第八十八話

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第八十八話
五の線2 第八十八話
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「見たぞ。なんだあの顔は。」
「そうでしょう。随分参っているようです。」
「そうみたいだな。」
「潮時じゃないですか。」
「…そうだな。こちらから動いてみるとするか。」
新幹線のホームに立って電話をする朝倉の姿があった。
「随分と騒がしい場所におられるんですね。」
「ああ。長官のお出迎えだ。」
「長官といえば例の件は。」
「順調だ。明日、あのお方が直接会ってくださることになった。」
「では明日、正式にこちらの陣営に加わるということで。」
「そう思っておいていい。」
「奴らも一色の親友である直江がこちら側の人間だってことは知る良しもないでしょうね。」
「大変だったんだぞ。今川。なにせ三年がかりだったんだ。」
「三年でここまでの浸透工作ができるのは、キャプテン以外にありませんよ。公安調査庁に行ってから間もなく次期長官と目される人間をオルグし、順当にその人物を長官にしたんですから。」
「これも波多野先生のお力添えによるところが大きい。俺ひとりの力では何も成し得なかった。」
「キャプテン。謙遜しなくてもいいですよ。」
朝倉は不敵な笑みを浮かべた。
「そんなことより今川。お前、調査されつくされてるぞ。」
「え?」
「俺の協力者がお前のことを調べあげてきた。」
「何者ですか。」
「残念ながら協力者の情報は誰にも言えない事になっているからな。」
「…。」
「俺が何を言いたいのか分かるか。」
「…。」
「先日の能登イチの件といい、県警の情報関係の不備といい、貴様の班は失態続きだ。」
「面目次第もありません。」
「能登イチは捜査本部が設置される。指紋情報の件については情報調査本部が設置される。ついでに鍋島が未だ始末されていないときたもんだ。」
「な、鍋島は…明日までに悠里が…。」
「一介の協力者が貴様のことを詳細に調べることができるくらい、貴様自身の情報管理が杜撰だってことだ。自分の情報管理も満足にできない人間に県警の情報の管理をさせるというのは、荷が重すぎたか。」
「以後…最新の注意を払います。」
「以後?以後とは何だ。」
「あ…これからということです…。」
「これから?」
「はい…。」
「では今までの失態にどうけじめをつけると言うんだ。」
「それは…。」
「ふっ…案外、貴様はお人好しのようだな。」
「え…。」
「蜥蜴になれ。」
「蜥蜴…。」
「蜥蜴の見本はいま喋っている電話の先の人間だ。」
「尻尾を切る…。」
「情報漏洩を防ぐ最上の方法だと思わないか。」
「…粛清ですか。」
「違う。総括だ。」
「総括…。」
「執行部は混乱を待ち望んでいる。」
「…。」
「予定通り事を運べ。」
電話を切った朝倉は舌打ちした。そして時計に目を落とす。
「あと五分か。」
そう言うと彼は再び電話をかけた。
「やれ。」
情報調査本部を十河に一任した土岐は警備部長室にいた。
「はい。そうです。…ええ。はい。それではそのように。」
携帯電話を切った土岐は腕を組んで天井を仰ぎ見た。
内線電話が鳴ったため、彼はそれに出た。
「なんだ。」
「あの…部長に奥様からお電話です。」
「はぁ?」
「なんでも急ぎで連絡をとりたいとのことでして。」
土岐は頭抱えた。
ー仕事中は電話を掛けてくるなってあれだけ言ったのに…。
「ちょっとこちらも対応できないぐらい取り乱してらっしゃったので。」
「取り乱す?」
「ええ。」
「はぁ…わかった。繋いでくれ。」
電話がつながれる数秒の間、土岐は深呼吸をした。
「おい。仕事中は電話を掛けてくるなって言っただろ。」
「あなた…大変よ…。」
電話口の妻は土岐の発言を無視して、それにかぶせるようにか細い声を出した。
「…おい…なんだよ。」
「弘和が…。」
「弘和?弘和がどうした。」
「弘和が警察に捕まったの…。」
「なに?」
思わず土岐は立ち上がった。弘和とは土岐の息子の名前である。
「おい…どういうことだ。」
「なんでも人を怪我させたとか…。」
「怪我?まさか…傷害か?」
「ええ。」
土岐は頭を抱えた。
「相手は。」
「全治2週間ですって。」
「何があったんだ。」
「喧嘩らしいの。」
「喧嘩…。」
「いつもより帰りが遅いって思ってたら突然警察から電話がかかってきたの。そうしたら息子さんを逮捕拘束していますって。」
「逮捕されたのはいつの話だ。」
「今日の昼らしいの。」
「昼って具体的に何時だ。」
「確か11時半とか言ってたような。」
土岐は指折り数えた。傷害で逮捕拘束されると警察で取り調べが行われ、48時間以内に検察へ送致される。
「ねぇどうすればいいの。あなた。」
「…いまは何もできない。」
「何もできないって何なのよ!!あなた警察官でしょ!!息子のことぐらい何とかできないの!?」
「何言ってるんだ…何もできるわけ無いだろう…。逮捕拘束中は身内すら連絡とることはできない。」
「あなたのせいよ。」
「なに?」
「あなた、仕事仕事って言って家留守にしっぱなしで、弘和のこと何にも見てなかったからよ。」
