第六十一話

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第六十一話
五の線2 第六十一話
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着信音が鳴る
「おい…。」
赤松の顔から血の気が失せていた。
「なんで携帯が鳴っとるんや…。」
佐竹は携帯を手にしたままそれがなる方へ歩き出した。
「おい…佐竹…。」
「赤松も来い。」
「だらな真似すんなや…。おまえその先には…。」
「いいから来いよ。」
「くっ。」
赤松は恐る恐る佐竹の後ろに付き従った。
着信音の音量が大きく聞こえてくることから、自分たちが目標に着実に近づいていることがわかった。
佐竹は胸元から1本のボールペンを取り出しそれを右手に握りしめた。
着信音が静寂の中に鳴り響いている。
「鍋島。出てこい。」
佐竹がこう言ったにも関わらず、返事はない。相変わらず音が鳴るだけである。
「おい佐竹。」
背後から赤松が声をかけた。
「なぁあそこじゃねぇか…。」
3メートル先の地面で明かりが明滅していた。
佐竹は電話を切った。それによって恐ろしいまでに辺りは深閑(しんかん)とした。闇夜の地表に明滅する明かりだけがある。赤松は自身の携帯電話のライト機能を起動し、その地表に明かりを当てた。
「携帯や。」
「待て。」
そこに近寄ろうとする赤松を佐竹は制止した。
「あいつのことや。気をつけろ。」
この言葉に赤松は立ち止まった。
「お前は俺の後ろを頼む。」
赤松は佐竹と背中合わせに立った。彼の視線の先には先程まで墓参りをしていた一色の墓が闇夜の中にうっすらと照らされている。しかしそれ以外の場所は限りなく暗闇である。
点在する明かりが灯されたキリコが、辛うじてこの辺りを漆黒の闇から遠ざけているが、時折吹く風の音が人間の存在をかき消す。佐竹は全神経を視覚に集中させた。彼の眼球の動きは慌ただしい。冷静に振る舞う彼の首筋に滝のような汗が流れていた。
動けない。それは赤松もそうだった。
この状況は一体どこまで続くというのか。
佐竹も赤松も見えない敵とただひたすらに対峙していた。
佐竹は鍋島を殺すといった。
人を殺そうとするのに凶器を持ち合わせていないとはどういうことか。剣道三倍段などと世間では言うが、これが実効性を伴うとすれば木刀などの獲物を有段者が持ちあわせて初めて通用する。しかし佐竹はいま、申し訳程度のボールペンを持っているに過ぎない。相手はナイフなどの凶器を持っているかもしれない。こうなれば丸腰で死地に飛び込むようなもんだ。しかも相手はインターハイで優勝の実績を持つ猛者の鍋島。段位は同じであれど、実力差は明らかである。
物音
「はっ!!」
猫であった。
赤松は一気に気が抜けた。彼はその場で膝をついた。
次の瞬間佐竹は暗闇に向かって走りだした。
「お、おい!!佐竹!!」
「ああああああああ!!」
佐竹の気迫と足音とは明らかに別の足音と吐息が墓場に木霊する。彼は誰かを追っている。
「赤松!!麓だ!! 麓に向かえ!!」
「お、おう!!」
この佐竹の支持に赤松も走りだした。
赤松の走りは凄まじかった。夜の墓地であるにもかかわらず、居並ぶ障害物に進行を妨げられることはない。ただひたすらに麓の駐車場への最短ルートを猛烈に走った。その動きはまるで風のようであった。
さすがに高校時代に熨子山全体を使った鬼ごっこをした経験があるだけのことはある。彼は熨子山の地形を目ではなく体で覚えているようだ。
ひとつしか無い駐車場に降り立った彼は自分の車と佐竹の車があるのを確認した。
「この車か…。」
見慣れないセダン型の車がそこにはあった。この車の持ち主が今、佐竹が追っている人物か。
赤松は車のトランクから木刀を取り出した。そして深呼吸をした。
足音と荒い息遣いが聞こえてくる。その奥からは佐竹の気迫が聞こえる。
彼は中段の構えをとった。
深呼吸をする。突然の全力疾走のため、猛烈に上がっていた心拍数は若干減少した。
ーおい。肩に力が入っとるぞ。
赤松の脳裏に高校時代の一色の声が響いた。
ー赤ん坊を抱えとるイメージや。力入りすぎると絞め殺してしまうし、力が抜けきっとると腕からすり抜けて、落っことしてしまう。
