第五十三話

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第五十三話
五の線2 第五十三話
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北陸新聞テレビのカメラマン控え室で相馬周は携帯電話を弄っていた。
「おう相馬。」
「あ、お疲れさまです。」
「今日は暇だな。」
黒田はカメラマンの行動予定表に目を落としていた。
「そうですね。あんまり気を遣うような取材もないんで、今日は楽です。」
「しっかしまぁ、何だよこれ。いつものルーティンばっかりだなぁおい。」
「いいじゃないですか。いつもどおりで。」
「変わったこと無いことは平和な証拠。良いことなんだけどねそういうの。でもこんだけ毎回同じネタの取材だと流石にマンネリだよ。」
「どうしたんですか黒田さん。」
「あん?」
「その格好。」
黒田は首からタオルをぶら下げていた。それだけならまだしも彼は襟なしシャツに麦わら帽子。傍目にはどこかの農夫かと思われるような出で立ちである。
「変か?」
「変ですよ。サツ回りの黒田さんが何でそんな農家のおじさんみたいな格好してるんですか。」
「こういう事。」
そう言って黒田は丸メガネを取り出してそれを掛けた。
「え?」
襟なしシャツに麦わら帽子姿の黒田は、おもむろに鞄からプラカードを取り出し相馬に向かってそれを見せた。そこには放射能のハザードシンボルが黄色と黒の注意色で印刷されていた。
「え?黒田さん。そんな感じの人なんですか。」
「どんな感じに見える?」
「え、なんかあれですよ…運動家みたいな…。」
「インチョウみたいか?」
「インチョウ?」
「コミュだよコミュ。お前が言ってたやつだよ。」
相馬の記憶が呼び起こされた。
金沢駅近くの会館。30代から40代の男女がそのロビーで群れをなしてコミュの開催を待ちわびていた。直毛の頭髪を真ん中で分けた丸メガネの男が階下の参加者に声をかけると、皆、彼を羨望の眼差しで見上げた。頭上のインチョウの頬は痩せこけており、ひょろ長のもやし男と思えたが、相馬の前に現れた彼の体つきはがっしりとしたもので、暑い胸板と太い腕周りに驚きを感じた。
「え?黒田さん、あれからコミュのことなんか調べたんですか。」
「まあね。」
「あ、すいません。せっかく黒田さんから前金みたいなもの貰ったんに、俺、まだあそこに行ってません。」
「いいんだよ。で、どうだ?」
黒田はメガネを人差し指でくいっと上げた。
「成りは似てますが…体つきが。」
「え?」
「あの…インチョウは黒田さんとは違ってえっらいマッチョだったんすよ。」
「あ、そうなの。」
「なんかのスポーツ選手かと思うくらい。」
黒田は力こぶを作ってみせたが、相馬はそれを見て首を振った。
「でも黒田さんの今の格好はぱっと見、コミュの運営側の人みたいです。」
そうかと言って黒田は一枚の写真を相馬に見せた。
「これは誰だ相馬。」
「え?インチョウでしょ。」
「じゃあこれは。」
黒田はスマートフォンを操作してあるブログ記事を表示させそれを読むように相馬に言った。
「メンター?…なんすか、この気持ち悪い記事。」
「いいから読んでみろ。」
眉間にしわを寄せながら渋々ながらその記事を読んでいた相馬の表情に変化が見られた。
「最後の写真の丸メガネは誰だ。」
「インチョウでしょうね…。ってかなんすかこの気持ち悪い感じの記事。」
「俺が見たところ、コミュってところはこんな人間が集まるところ。」
「え…まぁ確かに気味悪いところでしたけど、こんな人間ばっかりっていう印象は無かったんですが…。なんちゅうかこういう団体やったんですか。」
「正確に言うと、人の悩みにつけこんで、自分らの都合のいい思想に染め上げるって感じか。」
「悩みにつけこむ?」
黒田は頷いた。
「コミュってところが具体的にどういった手法でその悩みにつけ込んでいるのかは俺には分からない。まだ俺はあの中に潜り込んでいいないからね。」
「でもなんでそんな事知ってるんですか。」
「まぁこう見えて俺は一応元新聞記者。それなりに情報源は持ってるよ。」
「じゃあ、俺の出番はなしじゃないですか。」
「え?」
「えって黒田さん。俺にコミュに潜り込んで情報掴んで来てくれって言ってたじゃないすか。」
「ああ、それね。君には期待してるよ。」
「でも、俺なんかより黒田さんがそこに入り込むほうが手っ取り早いような気がするんですけど。」
「ばか。俺じゃ無理なんだよ。なんで俺がいまこんな格好してると思ってんの?」
「え?わかりません。」
「こんな格好しても俺が取ってこれる情報はここまで。コミュの中身までは俺には無理。これ以上俺が深入りすると怪しまれるの。」
「そうなんですか?」
「そうなの。」
「でも不味いところなんでしょ。コミュって。」
「うん。ちょっとヤバめ。」
「黒田さん言ったじゃないですか俺に。不味いって思ったら自分の直感を信じろ。すぐに退けって。」
「何いってんの。お前、あれからまだコミュに行ってないじゃん。俺はね、お前に事前情報を与えているだけ。」
