゃいけない。その時に管理者不在だと現場指揮なんか執れんだろう。」
「あの…。」
「しかし安易なキンパイはやめておくんだ。」
「え?と言いますと?」
「どこにイヌがいるか分からないからね。」
「え?」
「発生署配備に留めて、とりあえず藤堂の行方を追ってくれたまえ。」
「あ…はい。」
「くれぐれも内密にな。」
「内密…ですか?」
「タイミングを見てこっちで君に指示を出すから、君は所轄の手綱をちゃんと引っ張っておくんだ。」
岡田は最上のいうことがさっぱり理解できなかった。通報があったというのに現場は目立った動きをするなというのである。
「いいかい。失敗できないからね。」
こう言って最上は通信を遮断した。
「…なんねんて…これ…。」
状況が全く飲み込めない岡田はその場でしばらく立ち尽くすしかなかった。
携帯電話が鳴る音
北陸新聞テレビの報道フロアでパソコンを眺めていた黒田の携帯に着信が入った。
「あーどうもお疲れ様です。こんな時間にどうしました?…え?今ですか?…いまはまだ会社に居ます。ええ。はい…。あ、ちょっと待って下さい。いま場所変えますんで。」
そう言って黒田は通話口を手で抑えて、真っ暗な会社内の喫茶店に移動した。
「で、なんですか?片倉さん。」
「お前、インターネットによる民主的な報道っちゅうもんをまだ信じとるか?」
「え?」
「いいから答えてくれ。」
「当り前です。」
「…そうか。じゃあとくダネが手に入ったら電波に乗せんと、今まで同様「ほんまごと」に掲載するか。」
「黒田さん。お先でーす。」
黒田のに向かって手を降って三波が退社して行ったのを見届けた黒田は深呼吸をした。
「当り前でしょ。」
「…そうか。」
「どうしたんですか。ネタですか。」
「ああ。」
「藤堂からみのことですか。それとも熨子山事件に関係することですか。」
「…全部や。」
「え?」
「お前、今から俺が言うネタをベースに直ちに記事にしてブログにアップできるか。」
「え?」
「できるなら俺が知っとること全部お前に教える。」
突然の申し出に黒田は戸惑った。
「それってネタ元の情報をそのまま垂れ流せってことですか?」
「ああ。」
ありえない。いくら信頼できる人間からのネタといっても精査無しでそのまま記事にするわけにはいかない。
「俺は黒田潔と話をしとるんや。北陸新聞テレビの黒田と話しとるわけじゃない。」
「う…。」
「いまお前の頭には会社員、黒田潔として保身がよぎった。あまりにでしゃばった行動に出ると、何かの拍子で会社から目をつけられるかもしれん。そうしたら干されるどころか、会社にすらおれんくなるって。」
心のなかを見透かされた黒田は何も言えない。
「けっ…結局オマエはインターネット上の自由な報道ってカッコいいこと言っときながら、ただネット論壇で名前挙げて有名になりたいってだけのスケベな奴やったってだけか。会社っていう後立がないと何にもできん口だけの男やったんや。」
いつになく毒を吐く片倉に黒田は流石に頭にきた。
「悪いか!」
「悪くない。」
「え…。」
「公共の利益だけを考えて行動できる高潔な人間なんざ、金と時間の余裕が腐るほどあるってやつくらいや。」
「あ…ええ…。」
「金と時間に余裕がある人間ってのはいわゆる成功者って奴や。なんで成功なんてもんを勝ち得るのか。そう賭けに勝ったからや。」
「賭け?」
「ああ。ここ一番の大勝負でリスクとった結果、成功を手に入れた。」
「リスク…。」
「リスクをとるから得るものが大きい。ただそれだけのこと。リスクもとらんとうまい目に会おうって言う魂胆は俺は関心せんな。」
「片倉さんはここで俺にリスクをとれと。」
「ああ。」
黒田は唾を飲み込んだ。
「俺も現にいま、お前にこう持ちかけとる時点で相当のリスクをとっとる。お前が言うようにインターネットの世界が民主的な言論空間やっていうんなら、ナマのネタをそのままそこに上げて、市場原理でネタの価値を決めてもらおうじゃねぇか。」
「情報の価値を市場が決める…。」
「まぁ投資は自己責任で。」
「考えさせてください。」
「ダメや。」
「なんで。」
「時間が無い。お前の対応の速さがすべてを左右する。お前ができんがやったら俺はこの賭けからさっさと降りる。」
「え…。」
「どうなんや。」
「…直ちに記事にするってどれくらいのスピード感ですか。」
「俺がここでお前に言った側から記事になるくらいの感じ。」
「え…そんな無茶な...。」
「校正なんか必要ない。お前の思うままに書け。それならできるやろ。」
「…なんでそんなに…。」
「やがてわかる。」
黒田はこの片倉の発言の裏になにかとてつもなく大きなものが動いていることを察知した。
「どうや。」
「…やりましょう。」
「よし。」
「直ぐにスタンバります。折り返し連絡します。」
「ああ。頼むぞ。」
電話を切った黒田は自席に戻ってノートパソコンを抱えた。そしてヘッドセットを装着し、報道部の別室に姿を消した。