第九十二話

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第九十二話
五の線2 第九十二話
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県警本部の通用口を経由した古田はエレベータを降りた。
カタカナのロの字になっている階の角をひとつ曲がると、そこには警備部長室があった。在室のランプが灯っている。古田は扉をノックした。
「失礼いたします。」
大きな机の向こう側に土岐が何やら険しい表情で着席していた。土岐に向かって左側の壁には日章旗が掲げられている。反対側の壁に掛けられた時計の時刻は19時を指し示していた。
「俺は忙しい。手短に済ませろ。」
「片倉さんからお聞きかと存じますが、彼は捜査をワシに一任しました。」
「聞いている。しかしチヨダマターの直接的な管理者は俺じゃない。察庁の理事官だ。お前も警察のOBならそれくらい分かっているだろう。」
土岐は呆れ顔を見せた。
「ええ。そうです。んでワシはいまはただの民間人です。」
「いち協力者にしか過ぎない身分の人間に、何であいつは捜査を一任したんだ。」
「わかりません。ですがワシとしましても一任された以上なんとかせんといけません。」
土岐はため息をついた。
「ったく。察庁は何やってんだ。現場のゴタゴタをなんで俺が調整しないといけないんだ。」
「すいません。ワシは察庁の連絡窓口は聞かされていないもんで。」
「その辺りを調整してから俺を通せと言うんだ。順序が違う。」
「部長の仰ることは至極もっともです。先程言ったようにワシはただの民間人。いくら片倉さんから一任されたと言っても、ワシが現場捜査員の指揮を執る訳にはいきません。ワシができるのは今と変わらず捜査の協力だけ。」
「そうだ。」
「よってここはひとつワシの代わりに現場の指揮を執ってくれる人間を部長の方から任命してもらえませんか。」
「暫定責任者か。」
「ええ。」
土岐は立ち上がった。そして後ろ手に組み部屋の中を歩き出した。
「秘匿性の高い公安課の人事を他の課からの異動を持って当てることはできんだろう。」
「はい。」
「神谷だ。」
「神谷?」
「ああ。」
「その神谷という方は現場とはうまくやれるんですか。」
「わからん。それはお前が調整しろ。」
土岐はぶっきらぼうに言った。
「わかりました。」
「それでいいな。」
「はい。」
土岐は時計を見た。
「俺から公安課にその指示を出す。あとはそっちでうまくやれ。」
土岐はそわそわした様子である。
「どうされたんですか部長。いまはもう19時です。やわらお帰りの時間ですよ。なにをそんなに慌ててらっしゃるんですか。」
「俺はいま別件で立て込んでいるんだ。暇じゃないんだよ。」
「あ…はい。申し訳ございませんでした。」
「あんまりOBがうろちょろするんじゃないぞ。」
「ええ、気をつけます。」
そう言って古田は部屋を後にしようとした。
「あれ?」
「なんだ。」
「この日の丸…。」
土岐の顔色が変わった。
「真ん中がちょっと皺が寄っとるような…。」
「おい。お前はさっさと持ち場にもどれ。邪魔だ。」
「あ…はい。」
そそくさと部屋を出た古田は灯りの消えた県警の闇の中に吸い込まれていった。
「Теперь, чтобы быть исключен из Набэсима по инструкции от капитана. Юрий переехал в изгнание.」
え?何ですか?」
「キャプテンからの指示で鍋島を除名する事になりました。除名に悠里が動いています。」
「キャプテン?除名?」
パソコンと向い合っていた冨樫は神谷の横に座った。
「冨樫さんが今川の携帯に送った乱数表と照らしあわせて解読すると、こう読めます。」
「あぁ…こりゃあアレですね。課長の読みは当たっとったってことですか。」
「今川らと鍋島が仲間割れを起こしている。その可能性大です。」
「悠里は鍋島を消すために姿を消した。そのリミットは明日の19時。」
「すぐ課長に報告します。」
神谷は片倉の携帯に電話をかけた。
「今川の上位の存在がキャプテン。そうなるとキャプテンは朝倉と読むしかないか…。」
「冨樫さん。ダメです。課長の携帯が繋がりません。」
「…警部。どうします?」
「え?」
「これからどうします。」
「それは課長に指示を仰いで…。」
「駄目です。課長言ったでしょう。後は現場に任せるって。」
「でも、そんなこと急に言われても対応しきれません。」
「あんたはワシよりも階級が上や。ワシはあんたの命令に沿って動きます。」
困惑した表情を見せた神谷の携帯電話が震えた。彼は片倉から折り返しの電話であると思い、とっさにそれに出た。
「あ神谷です。課長。裏取れました。」
「は?何言ってるんだ神谷課長補佐。」
「え…。」
「片倉じゃない。土岐だ。」
