第五十九話

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第五十九話
五の線2 第五十九話
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時刻は20時をまわっていた。

「なぁお前、なにそんなに頑張っちゃってんの?」
人気が無くなった北陸新聞テレビの報道フロアには黒田ともうひとり、若手の記者がいた。
「また特集です。」
彼は黒田の方は見ずにひたすらパソコンとにらめっこである。
「今度は何よ。」
「秘密です。」
「なに?スクープ?」
「いえ。そこまでじゃないがですけど。デスクが随分このネタのこと気に入ってくれて。」
「へぇそうなんだ。」
「明日の夕方のニュースの特集見てくださいよ。」
黒田は肩をすくめた。
「なぁ。俺さ、この会社来てずっとサツ廻りだろ。」
若手の男はマウスを動かすのを止めた。
「サツ廻りは新人記者のやる仕事。ブン屋で散々サツ廻りして、これといった特ダネ引っ張ってくることもできなくて、用済みって事でここに出向。ここでも相変わらず新人記者の仕事のサツ廻り。挙句、特集を任されることもない。」
男は齢30後半。翻って黒田は40半ばである。
「石川みたいな田舎じゃ、世間の注目を浴びるような事件も起きないから俺の出番なんかないんだよね。ああ別に事件が起きてほしいって事じゃないよ。」
「それやったら合間見て何かのネタ引っ張ってくれば良いじゃないですか。確かに黒田さんはサツ担当やけど、一応社会部の記者ですよ。事件が起きないんだったらそれはそれで暇なんやし。」
男のもの言いに黒田はむっとした。
「引っ張ってるよ。」
「例えば?」
「え?」
「例えば何あります?」
なんという上から目線。黒田は憤慨した。
ーそもそもお前は北陸新聞テレビの役員の親戚筋だろう。出世を狙うデスクに入社した時から懇ろにされ、お前は自分でネタ引っ張ってくるわけでもなく、むしろデスクからネタ提供されてこれ取材してこいって具合だ。言われたとおりそれ取り上げて上司のデスクに認められ、評価が上がる。で、デスクはデスクで上役から可愛がられる。まさにある種の利権、談合の象徴だ。その分際で偉そうな口を俺に効くな。明日の特集で取り上げるネタもどうせデスクにこれ取材してこいっていわれたことをそのままやっているだけだろう。お前のようなコネ社員と俺のような人間は仕事の質が違うんだ。俺はお前とは違う。どんなことがあっても自分の力でネタを引っ張ってくる。そのための独自の情報網もある。ネタってもんはただボーっとしていて天から降ってくるもんじゃない。常に周囲に注意を払っているからこそ、社会を鋭く切ることができるんだ。いいだろう俺がそのさわりを見せてやる。
「いま俺が当たってんのはコミュってヤツ。」
「え?」
黒田の言葉を聞いて男はようやく彼を見た。
「何よ。」
ーほらみろ。コミュなんて単語初めて聞いたって具合じゃないか。なんて感度が悪いアンテナだ。これだからぼんぼんはダメなんだよ。
「残念。黒田さん。それっすよ。」
「…え?何?どういう事?」
「明日の特集ってそれっすよ。」
「え?」
「あーすいません。お先にいただきました。」
黒田は唖然としている。
「SNSから派生したリアルSNSでしょ。」
「あ、おう…。」
「結構面白いところですよ。詳しくは明日のニュース見てください。」
「まじかよ…。」
「ええ。」
黒田はうなだれた。
金沢に隣接した野々市市。ここの中央公園にアイドリングしたまま車を止め、車内で携帯電をいじる鍋島惇がいた。日が暮れた公園駐車場に彼以外の車はなかった。
彼は携帯の時計に目を落とした。時刻は20時47分である。
「そろそろか。」
おもむろにエンジンを切り、彼は車外に出た。
日が沈んだとは言え、蒸せるような熱気が漂っている。彼の肌は瞬時にベタついた。
「クソ暑いな。」
このようなことを言うくせに、彼の服装は黒のブルゾン、黒のジーンズ、黒のニットキャップである。言うことと出で立ちが矛盾している。彼は公園から出て街頭がない路地裏を選んで進んだ。
10分ほど歩いたところにバスの停留所があった。停留所と言っても屋根などがあるものではない。単に時刻表が記載された看板がひとつ立っているだけのもの。次のバスは21時8分にここに到着する。彼は停留所に隣接する神社の境内に身を潜めた。
暫くして停留所にバスが停まった。予定時刻より5分遅れていた。乗降口が開かれると4名程度の男女がそこから降りてきた。
「いない…。」
立ち上がった彼は車が止めてある公園に早足で向かった。
ーおかしい。小池田の自宅から最も近いのがこのバス停。平均帰宅時刻は21時。一応2本前のバスから監視してたのに、奴はいない。バスはこれで最終だ。ということは今日は別の方法で帰宅か。
公園に着くと辺りを照らしていた照明が全て消灯となっていた。
ーまさか。
彼はそのまま早足で公園を通過した。
ー今日の小池田の出勤は確認済みだ。しかし奴が金沢銀行を出た時刻までは確認していない。
鍋島は携帯を耳に当てた。
「俺だ。」
「何だ。もう終わったのか。」
「まだだ。確認してくれ。」
「何を。」
「小池田が金沢銀行を出た時刻だ。」
「は?」
「いいから早く確認しろ。」
「わ、わかった。待ってろ。」
3分ほどして折り返しの電話が来た。
「すまん鍋島。」
「どうした。」
「橘のやつ。こっちに報告していなかった。」
「何?」
「小池田は今日の昼に休暇届を出して長期の休みに入ったらしい。」
住宅地を歩いていた鍋島の足が止まった。
彼の視線の先には夜であるにもかかわらず、明かりが消された一棟の住宅があった。1台の車を停めることが出来る車庫には車もなかった。
「なんで報告がなかったんだ。」
「今日付けで橘は融資部部長になった。小池田の長期休暇を受けて。」
真っ暗な家の玄関先には小池田の表札が掲げてあった。
「それで舞い上がってこっちに報告忘れてたってオチか。」
「そう言うのが一番早い。」
小池田邸に背を向けて鍋島はゆっくりと歩き出した。
「まぁ結果的に橘があそこの中枢に入ったって事は良しじゃないか。」
「良しかどうかはわからないぜ。」
「何故。」
「権力に近くなるほど、人間思い切った行動ができなくなるもんさ。ついつい保身に寄ってしまう。橘もそうならないとも言えない。」
「確かにお前のいうこともこれから考えないといかんかもな。」
「今日はナシだ。小池田を消す理由がなくなった。」
「そうだな。」
「それと、これからは橘にも注意しておけ。」
「わかった。」
電話を切った鍋島は歯を強く噛み締めた。
「加賀か…。」