第六十三話

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第六十三話
五の線2 第六十三話
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「まぁとどのつまり、ウチの偉い方が鍋島の存在を隠蔽したってことや。」
「そんな…馬鹿なことが…。」
十河はふっと息をついた。
「県警本部の本部長でさえその存在を隠したがる存在。つまりバケモノや。」
「なぜそこまでして。」
「何やろうな。鍋島が生きとるってことがバレて具合が悪いことがあるんやろう。」
「じゃあその本部長が鍋島となんらかの利害関係があるってことか。」
「普通ならそう推理する。」
「ったく…何なんだよ、あんたら警察は。」
「勘違いせんでくれ。警察自体はそこまで腐っとらん。その象徴が一色の存在や。」
「でもその一色は死んだ。あんたが言っているその警察の幹部が、鍋島の存在を隠蔽したとなると、あいつの死は無駄だったってことになるんじゃないのか。」
十河は遠くを見つめた。
「無駄になるかはこれからにかかっとる。」
「これから?」
「あぁ。多分そうや。あの人は確かに死んだ。ほやけどその意志は確実に受け継がれとる。」
佐竹は黙った。
「佐竹さん。赤松さん。あんたらだって一色の意志を何らかの形で引き継いどれんろ。ほやからこの時間にこの場所にふたりして居る。」
「十河さん。」
赤松が口を開いた。
「鍋島って男は極めて注意せんといかん男です。」
「それは分かっとります。」
こう言って十河は佐竹を見た。
「ほやけど佐竹さん。あんたさっき、鍋島を殺さんといかんとか言っとったな。あれはいかん。」
佐竹は口を噤んだ。
「いちおうワシは警察や。あんたがそんなことをしでかしたら、ワシはあんたを捕まえんといかん。それこそ鍋島の目論見通りってことになりはせんかね。」
赤松は頷いた。
「一色という男はそれを望んどるとはワシは思えんけどな。」
十河は煙草を咥えた。
「いくら鍋島がバケモンやって言うても、一色は警察。その警察のお偉方がバケモンを飼っとる。飼っとる?ははっ、飼われとるんかもしれんけどな。まぁそんな自分の組織が絡む状態で私刑なんてことは絶対にせん。しかるべき措置を講じるはずや。」
「なんでそんなことがあなたに言えるんですか。」
煙を吐き出した十河は遠い目で佐竹を見た。
「熨子山事件を考えてみぃ。一色は村上と鍋島の2人に直接接触を計っとる。あいつがもしも私刑を下そうって言うなら、その場で2人を射殺。以上や。けどそれはなされんかった。」
「それはあいつらの背後にある本多とかマルホン建設とか仁熊会とかも一斉に叩き潰すために、そこで一色ひとりが先走った事ができなかったってことじゃないですか。」
「違う。」
「何で?」
「じゃあ聞く。それならなんで一色は村上と鍋島に直接会う必要があったんや。粛々と強制捜査の日を待てば良かったんじゃないんか。」
「…確かに。」
「まぁ事の真相はワシには分からん。ほやけどワシはあの一色っちゅう男を知っとる。ぱっと見、血も涙もない男のように見えるけど、その実暑苦しいまでの正義感をもった男や。あいつのことや本当の最後の別れを告げに行ったんじゃねぇか。」
暑苦しいまでの正義感。それは佐竹が山県久美子に言った一色感である。佐竹は久美子に身を守ると宣言した。それを実現するために鍋島という人間を殺処分するというのか。それが久美子の交際相手だった一色がやりたかったことなのか。正義なのか。
「ワシが今のところあんたらに言えることはこれぐらいや。」
携帯灰皿を取り出して十河はそこに吸い殻を仕舞った。
「あんたら、鍋島をどうしたいんや。」
「え?」
「具体的に鍋島をどうしようとして、いまここに居るんや。」
「…仇をとりたい。」
「仇ね…。それがあいつを殺すってことか?」
周囲はしばし沈黙した。
「十河さん。」
赤松が口を開いた。
「ん?」
「さっきも言ったように鍋島は本当に危ない。」
「だからって言って殺処分っていうのはあまりにも飛躍しとる。」
「でも、それをせんといかんくらいあいつはヤバい。」
「何故?」
「鍋島は一般的な頭脳の明晰さもさることながら、俺ら常人には計り知れん能力を持っとるんですよ。」
「例えば?」
「十河さんは先先の先って言葉知ってますか。」
「武道の世界の言葉ですな。」
「ええ。鍋島はそれができる男です。こちらの心の動きをつぶさに捉えて気が付くと一本を取られている。これが鍋島っていう男の攻め方です。」
「ほう。」
「十河さん。あんたは俺らの高校時代の鬼ごっこのこと知っとるみたいや。」
「あぁ知っとる。」
「あんたが鍋島で鬼側やったとしたら具体的にどういう作戦をとります?」
