第七十七話

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第七十七話
五の線2 第七十七話
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金沢駅近くの会館前に相馬と安井が乗る報道車が到着した。安井は中継の連中と軽く打ち合わせすると言って相馬と若手の記者を置いて、一足先に到着していた中継車の方へ向かった。
「じゃあバイト君行こうか。」
「はい。」
報道車を降りた2人は会館のロビーにあるソファに座り、コミュの関係者の登場を待った。
「バイト君はSNSとかやってないの?」
「え?」
「その反応、まさかやってないとか言うんじゃないだろうね。」
「え…やってません。」
「駄目だよそんなんじゃ。アンテナ低いなぁ。」
「駄目…ですか。」
「そうだよ。いくらバイトって言ってもさぁ曲がりなりにも君、この業界で仕事してんだからさ、世の中の流行りってもんを抑えておかないと。」
「あぁすいません。」
「ったく、こんなんじゃ会話が続かないよ。」
「え?どういうことですか。」
「いい?SNSってのは日ごろ知っている人とか、昔の友人とか、はたまた雲の上の人みたいな有名人と時空を超えて繋がれる凄いツールなの。」
「はぁ。」
「つまり人同士の繋がりを電子化するってわけ。電子化することで何が起きる?」
「え…わかりません。」
「ほらぁこれだから流行に疎い人は、頭の回転も悪いんだよ。」
マスコミという業界の人間は個性的なため、この若手記者のような人の気持ちを考えない発言をする人間は結構いる。これをいちいち目くじらを立てているとこの手の業界で仕事は勤まらない。相馬はこの記者の言い草にむっとしたが、自分のスルー能力を試されているものとして、適当に合わせることにした。
「あのさぁ電子化するってことは、その交流にかかるコストが限りなくゼロになるってことなの。」
「へぇコストがゼロですか。つまりタダですね。」
「そう。」
「でもそれってメールとか掲示板とかでも同じ話じゃないんですか?」
「あーこれだから未経験の人は困るんだ。」
「え?」
「ほら、例えば俺がいまここにいますとかSNSを使ってその情報を上げたとするだろ。」
「はい。」
「そうしたらSNSでつながっている人間は瞬時に俺の様子を把握することができる。」
「はい。」
「で、そのことに対するコメントをそのスレッドみたいなもんに書き込んで情報を共有する事ができるってわけ。」
「はい。」
「つまり、友達がいつどこで何をしたのかをリアルタイムに共有できるんだ。しかもタダで。」
「はい。」
「はいじゃないが。」
「え?で?」
「え?」
「すいません。それから先が今ひとつ俺には見えんがです。」
「だからぁバイト君さ。友達ってもん考えてみなよ。」
「友達ですか?」
「そうだよ。友達ってどんな属性の人間?」
「属性?考えたこともありません。」
「まぁその大体が自分と主義主張が似通った人間ってこと。」
「あぁなるほど。言われてみれば。」
「主義主張が似通った人間が繋がるってことは、自分の発言などが掲示板みたいに炎上しにくいでしょ。」
「確かに。」
「ということは掲示板とかなんかよりも生産的だと思わない?」
「はぁ…。」
記者は気のない返事をする相馬の様子に苛立ちを覚えたのか、貧乏ゆすりを始めた。
「バイト君ってさ、友達居るの?」
「え?」
「だって説明してもピンときていないみたいだし。」
大きなお世話だ。別にこっちは説明を求めていない。勝手にそっちが解説をしただけだ。それにSNSというものがこの男が言うように非常に有益なものだったとしても、それを手短に説明できない説明力の乏しさに気づくべきだろう。相馬はそう心のなかで呟いた。
「コミュはね。そのネット上のコミュニケーションをリアル世界まで発展させた、SNSの次の段階のモデルケースなんだ。」
この男が言うように、人との繋がりが電子化されることによってコミュニケーションのコストがゼロになったことに意義を見出すとなれば、次の発展段階でなぜコストが発生するコミュニケーションに移行すると言うのか。そもそも主義主張が一緒な人間が集まってネット上で交流することは単なる馴れ合いとなるのではないか。そして慣れ合いにコストをかけるということは生産的であるといえるのか。などと相馬の頭には疑問しか浮かんでこなかった。
ロビーの奥から色白の美しい女性が現れたことに相馬は気がついた。
「バイト君はハタチそこそこでしょ。これからの世代なんだから、もうちょっと世間の流れに敏感になったほうが良いと思うよ。」
