第八十四話

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第八十四話
五の線2 第八十四話
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能登イチでの爆発事故がコンドウサトミの生存を県警内部に知らしめた。
3年前の熨子山連続殺人事件で死んだはずの人間が生きている。しかもその人間は原子力発電所にいとも簡単に侵入し、爆発物を設置。まんまと逃げおおせたのである。
チヨダ直轄案件を追う片倉ら一部の公安関係者は昨日の段階でおおよその概要を把握していたが、県警の一般捜査員は本日7月17日にこの概要を知ることとなった。県警はまず爆発事件の捜査に動き出した。同時にコンドウサトミの身元を再度洗うこととし、情報管理調査本部を設置した。
情報管理調査本部長に任命された警備部部長の土岐は提出された資料に黙って目を通していた。
熨子山連続殺人事件を捜査したのは刑事部。この刑事部の捜査に何らかの不手際があった可能性がある。身内の事を身内で調査することは真実の隠蔽にもなりかねない。よってこれを検証するには第三者の目をもってするのが適当だと判断した県警本部長による人事であった。土岐の下に警務部情報管理課、警務部監察課、そして様々な部署の一部のスタッフが置かれた。
「部長から見て右側が、ワシが個人的に保存しとった鍋島惇の指紋。んで左側はデータベースの七尾のガイシャの指紋。」
密室で土岐と向い合って座る十河はこう言った。
「確かにパッと見た感じだと、朝倉本部長の言っていることも分かる。しかしあんたが言ってる通り右人差し指をみればその違いが分かる。」
「でしょう。鑑識から上がってきた情報っちゅうことでめくら判押すみたいな感じやとスルーするようなもんかもしれませんけど、よくよく見れば違いが分かる。」
「うん。」
「ワシはこのふたつの指紋が同じって判断するのはちょっと無理があるって感じで朝倉本部長に意見しました。ですがそれは却下されました。」
「なぜだ…。」
「分かりません。どうやらワシには科学的視点が足りんようです。」
「何かの意図があるな。」
「朝倉はどうしても七尾のガイシャを鍋島惇としたかった。そうなることで鍋島惇の死亡が確定する。死亡した人間について警察は捜査をすることはない。鍋島の死亡は熨子山事件集結を意味する。」
「何が何でもあのタイミングで熨子山事件の幕引きを図りたかった。」
「それか朝倉自身が鍋島と何らかのかたちで通じ、奴の延命を図るために捜査資料のでっち上げを行った。」
「そのどちらかだな。」
土岐はそう言うと腕を組んでしばらく沈黙した。
「で、部長。もうひとつお耳にいれんといかんことが。」
「なんだ。」
「その鍋島の指紋なんですが。部長のお手元にあるその資料のやつ、実は事件当時のもんなんです。」
「は?何言ってるんだ。当たり前のことだろう。」
十河は一枚の資料を取り出してそれを土岐に差し出した。
「これは7月17日時点での鍋島惇の指紋です。」
「は?」
「これを先ほどの鍋島惇の指紋資料と突合してみてください。」
土岐は資料に目を落とした。しばらくして彼は動きを止めた。
「なんだ...これは…。」
「そうでしょう。3年前の鍋島の指紋と現時点での奴の指紋が違う。」
「...基本的には同じものだが…十河、お前が3年前に朝倉に指摘した右人差し指の指紋が変わっている…。」
「ほしたらその現時点での鍋島の指紋と、七尾のガイシャの指紋を合わせてみてください。」
老眼鏡をかけ、土岐はそれを照合し始めた。
「…ぴったりだ。」
「そうなんです。こいつには私もびっくりでして。」
「なんでこんなことが…。」
「システムそのものの欠陥を疑うしかありません。」
「システム?」
「ええ。システムの方で鍋島の情報を自動的に書き換えた。」
「そんな馬鹿な。」
「ですが部長。システムの情報が勝手に切り替わるって話、どこかで聞いたことありませんか?」
