第五十二話

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第五十二話
五の線2 第五十二話
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「あらこんな時間に年頃の女の子がひとり。珍しいわね。」
「あ...後で友達が...。」
「彼氏?」
「いえ...女の友達です。」
「じゃあ注文はその時でいいかしら。」
岩崎香織は金沢駅構内の喫茶BONにいた。店内にはマスターの森と彼女だけ。森は店の奥に引っ込んだ。携帯電話を開くと時刻は14時だった。
「おまたせー。」
濡れた傘を抱えて片倉京子がやって来た。
「岩崎さん。雨大丈夫やった?」
「あ、うん。ギリギリセーフ。」
「私なんか学校出る瞬間にドカーって降ってきて、折り畳み傘持っとったんやけど、全然これ効かんかってんよ。」
傘を片付ける京子の肩は雨のため濡れていた。
「んで、ほら長谷部。」
「あ、長谷部くん?」
「そうそう。あいつこれ見よがしに私見つけて車乗って行く?とか言ってくれん。」
「乗せてもらったらよかったのに。」
「なんでぇね。二言目にはそう言えば岩崎さん知らんけって聞いてくるんやよ。私これから岩崎さんに会おうっていうげんに、そんなウザい話聞きたくないわいね。」
「片倉さんって…厳しいんだね。」
「しかもあいつの車ヤニくさいし。」
傘を片付け終わった京子がテーブルに目を落とすとタバコの吸殻があった。
「あ…。」
「ごめん。私喫煙者なの。」
「あ…ああ‼︎ごめんごめん‼︎岩崎さんは良いの。知っとったよ私。岩崎さんがタバコ吸うの。」
「知っててdisる?」
「ああ…。やっちゃった…。」
項垂れる京子を見て岩崎はくすくすと笑った。釣られて京子も笑った。
「でもね。あいつチャラいけど案外良いとこあるの。」
「え?」
「ほら、岩崎さんはもうわかってると思うけど、あいつ岩崎さんにぞっこんやろ。」
「え?わたし?」
「え?なに言っとるが?誰が見てもそうやがいね。」
岩崎は顔を赤らめた。
「あ。もしかして満更でもない?」
「ちょ、ちょっとやめてよ。」
「あー。」
京子はニタニタと笑った。
「わたし、そんなんじゃないから。」
「なに言っとらん。顔にでとるよー。」
「ちょっと本当にやめて。あの人しつこいんだ。」
「しつこい?ははははは。」
京子はケタケタと笑った。
「ま、でもあいつのお陰でわたしは岩崎さんと仲良くなれた。」
吹き出てきた汗を拭う岩崎の動きが止まった。
「あ、うん…。」
「岩崎さんは私のことどう思っとるか分からんけど、私は岩崎さんとこうやって話せて楽しい。だからあいつには素直に感謝せんとね。」
髪を掻き分けた岩崎は無言で頷いた。
「岩崎さん。この店初めて?」
「うん。」
「ここね。ほらあのマスター見ての通りねん。」
そう言うと京子は右手を左頬にあてがった。
「…そう見たいね。」
「でもすっごいオシャレのことに詳しいげん。なんか昔、東京の方で服飾のデザイナーとかやっとったらしくって、私、あのマスターからいろいろ服の事教えてもらっとれん。」
「そうなの?じゃあ片倉さんの師匠ってこと?」
「なーに?京子ちゃんの友達?」
森がケーキとコーヒーを持ってきた。
「あ、注文してないんですけど。」
「ああいいのよお嬢さん。これは私からのプレゼント。京子ちゃんのお友達なんでしょう。」
「あ、マスター。紹介するね。こちらは岩崎さん。」
給仕した森は岩崎に手を差し出した。彼の服装は体にぴったりとフィットしたもので、言葉遣いは個性豊かなものであるが、握手を交わすその手はゴツゴツとした男のものそのものだった。
「森よ。ヨロシクね。岩崎さんはファッションに興味あるのかしら?」
「え?」
「あら?違うの?」
「マスター。また後でいい?」
「はいはい。」
森は笑みを浮かべて奥に消えていった。
「なに?ちょっと…私、服なんか興味ないよ。」
ジーパンにTシャツ姿のざっくりとした出で立ちの岩崎は困惑した顔つきである。
「てへぺろ。岩崎さんってすっごい綺麗やし、なんかそのままにしておくの勿体無いって勝手に思ってん。」
「え?私?」
「だめ?」
「だめって…ちょっと片倉さんの言ってる事がよく分かんない…。」
「あのーんね。私、服屋さんになりたいげん。」
「服屋さん?」
京子は頷いた。
