第六十話

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第六十話
五の線2 第六十話
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小松市の某コーヒーチェーン店。相変わらずひとりでの利用がほとんどである店の奥の席に相馬卓は座っていた。
「融資部長?」
卓の前に座っていた橘は頷いた。
「おめでとうございます。」
「いやいや。」
まんざらでもない笑みを浮かべて橘はコーヒーを啜った。
「そんでこんな時間になってしまったんですか。」
「うん。」
「あれですか。銀行は今の時期がそういった人事の季節なんですか。」
「いや。ウチは普通春と秋が異動とかの時期なんやけど。なんかしらんけど急に常務に呼び出されてね。」
「へー。」
「なんやウチの部長がどうも精神的に結構参っとるみたいで、長期休暇を願い出たらしいげんちゃ。」
「精神的に?」
「ああ。ほらこの間、ウチの守衛殺されたでしょ。」
「ええ。」
「んで行内に何者かに侵入された。」
「はい。ニュースで知っとります。犯人はどうなったがですか。」
「まだ全然分からん。」
「まじですか。」
「まぁその手のウチの警備関係を統括しとったんが総務部ねんけど。そこの総務部長がさ、実はその責任を感じてなんか分からんけど、首吊ってん。」
「え?自殺ですか?」
「そう。あの事件が起こったその日のうちに。」
「なんなんですか金沢銀行は…。」
「その部長とウチの融資部長は公私共に仲が良くてな。突然の友人の死にがっくりきたんやって。」
「そんなにですか。」
「うーん。今日の朝も言葉を交わしたんやけど、確かに憔悴しとったけど、そこまで精神的にヤられとるようには思わんかったんですけど。」
「まぁでもその手の精神的な奴ってのは、突然がーんって来るって言いますから。」
「突然って?」
「その融資部長って人がどういう精神状態やったか分かりませんけど、ほら鬱で自殺する人とかって、例えば駅で電車待っとって、ふと『あ、このままここに飛び込んだら死ねる』って感じで自殺するって聞いたことありますよ。」
「うそ…。そんな感じで?」
「ええ。まぁそんな風にその部長さんが総務部長の後を追うみたいな、負の連鎖が起こらなかっただけでも良かったじゃないですか。」
「そうですね。」
橘はコーヒーを啜り、煙草に火をつけた。
「銀行ってとこは入った時からノルマノルマ。で、それだけならまだしも社内営業とか各種勉強とかで、ようやくそこそこのポジションに付いてようやく楽ができると思ったら、責任とって自殺ですか。」
「エグい職業ですよ。」
「生まれ変わっても俺は絶対に銀行じゃ仕事できませんわ。」
煙を吐き出し、橘は同意した。
「そこでなんですが。」
「はい。」
「俺が融資部長になったってことはどういうことか分かりますか。」
「と言うと?」
「これで完全に俺は金沢銀行の経営サイドに入り込んだ。つまり金をどこにいくら貸そうがその実務的権限は俺あることになる。」
「でも、ほやからって言って橘さんが部長になった途端、その外国人とか在日への融資が顕著になるとそれはそれでしっぽが出やすい感じになるじゃないですか。」
「そこは心配ない。」
「はい?」
「そこはいいがになるようになっとるんですよ。」
「どういうことですか?」
「相馬さん。あんたみたいな連中が後ろでいいがにしてくれとる。」
こう言うと橘は不敵な笑みを浮かべた。
「はい。」
橘は鞄の中から金沢銀行の封筒を取り出してそれを卓に渡した。
「ご苦労さま。」
卓は何も言わずにそれを自身の鞄にしまった。
「仕事早いね。って言ってもちょっと残念なことに今日は彼女おやすみみたい。」
「ああ、そうでしたか。」
「いやーやっぱりなんちゅうか、確かに若い感じの娘もいいけど、俺はやっぱり三十路程度の女がぐっとくる。」
「橘さんの言っとることも分からんでもないですけど、俺にはそうやってじっと観察するのが趣味っていうのがよく分からんですわ。」
「ちょっとした仕草。何気ない動き。人目がないことをいいことに油断した姿。こういうのがたまらんがですわ。」
「あ…はい。」
「ほら特に見かけとか気にする職場の前線でしょ。このなんちゅうか緊張感を持って接客する姿と、気を抜いた姿のギャップってのがね。いいの。」
「すいません。何度聞いても俺には理解できません。」
「あ、そう。」