「…あ。」
「そうですよ金沢銀行の守衛殺しの件です。あそこのシステムはドットメディカルが開発したもんです。」
「県警のシステムもドットメディカルのものだ…。」
「なんか臭いませんか。」
「臭うな。」
この時、彼の背後から恐ろしいまでの闘気が立ち上っているように十河の目に映った。
「システムそのものの導入に関する経緯も精査もする必要があるな。」
「ええ。」
「システム納入の関係者は。」
「すでに調べてあります。」
「言え。」
「当時の警務部部長の別所。同じく警務部総務課長の中川。ドットメディカルCIO今川。同じくドットメディカルCEO七里。システムを実質的にプログラミングする会社であるHAJABの社長、江國です。」
「待て十河。大事な名前が抜けていないか?」
「はい?」
「県警本部長の朝倉だよ。」
「それは言わずもがなと思いまして。」
土岐はふっと息をついた。
「しかし十河。お前、なんで3年前の鍋島の指紋情報を持っていた。情報の外部持ち出しはコンプラ違反だ。」
「知っとります。」
「知っててやったのか。」
十河は頷いた。
「必要は法に勝るとも言います。」
この言葉に土岐は肩をすくめた。
「十河。お前は当時の事件の関係者でもある。お前が先頭に立ってこの調査本部をひっぱれ。先ずはその民間企業を調査をしろ。」
「はい。ですが身内のことはどうしますか。」
「俺に考えがある。お前は民間を徹底的に洗え。」
「御意。」
「ここにもひとりか…。」
そう呟き十河が部屋から出て行くのを見届けた土岐の顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。
「昨日はごくろうさまだったね。」
「別に。」
「いやぁびっくりしたよ。改めて。」
「何よ。」
「兄貴の俺が言うのも何なんだけど、昨日のお前は綺麗だった。」
「何よ、気持ち悪い。」
「いや、これは本当なんだ。お前なりに考えられたオルグだよ。」
「え?何のこと?」
「何言ってんだ。ご新規さんの注目を集めるには見た目で釣るのが一番だって結論だろ。」
「…。」
「おかげで一気にコミュのアカウントの開設数が伸びたよ。掲示板にも奇跡の女の子降臨とかってスレッドまで立って、まだ伸びてる。」
「…。」
「明日のコミュにはお前見たさで多くの人間が来る。楽しみだよ。」
「…。」
「何だ?何で黙ってる。」
「…別に…何でもない。」
「違う。」
「え?」
「その沈黙は違う。違う意図があって君は沈黙した。」
「違わないわ。」
「長谷部とかって男だろ。」
「違うわ。」
「麗。嘘をつくな。お前が昨日、金沢駅の側のファッションビルにそいつと一緒に居たことは僕の耳に入っているんだ。」
「…。」
「長谷部俊一。石川大学3回生。ぱっと見た感じは南米ラテン系の健康的なハンサムボーイ。だろ。」
「休みの間の私の行動まで監視してるの?」
「心配だからね。」
「...気持ち悪い。」
ドットスタッフの自室にある応接用のソファに身を委ねていた悠里は、ため息をつきながらゆっくりと自身の髪の毛を掻き分けた。
「今更感がパネェよ。麗。」
悠里の声色が変わった。
「言ったろ。俺らは今普通に生活しているわけじゃない。革命のためのオルグをやってんだ。そこにはその手の色恋沙汰は障害以外の何物でもない。直ちに捨てろ。」
「分からないの。私だって。」
「何のことだ?」
「兄さん今、色恋沙汰って言ったよね。でも私、正直そういうのよくわからないから、あの人とどう接していいかわからないの。」
「麗…。」
「ただこれだけは言えるの。あの人がいると何だかわかんないけど気持ちが落ち着くの。何だかわかんないけど楽しいの。だから取り敢えずあの人のことを知ろうと思って会ってた。」
悠里はため息を付いた。
ー駄目だ。麗のやつ長谷部に惚れている…。
「でも私の休みは終わったの。だからもういいの。」
「そう言って割り切れないのが色恋沙汰ってもんなんだよ。麗。」