相馬の存在に気がついたのか岩崎は彼と距離を保ったまま立ち止まった。
「おい聞いてんのかよ。」
「あ…うん。」
「うん?あのねぇ。」
目の前に透き通るほどの肌をした美しい女性がいることに記者はようやく気がついた。
「ヤバ…かわいい…。」
ー岩崎さん…。
「なぁ、なんかあの可愛い子こっち見てるんじゃないか?」
「え…ええ。」
「あれぇ俺、なんかちょっと今日、中継ってことでキメすぎたかな。」
仕立ての良い紺のジャケットに白パンを合わせた記者は緩めていたネクタイを改めて締めた。
岩崎は辺りを見回した。相馬と記者以外にこの場には誰もいない。携帯を取り出した彼女はちらっとそちらに目を落として、こちらの方へ近づいてきた。
「やべぇ。どうしよう。」
にやけた記者はそわそわし出した。
「あの…。」
「はい?」
「ひょっとして北陸新聞テレビの方ですか?」
「え?なんで分かったのかな?」
「あ、やっぱりそうだったんですか。コミュの岩崎です。」
「へ?」
「今日の取材の対応をさせて頂きます。」
「あ、ああ!! 申し訳ございません申し遅れました。私北陸新聞テレビ報道部のものです。」
とっさに立ち上がって記者は彼女に名刺を差し出した。
「今日はよろしくお願いします。」
「あ…こちらこそ。」
「あなたが広報担当の岩崎さんですか。」
「はい。」
楽しげに岩崎に話しかける記者と対称的に岩崎は言葉少なだった。記者の話をよそに時折その横に立つ相馬の姿を彼女は横目で見た。
「あぁすいません。こいつカメラのアシスタントやってるバイトなんです。」
面倒くさそうに記者は相馬を岩崎に紹介した。
「どうも。」
「あ…どうも。」
「おいバイト君。」
「はい。」
「はいじゃないよ。こっちは広報さんと打ち合わせがあるの。君はさっさと安井さんと一緒にスタンバってよ。」
「あ、はい。」
相馬はそそくさとその場を後にした。
「すいませんね岩崎さん。あいつぼんやりしてて。」
「…いえ…。」
「ただいまー。」
玄関扉を開くと家の中は静まり返っていた。
「久しぶりに速攻で帰ってきたっていうげんに、あいつも京子も留守か…。」
リビングの冷房をつけ、彼は着替えのために寝室がある2階へと足を進めた。階段を昇りきりいつものように寝室のドアを開こうとしたとき、彼の足が止まった。次の瞬間彼の手は京子の部屋のドアノブをそっと回していた。
「ごめんくださいっと…。」
小声でこう言って彼は恐る恐る部屋の中に入った。片倉が京子の部屋に入るのは彼女が中学生の頃以来のことである。彼女とコミュニケーションをとるのは専ら家族の共有スペースであるリビングかキッチンだった。お年ごろの女性のプライバシーの塊である部屋に男が足を踏み入れることをタブー視していたためだ。
遮光カーテンによって部屋の中は暗かった。片倉が壁の照明スイッチを押すと娘の部屋の中が明らかになった。意外と綺麗に整理されている。京子は昔から本や漫画が好きで、片倉はよくおねだりされた。それらは今、部屋にある本棚にちゃんと仕舞われている。片倉が一方的にこれも面白いぞといって買い与えた歴史モノの漫画も読んだかどうかは分からないが、本棚にあった。
京子の机の上に一冊の手帳が置いてあった。
「ちょっと見せてもらうな。」
それを手にした片倉は読むわけでもなくただパラパラと捲り、暫くして手を止めた。
そしてふっと息をつき、それを閉じて元通りにした。
「ごめんな。お前まで巻き込んでしまって…。でも…良かったな。」
こうつぶやいて部屋を出た彼は、廊下を挟んで向かい側にある寝室で着替えをすることにした。
クローゼットの中の衣装の殆どは妻のものである。片倉の服は数少なく、決まったものしか無い。彼は部屋着であるジャージを衣装ケースから取り出した。
「あれ?」
クローゼットに掛けられているはずの妻のワンピースが無くなっていることに片倉は気がついた。
「おいおい…勘弁してくれや…。」
片倉はクローゼットを漁り始めた。
彼が探しているのは妻がここぞという時に着用する勝負服的な性格のワンピース。ビビッドな色使いの海外のブランド物である。
「マジかいや…友達と旅行にいくだけで、ここまでするけ…。」
ため息を付き肩を落とした彼はジャージに着替えること無く部屋の窓を開け、ベランダに出た。そして夕暮れ時の空を見上げ、その場で煙草を吸い始めた。
「17時半か…。」

 

相馬尚美によって写真で収められたその瞬間の片倉の姿は、それをメールで受け取った相馬卓にとっても疲労と憔悴がにじみ出ているように感じられるものであった。