第四十八話

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第四十八話
五の線2 第四十八話
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一台の黒塗りの車が静かに火葬場を出た。
車内の後部座席には金沢銀行常務取締役の小堀の姿があった。
「やっぱりいつ来ても窯に入る時が一番堪えますよ。」
小堀は泣き腫らした目をハンカチで拭った。
「そうですね…。」
流れ行く車窓からの景色を遠い目で見つめながら隣りに座っている専務の加賀が応えた。
「親が死んだ時も思ったんですけど、通夜とか葬儀の間はなんやかんやとバタバタしとって現実感が無いんです。ほやけどいざ窯に入ってあの焼却炉が起動する無機質な音が聞こえた瞬間、一つの命が本当に終りを迎えるっていうのが理屈なしに現実としてぶつけられる。」
「わかりますよ。常務。私も父親のとき思いましたよ。強制終了感が半端無いんです。」
「あぁ…そうそう。そんな感じです。一個の死を強制的に現実として受け入れさせられるんです。」
「葬儀の間は遺体もあるんで、ひょっとしたらっていう根拠の無い淡い期待もあるんですけど、いざそれが焼却ってなるとそれでお終いじゃないですか。その際に一個の生命の終わりに対する自分の無力さを痛感する。それが強制終了感を増幅させるんですよ。」
「正に。」
「病気とかやむを得ない事故で亡くなったってならまだ心の整理がつく。しかし小松部長はそうじゃない。」
「ええ。」
「何者かによって人生を強制終了させられた。」
「許せんですわ。」
小堀はハンカチを握りしめて鬼の形相を見せた。
「警察が頼りにならんっちゅうならワシにも考えがありますよ。専務。」
窓から外を眺めながら加賀は口を開いた。
「昨日、蕎麦屋で常務と話したでしょう。」
「何のことですか。」
「総務部のステークホルダーの件ですよ。」
「ドットメディカルですか。」
「はい。」
加賀は咳払いをした。
「昨日の事なんですけど、総務部の佐竹君から興味深い話を聞きました。」
「佐竹?情報管理課のですか?」
「ええ。」
「なんでしょう。」
「常務はHAJABについてご存じですか。」
「HAJAB?」
「ウチの端末のベンダーですよ。」
「ああすいません。ワシはそのあたりの細かなことまでは把握しとらんもんで。ドットメディカルじゃないんですか。」
「確かにシステムそのものの構築はドットメディカルです。しかしシステムを作り上げる機械は、そのHAJABって会社が作っているんです。」
「はあ。」
小堀はどうもその手のIT関係の話は不得手のようだ。
「で、佐竹君らのチームが今のところ打ち立てている仮説の中で最も有力だとされいるのが、このHAJAB端末の欠陥なんです。」
「欠陥?」
「欠陥という言葉が正確かどうかは分かりませんが、簡単に言うと今回の山県部長の情報の書き換えはシステム納入時に予め予定されていた線が捨てきれないらしいんです。」
「え?」
「専門的な事は私にもわかりません。ただ、このHAJABという会社と当行の関係性を調べてみると興味深い流れがある。」
「なんでしょうか。」
「常務は橘圭司という当行の社員をご存知ですか。」
「ああ。知っとります。融資部の副部長ですよ。昔、山県の下で金沢駅前支店の次長をやっとった男です。」
「そう。彼がその駅前支店時代にHAJABを総務部に紹介した。」
この加賀の発言に小堀の表情はこわばった。
「待ってください。まさか専務は橘のことを疑っているんですか。」
加賀は小堀を見て黙った。
「HAJAB端末が専務の言うとおり、山県の情報をあの日あの時間に書き換えることを予定していたとしても、どうしてその会社の紹介者である橘が直ぐにクロだと言えるんですか。」
小堀の言うことは最もだ。加賀の推理は全ての過程をすっ飛ばしている。論理的とはいえない。
彼らをのせる黒塗りの車は交差点で信号待ちのため停車した。雨雲が立ち込めて空は今にもひとふり来そうである。
「常務。私なりに調べさせてもらったんですよ。」
「なんです?」
「蕎麦屋で私、常務に言いましたよね。」
「え?」
「最近は代弁、延滞が富に多い気がするって。」
「あ、はい。」
「それはいつからのことですか。」
「え?」
「具体的にいつから延滞者が増加しているんですか。」
「すいません。今手元に資料がないもんで即答できかねます。」
「橘圭司が融資部の副部長になってからですよ。」
「え…。」
「常務は延滞者リストをどこまで精査しましたか。」
「あの…それは…。」
先ほどまで涙を拭いていた小堀のハンカチは汗を拭うものとなっていた。
「融資部に投げっぱなしはいけませんよ。」
「何か…問題でも…。」
加賀は頷いた。
「今問題となっている延滞債権のほとんどが消費者ローンです。」
「ええ。」
「その五割の債務者に共通して、三親等以内の外国人親族がいる。」
「え?」
ポツポツと雨粒がガラスに付きはじめた。運転手はワイパーを動かし、信号が青になるのを確認してゆっくりと車を発信させた。
「話を元に戻しましょう。HAJABという会社は江国健一という男が若くして東京で創業した会社です。この江国という男の出自は何だと思います?」
「いえ、存じ上げません。」
「外国人ですよ。近所の国の。」
「え…。」
「つまり、橘はHAJABの社長である江国健一と何らかの利益関係を持ち、融資部配属後、自身の裁量を活かして江国のような外国人と何らかの関係をもつ人間に優先的に融資を実行した疑いがある。」
