第六十九話

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第六十九話
五の線2 第六十九話
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人里離れた山間の公園に車を止め、タブレット端末を抱えて画面を見つめる男がいた。
「何が楽しくてこんな仕事してるのかな?」
こう言って男はおもむろにベルトを外しだした。そして陰部に自らの手をあてがって自慰行為を始めた。
端末の画面には山県久美子が勤務する店を俯瞰でおさえる映像が流れていた。彼は画面をピンチアウトして久美子を拡大した。俯瞰で捉えるそれは久美子の胸元を的確に抑えた。その時である、彼は手を止めた。
「チッ。」
何が彼をそうさせたのか、男は行為を中断して身を整えた。
「興ざめだよ。」
助手席に置いてあった携帯電話が震えた。
「なんだよ。空気読めねぇ奴ばっかだな。」
男はやれやれといった具合でそれを手にした。
「何だよ。」
「仕事がある。」
「今度はあんたかよ。」
「駄目か。」
「駄目じゃねぇけど。」
「じゃあ頼まれてくれ。」
「内容によるな。たて続けにしくじるわけにもいかんだろう。」
電話の向こう側の声は無言になった。
「早く言えよ。俺はいま、虫の居所が悪りぃんだよ。」
「…能登イチにあるものを届けて欲しい。」
「…能登イチ?」
「ああ。」
「何を届けるんだ。」
「それはお前に言う必要はないだろう。」
「…分かったよ。で、どうやって誰に届ける。」
「駅のコインロッカーにブツが置いてある。そいつをあの施設の予備電源の側に設置しろ。」
「設置…。はっ、何言ってんだよ。そりゃ届けるって言わないだろう。」
男は鼻で笑った。
「方法は鍋島、お前に任せる。」
「情報が足りない。」
「長尾が持っていた能登イチの敷地図もそこにある。」
「バカ言え。セキュリテイがあんなに厳しいところに俺が潜入できるかよ。リスクが大きすぎる。」
「何言ってるんだ。お前の能力を持ってすれば簡単なことじゃないか。」
鍋島は黙った。
「あんた。本気か。」
「ああ本気だ。お前、今川さんにいっちょ前に説教たれたらしいな。」
「なんだ知っていたのか。」
「悪いが俺らは本気だよ。お前が言ってるようなお遊びじゃないんだ。」
「はっ…しかし俺頼みってところが、あんたらの計画の杜撰さを表していると思うぜ。」
「何?」
「あんたらの計画は俺あってのもんだ。もう少しリスクヘッジしたほうが良いと思うぜ。」
「鍋島。」
「あん?」
「もう少し謙虚になれ。」
「何だよ。いまさら。」
「お前の態度如何で代わりの人間に依頼することになる。」
「代役だと?」
「それが意味するところは分かっているだろうな。」
鍋島はまたも黙った。
「お前に言われるまでもない。こっちはこっちでリスクはヘッジしている。お前こそ自分の立場をわきまえろ。」
「…ふっ。お得意の内ゲバかよ。」
「何言ってんだ。お前がやっていることも同じようなもんだろう。」
タブレット端末に目を落とした鍋島は、久美子の姿を眺めた。
「なぁお前は憎いんだろう。」
「何がだよ。」
「出生の違いだけで天と地の程のハンデを背負わされて生きてきた自分。その一方で、たいした苦労もすること無く普通に周りと同じ生活を営むだけで、それなりに生きて行けている平々凡々とした連中。そいつらが憎いんだろう。同じ日本国民でありながらこの差は一体何だ?」
「今更それをぶり返すか…。」
「そんな存在があるだけでも憎いのに、あろうことかお前に仲間であると振る舞う奴が居る。初めはお前をいじめていたくせにだ。いっちょ前に説教たれたり、お前の生き方の軌道修正を図ろうとする奴が居る。そういう存在が憎くて憎くて仕方がないんだろう?」
「…。」
「お前の能力は素晴らしい。お前は賢い。お前の判断はいつも正しい。それなのにそれに異を唱える、能力が劣る存在がある。よく分かるよ。お前の気持ちが。無能な奴は有能な人間に付き従っていれば良いんだ。それがでしゃばって多数決なんて衆愚を持ち出す。民主主義とかくだらんことを言うが、それは自分の判断や決定に責任を負えないものが持ち出す、合理という名の詭弁さ。なんでそんなものにお前がおもねらないといけないんだ?お前のほうが優性なのにだよ。…そう、お前は生まれながらのマイノリティだからだよ。結局は生まれた環境が決定的に違うからなんだよ。」
「なんだ珍しく雄弁だな。」
