第五十七話

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第五十七話
五の線2 第五十七話
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金沢駅から香林坊までの距離を歩いた岩崎と京子は昭和デパートの一階にある喫茶店にいた。

「どう?」
「…美味しい。」
本当に美味しいものを口にすると、人は自然と笑顔になる。京子と向かい合って座る岩崎もそうだった。相馬周も驚嘆したこの喫茶店のプリンを口に運ぶと、岩崎の顔は綻んだ。
京子は振り向いて自分の背後のガラス越しに外の様子を見た。日は暮れ始めており、家路に着く車の渋滞が始まっていた。
「今日はありがとうね。」
京子が言った。
「え、ううん。こっちこそありがとう。」
「でも本当に良くなったよ。」
「そう?」
「気付かんかった?駅の方からここまで来る間にすれ違う男ら、結構な割合で香織ちゃんガン見しとったよ。」
「そう?全然気付かなかった。」
「本当に鈍感やわー。」
京子は頭を抱えた。
「本当に自分じゃないみたい。」
京子の背後のガラスに映り込む、自身の姿を見つめて岩崎は呟いた。
カバンの中から京子は携帯電話を取り出した。そしてそれをテーブルの上に置き、画像を表示させた。
「これがBefore。」
冴えない姿の岩崎が表示されていた。サイズ感無視のジーパン。ヨレヨレのTシャツ。伸ばしっぱなしでもっさりとりしたヘアスタイル。元来の美貌が全体像をさらにアンバランスにしていた。
「で、これがAfter。」
森に見せてもらったミュールと同じようなシルエットのものを履き、ジーパンはスキニー。トップスには長袖の白シャツにマゼンタ色のカーディガン。どれも岩崎のスタイルにピッタリの絶妙なサイズ感である。シャツのボタンを外して袖をカーディガンごと軽く腕まくりする事でこなれた感じも出ている。野暮ったかったヘアスタイルは頭頂部で団子型にまとめる事でスッキリとし、ノーメイクでもはっきりとしたパーツを持つ彼女の美貌を際立てていた。
「今着とんのはどれもシンプルな服ばっかやけど、素がいいからなんでも映えるんやわ。」
せっかくの容姿が埋没してしまう見てくれであった彼女は別人となっていた。
「みんな香織ちゃんみたいに綺麗になりたいんやけど、元々の顔の作りとか、スタイルとかは流石にどうにもできんしね。わたしも香織ちゃんが羨ましいわ。」
「...そんな事ない。」
「え?」
「そんな事ないよ。京子ちゃん。」
この時の岩崎は謙遜ではなく、京子に対する否定であった。
「私は逆に京子ちゃんが羨ましい。」
「何が?」
「だって京子ちゃんは私にないもの持ってるもん。」
「え?それ何?」
「誰にでもうまく接することができて、おしゃれだし、そしてかわいい。」
「…それは言い過ぎ。それはないよ。」
「あなたは私にはないものを沢山持っている。そう、わたしには到底出きっこないことを平気にやってのけている。誰とも口をきくのを拒んでいた私の心も開いてくれた。」
「心を開いたのは香織ちゃんよ。私じゃないわ。それにきっかけは私じゃなくて長谷部じゃない?」
岩崎は顔を赤らめた。
「と、とにかくあなたには私にはない魅力や能力をもってるの。それに京子ちゃんには相馬くんって立派な彼氏もいるし…。」
京子は少し曇った表情を見せた。
「…違うの。」
「え?」
「私と周ってそういう関係じゃないの。」
「え?そうなの?どう見てもそういう感じだったけど。」
京子は頷いた。
「ごめん…。」
「いいの。そう見えるよね。普通。」
「…うん。」
「あいつ煮え切らないんだ。こっちはいつでもどうぞって感じで周と接しているつもりなんだけど、はっきりしないの。」
「へぇ。」
「長谷部くらい分かりやすく接してきてくれればいいんだけどね。」
京子はそう言うと岩崎を見た。
彼女はまたも頬を赤らめて俯いてしまった。
「香織ちゃん。長谷部のこと好きなんでしょ。」
「え…。」
「さっきも言ったけど、あいつぱっと見はチャラいけどいいやつだよ。」
「違うよ…そんなんじゃないよ。」