「あ…。」
「公安のくせにどこからのものか分からない電話に安々と出るとは何事だ。」
「申し訳ございません。」
電話越しに土岐はため息をついた。
「大丈夫かお前...。」
「あ…はい…。」
「片倉不在のimagawaはお前が仕切るんだ。」
「え?」
「え?じゃない。」
「でも聞いてません。」
「馬鹿。察しろ。」
神谷は口を噤んだ。
「俺は情報調査本部長としての仕事で手一杯だ。これはチヨダ直轄マター。現状の捜査員以外に協力を募るのは避けなければならない。そんな中でお前以外に誰が捜査の陣頭指揮を執れるっていうんだ。」
「急に言われても…。」
「何言ってるんだ。いいか。これは片倉からの依頼なんだ。あいつの知恵袋も今そこに向かっている。そいつのアドバイスを聞いて冨樫と協力して現場を仕切れ。」
「あ、あの…。」
「言っただろ。察しろ。お前らが仕掛けた罠だ。お前らが責任持って獲物を釣り上げろ。」
そう言って土岐は電話を切った。
「どうしました。警部。課長何か指示出しましたか。」
「なんか…僕が…仕切れって。」
「ほら言ったでしょう。」
「違うんです。課長じゃなかったんです。」
「え?」
「土岐部長だったんです。」
「土岐部長?」
「ええ。」
「土岐部長が何で…。」
「わかりません。ただ…気になる事を言ってたんです。」
「何です?」
「課長不在のimagawaはお前が仕切れって。」
「え?」
「おかしいと思いませんか。俺らの捜査はチヨダ直轄マターです。土岐部長はこの中に組み込まれていません。捜査のコードネームはチーム内でしか共有されていないはずです。」
冨樫は顎に手を当てて考えた。
「なんだか引っかかるんですよ。」
「あの…他には?」
「僕に現場を仕切れって。で、片倉課長の知恵袋がこっちに向かっているからその人間と協力しろって。」
「片倉課長の知恵袋って…それ、古田さん以外にないでしょう。」
「ええ。部長は察しろって2回も言ってました。」
パソコンの前に再び陣取った冨樫は神谷のこの言葉を聞いてニヤリと笑った。
「…警部…察してあげましょうよ。」
「え?」
「片倉課長も土岐部長もいろいろあるんです。ここは大人の対応で引き受けましょう。」
そう言って冨樫は再びパソコンの前に座った。
「でも、冨樫さんは変だと思わないんですか?」
「変?」
「だって何か不自然ですよ。そもそもチヨダの人事は理事官から指示があって然るべきじゃないですか。なんか順番が違うような。」
「聞いてません。急に言われても。順序が違う。」
「…。」
「'`,、('∀`) '`,、 警部。あんたは立派なキャリアや。」
「はい?」
「この手のセリフは役人の常套句。突発的なことが起こった時に身に降りかかる災厄を最小限に食い止めるためのバリアみたいな呪文や。役人って生き物は失点をいかに少なくするか。これが最大の実績になる。そのためにはこれを使いこなせんといかん。あんたは若いがにこれを使いこなしとる。」
「何ですか嫌味ですか。」
「まあまあ。」
冨樫は神谷をなだめた。
「公安の仕事ってもんもそれに似たところがあります。犯罪を水際で防ぐんですから。犯罪が起こってしまったらそれで評価ゼロです。そういう意味では警部の姿勢は的を射とる。」
神谷は眉間にしわを寄せた。
「でもね。それはあくまでも総論。各論で見ればどう頑張っても予定通りに進まんことってばっかりです。そもそもこのimagawaはその連続です。長尾の死、小松の死、ノトイチの件、片倉課長の現場離脱、今川と鍋島の仲間割れ。都度ワシらは無い知恵絞って対応してきた。さっき言った犯罪を水際で防ぐっちゅうのは結果論です。世間の人間はそこしか見ん。けど実際の現場は常にもがいて苦しんで、その場しのぎをする。その連続なんですわ。」
冨樫は煙草に火をつけた。
「つまりワシが言いたいのは、いま我々はまだ、そのその場しのぎの最中なんやってこと。その場しのぎに必要なのは瞬発力と適応力。言い訳じゃありません。」
「…。」
「目の前でひとが倒れとるげんに、何でこの人は倒れとるんやとか考えとる暇があるんやったら、さっさと救急車よんでその人に応急措置を施せ。素直に現状を受け入れましょう。」
冨樫の柔らかくも棘のある叱咤に神谷は閉口した。
「あ。」
パソコンを操作していた冨樫の動きが止まった。
「警部。来ました。」
冨樫が大きな声で神谷を読んだ。
「え?」
「きたきたきたきた。」
彼は鼻息は荒くなった。
「今川からまたです。」
「えぇ!?また!?」
肩を落としていた神谷は飛び上がって冨樫の側に駆け寄った。
画面を覗くとそこには数字とアルファベットの羅列があった。
0423043c0435043d044f043d0435043f043e043d0438043c0430044e0442043404430445 043a0430043f043804420430043d0430.