「私、人の洋服とかコーディネートするの好きねん。岩崎さんって綺麗やしスタイルも良いし、絶対いろんな服似合うと思うげん。」
「ちょっと良くいいすぎよ。」
そんな事はないと京子は首を振り、森に向かって手を挙げた。森はやれやれといった様子で二人の側に立った。
「ねぇマスター。岩崎さんやったら絶対もっと可愛くなるやろ。」
森は改めて岩崎を見た。顔立ちは端正であり、スタイルも申し分ない。しかし地味である。いや地味というよりダサい。無地の黄色のTシャツはサイズこそは合っているが、ヨレている。ジーンズはどこか形が古臭い。極め付けは全体的なコーディネートを無視したごってりとしたシルエットのスニーカーだ。
「もちろんよ。」
「でも…私、そんなのに本当に興味ないし、お金も…。」
「買わなきゃお金なんか要らないじゃないの。」
「え?」
唐突な森の発言に岩崎は反応した。
「わたしのお店の服で試してみるといいわ。」
「岩崎さん。マスターはショップ経営しとれん。」
「素がすっごい魅力的だから、きっとびっくりするくらい可愛くなるわよ。」
「ほらほら。岩崎さん。マスターのオッケー出たよ。」
「え…でも急すぎる…。」
困惑した様子の岩崎を見て京子はゆっくりと口を開いた。
「岩崎さん。私に面白い絵見せてくれたがいね。」
「うん。」
「すっごい面白かった。」
「ありがとう。」
「あれって岩崎さんなりの表現やろ。私もあれ見てなんか岩崎さんに見せたいって思ってん。ほやから今度は私なりの表現を岩崎さんに披露させて。」
「でも…。」
「お願い。」
岩崎に懇願する京子を見かねて森は口を挟んだ。
「京子ちゃん。駄目よそんなんじゃ。彼女困ってるじゃない。」
「でも勿体無いと思わん?」
森は岩崎の横に座った。
「岩崎さんって言ったかしら。」
「はい。」
「あなたが服装に興味がないってのは分かる。それがありのままのあなただもんね。でもちょっとだけ変化をつけると魅力的な人はもっと魅力的になるの。」
そう言うと森は一足のミュールを岩崎に見せた。
「履いてみてくれるかしら。私はこれを履いた岩崎さんを見てみたい。」
「え…ここでですか?」
「うん。」
岩崎は渋々スニーカーを脱いでそれを履いた。
「立ってごらんなさい。」
ゆっくりと席を立った岩崎を見て京子は思わず息をのんだ。スラリとした長い足が素足に履くミュールによってさらに美しく見えた。
「あら。急に色っぽくなったわね。」
そう言うと森は店の奥から姿見を持ってきた。
「岩崎さんも自分で見てごらんなさい。」
「でも…恥ずかしい…。」
「見ればわかるわ。」
恐る恐る映し出される自分の姿を覗き込むと、岩崎はそこで動きを止めた。
「え…?これ?」
「素敵でしょ。」
「すごい…。」
「おしゃれの基本は足下よ。そこを抑えるだけで全然違う。」
二人のやりとりを黙って見ていた京子の顔は笑顔である。
「誰だってこのミュールを履いたら岩崎さんみたいになれるんじゃないの。これはあなただから素敵に見えるのよ。」
姿見を見る岩崎に自然と笑みが浮かんでいた。
「新しい発見が新しい自分に出会わせてくれる。これがオシャレの楽しみなのよ。」
気がつくと岩崎は横を向いたりして姿見に写る自分の姿をまじまじと見つめていた。
「お気に召したようね。京子ちゃん。」
「はい。」
森はカードを取り出して岩崎に渡した。
「これを見せればファミリー会員価格で買えるようになってるから、もしも気に入ったものがあれば使ってね。」
「え?いいんですか。」
「ええ。」
「そんな…。」
「たまにはいつもと違う自分もいいもんよ。」
「じゃあ決まりやね。後でマスターのお店に行こうね。」
岩崎は頷いた。
「じゃあマスターありがとー。」
岩崎と京子を見送った森は携帯電話を取り出した。
「もしもし。久美子は?」
「あー店長は今日はお休みです。」
「あ、そうなの?」
森は老眼鏡をかけてシフト表を確認した。
「じゃああなたでいいわ。後で京子ちゃんとお連れさんがそこに行くから、楽しませてあげてね。」
「あ、片倉さんですね。了解です。今日はどんなコーデ試すんでしょうかね。」
「綺麗な女の子連れて行くわ。あなたもきっとびっくりすると思うわ。」
電話を切った森は再び電話をかけた。
「言われたようにしておいたわ。始めは渋ってたからどうなるかと思ってたけど、なんとかその気にさせたわよ。」
髪の毛を掻き分けた森はタバコに火をつけた。
「これでいいかしら。トシさん。」