第七十五話

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第七十五話
五の線2 第七十五話
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「どうしたん?さっきから時計ばっかり気にしとるけど。」
「え?…う、ううん。」
岩崎は手にしていた携帯電話を長谷部の指摘を受けて即座にしまった。
金沢駅隣接のファッションビル最上階にあるコーヒーチェーン店で、長谷部と岩崎は向い合って座っていた。
時刻は17時半。平日ということもあって店内は空いていた。
「どうしたの…。」
緑色のストローを咥えて先ほどから自分の様子をチラチラ見てくる長谷部に彼女は困惑した。
「…やっぱり元がいい人ってシンプルな格好しても栄えるんやね。」
山県久美子の店で新たにコーディネートされた岩崎の服装は変わっていた。
岩崎が持参した洗いざらしの比較的色が濃いグレーのTシャツに何をどう合わせるかということで、久美子が出した解が長谷部に前にあった。
ボトムスはダメージジーンズ。裾をロールアップし、素足にスニーカー。以上である。
「多分、長谷部君が買ってくれたこれが効いてるんじゃないのかな。」
岩崎は右腕に巻かれたシルバーのブレスレットを彼に見せた。
「んなら良かった。」
「これ…本当に良かったの?」
「あぁ、別に。似合っとったから。」
「でも結構な値段だったよ。」
「いいんやって。気にせんといて。人の好意は素直に受け止めるもんやよ。」
「…ありがとう。」
「こっちこそ大丈夫やったん?」
「え?ううん。なんてことないよ。」
長谷部はティアドロップ型のサングラスをずらし、その間から岩崎を見た。
「そう?」
岩崎はくすりと笑った。
「何ぃね。」
「…何か、長谷部君って顔の作り濃いじゃない。」
「ははっ。」
「それで、あの店でストールまで買ってそれ首に巻いてサングラスだから、まるでイタリア人みたい。」
長谷部は白のシャツに細身のジーンズ。腕まくりされたシャツからは小麦色の腕が露出し逞しさを感じさせる。足元は素足に濃紺のデッキシューズ。淡いグリーンのストールを首に軽く巻き、首元にアクセントをつけ、サングラスである。髪はオールバックのように後ろへ持って行き、メリハリの聞いた顔の造形を強調している。
「変け?」
「ううん。素敵よ。」
「え?マジ?」
「うん。」
傍から見ればこの二人は一見外国人カップルのように見える。長谷部に対して岩崎は色が白く、どこかロシア系の雰囲気が漂う。異国情緒溢れる二人が一方は金沢弁を話し、一方は流暢な日本語を話しているところから、周囲の人間は必然的にそちらに目が行った。
「さっきから人の目が気になるの。」
「あぁ、俺も。どうせ濃い顔もん同士、外人やと思われとれんろ。」
「ガイジン?」
「ああ外国人。」
「外国人ね…。」
岩崎の表情が暗くなった。
「気にせんでいいよ。人間、自分にないもん持っとるもんには妬みとか持つもんや。俺らは見た目の面で他人よりちょっと得しとるってことで折り合いつけたほうが良いよ。」
「見た目か…。」
「え?どうしたん?」
「あ…あ、ああ、なんでもないよ。」
岩崎の鞄の中からバイブレーションの音が聞こえた。携帯を手にした彼女の動きが止まった。
「どうしたんけ。」
「…ごめん。長谷部君。私、ちょっと予定入ってたの忘れてた。」
「え?何の?」
「うん…ちょっと…。」
岩崎はいそいそとテーブルの上を片付けだした。
「ほっか、残念やわ。」
「ごめん。」
「また岩崎さんとこうやってデートできっかな。」
「デート?」
「うん。これって立派なデートやと思うよ。(まだ返事貰っとらんけど…。)」
しばしの間を置いて岩崎は頷いた。
「え!?本当に!?」
「多分…。」
思わず軽くガッツポーズをした長谷部は顔に満面の笑みをたたえた。
「あれ?」