赤松は目を瞑り再度深呼吸した。足音はもうすぐそこにある。
ー躊躇うな。自分の判断を信じろ。
目を開くと中年の男が立っていた。
「ま、待て。」
木刀の切先は男の正中線を捉え、そのまま彼の首元めがけて飛び込んだ。
瞬間、赤松の体は左側にいなされた。
「待ってくれ!」
追いついた佐竹は男を後ろから羽交い締めにした。
「うわっ。」
「赤松‼︎押さえ込め‼︎」
「おう‼︎」
佐竹と赤松は男を地面に抑え込んだ。
「ま、待て。俺は鍋島じゃない。」
「何言っとるんや‼︎黙れ‼︎」
「け、警察や。」
「は?」
「ス、スーツのポケットに警察手帳が入っとる…。いいからそれ見てみぃ。」
「赤松。ちょっとスーツを脱がしてやれ。」
「お、おう。」
赤松は寝そべる男からスーツの上着を剥ぎ取った。すると彼のワイシャツにはホルスターが装着され、拳銃もそこに納められてるのが確認された。
赤松は急いでスーツの内ポケットを弄った。
「あ...。」
赤松が手にしたものには、十河兼親の名前があった。
「そ…十河さん?」
「え?何?おまえこのおっさん知ってんの?」
「あ、ああ…。」
地面に抑え込まれていた十河はようやく開放された。
「いたたた…。」
「赤松。誰だよ。このおっさん。」
「…熨子山事件のときにウチに聞き込みに来た刑事や。」
「まぁ聞き込みを装って、あんたを見張っとったんやけどな。」
十河はワイシャツを手で払ってその場に胡座をかき、煙草を咥えてそれに火をつけた。
「見張る?」
「ああ。今もそうや。けどヘマしたお陰でこうや。」
十河は肩をすくめた。
「しっかしまぁ、あんたらなんちゅう動きや。佐竹がワシを追っかけて赤松が先回り。ほんで挟撃。こんな真っ暗な山ん中、躓きもせんと一気に駆け下りて。北高時代の鬼ごっこってやつか?」
「まぁそんなところだ。」
「なんで警察がおれらを監視してるんだ。」
「鍋島だよ。」
「鍋島…。」
「あんたらもう気がついとるやろう。あいつは生きとる。ワシはあんたらの警護。んで鍋島と接触するあんたらからあいつの情報を引っ張りだすことが任務や。」
「あんた何言ってんだ。鍋島は死んだ。そうあんたら警察は判断した。それなのに警察が鍋島が生きてるって言ってんのは矛盾する。」
「その通り。矛盾や。」
十河はため息をついた。
「ワシらはその警察の矛盾を正すために今、動いとる。」
「え?」
「佐竹さん。赤松さん。あんたらは過去の北高の人間関係を精算しようとしとる。それに近いよワシらがやっとることは。ワシらの目的とあんたらの目的は通じるところがある。」
煙草の火を消した十河は立ち上がった。
「手を貸してくれ。」
「何を?」
「時間がないんや。あんたらの動きと警察の動きがばらばらやとあいつらにかえって付け入る隙を与えることになる。」
「待ってくれま。十河さん。おれは今ひとつ状況が掴めん。」
「鍋島の携帯が放置されっとったやろう。これはあんたら2人がこの時間にここでそういう行動を取るということがお見通しやった証拠や。」
「え?」
「つまり全てはあいつの想定内。んでその行動がきっかけでワシとあんたらが対面することになったてのもあいつの想定通り。」
「そうか…。」
「こっちがこそこそやってもどうもあいつにはお見通しらしい。ほやからとりあえずあいつのシナリオ通りに動いてみまいけ。」
「わかったよ。」
「おい佐竹。本当にそんなんでいいんか?」
「いいんじゃないか。俺らが単独に動くよりも、警察がバックにいた方が心強い。」
「さすが北高出身は物分りがいいな。偏差値の高さは伊達じゃねぇな。」
「ただ、そのためにはあんたら警察がもっている鍋島に関する情報を聞く必要がある。」
「…。」
「鍋島に対して共闘するなら情報の共有化は必要だ。お互いが持つ情報を共有するのが条件だ。」
「ふん。警察相手に条件交渉か。」
「俺らは熨子山事件の全貌を掴んでいない。あんたも俺らの人間関係を掴みきれていない。ここを明らかにしておくことはお互いにとっていいことじゃないか。」
「あんたらの人間関係?鍋島が残留孤児やって事以外になにかあるんか?」
「まあな。」
十河は時計に目を落とした。
「紛れも無く鍋島ってやつは化けもんなんや。」