第九十三話

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第九十三話
五の線2 第九十三話
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「おそらく今川が想定する執行部の上層部は、そのユニコードっていうシロモンを簡単に扱うことができる人間ねんろ。OTP(ワンタイムパッド)なんかでチマチマ変換作業するほど余裕が無い。今川はその相手に至急連絡をとって、確認をしたかったんや。」
古田は部屋の畳にどっかと腰を下ろし煙草を咥えた。
「まぁその理由を詮索するほど、今はこちらも余裕が無いんですわ。」
「と言うと?」
「やわら反撃の狼煙が上がる。」
「え?」
「警部。こっからは予定もクソもありませんよ。時間との闘いや。」
そう言うと古田は時計を見た。
「んで決断する場面が圧倒的に多くなる。さっきみたいな考え方は捨てたほうがいいですよ。」
古田は先程の冨樫と神谷のやり取りをすでに知っていたようだ。
「ねぇ冨樫さん。」
冨樫はにやりと笑ってそれに応えた。それを受けて神谷は覚悟を決めたような表情で古田を見た。
「さあて。伸るか反るかの大博打の始まりや。」
「古田さん。何やるんですか。」
冨樫が古田に尋ねた。
「冨樫さん。あんたIT関係のことよう分かっとるやろ。」
「ええ、まぁ。」
「あんたなら直ぐに分かるかもしれん。」
「なんでしょう。」
「相手方の情報処理能力をダウンさせる。」
「ダウン?」
「ああ。ほら昨日石電のWebサーバがダウンしたやろ。」
「ええ。Dos攻撃と思われます。」
「それとおんなじことをアナログであいつらにぶつける。」
「…ほう。」
「んで、そこであいつらを撹乱、離散させ一匹ずつ確保。」
「なるほど。」
「これは佐竹の案や。」
「佐竹…佐竹康之ですか。」
「ああ。ワシら古い人間には思いつかんいまどきの発想や。」
「それですか。課長が佐竹を使うって言っとったんは。」
古田はさてと言って煙草の火を消して神谷と向かい合った。
「今川にレスしてやりますか。」
「どのように?」
「今川の処理能力をダウンさせるような感じで。」
「警部。今川は朝倉に疑心暗鬼になっとる。回答次第で2人の間に決定的な亀裂を生じさせることができます。」
神谷はしばらく考え、古田と冨樫にシナリオを描いてみせた。
「部長。情戦は僕で最後です。」
「あ…あぁご苦労さん。」
情報戦略事業部の部長室にスタッフが顔を出した。
「部長は何時ごろまでいらっしゃるんですか。」
「あぁ俺はちょっとやらないといけないことがあってな。なんだ。今日はやけに情戦は上がりが早いじゃないか。」
「早い…ですか?」
このスタッフの言葉に今川は壁にかけられている時計を見た。時刻は19時50分を指していた。
「あぁ…すまん。なんだか最近時間の感覚がおかしくなってしまって。」
「大丈夫ですか部長。」
「…駄目かもな。」
「え?」
「ははは。冗談さ冗談。俺に気を遣うな。」
「それではお言葉に甘えて。」
「おう。気をつけてな。また明日頼むな。」
「はい。ではお先に失礼します。」
スタッフが踵を返した瞬間、今川は彼を呼び止めた。
「あ…待って。」
「え?」
「お前、確か家族に介護が必要なひとがいるんだったな。」
「部長…覚えてくれてたんですか。」
「あぁ、なんか…ふと…な…。」
「父が認知症なんです。」
「あぁ…それは…。」
今川は気の毒そうな顔を見せた。
「幸いウチの父は早い段階で認知症だって分かったんで、世間一般に言われる徘徊とかっていう重度の状態にはなっていません。今は薬と食事療法で進行をなんとか食い止めています。」
「そうか…。家庭が大変なのにこんなに遅くまで仕事やってて大丈夫なのか。」
「妻と俺が交代交代で毎日、父の家に顔を出していますからその辺りは大丈夫です。」
「え?毎日?」
「ええ。認知症の進行を遅らせる一番の特効薬はコミュニケーションなんです。人と何でもいいから話をする。話をすることは脳を使いますから。」
「コミュニケーションか…。」