「何いってんの。それぐらい分かるって。そうでもないと今まで学校の誰とも口をきかなかった香織ちゃんが、今ここでこんな状態で私と一緒にいるってことは無いって。」
岩崎は黙ってしまった。
「…あの人ってどんな人なの。」
「え?長谷部?」
岩崎は頷いた。
「あいつのことは私よりも周のほうが知っとるよ。だって大学に入ってからいっつもあの2人なんやかんやでつるんでるもん。」
「相馬くんと?」
「うん。私が知っとるのは周経由の情報だけ。だから私の断片的な話を聞くより、直接周に思っていることをぶつけてみたほうがいいんじゃないかな。」
「でも相馬くんって私と話してくれるかな。」
「この間、一緒に蕎麦食べに行ったでしょ。あの時、香織ちゃんもあいつも学校の蕎麦美味しいって話になったじゃない。通じるものがあるんだから、会話も弾むんじゃないかな。」
「でも、相馬くんって京子ちゃんの…。」
「だから、あいつと私は今はただの友達。香織ちゃんも友達。友達同士、いろんな悩みとか話しあうってのは普通のことじゃない?」
「でも何をきっかけにして相馬くんに声をかければいいのかな。」
京子は顎に手を当てて考えた。
「そうや。」
「何?」
「香織ちゃん。コミュってサークルの運営に関わっとれんろ。」
岩崎は一瞬顔をこわばらせた。
「そこ使ってあいつと話してみるのはどう?」
「え…。」
「香織ちゃんがどういう理由で、大学内で人と関わりを持たんようにしてきたんかは、私は知らんけど、そんな人がいきなり大学の中であいつと親しげに話すのもなんか不自然やがいね。ほやし、とにかく話をすることが目的のそのコミュってところにあいつ連れてって、そこで話せば不自然じゃないんじゃないけ。」
岩崎は京子のこの提案に素直に同意できないような顔つきであった。
「そのコミュってやつ。たしか毎週金曜ねんろ。周から聞いとるよ。」
「…うん。」
「あーでもダメか。長谷部がそこに顔出すか。あいつ香織ちゃん命になっとるし。ほんでそこで長谷部放ったらかしで周とばっかり話しとると、あいつ変なヤキモチ焼くかもしれんね。」
京子は頭を抱えた。
「うーん。どうしよう。いまからあいつ呼びだそうか。」
「え?それはちょっと…。」
「うん。そうしよう。」
京子は携帯電話を操作し始めた。
「え、ちょ…ちょっと…。」
「いいのいいの。周、このすぐ近くでバイトやっとるし。直ぐ合流できるよ。」
「え、悪いよ…。」
「それにこんなに綺麗になった香織ちゃんを私以外の人間にも見せたいからね。」
メッセージを送った京子はニヤニヤしながら岩崎を見つめた。
「そうか…。しかしなんで一色はそのタイミングでお前らに、その稽古ってやつをつけたのかな。」
「わからなかったんです。それが。」
「わからなかった?」
「はい。」
「ということは今はその理由がわかったってのか?」
「ええ。でもこればっかりは黒田さんには言えません。」
北陸新聞テレビの1階ロビーには来客者をここで接待するための喫茶店がある。なぜここに喫茶店があるかといえば、応接室のような気の利いた部屋がここの建物には基本的に無いためだ。報道も制作も技術も営業も総務もどこの部署もそのフロアに行けば、その仕事をするためだけの機能しか有していない。外部からの人間が訪れるということは想定外なのである。
営業時間を過ぎたこの喫茶店のなかのソファーに腰を掛けている黒田は、向かい側の相馬をじっと見つめた。
「いいよ。これ以上は聞かない。」
「ありがとうございます。」
「最後に一つだけお前に聞いていいか。」
「はい。」
「熨子山事件は今も続いているのか?」
相馬は黒田のこの問にどう答えようか思案した。
その時である。相馬の携帯に通知が入った。またも断りを入れて相馬はその画面に目を落とした。
「すいません。今日はこれで俺上がっていいですか。」
時刻は19時である。報道部のバイトは皆帰っている時刻だ。
「ああ。すまん。こんな時間まで呼び止めてしまって。」
「ごめんなさい。ちょっと急用が入ってしまって。」
「また何か面白いネタが入ったら教えてくれよな。」
「ええ。近いうちに。」
そう言ってリュックを担いだ相馬は、急ぎ足でその場を後にした。