04120430043c043d0435043d04430436043d043e04310443043404350442
044304320438043404350442044c……. 
「なんですこれ?」
「三好からもらったツヴァイスタン工作部の乱数表とは違う形式ですね。」
「おかしいな...三好さんの情報だとツヴァイスタンはワンタイムパッドを使うはずなんですけど。」
そう言って神谷は手元のタバコの箱程度しかないサイズのメモ帳をパラパラとめくった。そこには幾つもの乱数表が記載されていた。
ワンタイムパッドとは乱数鍵を一回だけ使用する暗号の運用方法のことを指す。使用した乱数鍵は捨てられ、二度と同じ乱数鍵は使用されない。日めくりのようであることからめくり暗号とも言われる。
「待って下さい警部。ちょっと...これ…。」
「どうしました。」
「数字の4が規則的に入っとって、アルファベットはfまでしか表示されとらん。」
冨樫は別のパソコンを操作し、ブラウザを立ち上げて何かを検索した。
「やっぱりや。これや。」
「え?なんです。」
「ユニコードですよ。」
「ユニコード?」
「文字コードの業界規格ですわ。」
冨樫は画面に表示されるアルファベットと数字の羅列の数を数えながら4桁ずつ区切るようにバックスラッシュを入力した。そして全てのバックスラッシュの後にuの文字を付け加えた。
\u0423\u043c\u0435\u043d\u044f\u043d\u0435\u043f\u043e\u043d\u0438\u043c\u0430\u044e\u0442 \u0434\u0443\u0445\u043a\u0430\u043f\u0438\u0442\u0430\u043d\u0430…...
「何やってるんですか。」
「暗号っちゅうもんは一般の人間が一朝一夕でマスターできるほど簡単なもんじゃありません。ほやけど今川はITの専門家です。その専門分野を利用すれば簡単な暗号っちゅうか言語を操ることができます。」
冨樫はそれをあるサイトのテキストボックスにコピー・アンド・ペーストし、エンターキーを叩いた。
「ビンゴ。」
「あ…。」
神谷と冨樫の目の前にキリル文字に変換されたテキストがあった。
「ツヴァイスタン語自体が難解な言葉やからこそできる安易な暗号通信とも言えるか。」
神谷は冨樫の手際の良さに唖然とした。
「さ、警部出番ですよ。」
У меня не понимают дух капитана.
Вам не нужно будет увидеть, но спросить грубый с уведомлением.
На самом деле капитан Уилл выступает в качестве воли исполнительной власти.
Пожалуйста, скажите мне.
「何て言っとるがですか。」
「私にはキャプテンの真意がわかりません。
 分かる必要はないのでしょうが、失礼を承知でお聞きします。
 本当にキャプテンは執行部の意志の通りに行動しているのでしょうか。
 教えて下さい。」
冨樫は息を呑んだ。
「こいつはあれですね…。」
「今川と朝倉も一枚岩じゃない。」
そう言った矢先、玄関扉の鍵を開く音が聞こえたため2人はとっさに身構えた。この部屋の鍵を持つ人間は二人以外に片倉ただひとり。しかし片倉はしばらく戻る予定はない。
「んじゃあこっちは成りすませばいいんじゃまいか。」
「…その声は。」
両手を上げて部屋の中に入ってきたのは古田であった。
「いよいよ切羽詰まって、ワンタイムパッドを使う余裕すらなくなったか。」
「古田さん。」

 

「さぁてと警部。ちょっくら本気だすまいけ。」