第七十話

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第七十話
五の線2 第七十話
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「…講義びっしり入ってるんじゃなかったの?」
「あ?…まぁね。」
笠舞のショッピングストアで岩崎を拾ってからというもの、長谷部は彼女を直視できないでいた。無理もない。隣りに座る彼女の姿は彼の知る岩崎ではなかったからだ。そう、昨日の晩に京子にコーディネートされた装いであったからだ。もっさりとした髪の毛も綺麗に頭頂部でまとめられている。長谷部の車は、宛もなく金沢市内を走っていた。
「…どうしたん。」
「何?」
「なんかいつもと全然違うから…。」
「変かな。」
「いや…そういう意味じゃなくって、なんちゅうか別人みたいやよ。いい意味で。」
「…ありがとう。」
「なんかモデルみたいやわ。」
「やめてよ。そんなすごい人と一緒にしないで。」
「いや、お世辞抜きですっげぇ綺麗やわ。」
岩崎も長谷部と決して目を合わせなかった。
「…ごめん。」
「何?」
「なんか俺、そっけないレスしてしまって。」
「…。」
車内は沈黙した。沈黙を破ったのは岩崎だった。
「…こっちこそごめんなさい。」
「え?」
「昨日なんて何回もメールくれたのに、ほったらかしで。」
「あ…そ、そうやったね。」
再び車内は沈黙した。
「あの。」
「あの。」
「あ、どうぞお先に。」
「え…そちらからどうぞ。」
なんとも絵に描いたような間の悪さである。2人は自然と笑みを浮かべた。
「どうしたん?昨日学校来とらんかったんじゃないけ。」
「え?」
「岩崎さんが学校サボるって珍しいから、ひょっとしてなんか身体壊したんかと思った。」
「…ううん。身体壊しそうだったから予防で休んだの。」
「へぇ…。なんかしっかりしとるね。」
「そうかな。」
「そうやって。普通は熱出して身体どうにもならんから休むってもんやけど、未然に休むって…なんか岩崎さんらしいわ。」
「体調管理よ。」
「お、おおう。」
「長谷部君に疲れているところ見抜かれちゃったしね。」
「…そうやったね。」
「今日はちょっと気分がいいの。だから長谷部君に連絡した。」
「そしたら今度は俺がつっけんどんなレスか。」
岩崎はクスリと笑った。
「ねえ。」
「ん?」
「長谷部君はなんで私が疲れてるって分かったの。」
「え?」
「私、長谷部君とこの前のコミュで初めて話しただけなのに。なんでそんなことまで分かったの。」
唐突ながら本質を突く質問に長谷部は答えに窮した。
「多分、岩崎さんはお前の事気にしとるぞ。」
「…。」
「気にしとるからお前にあっちから連絡してきたんや。」
「学校に居る時の岩崎さんと、何か違っとったから。」
「え?どういうこと?」
「ほら、岩崎さんって学校じゃ基本的に誰ともつるんでないがいね。それなんにあのコミュの中じゃハキハキしてその場仕切ってさ。正直、岩崎さんの別の一面見て、俺あっけにとられた。」
「ふうん。」
「でもさ、何か違うんげんて。」
「何が?」
「何か、無理しとるように見えた。」
「え…。」
「岩崎さんは気がついとらんかもしれんけど、時々顔に出とったよ。」
「顔に?」
「その場におる参加者のみんなは、自分の身の上話を聞いて欲しくて仕方が無い。ほやから他人がどんな状態にあるか見えんがんかもしれん。ほやけど、ほら、俺、見学しとったがいね。離れて岩崎さんの様子を観察しとると、ふとした瞬間に疲れた感じが出とった。」
「…そうなの…。」
「で、ひょっとして無理しとるんかと思って、岩崎さんを出待ちして声掛けたんやわ。」
長谷部がこう言って車内は再び沈黙した。
「はははは。」
突然長谷部は笑い出した。
「嘘や嘘。」
「え?」
「ごめん。岩崎さん。俺嘘言っとった。」
「え?どういうこと?嘘?」
「あー嘘って言ったらなんか違うか。」
