第七十四話

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第七十四話
五の線2 第七十四話
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東京霞が関。合同庁舎内の一室が朝倉の調査第一部長室に割り当てられていた。
「よくもまぁここまで調べあげたもんだ。」
そう言うと朝倉はノートパソコンを閉じ、それを鞄の中にしまった。
ドアをノックする音。
「入れ。」
「失礼します。」
「まぁそこに掛けてくれ。直江主席調査官。」
「はい。」
「当庁の情報を外部に漏洩しているモグラは突き止めたのか。」
「…金沢銀行の件ですか。」
「そうだ。」
「いえ。まだです。」
「手がかりもないのか。」
「はい。」
朝倉はため息をついた。
「直江…。公調はやる気があるのか。」
「は?」
「ここの捜査にはどこか手ぬるさが垣間見える。」
「申し訳ございません。我々が不甲斐ないばかりに。」
直江は朝倉に頭を下げた。
「警察はもう少し泥臭く執念深く捜査する。こんな事だから公調不要論なんかが国会で取り上げられるんじゃないのか。」
「元特捜の人間として部長のおっしゃることも分かります。しかし私は今、ここの人間。返す言葉もありません。」
ため息を付いた朝倉は立ち上がった。
「金沢銀行に侵入した人間は藤堂豪。この藤堂がコンドウサトミの顧客情報を抹消した疑いがある。つまり藤堂はコンドウサトミの情報が警察によって調べられると都合が悪かった。」
「ええ。」
「コンドウサトミとは3年前に石川県で発生した熨子山事件の重要参考人、鍋島惇の偽名だ。」
「はい。」
「この鍋島の口座情報を洗うことで新たな事実が明るにみなる可能性があった。だから藤堂はその情報そのものを消し去った。」
「事実関係の確認ですか。部長。」
この直江の質問に朝倉は答えない。彼はそのまま話を続けた。
「藤堂は守衛を殺害してまで行内に侵入せねばならんほど情勢は逼迫していた。」
「週末の業務時間終了後に発信されたFAXが関係部署の人間の目に止まるのは週明け月曜の朝。その間、銀行は閉まっている。だからなんとしても金曜の夜中に手を打たねばならなかった。そういうことでしょう。」
「俺がなぜコンドウサトミを選択したか。」
「それはコンドウサトミが現在も生きている可能性があるということをお知りになったからでしょう。」
窓の外を眺めた朝倉の後ろ姿は逆光によってはっきりと見えない。
「そうだ。コンドウサトミは鍋島惇でもある。その鍋島が今も生きているとなると、3年前の熨子山事件は未解決事件ということになる。」
「鍋島惇の金主は今川惟幾です。」
朝倉は振り向き、そして頷いた。
「我が公調においてツヴァイスタン工作要因として従前より最重要監視対象であるこの今川が、下間芳夫という別の工作員を介して、あの事件後も尚、鍋島に資金を提供していることが明るみになるとあなたにとって非常に都合が悪い事態となりますね。」
「鍋島惇は死んだと判断したのは俺だ。この俺の判断が間違っていたということになる。」
「それはあなたの責任問題にもなりかねない。」
「確かに。しかしそれ以上にまずいことが発生している。それが何か分かるか?」
「は?...いえ。」
「今言ったその事実を知っているのは直江主席調査官。お前だけだ。」
「はい。」
「つまり俺が言いたいことは分かるな。」
直江は口を横真一文字につぐんだ。
「長官にはお前を人事課長にしたらどうかと言っておいたよ。」
「…。」
「俺もこの歳だ。もう前線で闘う年齢じゃない。お前ら若手がこれからの公安を引っ張っていってくれ。」
「どういう意味でしょうか。」
「俺の意図するところを知り、情報を外に漏らす可能性があるのはお前だけだ。」
「…。」
「調査対象であるコミュに調査員を潜入させようとするも常に何らかのかたちで奴らはそれを察知。先回りし手を打っていた。今回の捜査事項照会書にしてもそうだ。」
「直江、貴様がモグラなんだろう。」
直江は朝倉に何も言わなかった。