「…。」
「いざって時に何にもできないんだったら、あなたただのおっさんじゃないの。なによ、いつもメシ、風呂、寝るって…馬鹿みたい…。未だに昭和の親父気取ってんじゃないわよ。家じゃ偉そうな顔して、職場じゃなにひとつ家族のためのことも出来やしない。役立たず。」
そう言うと土岐の妻は一方的に電話を切った。
「役立たず…。か…。」
再び内線が鳴った。
「なんだ。」
「公安調査庁から部長にお電話です。」
「公安調査庁?」
「どうします。」
「…繋げ。」
そう言って土岐は電話をスピーカモードにした。
「はいっ。お電話代わりました。」
「大変だな。土岐部長。」
「その声は…。朝倉部長。既にご存知でしたか…。」
「あぁ息子さんは都内のM署で身柄を抑えられている。」
「M署ですか…。」
「所轄にはお前の奥方からしょっちゅう電話がかかってきて、対応に苦慮しているそうだ。」
「いろいろと面倒をお掛けしています。」
「お前も警察官なんだ。奥方に逮捕後の流れをちゃんと教えてやれ。現場がひぃひぃ言ってる。」
「返す言葉もありません。」
「取り調べはすんなり終わって、時期に検察へ送られる。これが現状だ。」
「…。」
「県警は能登イチの事件でてんやわんや。その中であろうことか県警本部の部長職の息子が傷害事件。これは泣きっ面に蜂ってとこか。」
土岐は何も言えない。
「俺が本部長なら、事が明るみになる前にさっさと貴様を処分する。」
土岐の首筋に冷たい汗が流れた。
「しかしそれはあくまでも俺が県警の本部長だったらという仮定に基づくもの。」
「…と…いいますと。」
「外から警察を見ると対応の方法が他にもあることに気がつく。」
「え…?」
「俺にはパイプがある。」
「そ、それは存じあげております…。」
「パイプは使ってなんぼと思わないか。土岐。」
「あ…はい…。」
「貴様の息子を救う方法が俺にはある。」
「ほ…本当ですか…。」
「ああ。」
「…どうか…部長…お助け下さい…。」
「もちろんだ。日頃、公安畑で連携している中じゃないか。」
「あ…あ…ありがとうございます!!」
「しかし、タダというわけにはいかんな。」
「え…?」
「一旦、検察に送致された人間を何事もなかったかのように釈放するのは至難の業ということは、貴様がよく知っているだろう。」
「…金ですか…。」
「いや。金は必要ない。」
「じゃあなんですか…。」
「誠意だ。」
「誠意?」
「貴様の誠意で息子は何事も無く釈放される。」
「…私に何をお求めで…。」
「誠意を見せられるか。」
「…私に出来る事ならなんでも。」
「そうか…ならば俺がお前の誠意を信じるに足るものを今この場で見せろ。」
「誠意の証明…。」
「そうだ。覚悟を見せろ。」
土岐は考えた。電話口の朝倉に誠意を見せろと言われて何をどうすればそれが伝わるのか分からない。
「どうすればそれが俺に伝わるか。」
「部長。私は本気です。ですが正直、部長に何をどうすればいいか分かりません。」
「…よろしい。正直で良い回答だ。では貴様の携帯のテレビ電話機能を起動しろ。」
「はっ、はい。」
土岐は朝倉に言われたとおり携帯電話を手にした。しばらくしてそこに不明な電話番号から着信が入った。彼はすぐさまそれに出た。
「貴様の携帯の画面はブラックアウトしているだろう。」
「あ…はい。」
「貴様にはこちらの様子は分からんが、こちらは貴様の様子がわかる。そのまま携帯をもって自分を映しながら壁側に移動しろ。」
「はい。」
土岐はぎこちない動きで移動した。
「そこに掲げてある日の丸を床に置け。」
「え?」
壁には日章旗が貼り付けられている。
「こ…これですか?」
「そうだ。それしかないだろう。」
土岐は旗を床に置いて広げた。
「それを踏みつけろ。」
「え…。」
「その中心を貴様の足で踏みつけろ。」
「そ…それは…。」
「それは?覚悟は?」
「部長…どうして…。」
「あぁそうか。やっぱり貴様は嘘をついていたのか。」
「ぶ、部長…。」
「じゃあこれで貴様の家はおしまいだな。」
「あ!待って!」
「待てない。」
「やります!やります!」
「じゅう、きゅう、はち…。」
朝倉の一方的なカウントダウンが始まった。土岐は身体を震わせながら靴を脱ごうとした。
「駄目だ。そのまま行け。貴様は日の丸に忠誠を誓うんじゃない。俺に誓うんだ。」
「そ…そんな…無慈悲な…。」
「なな、ろく、ご。」
土岐はかたかたと震える足を何とか上げて旗の上に乗った。
「中心だぞ。」
念を押すように言われたこの言葉を受けて、土岐は歯を食いしばった。
「よん…さん…に…。」
土岐は旗の中心に立った。
「…貴様の覚悟の程しかと見届けた。証拠としてスクリーンショットも抑えさせてもらった。」
土岐はそのままそこに力なく崩れ落ちた。
「おいおいそんなことで力尽きるな。これからが貴様の誠意の見せ所だ。」
「…。」
「情報調査本部のターゲットをドットメディカルに絞れ。」
「え?」
「ドットメディカルによる不正なシステムプログラムが原因だ。そういうことで処理しろ。」
「…と…言いますと…。」

 

「ドットメディカルにガサを入れろ。そうすれば息子は無事釈放され、おまけに貴様は出世する。」