相馬は納得出来ないような顔つきだった。自分がコミュに初めて入った時に感じたのは得も言われぬ不気味な雰囲気であるという事。正直あの空気感は生理的に受け付けない。しかし黒田は自分にコミュへ潜入することを促している。
「あのね。俺はお前に現場ってもんを教えてやろうと思ってんだ。現場が全て。だからといって何の準備もなしで現場に突入ってのは、武器も持たずに戦地に赴くようなもんさ。俺はお前に事前に武器を与えてやったんだよ。」
「あ…はい。」
「だからこんな格好してんだよ。」
相馬は改めて黒田の出で立ちを見た。ここまでして相手方に擦り寄って情報を取って来るのが記者の仕事なのか。相馬は黒田の発言を善意によるものであると信じることにした。
「それであそこに潜入して、そこでさすがにまずいって思ったなら、それでいいよ。引き返せ。」
「はい。わかりました。」
「ところで相馬。お前占いってもん信じるクチか?」
「占いですか?」
相馬は首を振った。
「これも一応頭の片隅においておけ。」
「なんですか。」
「占いってもんはさ、信じる信じないは別として、それを誰かにやってもらった瞬間から支配されるんだ。」
「え?コミュは別に占いとかの場所じゃないと思いますけど。」
「弱い人間は何かにすがろうとする。それは占いとは限らない。存在を認めてくれる者、圧倒的なパワー、包み込むような優しさもそうだ。それを他者に求めた瞬間からその人間はカリスマに支配される。」
「カリスマ…。」
「たぶんそこはそういう救いを求める連中のるつぼだと思うよ。だから自分をしっかりと持って潜入してきてくれ。」
相馬の携帯電話に通知が表示された。
彼は通知画面をサッと見て、黒田に断りをいれてそれに目を落とした。
「やれやれ、最近の奴は何かって言うとすぐ携帯だよ。」
黒田のつぶやきを他所に相馬は口を開いた。
「黒田さん。俺、別の角度からコミュに入り込みます。」
そう言って相馬は片倉京子にメッセージを返信していた。
「別の角度?」
「俺もなんかあそことはちょっと付き合わんといかんことありまして。」
「付き合わないといけない?」
「なんとかせんといかんがですよ。」
「え?何のこと?」
「あそこからひっぱり出さんといかんもんがあるんです。」
相馬が一体何のことを言っているのか分からない黒田であったが、彼の目つきの変化を見て何かを感じ取ったようだ。
「相馬。もうひとつネタをやる。」
「お願いします。」
「インチョウ。いや仁川には気をつけろ。」
「仁川?」
「インチョウ。本名は仁川征爾。コミュの運営責任者であり人材派遣業ドットスタッフ代表取締役。年齢は38。福井県出身。東京第一大学卒。」
「がちがちのエリートじゃないですか。」
「ああ。ただの交流サークル運営の胡散臭いやつってわけじゃないんだ。」
「東一卒の秀才でカリスマがあって、若くして会社の社長ってチート過ぎますよ。」
「学歴なんか社会に出たら関係ないって論調もあるけど、東一ぐらいになると頭の構造そのものが違うんだよな。でないと会社の社長をやりながら、交流サークルなんか無償で運営なんか出きっこないさ。」
「黒田さん。そのドットスタッフってけっこうデカい会社なんですか。」
「いまや飛ぶ鳥を落とす勢いのドットメディカルの関連会社。」
「え?ドットメディカル?」
相馬の目つきが鋭くなった。
「何だよ。」
「ドットメディカルってあれですか。」
「だから何?」
「ほら3年前にマルホン建設と業務提携したとかっていう。」
「おうそうだったな。お前よく覚えてんな。」
「ええ。で、確かそれがきっかけでマルホン建設は仁熊会との関係を断つことができ、当時の金沢銀行の専務の本多が失脚したんじゃなかったでしたっけ。」
黒田の動きが止まった。
「おまえそれどこで聞いた。」
「え?」
「だからどこからそんな情報仕入れたんだ。」
「あの、ネットですよ。」
「ネットのどこのサイトだよ。」
「えっと…ほんまごとってブログサイトです。」
この相馬の言葉を受けて黒田はしばし沈黙した。
「マルKって人が運営してるブログなんですけど、ずっと熨子山事件のことを追っかけとるんです。情報がすごい充実しとって、どうも中の人じゃないんかなぁって思えるぐらいの内容なんです。」
「へぇ…。」
「え?知らんがですか。」
「…ああ、聞いたこと無い。」
「じゃあ一回チェックしてみてくださいよ。黒田さん熨子山事件のことずっと追っかけとるでしょ。っても黒田さんやったら知っとるようなことばっかなんかもしれませんけど、そのサイト。」
「じゃあ折角だから今度見てみるよ。」
黒田は視線を逸らした。
「ってかなんでお前、そのほんまごとってサイト見てんの。」
「俺も興味あるんですよ。熨子山事件。」
「何で?」
「何でって…。」
相馬は困惑した。黒田は黙って相馬の答えを待っている。
「…一応、俺も北高なんすよ。ほんで剣道部っすから。」
「…え…まさかお前、あの時の連中と会ったことあんの。」
「あ、ええ…。」
「誰よ。」
「…一色さんです。」
「マジか。」
「はい。」
今まで仕事の上で何度も接点を持っていた相馬が、熨子山事件の重要人物である一色貴紀とも接点を持っていたとは黒田にとって思いもよらないことであった。
「でも一回だけですよ。」
「ちょ、相馬。そのときのこと俺に教えてくれないか。」