第四十七話

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第四十七話
五の線2 第四十七話
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金沢市郊外のとある公園。ここにはかつて紡績工場であったレンガ造りの建造物がある。中は市民に開放されており、花、絵画、写真といった芸術作品を展示したり、演劇、音楽等のパフォーミングアートの発表の場としても利用されている。平日日中のこの時間に、ここで特別な催し物はなく、がらんどうの空間には今後の催しを告知するポスター達が貼られているのみである。それらを眺めていた岩崎香織は一枚のポスターの前で立ち止まった。
それはデッサン大賞展のものであった。一等賞金は100万円。応募資格は特に定めがない。年齢、経歴、国籍不問の開かれたものである。選考委員はその業界では名が知れた有名人ばかり。入選作品はこの空間で展示されるそうだ。
「締め切りは今月末かぁ。」

「岩崎さんってひょっとして入る学校間違えたんじゃないん?」
「え?」
「なかなか似顔絵って描けんよ。ほら私、絵のこととかよく分からんけど、写生とかじゃないがいね。とにかくリアルに描くってんじゃなくて、岩崎さんのはこう、なんって言うか、ほら、余白が多いやろ。」
「うん。」
「線の数が極端に少ないけど、その人の特徴がよく分かる。」
「そうかなぁ。」
「岩崎さんやったら美大に行ったら面白いことになったかもしれんよ。」