「どうしてそんなことが言えるんですか。」
「延滞債務のほとんどが消費者ローンです。消費者ローンは融資部決済で承認が降りる。彼が融資部の副部長になってから途端にそういった債務者の割合が増え、残高も増えている。」
「んな…。いくら融資部決済って言っても橘ひとりでそれらの審査はできません。それに債務者の情報はデータとして記録されますから、自己査定の際に監査部から指摘されるでしょう。」
「そこがミソですよ。常務。」
「は?」
「そもそもHAJAB製の端末によってウチのシステムは動いている。この端末にそういう連中の査定に都合が悪い情報が都合の良いものに上書きされる要素もプログラムとして盛り込まれていたらどうなるんです?」
「あ…。」
「私は専門家じゃありませんが、山県部長の情報の書き換えを予め予定して実行に映せるほどの技術があるなら、そういったことも可能だと思いませんか。」
「…まぁ。」
「監査部が融資審査資料を見ても特段問題はなくザル融資とは言えない。しかしこれらが根っこのデータそのものから嘘のものに書き換わればどうです?」
「極めて問題ですな…。」
小堀の首筋が流れる汗によって冷たくなった。
「しかし、どうしてその外国勢力と橘が結託して当行を狙う必要があるんですか。」
「それは私にもよくわかりません。ですがその外国出身者を優遇するかのような融資が実行され続けるだけでも、彼らにとっては大きな利益です。橘は橘で放っておいても実質ザル審査の結果、融資実行額を増やすことができ、労せず評価を得られる。融資審査は規定の手続きに沿って粛々と行われている事になっているのだから、延滞債務の大量発生に関して彼が責任を問われることはない。こうなれば自動的に出世の道が開かれるわけです。」
「しかし…ウチみたいな地方銀行に外国勢力の手がっちゅうのは、どうもワシにはピンと来ません。映画かなんかのような話です。」
「そう映画みたいな話です。HAJABが山県部長の情報を書き換えることを予め予定していたって件も映画みたいな話です。」
小堀は滝のように流れる汗をハンカチで拭った。
「常務。今、あなたは一地方の銀行を外国勢力が狙うのがピンと来ないと言いましたね。」
「ええ。」
「おそらくそこなんじゃないですか。彼らの狙いは。」
「と仰ると?」
「いきなり主力本隊を攻め落そうとしても難しい。しかし支隊ぐらいのものならいける。そこを落として本体を破るための準備をする。」
「まさか…。」
「ひょっとすると彼らは本隊を攻め滅ぼそうとしていないのかもしれない。むしろ拠点を確保して本隊に対する影響力を持とうとしているのかもしれない。」
加賀の推論に小堀は未だ半信半疑であるが、現実として外国人となんらかの関係がある連中の融資残高が増えていることに引っかかるものがあった。
「しかし…専務はなぜその外国勢力の存在に気がつかれたんですか。」
加賀は鞄の中から一枚の写真を取り出した。
それを見た小堀は呟いた。
「今川ですか?」
「ええ。彼は江国をドットメディカルに斡旋した張本人。こいつが反社会勢力仁熊会と接触。」
そう言うと加賀は自身のスマートフォンを取り出して、あるウェブサイトを小堀に見せた。小堀は老眼のため目を細めて険しい目つきでそれを読んだ。
「仁熊会とツヴァイスタン?」
「ええ。」
スマホに目を落とす小堀に加賀は補足した。
「江国はお隣の国の人間。彼の国はそのツヴァイスタンと国交があり、何かと我が国に工作活動を仕掛けている。そのツヴァイスタンと仁熊会がかつてなんらかの関係を持っていた。そしてその仁熊会にドットメディカルのCIOが出入り。」
「ドットメディカル、HAJAB、仁熊会、ツヴァイスタンのループ関係ですか。」
「そう。その今川が全てに関与してね。」
「ですがこれ、ネット情報ですよ。こんな名無しの権兵衛の情報なんか信じられますか?」
加賀は小堀に向かって口元を緩めた。
「常務のおっしゃる通り。所詮ネットの情報。鵜呑みにするつもりはありません。」
「じゃあ何で。」
「貴方もご存知の通り私はかつて財務省にいた。今川は元外交官ですよ。」
「は?」
「私なりの情報ネットワークも踏まえての判断だと理解してください。」
小堀は何も言えなくなった。
車外では雷鳴が轟き、フロントガラスに叩きつけられる大粒の雨は視界を遮るほどであった。
「私はここでひとつ仕掛けを作ってみようと思うんです。」
「何でしょうか。」
「話を元に戻して、橘の件です。」
「はい。」
「小池田さんの憔悴ぶりは見るに堪えない。」
「ええ…。」
「どうです。小池田さんに一旦休んで頂いて橘副部長を部長に昇格させるのは。」
「はい?」
小堀は驚きを隠せない。
「え?専務。その人事は今までおっしゃっていた橘の件と矛盾します。」
「常務言ったでしょう。仕掛けって。」
「しかしその人事は私の一存では…。」
「頭取には話してありますよ。」
「あ…そうですか…しかし…小池田本人が…。」
「ご心配なく。彼にも話は通してあります。」
「他の役員連中には?」
「そこはいつもの常務の脅威的調整力で。」
腑に落ちない。そう言う表情を見せる小堀を他所に加賀は冷静そのもので、かけていた眼鏡を外して汚れたレンズをクロスで拭いた。
「伸るか反るかの博打をするのも銀行の仕事ですよ。常務。」
車の外に見える浅野川の流れはこの大雨で濁流となり、このあたりの街の雰囲気もいつもの繊細さを失っていた。