頼んでいたお代わりのコーヒーが若い女性の手で給仕された。
「ほら、いまこれ持ってきたのはこのシチュエーションでの彼女の姿。ひとたび休憩に入れば本性に近い姿が垣間見える。人間の多様な側面を見るのが俺にはどうもたまらんがですわ。」
理解に苦しむ。相馬は困惑した表情のまま給仕されたものに口をつけた。
「で、そっちはどうなん。」
「え?」
「ほらご近所さん。」
「あ、ええ。順調に事は進展しとるようです。」
「ほう。」
「今日は物証もあります。」
卓は携帯電話に画像を表示させてそれを橘に見せた。メガネを掛けた若い男が片倉邸の玄関に入るところを遠間から押さえた画像であった。
「あーあ。」
「こいつが家から出てきたのはこれから1時間程後のことのようです。」
「相馬さん。この画像俺にもくれんけ?」
「あ、ええ。」
画像を受信したのを確認した彼はこう言った。
「詰みやな。」
「え?」
「まぁ俺は言ったとおり金沢銀行の融資部長になった。これからはそれなりの振る舞いもせんといかんから、相馬さんとはこうやって面と向かって会うこともなかなかできんくなるかもしれん。」
「それはちょっと寂しいですね。」
「でもちょいちょいメールで連絡報告頼みます。」
「了解です。」
熨子山墓地公園には僅かな月明かりを手がかりに歩く佐竹の姿があった。火曜21時というこの時刻にも関わらず、ここのところどころにはキリコの明かりが灯されていた。しかし盆の最終日である。その数は週末のものと比べて圧倒的に少なかった
暫くしてその周囲がキリコの中の明かりで薄っすらと照らされる1基の墓が目に入ってきた。その墓からは線香の煙が立ち上っていた。
「赤松。」
墓の前でしゃがみ、両手を合わせて目を瞑っていた赤松はその手を解き振り返った。
「待っとったよ。」
こう言うと赤松は明かりが灯されているキリコを指差した。
「コンドウサトミ…。」
「ああ。」
「なぁ。電話でも言ったけど。」
「おう。」
「鍋島のやつ生きてるだろ。」
「俺もそんな気がする。」
赤松は墓参り道具が仕舞われている小さな箱を開いた。
「見てみぃや。母さんがあいつから受け取った現金が入っとった封筒や。」
佐竹はその封筒に書かれているコンドウサトミという文字とキリコに書かれているものを見比べた。
「ほぼ同じだな。」
「ああ。」
「お前に見せたいものがある。」
そう言って佐竹は彼が昔使用していた携帯電話を取り出した。
「ここの着信履歴見てくれ。」
赤松はそれに目を落とした。着信の全てに姓名が書かれている。その中に一件だけ電話番号だけの表示のものがあった。
「その電話番号とこれ見比べてみてくれ。」
もう一方の携帯電話を渡された赤松は彼に言われたとおり見比べた。
「同じ番号や。」
「一方は熨子山事件が発生した12月20日 日曜日 0時58分。で、もう一方は昨日の夜のもの。」
「熨子山事件の時に存在が明るみになったコンドウサトミ。そしていま眼の前にあるキリコのコンドウサトミ。」
「実はもうひとつお前に知らせないといけない話があるんだ。」
「なんや。」
「赤松は一色の交際相手が村上の指示によってならず者にレイプされた話って知ってるか?」
「ああ。何となく聞いた。胸糞悪い話や。」
「実はそのレイプ犯には真犯人がいる。」
「何?」
「その名は藤堂豪。ウチの守衛を殺して行内に侵入しコンドウサトミの顧客情報を抹消した男だ。」
「え?どういうことよ。」
「この藤堂、昔犯した女の父親に接近して俺があんたの娘を味わったとか言ったらしい。」
「なんだって?」
「村上もその当時の実行犯ってやつもおそらくスケープゴート。」
「まじか。」
「どうだ、赤松。」
赤松はしばし沈黙した。
「その回りくどいやり口。相手を仕留めることをまるで楽しむかのようにやる手口。達成困難な目標の完全な達成。全部が鍋島そのものやな。」
「そうだ。だが。」
佐竹は1枚の写真を赤松に見せた。
「これが藤堂だ。顔は別人だ。」
「確かに。鍋島の面影はない。ほやけどあいつなら顔変えるぐらいやりかねん。」
「お前もそう思うか。」
「ああ。」
「じゃあ話は早い。ここであいつの携帯に電話をかけてみる。」
「まて佐竹。あいつとコンタクトとってどうするんや。」
「お前とタッグを組んでぶっ殺す。」
「無理や。無理やって佐竹。一色でさえ無理やったんに俺らだけでできるわけ無いって。」
佐竹は赤松の静止を無視して昨日の夜の不在着信に発信を試みた。
「だら!!お前。待てま!!」