北陸新聞テレビ1階の喫茶店で打ち合わせをしていた黒田は、カメラを抱えて玄関から出て行く安井を見て立ち上がった。
「すいません。ちょっと失礼します。」
そう相手方に断ると黒田は安井の側へ駆け寄った。
「ヤスさん。どうしたんですかこんな時間から取材ですか。」
「おう黒田。あれだよあれ。」
「あれ?」
安井が顎をしゃくった先を見るとそこには中継車が待機していた。
「え?何があったんですか?」
「けっ…何にもねぇよ。ボンボンのわがままだよ。」
「ボンボン?」
中継車の運転席側に立って何かの打ち合わせをしている若い男の姿があった。
「残念。黒田さん。それっすよ。」
「…え?何?どういう事?」
「明日の特集ってそれっすよ。」
「え?」
「あーすいません。お先にいただきました。」
「SNSから派生したリアルSNSでしょ。」
「あ、おう…。」
「結構面白いところですよ。詳しくは明日のニュース見てください。」 59
「あの野郎…。」
黒田は怒りがふつふつと湧いている様子だ。
「何だかな、せっかくだからデスクが中継挟んだらどうだって言ってきたらしいんだって。」
「デスクが?」
「ああ。まださ、あいつがネタの構成上どうしても中継挟みたいって言って動くならいいさ。けどな、この中継もデスクのお膳立てってのがどうも気に入らねぇ。」
「毎度の利権・談合・共産主義ですか。」
「まあな。」
「ヤスさん。何の取材だか知ってるんですか。」
「何かよくわかんねぇけどあれだろ。コミュとかってSNSをリアル世界に落とし込んだようなやつ。」
「はい。」
「俺、正直興味ねぇんだよな。」
安井は気だるそうに首を回した。
ー待てよ。これを逆手に取って仁川のネタ引っ張れないか。
「ヤスさん。実は俺もこのネタ追ってたんですよ。」
「え?」
「コミュの運営責任者はドットスタッフの社長である仁川征爾です。今日の中継の時にこいついるんでしょ。」
「あ?仁川?そんな話俺は聞いてねぇぞ。」
「え?」
「何でも紅一点の女がインタビューに応じるって。」
「紅一点?」
「ああ、確か岩崎とかって言う広報担当の女だよ。」
「俺の同級生っすよ。」
三脚を担いだ相馬が安井の側に立っていた。
「あれ?相馬?」
「今日、俺、安井さんのカメアシっすから。」
黒田の脳裏に相馬との昨日のやり取りが再生された。
「黒田さん。俺、別の角度からコミュに入り込みます。」
「別の角度?」
「俺もなんかあそことはちょっと付き合わんといかんことありまして。」
「付き合わないといけない?」
「なんとかせんといかんがですよ。」
「え?何のこと?」
「あそこからひっぱり出さんといかんもんがあるんです。」 53
「相馬。この取材で言ってたあれ、ひっぱり出したことになるのか?」
「いえ、まだです。」
足元を見つめた黒田は相馬の方を叩いた。
「一筋縄にはいかないぞ、相馬。」
「分かってます。」
「離婚には結婚の何倍ものエネルギーが必要なように、一旦踏み入れた組織から抜け出すには凄まじい熱量が必要だ。」
「熱量ですか…。」
「ああ。」
「でも結局のところ、本人がどうしたいか、その意志の力頼みってところもありますよ。」
「その意志を裏付けるもののひとつに周りの力ってもんがある。」
「意志の裏付け…。」
「意識的なもんじゃない。周りがいつも見守ってくれているっていう根拠の無い安心感を与えることだ。」
「黒田さん。難しいこと言わないで下さいよ。」
「難しくとも何ともない。俺は関り合いを持ち続けろって言ってるだけだ。」
「関わりあいですか。」
「得体のしれないコミュなんてもんに身を託した連中だ。心の何処かで自分の存在を証明できる、人との関り合いを欲しているに違いない。」
「そうかもしれませんね。」
「ああ。かつてはその関り合いの力が、仁川の親父の存在を証明し、生き抜く力を授けた。」
「え?」
「あ…いや、何でもない。」
「おーい。行くぞー。」
中継車の側に立つ安井が相馬を呼んだ。
彼は三脚を担ぎ直して急ぎ足で車に向かって行った。