「そんなことありえないよ。」
彼女は独り言を呟いた。
建物の外に出ると7月15日の陽射しはおとなしかった。日本海側特有の曇天のためである。日が照りつけない分空気中の湿度は高く、そよぐ風はその湿気が肌にまとわりつくようで決して心地良いとは言えない。
彼女は木陰に配されたベンチに腰をかけた。
公園の広場では散水用のスプリンクラーが描く放物線のシャワーの中で、小さな子供達が我を忘れるように無邪気に遊んでいた。一方その保護者らしき女性は芝生に敷物を敷き、細い目で我が子の戯れる様を見つめていた。
岩崎はペットボトルの蓋を開けそれに口をつけた。
「お母さん。元気かな…。」
彼女は鞄の中からノートを取り出した。ページを何枚かめくったところに一枚の写真が栞代わりに挟まれていた。その写真を見て岩崎はため息をついた。何も書かれていない真っ白なページを開いた彼女は鉛筆を取り出して、目の前で水遊びをする子供の様子をスケッチし始めた。
どれだけの時間が経っただろうか、気が付くと彼女は何枚ものスケッチを書いていた。
公園で戯れる子供の姿、それを見守る親の表情、風にそよぐ木々、仕事中に営業車の中で休憩を取るサラリーマン、小型犬を散歩させる老夫。
京子や相馬にその作風を評価された、極端に線の数が少ない似顔絵のようなものではなく、一本の線を巧みに使った実に写実的なスケッチであった。
携帯電話が震えた。筆を止めた彼女はそれを取り出した。
長谷部からのメールである。今日は学校に来ていないみたいだけど、どうしたのかという内容である。彼女はその文面だけを読んでそのまま携帯電話を鞄の中に片付けた。
ーなんでこんなにしつこいんだろう。
それ以降、筆を執るも気が散った。
ーダメだ。調子でない。
彼女はノートを膝の上においてたばこを咥えた。
その時である。背後から野太い男の声が聞こえた。
「上手いもんやね。」
振り返るとティアドロップ型のサングラスを掛けた角刈り頭の男が立っていた。
「ねえちゃん、美大生か?」
「え?」
「うん?違うんか。」
岩崎は頷いた。
「しっかしワシは絵のことはよくわからんけど、えっらい上手いこと書くもんやね。」
「おじさんはカメラですか。」
男は一眼レフのカメラを首から下げていた。
「ああ。下手の横好きやけどな。ねえちゃん見てみるかい?」
担いでいたリュックサックからアルバムを取り出して、男はそれを岩崎に渡した。
「基本、自然ばっかりや。時々昆虫とか動物とかあっけど、やっぱり動きがあるもんは難しい。」
岩崎はアルバムをゆっくりと見ながら口を開いた。
「私も写真のことはよくわかりませんけど、結構いい写真のような気がしますよ。」
「そうか?」
「ええ。」
男はまんざらでもないように口元を緩めた。
「ねえちゃんの絵も見せてくれんけ。」
「お見せするほどのもんじゃないですよ。」
「恥ずかしがんな。ワシだって結構勇気出してあんたに見せたんやから。」
こう言われてしまうとさすがに岩崎も逃げ道がない。彼女は顔を赤らめながら先ほど書き留めたスケッチのページを開いてそれを男に渡した。彼女の隣に腰を掛けた彼はページを捲りながらいちいち驚嘆した。
「しっかし美大生でもないがに何でこんなに上手いことか描けらん。」
「昔から絵を描くのが好きだったんです。絵を描いていると嫌なことが何もかも忘れられるんです。」
「ああ分かる。ワシも写真撮っとる時だけは無の境地や。最高の一瞬を切り取ることだけしか考えとらん。」
「おじさんもそうですか。」
男の作品を見終わった岩崎はそれを畳んだ。
「T.F?」
アルバムの表紙の隅にイニシャルのようなものがサインペンで書かれていた。
「ああそれワシの名前や。藤木武夫(ふじきたけお)。ほやからT.Fなんや。」
「あ、藤木さんっておっしゃるんですか。」
「あんたは?」
「岩崎です。」
「下の名前は。」
「香織です。」
「いい名前や。」
「そうですかね。」
「名は体を表す。あんたにぴったりな名前やと思うよ。」
この藤木の言葉に岩崎の表情が一瞬こわばった。
「あれ?」
「どうしました?」
「ここらへんは随分とまた作風が変わるんやね。」
藤木が見ているページには相馬たちに評価された似顔絵が書かれていた。
「あーごめんなさい。そのあたりはその手のイラストばっかりです。」
「誰かわからんけど、ほらこのUFOみたいなもんが乗っかっとるような髪型のこいつ。なかなかおもろいな。」
「えっと…それ、大学の先生なんです。」
「大学?どこの?」
「石川大学です。」
「ああほうなん。あんた石大なんけ。」
「ええ。」
「学部は?」
「法学部です。」
「へぇ。アートの世界とはちょっと無縁のような気がするところやな。」
「まぁ。」
ノートを捲りながら藤木は言った。
「これはこれでなかなか味があっておもろいな。」
「そうですか?」
「おう。」
「ありがとうございます。」
「これはあれか。あんたの大学の関係者なんか。」
「まぁそういう人もいますけど、個人的に気になる人を描いてみたって感じです。」
「ほうか…。」
藤木が目を落とすページには髪を短く刈り込んで煙草を咥え煙草をする男の絵があった。視線を移動させるとその男の下には顎を上げてこちらを見るスーツの男。そのまた横には薄くなった頭髪を七三分けしメガネを掛けた細目の男があった。
「こんなんって、パッと見て特徴とか掴んですぐに描けるもんなん?」
「いいえ。写真を見て描く場合もありますよ。藤木さんがはじめに見たようなスケッチとは違って、余分な線をそぎ落とさないといけないんで、私の場合はこっちのほうが時間がかかるんです。」
「ふうん。絵っちゅうもんは奥が深いんやね。」
藤木は下間芳夫のものと思われるイラストを見てノートを閉じた。
「ありがとう。」
そう言って岩崎にノートを返そうとした時のことである、そこに挟んであった写真がひらひらと地面に落ちた。藤木はすかさずそれを拾い上げた。
「これは?」
「栞ですよ。」
「栞?どうみても家族写真やけど。」
「無くしてしまうと困るから、栞にしてるんです。」
「ふうん。」
藤木はサッとだけ目を落として、それを岩崎に返した。
「孝行もんやな。岩崎さんは。」
「そんなことないですよ。」
「この建物じゃいろんな方面の作品の発表がされとる。」
「そうですね。」
「表現者にとってはなかなかおもしろい場所や。」
「私もそう思います。何かを世の中に発信してみようかなって気持ちにさせてくれます。」
「あんたみたいな若い感性と、ワシみたいな枯れた男のコラボレーションっていうのも面白いかもしれんな。」
「枯れたって…。私が言うのもなんですけど、何かに打ち込んでいる人って年齢を感じさせませんよ。」
「ほうか?」
いい歳の男が照れたような顔で岩崎を見た。
「ええ。」
「機会があったら是非。」
そう言うと藤木は立ち上がりまた会おうと言って彼女に背を向けた。
車に乗り込んで公園を出た彼はイヤホンを装着した。
「間違いない。下間麗や。」
「ウラは。」
「写真。」
「何の?」
「ツヴァイスタンで生活しとったと思われる頃の下間一家の家族写真。現認。」
「ほうか。」
「もうひとつある。」
「なんや。」
「俺もお前も麗にマークされとる。」
「なんで。」
「ばっちり似顔絵が書き留められとった。」
「似顔絵?」
「ああ。どういった意図で描いたもんかわからんけどな。ワシはなかなかいい男に描かれとったぞ。」
「俺は。」
「片倉はいつもどおり不機嫌そうな顔や。なかなか特徴をつかんどる。」
「けっなんや俺はあれか。革命を阻止しようとする悪の枢軸って位置づけかトシさん。ん?」
「わからんわい。同じページには朝倉部長の似顔絵もあったぞ。」
「ふっ…他には?」
「熨子山事件に関係する人間の顔はひと通り網羅されとったわ。」
「鍋島は。」
「丸サングラス。」
「ってことは麗の中ではあいつの情報がまだアップデートされとらんってことか。」
「そうかもしれんな。」
片倉との会話を終えた古田はぼそりと独り言をつぶやいた。
「あのねえちゃんが闘争のシンボルっちゅうのはちょっと酷やな。」