「モグラがモグラを探しても何もみつかるわけがない。だから俺はあえてお前をモグラ退治に指名した。」
「…。」
「どうした弁明してみろ。」
「…いいえ。弁明はしません。」
「ならば認めるということだな。」
「ここでのコメントは差し控えさせていただきます。」
「ふっ...いいだろう。お前は優秀だ。誰かさんと違って物分かりが良い。」
「部長がおっしゃる誰かというのがいまひとつピンときませんが。」
「直江、俺の協力者になれ。」
直江は何の返事もしない。ただ朝倉を見つめるだけである。
「人事を握れ。」
「その後は。」
「エスを消せ。」
直江は朝倉を前に含み笑いをするだけであった。
左の人差し指をフック状に曲げると能登半島と似た形になる。
この第二関節あたりの日本海側に能登第一原子力発電所はある。金沢方面からこの施設に行くには、のと里山海道を利用するのが最短ルートである。のと里山海道は内灘町から穴水町までの区間、能登半島を縦断する自動車専用道路。これを利用すれば1時間程度で能登イチに到着する。
この柳田インターチェンジで降りた鍋島はそのまま日本海側の県道に合流。制限速度を守って海沿いの道を、彼は幌付きの軽トラックで北上していた。
県道沿いにはのどかな田園風景が続く。その中に黒光りする瓦屋根、漆喰に横羽目板張りが印象的な家屋が目につき、ここは能登であると実感する。コンクリート造りの背の低い小屋のようなバスの停留所が時折目につくのも能登特有の景色かもしれない。
右前方に見える遠くの丘の上から2基の排気塔が顔を出していた。
しばらく車を走らせると、何台もの乗用車が駐車している駐車場が目に入った。のと里山海道を降りてからというもの、片手で数える程の車としかすれ違っていなかった。それが急にここで多くの車を見ることになり、どこか不自然な感覚を彼は覚えた。
「あれね。」
『能登第一原子力発電所 入口』と書かれた看板が見えると、彼はそれが指し示す矢印通りに車を右折した。
高速道路の料金所のようなゲートがある。ここでセキュリティチェックを受けるのであろう。鍋島はそこにある立て看板の指示通り、アイドリングを止めて車から降り、入場受付の前に立った。
「初めて?」
顔に皺が深く刻み込まれている老夫がぶっきらぼうに声をかけてきた。
「はい。」
「何の用事け。」
「納品です。」
「どちらに納品ですか。」
「事務本部棟に。」
「誰宛ですか。」
「菅さんです。」
「どちらの?」
「保修計画課の。」
守衛はちょっと待てと言って、その場で内線電話をかけた。
「もしもし。あーお疲れ様です。菅課長に納品の方がお見えです。…え?知らん?...ちょっと待って下さい。」
受話器を手で抑えた守衛は困ったような顔で鍋島を見た。
「すいませんが、菅はそのような納品は知らないと申しておりますが。どこかと勘違いされとるんじゃないですかね。」
「いいえ。これ見て下さいよ。」
そういうと鍋島は送り状を守衛に見せた。
受取人には石川電力保修部保修計画課 菅由人さまとある。
「あれ?」
視線を下にずらすとそこに書いてあるはずの差出人欄が空欄であることに守衛は気がついた。
「おい。あんた。ふざけてもらっちゃ困りますよ。」
「あ?」
鍋島の顔を見た瞬間、守衛の威嚇めいた声色が変わった。
「あ…いえ、なんでもありません。」
「おい。どうしたんや。」
鍋島とやり取りしていた者と別の人間が間に入った。
「なんでもありませんよ。」
「そうなの?」
「はい。」
「あの…書類か何か書かないといけなんじゃなかったでしたっけ?」
鍋島の発言に促されて守衛は一枚の書類を彼に差し出した。入場許可申請書である。
「ここにおたくの会社名とおたくさんの名前書いて下さい。」
「はい。」
鍋島はそこに近藤急送、近藤里見と記入した。
「ああ、近藤急送さんね。いつもご苦労さまです。」
「そちらこそいつもご苦労さまです。」
どちらも初見であるはずの2人がこの時既に顔見知りとなっていた。

 

守衛から通行証を発行された鍋島は、そのまま車を事務本部棟まで進めた。