「え?」
「お前、長谷部のことを知ろうと思って会ってたとかって言ったよな。」
「…。」
「何か分かったか?」
「…いえ…何も…。」
「そうだろう。そんなもんなんだよ。」
「どういうことよ。」
「恋は盲目って言うだろ。この言葉の通り、一旦恋に落ちた人間は相手を疑うという機能が著しく低下するもんだ。」
「…。」
「俺は俺なりに長谷部のことをリサーチした。よってお前よりは長谷部俊一について知っている。いいだろう。教えてやろう。」
「え…。ちょ...ちょっと…。」
「石川大学入学当初は県職となり、石川の未来をこの手で作り上げることを目標とする。しかしそれは数ヶ月も経たずに変節。拝金主義へと転向。ネットワークビジネスを始めるも間もなく失敗。大量の不良在庫を親が買い上げるかたちで精算。ビジネスが向いていないと考えたのか長谷部の関心事は女性に移る。女にモテるためファッションにこだわったり、ボランティアサークルに所属しサークル内の女性に片っ端から手を付けたり、いい車に乗って助手席に女を代わる代わる乗せて行為に及んだり、意識高い自分を演出し私小説を書いて、その一部のファンに手をつけたり…。」
「え…。そこまで…。」
「大学に入ってから現在に至るまでの長谷部の被害者は33名。こいつは酷いな…。悪魔としか言えない…。」
「うそ…。」
「こんな汚らわしい男に惹かれるとは…麗…お前、総括が必要だな。」
「え…うそ...うそでしょ兄さん…。」
「悪魔に魂を売るような人間は俺は組織の一員としてして認めるわけにいかない。」
「兄さん…。」
「しかし昨日のお前のオルグの功績もある。だから明日のコミュをもってお前は脱会しろ。この件は俺が黙っておく。」
「え?脱会?」
「ああ。」
「脱会してどうすればいいの私?」
「知らない。勝手に生きろ。」
「え?兄さんも父さんもこれで縁が切れちゃうの?」
「その俺の呼び方はもうやめてくれ。」
「え?ちょっと待ってよ!?何で?何でなの?お母さんの病気治して、またあそこで一緒に生活するんでしょ?」
「麗っ!!」
悠里は一喝した。
「おまえはもう少し賢い女だと思っていた。」
「え?」
「今しかないんだよ。縁を切るのは。」
「…。」
「お前言ってたろ。岩崎香織になりすますのは疲れるって。」
「でも…。」
「お前が母さんのことを心配する気持ちは分かる。俺もそうだ。だが今回の任務が完了したら俺らがまたあの国に帰って昔のような生活ができる保証はない。」
「なんで?だってお父さんそう言ってたじゃない。そう言ってお父さん私達をツヴァイスタンから日本に連れてきたんでしょ。」
「俺だって独自のネットワークがある。そこから日々情報を入れている。だが実際のところ母さんの容体はおろか、その生存も確認できていない。」
「え…。でもお父さんだってそれを信じて今、ここで戦ってるんでしょ。兄さんもでしょ。」
「麗。これだけは言っておく。お前が今まで生きてきた人生は他人のための人生を歩むだけの受動的な人生だ。いまお前は自分のための人生を歩む重要な岐路にある。岩崎香織ではなく下間麗としてな。いま俺は兄としてできることの精一杯をやっている。頼むから俺の言うとおりにしろ。」
「ちょっと…。」
「すまんキャッチだ。明日のコミュには来てくれ。俺の方でうまくやる。お前はそれに合わせてうまく立ち振る舞え。」
こう言って悠里は一方的に電話を切った。
「ああお父さん。」
「頼む。」
「期日は。」
「明日までだ。」
「分かりました。」
「麗はどうだ。」
「やっぱり疲れてるだけみたいです。」
「そうか。」
「明日のコミュにもあいつは来ますのでご心配なく。」
「…うん。」
「どうしました?」
「あ…いや…。」
「麗だけじゃなくてお父さんも変ですよ。」
「あぁ...悠里...くれぐれも気をつけてな。」
「…なにせ相手は歴戦の猛者ですからね。」

 

下間芳夫との電話を手短に終わらせた悠里は秘書に出張に行くとだけ告げて、オフィスを後にした。