第五十一話

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第五十一話
五の線2 第五十一話
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「ねえねえあなた。」

「ん?」
午後からのシフト勤務に備えてリビングのソファで微睡んでいた相馬卓は、近所の井戸端会議から帰ってきた尚美に起こされた。
「またよ。」
「あ?」
「片倉さんの奥さん。」
卓の目付きが変わった。
「あれか。若い男連れ込んどるんか。」
「そうよ。田中さんの奥さん激写してん。」
そう言うと尚美はスマートフォンを操作して、それを卓に手渡した。
「…マジや。」
「もうかれこれ1時間ほど経つらしいげん。」
「え…。それってヤバいんじゃないが。」
「あーもう、あなた何考えとらん。」
「え?」
「すっごいいやらしい顔しとる。」
尚美はなにやら満更でもない顔つきである。
「これって旦那さんに教えてあげた方がいいんかね。」
「いや…ひとん家に勝手に入り込むようなもんやから、止めといたほうが良いやろ。」
「でもいつかバレるよ。」
「そん時はそん時やって。」
尚美はため息をついた。
「私やってひとん家のことに首突っ込みたくないわいね。でも、何かあると京子ちゃんが可哀想やわ。」
「ああ…京子ちゃんか…。」
「あの子ちっさい時にときどき家に遊びに来とったがいね。」
「そうやな。」
「今も周と付き合いあるか知らんけど、小中高大ってなんでか知らんけどあの子と同じ学校やろ。」
「おう。」
「他人事とは思えんげん。」
卓はキッチンの冷蔵庫を開けてオレンジジュースをグラスに注いだ。
「尚美。」
「ん?」
「その写メ俺んとこに送ってくれんか。」
「え?どうするが?」
「俺に考えがある。」
「何よ。」
「いいから送って。」
尚美は片倉邸の玄関に入り込む男の姿が映された画像を卓に送った。
「あの子には何の関係もないことやからな…。」


学生街の一角にあるコインランドリー。数ある乾燥機の中のひとつの扉を開いて無造作に洗濯物を籠に取り込む男があった。
暑さ厳しいこの季節に黒のブルゾンとニットキャップ。同じ場所に居合わせた学生は、サングラスをかけた彼の異様にも見える出で立ちにギョッとした様子である。
学生の反応を意に介さないように籠を抱えて彼は車に乗り込んだ。そして籠の中にあった一体の熊のぬいぐるみを取り出した。
「こんなもんに入れるから目立つんだろうが。」
男は熊の首の部分の縫製を解き、胴体部分に手を指を突っ込んで、その中から封筒を取り出した。封筒の中には何枚かのプリントと100万円束が入っていた。
ふと顔を上げると先程の学生が中からこちらを見ている。
「そんなに俺が珍しいか。」
彼は車を発進させ、ハンドルを握りながらプリントに目を落とした。
しばらく運転し、彼は携帯電話を取り出した。
「俺だ。」
「どうだ。」
「良いだろう。」
「いつやる。」
「今晩にでもやる。早いほうがいいんだろ。」
「わかってるな。」
「小池田の自宅から徒歩で10分のところに公園がある。そこの便所に片付けておくから回収してくれ。」
「わかった手配する。」
「バス通に間違いないな。」
「ああ。最寄りの停留所はそこに書いてある通りだ。そこの平均乗降数は4.3人。小池田の帰宅は平均9時だから、その時間の乗降数もそれより少ないだろう。」
「解説はいらん。あんたは後始末の事だけ考えろ。」
電話の向こう側の男は黙った。
「お前、今度は何やった。」
「あ?」
「橘から報告があったよ。」
「何のことだよ。」
「佐竹がコンドウサトミの事で誰かと連絡を取っている。」
「あ、そう。」
「何やった。」
「赤松の家の墓参りに行っただけだ。」
「赤松?」
「悪いか。」
「まさかお前…キリコにコンドウとか書いて来たんじゃないだろうな。」
「駄目か?」
ため息が聞こえた。
「何だよ。あんたまた俺の行動にいちいち指図するのかよ。」
「何言ってるんだ鍋島。お前が未だに方々でコンドウサトミの名前を使っているから、こっちとしてはその痕跡を消すのにいろいろ苦心してんだ。」
「どう苦心してるんだよ。守衛殺して金沢銀行に入り込んで、警察の捜査事項照会書を奪って、ついでにコンドウサトミのデータ消してやったってのになんて言い草だよ。え?今川さん。」
「だからそれが余計なんだよ。」
鍋島は公園の駐車場に車を滑り揉ませた。
「木倉町で訳の分からん男に怪我させて、コンドウサトミの痕跡残したり、勝手に片倉に脅迫電話かけたり、コンドウの銀行口座のデータ消したり、お前がやっていることはコンドウサトミはまだ居ますってフラグ立ててるだけだろ。」
「まぁそうか。」
「コンドウサトミは俺らだけで通用する存在にしようって事だっただろうが。何で俺らまでコンドウに振り回されないといけないんだ。いい加減にしろ。」
今川の言葉に怒気が含まれていた。
「...俺ん中じゃあんたらの事なんかどうでもいいんだよね。」
「何?」
「妙な大人の事情で俺のゲームを台無しにするんじゃないよ。」
「ゲームだと…?」
「ああ。ゲームだ。俺はこいつを何とかクリアしないといけない。」
「おい待て。」
「あんたらはあんたらでゲームをクリアすりゃいい。俺は俺でゲームをクリアする。」
「鍋島…。俺が言いすぎたのなら謝る。」
「ふう...やれやれ...。人の出方を見て自分の言説を曲げるってのは、俺は嫌いだな。」
今川は無言になった。
「心配すんなよ。俺はあんたにも下間にも世話になった。なるべくあんたらには協力させてもらうつもりだ。」
「あ、ああ…。」
「恩を仇で返すような事は赤松の親父の件だけで充分だ。」
「そ、そうか…。」
サングラスを外した鍋島はルームミラーに写る自分の顔を見た。
「あぁ…只な。ひと言だけ言わせて貰っていいか。」
「何だ。」
「ゲームってもんは楽しい。けどな、楽しんでるだけじゃクリアはできないぜ。」
「え?」
「あんたらの動向を見てると、どっか楽しんでいるように見える。」
「楽しんでいる?」
「楽しむためのゲームと、勝つためのゲーム。これを取り違えると別の結果が待ってるぞ。」
「名言だな。」
「名言じゃあねぇ。忠告だ。警察はそんなに甘くはねぇからな。気をつけな。」
「ふっ…心配するな。あいつらには俺らの協力者もいる。」
「後の先には気をつけろ。」
「五の線?なんだそれは。」
そう言って鍋島は電話を切った。
「さあどう出るかい?佐竹。」
鍋島はスマートフォンのアプリを立ち上げた。
「今日は休みか...。」
店内全体を俯瞰で映し出す画面に久美子の姿はなかった。