十河は思案した。鍋島は驚異的な運動能力を持っている。しかし広大なフィールドで何処にあるかも分からない目標を全て捕まえる術を見出すのは、彼にとって容易ではなかった。
「鍋島は元々軍事関係のことに精通してました。」
この赤松のヒントに十河は反応した。
「その知識をグループの連中に教えて、組織的に各個撃破ですか?」
赤松は首を振る。
「普通ならそうするがでしょう。現にあいつは頭がいい。説明も上手い。ほやけどあいつはそんなことせんと自分の分身を作り出すんです。」
「は?」
「グループの人間を鍋島にする。」
「え?意味が分からんです。」
「さっき先先の先について話しましたよね。それは相手の心の動きをつぶさに捉えることに極意がある。然しあいつはその心そのものを支配して他人を意のままに操る術を持っとった。」
「え?」
「得体の知れない洗脳術ですよ。」
「洗脳?」
十河はそんな馬鹿なという表情で二人を見た。
「鍋島はそのグループ内の人間を一時的に自分と同じ思考にして、自分の分身を作り出した。回りくどい戦術論を仲間に説くことなく、素早く結果を出す。」
「はっ、オカルトにも程がある。」
「まぁ一般的な人ならそう断じるんでしょうが、俺らはそれを経験しとる。」
「まさか、具体的には?」
赤松はここで黙った。
「ほらほら。もっとマシな話をしてくださいま。この期に及んで警察を煙に巻くような事はやめましょう。こんなやり取りしとる間に事は悪い方へ進んどるかもしれん。」
「俺らには記憶がない。」
佐竹は呟いた。
「...は?」
「俺らはその時の鬼ごっこの記憶がまだらなんです。」
十河は赤松を見た。彼は佐竹の言葉に頷いている。
「まだら?」
「記憶が飛び飛びなんですよ。赤松も俺も。」
「え?」
「昔のことだからそうなってもおかしくない。それにしてもあるところでぷっつり記憶が無くなっている。」
「ぷっつり?」
「そう鍋島と同じ組の時、これからの打ち合わせをしようってところまでは結構覚えているのに、鬼ごっこしている最中の記憶が無いんです。気がついたらそれが終わっていた。」
「え?それは赤松さんもですか?」
赤松は頷く。
「俺も赤松もあるところで記憶が切れてるんです。」
「あるところ?」
「…あいつの目を見たところ。」
「目?」
瞬間的に十河の脳裏にサングラス姿の鍋島の顔が浮かんだ。
「まさか…。あいつが常にサングラスをかけとったのは…。」
「そう。他人に変な暗示をかけるのを防ぐため。」
「そんな…だらな…。」
「一色もそれだけは気をつけろって言ってました。」
「…え…一色?」
「はい。」
「十河さん。俺らには俺らなりの掟みたいなもんがあるんですよ。」
「掟?」
「北高剣道部の部内の揉め事は部長が全責任をもって処理しろ。」
「え?ほやけどその部長の一色は。」
「ええ。そうなんです。だからあいつの代わりを誰かがしないといけない。」
「それがあんたらやと?」
「はい。」
「そこがワシにはいまひとつ分からんのや。こういっちゃあなんやけど、たかが高校時代の部活の取り決めですわ。」
「十河さん。あなたは何で鍋島を追っかけてるんですか。仕事だから?」
「うっ。」
「そうじゃないですよね。あなたは一度は警察手帳を放り出した。仕事だからじゃない。じゃあなんだろう。」
「…。」
「多分、あなたなりの価値観が沸騰しているから。」
「価値観の沸騰…。」
「人間誰しもできれば自分の思うように事を運びたい。そう思った時点で自分っていう存在は世間一般の存在よりも上位にある。それを人は神という。鍋島は他者を自分色に染め上げる力を持つということで、その存在に近づいた。」
「神ね…。」
「これに一色は既に気がついていた。彼は鍋島の才能を持ってして神とは言わず天才と言った。しかし一色はその天才はあるもとと表裏一体だと言った。」
「それは?」
「狂人。」
「狂人?」
佐竹は頷く。
「今になってようやく俺は一色の思考が理解できた。一色という男に話を戻しましょう。奴は口は悪いが鍋島のように誰かを自分色に染め上げるなんてことはしない。何事にも最善は尽くすが最後は現場に委ねる。価値観を押し付けるようなことはしない。翻って鍋島はどうでしょう。他者を染め上げて自分自身が神に近づくっていうのは何かに似ていると思いませんか?」
「鍋島は…残留孤児。」
「そう彼の国の統治制度である共産主義です。あの国は指導部=神みたいなもんですから。」
「ということは、一色と鍋島の衝突は…。」
「イデオロギーの衝突。」
「ワシらは押し付けられること無く自由意志で一色の考えを尊重しとる。」
「そう、俺が犯しかねなかった法の精神を尊重する立場です。」
佐竹は十河に手を差し出した。
「十河さん。ありがとうございました。あなたのおかげで俺は一線を超えなかった。」
十河はニヤリと笑って佐竹と赤松との間に固い握手を交わした。
「なるほど。それで公安ってわけか。」