「お前は愚かな連中の生活を無茶苦茶にしたかった。しかしただそれを単に実行してはつまらない。だからお前はまず赤松の親を殺した。そしてその家庭を壊しにかかった。しかしそこに一色という邪魔者がまたも割り込んできた。くだらん正義感を振りかざしてな。」
「そうだな。」
「どうしようもない愚か者だよ奴は。高校時代に個人戦で最も優秀な成績を収めることができたお前と比べて、あいつは何の成果も残していない。部内の連帯とかを重視するあまり、団体戦では地方大会で2位止まりだ。個人戦なんかは地方大会でベスト4がいいところだ。そんな男が何の学習もせずに、いい年になっても張り切って正義正義。うざくてうざくて仕方が無い。だからお前はそのタイミングで奴に地獄を味あわせてやろうと判断した。」
「もう良いだろう。下間さんよ。ここでそんなことおさらいして何の意味があるんだ。今の俺はそんな昔話に付き合うほど心のゆとりはないぜ。」
「お前は当時の一色のフィアンセを犯し、孕ませた。」
「何言ってんだ、あんた。」
「ファクトだよ。ファクト。俺はお前の全てを知っている。そして理解者でもある。」
「けっ。」
「何度も言う。お前は賢い。お前は村上を利用した。村上の指示を受けて、一色の捜査を撹乱させるために行動に及んだように見せかけた。久美子の強姦は自分の意志によるものであったにもかかわらずだ。さらにその場に穴山と井上という第三者を居合わせて洗脳させ、あたかも彼奴等が自分らでやったもんだと思い込ませた。つまりお前の背景にはお前を利用する誰かが居るかのように演じた。」
鍋島はため息をついた。
「最終的にはお前は憎き一色を自らの手で殺し、村上もその手で葬った。」
「あぁそうだ。」
「かつては同じ剣道部で共通の目的を有していながらも、その内部でゲバルト。これを内ゲバと言わないでなんて言うんだ?鍋島?おい。」
「お仕置きだよお仕置き。」
「はっ、言い換えただけだろ。結局のところお前も人のことは言えないってことだ。」
鍋島は苦笑いをした。
「佐竹と赤松が接触しているらしいな。」
「ああ。」
「どうするんだ。」
「そりゃあもう。」
「好きにすればいいがな、あまり派手なことはするなよ。」
「あんたの忠告だ。一応聞いとくよ。」
「素直だな。いいことだ。」
「しっかし、下間さん。あんた喋り過ぎだよ。無口なあんたがどうしたってんだ。」
下間は黙った。
「事を目前にして気持ちでも高ぶっちまったか。」
「鍋島。お前とは昨日今日知り合った仲じゃない。お前という人間の存在を確認する意味で話させてもらった。」
「なんだよ。」
「能登イチの件、しくじるなよ。」
「…あぁ分かったよ。」
「よろしい。素直が一番だ。」
電話を切った鍋島は再び画面に表示される久美子を見つめた。彼女の首元に光るネックレスが彼の感情を高ぶらせていた。
「一色…。」
「ちょっと出てくる。」
総務部のスタッフにこう言うと、仁川はオフィスを後にした。
ビルのエレベータに乗り込むと彼は携帯電話を取り出して、内輪だけのやり取りができる、自前のSNSアプリを立ち上げそこに目を落とした。
〜以下スレッド内容〜
「ムカつくわ。」
「何がよ。」
「昨日の能登イチのニュース見た?」
「あぁあれね。いつもの感じじゃん。」
「市民の声は声として受け止めるが、現状は運転を止める意志は微塵にもないってよ。なんで石電ってあんなに上から目線なん?」
「俺らの電気を作るために、能登イチ周辺の住民を危険にさらすなんてな。」
「火力で賄えるなら火力でいいやん。なんで原発にこだわるの?」
「あいつら目先の自分らのカネのことばっかだよ。結局自分らだけが潤えばそれで良いんだよ。」
「まさにブルジョアジーだ。」
仁川は笑みを浮かべた。
エレベータの扉が開かれ、彼はビルから外に出た。
「今日のコミュって何か聞いとる?」
「いや。でも幹部だけの秘密会でしょ。」
「え?俺、一般のやつもあるって聞いたんやけど。」
「え?そうなの?」
交差点で立ち止まった仁川は携帯を操作した。
「そうだよ。二本立て。」
信号が青になって彼は歩き出した。彼の書き込みに反応してレスが返ってきた。
「あ、インチョウだ。」
「インチョウ。今日の一般のコミュって告知も何もしてませんけど、どうするんですか。」
「一般は君たち以外の人間に仕切らせる。君たちは秘密会だけでいいよ。」
「え?誰に?」
「心配はいらない。」
こう書き込んだ仁川は腕時計に目を落とした。時刻は15時だった。
「もうすぐ48時間だよ。バギーニャ。」