第四十九話

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第四十九話
五の線2 第四十九話
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「うわー。」
喫煙所の窓から外を眺めていた佐竹は、土砂降りの中傘もささずに通りを走るサラリーマンを見て思わずこう言った。眼下に見えるクールビズ姿の男のシャツは雨によって肌が透けている。雨の勢いは猛烈で、地面から跳ね返るそれは外にいるものの足元を容赦なく濡らした。男のスラックスは太ももや膝にまとわりついている。
「おう。佐竹。」
「あ、副部長。」
融資部の橘が部屋に入ってきた。彼もまた窓から外の様子を眺めた。
「あーあ。こりゃ大変や。」
「最近こういう降り方多いような気がしますね。」
「そうやなぁ。ほんでちょっとしたらパタッと止めんぞ。」
「そうです。」
橘は天井に向かって煙を吐き出した。
「大変やな。」
「あぁそうですね。結構大変です。」
「無理すんなよ。」
「ええ。ほどほどにしますよ。いずれ沙汰もおりるでしょう。」
「俺が言うのも何やけど。物事に完璧ってのはあり得ん。いくら頑強に固めた壁でも年月が経てば風化して何処かに綻びが現れる。今回の外部侵入についてお前ひとりが責任を感じる必要はないわい。」
「副部長にそう言われると、少しだけ心の荷が軽くなります。」
「ほんなもんでいちいち責任問題とか言われたら、だれもお前の部署なんかの役席なんか引き受けんわ。」
滝のような雨はピタリとその勢いを止め、外は小雨に変わった。
「いやーでも副部長もあんまり気持ちよくないでしょう。」
「あ?」
「だってウチのシステムを総務部に斡旋したの副部長じゃないですか。」
「まあな…。お陰で俺もなんか変な目で見られとるよ。」
橘は煙草の火を消して窓の外を眺めた。
「確かに俺がHAJABを紹介した。けど、それからのことには俺は一切タッチしとらん。」
佐竹は黙った。
「あの会社と付き合うかどうかは本部で決めることや。俺はHAJABに道を作っただけのこと。」
「確かに。」
「いままで使い勝手が良いとかさんざん褒めちぎっとったんに、穴が見つかって、偶然それが今みたいな大ごとになってしまったら、手のひら返したようにシステムを全否定する輩も出てきとる。」
「ええ。一部でそう言う声が上がっているのは聞いています。」
「もしもそいつらが言うように、これが元でシステム全取っ替えみたいな事になってみぃや。今まで積み重ねてきたノウハウはどうなれんて。それこそ愚かなことやと俺は思うけどな。」
「そうですね。」
「そうなったらお前の立場もないやろ。」
「まぁ…。」
佐竹の仕事は現在のドットメディカル製のシステムの上に成り立っている。これ自体が用済みとなってしまうと、佐竹自身の存在意義も薄れる。
「ま、そこまでウチの会社はだらじゃないやろうけど。」
橘はそう言うと佐竹の肩を軽く叩いた。
「心配すんな。俺がお前を守ってやる。」
「え?」
「お前、あの時いろいろあったんや。会社っちゅうもんは仕事をするだけの場所じゃない。一種のコミュニティーや。今のお前が謂れのない責任を問われるなら、俺が融資部の副部長っちゅう立場で守ってやるよ。」
「副部長にはご迷惑をお掛けします。」
「心配すんな。任せろ。」
佐竹の尻のあたりが震えた。彼はポケットから携帯を取り出してそこに表示される名前を見た。
ー赤松?
「ちょっとすいません。」
佐竹は橘に断りを入れて電話に出た。
「おう。どうした。」
「ああ…。」
赤松に元気がない。
「おい。なんだよ。具合でも悪いのか。」
「佐竹…。お前、あれから墓参りに行ったか。」
「いや。」
「そうか。」
「なんだよ。どうしたんだ。」
「ヤベェもん見ちまった。」
「は?ヤベェもん?」
「コンドウサトミ。」
「コンドウサトミ?」
煙草を吸っていた橘の動きが止まった。
「昨日、夜に墓の方に行ったら、コンドウの名前のキリコがかかってた。」
「ちょ…何でお前、その名前知ってんだ?」
「え?お前何言ってんだ。コンドウだぞ、コンドウ。」
「お前こそ何言ってんだよ。」
佐竹は喫煙所を飛び出して携帯を手で覆った。
「それ、今ウチで起こった例の事件で話題になってる奴と同じ名前だぞ。」
「は?」
「だから何でその名前をお前が知ってるんだって。」
「待て待て佐竹。コンドウだぞ。お前、大丈夫か?」
佐竹は赤松が何を言っているのか分からなかった。なぜ社内の一部しか知らないその人物の名前を赤松が知っているのか。まさか誰かがどこかでその情報を漏らしているのか。
「赤松。誰から聞いた。その名前。」
「ちょ待て。まさかお前、あん時の記憶すっ飛んでんのか。」
「あの記憶?」
途端に頭痛が佐竹を襲った。彼は思わずそのまま膝をついた。
「美紀から聞かされてないのか?」
「み…き…?」
佐竹の息遣いは荒くなった。首筋に猛烈な汗をかいている。
「な…んだ…。それ…。」
橘が佐竹の異変に気がついた。彼は喫煙所を飛び出して人を呼んだ。
「おい‼︎ 佐竹‼︎ しっかりしろ‼︎」
朦朧とする意識の中で彼は自分の記憶を辿った。

「何かの目的がないと人を殺すなんて事はしません。そこで記憶を辿ったんですよ。そしたら警察から捜査事項照会書が金曜の夜にfaxで届いていたのを思い出しました。」
「照会書?何の?」
「金沢西部支店のコンドウサトミ。」
「コンドウサトミ⁉︎」
「どうしました?」
「いえ…続けてください。」

ー古田さん?
「おい‼︎ おい‼︎」
大声で佐竹を呼ぶも汗だくの彼は返事をしない。
「救急車や‼︎ 救急車‼︎」
なす術もなく佐竹の周囲を取り囲んでいた金沢銀行本部職員は橘の指示に慌ただしく動き出した。
「おい。佐竹。大丈夫か‼︎」
電話の先の赤松も佐竹の異変を察知したのか、声を荒げた。
橘は彼から携帯電話を取り上げた。そして佐竹の容態が悪くなったから一旦ここで電話を切らせてもらうと言い、赤松との通話を中断させた。

「藤堂という男は山県さんの情報の置き換え、コンドウサトミの情報抹消をいとも簡単にできるほどのそっち方面のスキルを持ち、守衛の殺害も難なくやってのけた。そう考えるのが今のところ一番妥当な線ですな。」
「そんなパーフェクトな人間っているんですか。」
「います。」
「いや、それはまた今度にしましょう。」
「まだあなたは知らない方がいい。」

佐竹の目が開いた。
「おっ。目が開いた。」
橘はホッとした表情で佐竹を覗きこんだ。
「わかった...。」
「あ?」
佐竹は呟いた。
「思い出したよ。」
「何を?」
佐竹は橘の問いかけには応えず、身を起こした。
「副部長。ご心配をおかけしました。」
「お、おおう。」
佐竹は周囲にいる職員たちにも頭を下げて、迷惑をかけてしまった事を詫びた。
「仕事に戻ります。」
橘に礼を言った佐竹は妙に落ち着いた様子で、情報管理課に消えた。
「...コンドウサトミ。」
こう言うと橘は携帯電話を開いてメールを打ち始めた。
「あんまり深入りすんじゃねぇぞっと。」
携帯電話を見る橘の目つきが鋭く見えた。