第六十七話

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第六十七話
五の線2 第六十七話
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MP4動画/オーディオファイル 18.0 MB
「Вы есть то, что?」
「Вы что-нибудь делать в спешке」
「понимание」
「Это хорошо в Юрий」
「Да, сэр」
録音された音源を聞いていた片倉はヘッドホンを外した。
「で、下間は何って言っとるんや。神谷。」
「話し口調から、目上の人間と会話をしているようです。内容は『どうしました?』『何を急いでいるんですか?』『了解』『悠里でいいですか』『かしこまりました』って具合です。」
片倉は頭を掻いた。
「あいつらにとって優先順位がそこまで高くなかったことを、急遽実行することにした。その実行には下間悠里が充てられる。ってことか。」
「悠里といえばコミュです。と言うことはこのコミュで予定外の動きがあるということでしょうか。」
「わからん。」
片倉は六畳間の畳の上に寝転がった。
「通話そのものが傍受できれば変な詮索しなくていいんですけどね。」
「しゃあねぇ。俺らは何か特定の事件の捜査を行っとるわけじゃない。水際捜査に通信傍受なんかこの国は認めてくれんがや。」
「さっさとスパイ防止法みたいのを成立させてくれませんかね。窮屈で仕方ないですよ。」
「スパイ防止法ね…。」
片倉は天井からぶら下がる電灯を眺めた。
「あと一歩やったんや…。」
「え?」
「神谷。おめぇさんがいくつの時か知らんけど、昔な、その法律の成立に体張っとった人がおったんや。」
「えぇそういう動きが国会にあったのは知っています。」
「俺はその運動の中心メンバーを知っとる。」
「え?そうなんですか。」
「あぁ。その人は根っからの保守思想の持ち主やった。」
「興味あります。聞かせて下さい。」
片倉は良いだろうと言い口を開いた。
「1968年。学生運動華やかなりしこの時代、その人は東京第一大学の学生やった。各種メディアに触れとると、その時代の学生さんはみんなその手の運動にのめり込んどったって思うかもしれんけど、それはごく一部インテリ層による運動やった。よって大半の人間はその運動には冷ややかな対応をしとったんや。」
「じゃあなんで、よくヘルメット被ってゲバ棒持った人らが警官隊と衝突する姿をテレビはいつも流すんですか。」
「だから言ったやろ。あの時の強力な運動家は一部のインテリ層やって。そのインテリが何十年か経って社会の主要ポストについて、あの頃の俺らはって感じで昔を懐かしんどるだけや。武勇伝、武勇伝。」
「はぁ…。」
「まぁその運動を冷ややかな目で見とったのが、その人。仮にこの人をAさんとしようか。」
身を起こして片倉は煙草に火をつけた。
「Aさんは当時から左翼革命勢力による日本への間接侵略に危機感を持っとった。純粋な人間は振れ幅が大きい。Aさんはそいつらと対局の右翼思想に傾倒した。」
「極端ですね。」
「しかしその右翼勢力もある事件をきっかけに、社会的に否定された。ほらお前も見たことあるやろ。」
「あぁ立てこもる感じですか。」
「そうや。Aさんはその手段があまりに拙速で幼稚であると判断し、現実路線を歩むことにした。日本政府の中枢に入り込んで、左派勢力の抑えこみを図ろうとしたわけや。月日は経ち、Aさんは見事警備局の主要ポストに就いた。そんな矢先、東京地下鉄爆破テロ未遂事件で国際テロ組織ウ・ダバのメンバーが一斉検挙。世論はたちまちインテリジェンス機能の強化を望みだした。ここでAさんは念願のスパイ防止法を起案。世論を味方につけてその法案は順当に成立するかと思われた。しかしここで予期せぬ出来事が起こる。」
「なんですか?」
「政治家や政治家。」
「え?」
「野党の左派勢力がこの法案に賛成しないのは当たり前。ほやけど敵はむしろ与党にあった。」
「どういうことでしょうか。」
「票にならんがや。」
「あ…。」
「票にならんもんを敵作って無理やり通して変な反発を買いたくないっていうヘタレ根性や。法案を国会に提出すると日本国内における左派勢力の声が大きくなる。んで、それに便乗する形で近隣諸国の反日運動がお盛んになる。結果、友好関係の毀損。経済的にも悪い影響が出る。これが嫌やったんや。」
「そんな…。」
「まぁあの時代は近隣諸国の経済力の台頭が目立っとった時代やったしな。日本の景気回復はそれらの国に寄って立つところが大きかった。あんまり外交上で波風を立てたくなかったんや。」
「大人ですね。」
「さあな、大人かどうかは俺はわからん。まぁそんなこんなでAさんの企みは反対多数で否決。Aさんは失意のうちに中央から去ることになったってわけや。」
「何か、皮肉なもんですね。」
「そうやな。」
「そのAさんは今、どこで何をしてるんですか?」
煙草の火を消した片倉は凝った肩をほぐすために、首を回した。
「神谷。俺さっき言ったやろ。」
「え?何のことですか。」
「ほら純粋な人間は振れ幅が大きいって。」
「振れ幅?」
「その人はいま、レフトを守ってるよ。」
金沢駅構内の喫茶BONの片隅に岡田の姿があった。携帯の液晶画面を指でなぞり、無心で何かのゲームをする彼の傍らには求人誌があった。
「勤務中の久美子は大丈夫や。今のところお前があいつを監視せんでもいい状況になっとる。」
「え?」
「ほやけど休みの時の久美子の動きまでは追えん。そこはお前がしっかり見守ってやれ。」