「はい?」
「岩崎さんに言っとらんかったんやわ俺。」
「…何を。」
「俺、相馬送ってからあそこに張り付いとってん。」
「え?」
「遠くの物陰に隠れてコミュの運営側の人らが集まって、なんかえっらい怖い顔してミーティングしとるの。」
岩崎の表情が変わった。
「え?見たの?」
「ああ。何話しとったんかはよく分からんけど、インチョウがさ、岩崎さん指差してなんか言っとった。んで、岩崎さんがっくり来とったん見てん。」
「…そう…見ちゃったのね…。」
岩崎の声に元気がないのを感じ取った長谷部は、助手席の彼女をちらりと見た。彼女は窓の外を眺めていたので、その表情は窺い知れない。
「岩崎さんがコミュの運営の中で何とちったんかは分からんけど…。俺…そんときこのままやといかんって思った。」
「どういうこと…。」
「好きになった女の人が元気を失くしとる。そんなの目の前にして放っておけっかいや。」
瞬間、岩崎の脳裏に相馬の声が再生された。
「他人を好きになることに理由なんかない。好きになってしまったらその相手を所有したい。所有したものは大事にしたい。大事にするには相手のいろいろな問題を解決したい。若しくは手助けしたい。そのために相手を知りたい。その相手が何故か惹かれた浮かない顔をしとる。現状を把握してその問題を少しでも解決させたいって気持ちが、長谷部の観察眼を研ぎ澄ませた。そんなところじゃないんかな。」
 
「好き…か…。」
「…ああ。」
「…どんな感じなんだろうね。」
「え?」
「私、そういうのよく分からないの。」
「あ…あぁ…。」
「だって私、長谷部君のこと何にも知らないもん。」
長谷部は黙った。
「多分、長谷部君も私の事、何にも知らない。」
この流れ、やんわりと断られるパターンではないか。長谷部の心臓が激しく脈打った。
「だから、ちょっと出かけようよ。」
「…え?」
「私、今から言ってみたい所あるの。」
「あ…え…?」
「ひとりで行くのちょっと勇気いるから、長谷部君も付いてきてくれるかな。」
窓の外を見ていた岩崎は初めてその顔を長谷部に向けた。笑顔の彼女の頬には一筋の何かが流れた跡が見受けられた。
「ちょ…あ…うん。」
長谷部はハンドルを切って一路金沢駅方面に舵を切った。
市立図書館のソファに腰を下ろす相馬卓の姿があった。携帯電話を操作した彼は軽く息を吐いて、傍らに置いてあった情報技術系の専門書を開いた。
「再在我面前不要给村上的名字 (俺の前で二度と村上の名前を出すな)。」
「なんであんな事言うげんてぃや…。」
卓の腕が震えたため、彼は時計に目を落とした。
橘からのメッセージだった。
「メールありがとうございます。仕事が急に忙しくなってしまって、暫くあなたと連絡が取れないことになりました。機会を見て連絡します。」
卓はそれに了解とだけ返信した。
携帯電話を手にして、彼は橘に送ったメールを眺めた。
玄関前に立つ鞄も何も持たないネクタイ姿の男の写真。
扉が開かれて、その中に入る瞬間の写真。
女が部屋のカーテンを閉める写真。
その家を立ち去る際に振り向く姿の男の写真。
これらが連続して添付されている。テキストは本日11時52分から1時間の様子とだけあった。
その画面を隣からさり気なく覗き込む男の姿があった。
「いっその事、あの家の様子を監視できるようにあそこにもカメラ常設すればいいんじゃないですか。」
「…。」
「あ、でもそうなると俺に定期的に金を払う理由がなくなりますか。」
「まぁ…。」
「じゃあなんであの人は村上さんを…。」
ランウェア姿にキャップを被った男は卓と目を合わせること無く立ち上がった。
「本当のところはワシにも分からんですわ。」
卓は肩を落とした。
「橘さんも偉くなったら急にそっけない態度ですよ。」
「その人は多分、いま身動きが取れんがでしょう。」
「え?」
「人は必ず報いを受けますよ。」
アキレス腱を伸ばす彼のランニングシューズにはT.Fの二文字が刺繍されていた。
「いや、受けさせる。」