「後は散歩ですか。」
「散歩?」
「ええ。足腰を使って肉体を鍛えるっていう意味もありますが、そもそも適度な運動は脳の活性化を促します。また散歩をすると周囲からいろんな情報が入ってきます。例えばこれからの時期はひまわりとかですよね。そういった植物を見て季節を感じたり、通りを歩く人を見て活気を感じていろいろな思いを巡らせる。目に入るものがみんな情報なんです。こういった情報処理をすることで脳の活性化を図るんです。」
「なるほど…散歩が情報処理だっていうのは新鮮だ。」
「わざわざ気にかけてくださいましてありがとうございました。」
「あ、あぁすまない。早く帰らないといけないのに呼び止めてしまって。」
「いえ。部長もあまり無理をせず。」
そう言ってスタッフは部屋を後にした。
溜息をついた今川は椅子に深く身を委ねた。
「若いのに親の面倒を見るか…。感心するが気の毒ではあるな…。俺がもしも親の立場だったらどう思うだろうか。自分の存在が子供の足枷になっているとなると、なんとも言えない辛い気持ちになるだろう…。」
立ち上がった今川は腕を組んで窓際に立った。
「家族か…。結局そこに行き着くのか…。」
こう呟いた時のことである。今川のパソコンに一通のメールが届いた。
彼はすぐさまそこに寄って件名も何も記載されていないそれを開封した。
0412044b0441044b043b043a0430041d04300431044d04410438043c0430043d04350441043b044b04480430043b.
数字とアルファベットの羅列である本文にバックスラッシュとuの文字を4桁ごとに付け加え、彼はそれを変換ツールに貼り付けた。
Высылка Набэсима не слышал.
Серьезное нарушение дисциплины.
「鍋島除名は聞いていない。重大な規律違反だ。」
声を出した瞬間、今川の首筋に汗が流れだした。
ーやっぱりだ…。朝倉の奴、上に報告もせずに勝手に自分の裁量で俺らを動かしている。俺はまんまとあいつの暴走の片棒を担がされた。
息遣いが荒くなった今川は頭を抱えた。
ーどうする…。弁明しなければ…。
汗が止まらない。熱くもないのに止めどなくそれが首を伝う。
ーなんで朝倉は単独でそんな無謀なことをしたんだ…。あ、いや…そんなことは今はどうでもいい。なんとかこの場を凌がないと俺には先がない。
すぐさまもう一通メールが届いた。彼は先ほどと同じように英数字の羅列を変換しそれを読んだ。
Позже захоронение.
Вы были важный доклад. Поэтому вы греха не имеет значения.
追って処分する。
お前は重要な報告をした。よってお前の罪は不問に付す。
荒かった息づかいは、この最後の一文で若干の落ち着きを見せた。
「助かった…。」
ー待て…俺はいい。だが下間らはどうなる。現に悠里はいま鍋島を消すために動いている。止めたほうが良いのか?
再び今川はキーボードを打ち出した。
Юрий ли вы остановить?
「悠里は止めますか。」
この端的なツヴァイスタン語を英数字のユニコードに変換し英数字のみの状態に加工してそれを送った。
「志乃はどうなんですか。」
「とりあえずオペは成功したらしいが、その後の情報はまだこちらにも入ってきていない。」
「…そうですか。」
「闘病生活を送っている妻を遠い異国の地に置き去りにし、子どもたちと共にここ日本で工作活動を行う君の心情は察している。俺としては最善を尽くさせてもらうよ。」
「ありがとうございます。」
「しかしだ。」
「はい。」
「今しばらくはその感情はどこかにしまっておけ。」54
ー思えば下間らの行動の源泉も家族か…。つくづく厄介な関係性だな…。
返信が来た。
Приведенные ниже инструкции.
Вы белые ожидания.
「追って指示する。お前は待機しろ。」

 

今川はこれに了解とだけ返信をし、そのまま机に突っ伏してしまった。