「ほんなこと言われたら俺のすっ事なくなれんてなぁ。」
誰に言うわけでもなく彼は呟き、時計に目をやった。
7月16日水曜日。時刻は正午である。監視対象の山県久美子は今日は出勤している。彼女は父が運転する車でここに隣接するファッションビルに送られた。彼女がビルに入るところを確認して岡田はここにいた。既にそれから4時間が経過しようとしていた。コーヒーは3杯おかわりした。さすがに意を痛めつけている。コーヒー・煙草、コーヒー・煙草の繰り返しは確実に彼の心身を蝕み始めていた。
「すいません。」
岡田の呼びかけに森が応じた。彼はオーダーシートを手にして岡田の前に立った。
「ご注文?」
「ここってランチとか無いんですか?」
「ランチ?」
「ええ。」
「ごめんなさいね。ウチは飲み物とケーキぐらいしか用意できないの。」
なるほど。昼時にもかかわらずこの店に人気がないのはそういった理由からか。店内を見回した岡田は納得した。
「じゃあ何かサンドイッチみたいなもんはできませんか。」
「できないこと無いけど…。」
「じゃあお願いします。」
「お客さん。がっつり食べるなら駅の中にもいろいろお店はあるわ。お昼ごはんを適当に済ますのはからだに悪いわよ。」
「いいんですよ。ここで。」
「なんで?」
「ここが一番落ち着きそうや。」
「あらまあ。」
森はまんざらでもない表情を見せた。
「お客さん。見かけない顔だけど、どうしたの?朝からずっとここに居る。」
「あぁ、まぁちょっとね。」
店の電話が鳴ったため、森は奥に引っ込んだ。森の後ろ姿を目で追うと、カウンター席の側にマガジンラックがあることに気がついた。この店に来てから持参した文庫本を読むか携帯電話でゲームをするかの2つのことしかしていなかった彼は、そのマガジンラックに収められている雑誌に一風変わった何か面白い情報はないものかと物色することにした。
雑誌類は漫画雑誌と週刊誌、地域情報紙であった。岡田は漫画雑誌を定期的に読んでいない。読み切りの漫画がそこには掲載されていないことを知ると、彼はそれを片付けた。次に週刊誌。大物女性アイドルのスキャンダルらしき記事タイトルが目を惹く。しかし岡田はその手の芸能関係には疎いため、それ以上手が伸びない。止む無く関心もないのだが、地域情報紙を手にしてそれをパラパラと捲った。「美モテ夏女」と銘打った、レディスファッションの記事に目が行った。そこには聞いたこともない不自然な日本語が飛び交っていた。「ゆるふわパーマでモテ度アップ」とか「この夏マストバイのオールインワンとセットアップ特集」とかその手の業界に感心を示さない男にとって正に意味不明な言語である。理解不能と判断した岡田はそれをたたんでマガジンラックにしまおうとした。
「だめよ。」
森が電話越しに誰かを窘めていた。
「なんでって…。ダメなもんはダメなの。」
岡田は耳をそばだてた。
「あの娘はそうやって表にあんまり出したらダメなの。ようやく服の世界にちょっとだけ興味をもったんだから、そっとしておいてよ。久美子。」
「久美子?」
ふと何かに気がついたのか、岡田は再度地域情報紙を開いた。そこには県内のアパレルショップのオーナー達が今年の夏イチオシ商品を自分の店からピックアップしている記事があった。その中のひとつに森が写真付きで載っていた。
「え?」
森の写真の横には店の外観が掲載されている。それは久美子が勤務するショップと同じものだった。
「いい?私があなたにお願いしたいのは、その子がまたそこに来たらあなたが直接接客して、この世界は別に怖くないよって感じで、その子の警戒心を解いてあげてってこと。」
ー警戒心を解く?
「売りつける感じはダメよ。こんな世界もあるッて感じでいろいろ試させてあげて。極論したら売らなくてもいいわ。」
ーなんや、誰のこと言っとるんや。
「何?私、変かしら?ふふっ…ごめんね、ちょっと入れ込んでるの。久美子には関係ないわ。」
森は意味ありげな笑いをこぼした。
「確かにあの子はここらへんにはいない綺麗な子よ。だからって言って若葉マークの子にいきなりモデルってのは、あなたこそどうかしてるわ。はじめてこの世界の扉を開こうって子には、それなりに丁寧な対応しないと。これからのお客さんを逃しかねないわよ。」
ーモデル?
「いい?わかった?わかったらそんな感じで対応してね。え?…たぶん今日ぐらいにまた来るわよ。」
森は電話を切った。
「モデルってなんですか?」
「うわっ。」
岡田の存在を忘れていた森は思わず素の声を出してしまった。
「な、なによ…ひとの電話盗み聞きかしら。」
「ぁあ、別にそんなつもりはなかったんやですけど。」
咳払いをした森はサンドイッチの用意を始めた。
「…久しぶりに見たの。」
「何をですか。」
「誰が見ても綺麗だなぁって思うような女の子。」
「へぇ…そんな人っているんですかね。」
「あなたまだ見たことないのよ。パッと見は地味そのものなんだけど、原石っていうのかな。磨いたら宝石みたいに輝く可能性を秘めている子。」
「あぁそれで若葉マークってことですか。」
「まぁ。」
「いいですね。俺も見てみたいですわ。その純粋に綺麗な子ってのを。」
「見れるといいわね。」
「え?今日ぐらいに来るんでしょ。」
「え?」
岡田は雑誌の中の森が掲載されているページを開いて見せた。
「ここでしょ。マスターの店。」
「あら…わかっちゃったかしら。」
「はい。山県店長のことをちょっと伺ってもいいですか?」
森の手が止まった。
「ひょっとして、あなた警察の人?」
「いいえ。」
「じゃあ警備会社の人かしら。」
「そうです。」
「…トシさんから聞いてるわ。」
「え?」
「私もあなたに話があるの。」