第四十六話

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第四十六話
五の線2 第四十六話
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相馬周は金沢市内の石川電力本社ビル3階の社長室の中にいた。応接ソファには石川電力の社長が座り、来訪者を迎える構えだ。地元テレビ局や新聞社のカメラマンは部屋の入り口を見据えてカメラを構えている。

安井と相馬の側にいた経済部の記者が腕に目を落とした。
「安井さん。やわらです。」
「おう。」
足音が聞こえ出した。
安井は素早くファインダーを覗いた。それに合わせるように相馬はライトを持つ右腕を高く上げた。革靴独特のコツコツとした音が群れを成して聞こえてくる。安井は握った左拳を前方に開き、相馬にライトを点けるよう合図を出した。各社一斉にライトを灯す。間も無く石川電力の係りの者と共に、5名の男が現れた。
ーあれ?
5名の男たちは自分たちより多い報道関係者に一瞬戸惑いながらも、そのまま社長室に入った。石川電力の社長は立ち上がって5名を迎え入れた。彼らは一列に並び、社長に分厚い書類を手渡した。その瞬間、新聞社のカメラフラッシュが怒涛のように明滅した。社長と訪問者たちがソファに腰をかけ、一言二言言葉を交わす様子を映像に収めて、報道陣は退出させられた。
「おい。これ何分かかるんだ。」
「予定では20分です。」
「じゃあちょっと一服してくるかな。」
「いいですけど遅刻しないでくださいね。後で囲みあるんで。」
「分かってるよ。」
安井はカメラを床に降ろした。
「相馬。俺、ちょっと行ってくるわ。カメラ頼むな。」
そう言うと安井は他局のカメラマンとともに喫煙所へと消えていった。
「あの...。」
「なに?」
「これって何の取材なんですか?」
相馬が経済部の記者に質問した。
「あ、これ?」
「ええ。」
「お前も知っとるやろ。石電の原発運転差止め運動。」
「ええ、聞いた事はあります。」
「いまこの部屋に乗り込んできたのが、その運動の旗振り役連中。今日は能登で動いている原発の運転を環境保全の観点から中止してくれって石電に申し出に来たってやつ。」
「あぁ…それでですか。」
「何?お前なんかあんの?」
「いや、ほらあそこのメンバーの中にほらちょっと頭ずべずべ(禿げ)な人おったでしょ。」
「おう。」
「あれウチの大学の教授なんですよ。」
「え?お前、あいつのゼミ生かなんかなん?」
「あ、下間先生の事知っていました?」
「あったりめぇやろ。俺は経済部の記者なんやぞ。エネルギー関係は守備範囲や。で、お前下間のゼミ生か?」
「あ、違います。おれ政経学部なんで。」
「ちっ、なんだよ。使えねぇな。」
「え?」
「あの下間ってのが反原発のアドバイザーなんだよ。」
「え?でもあの人の専攻は原子力工学ですよ。」
「そう。原発の良いも悪いも知り尽くす専門家が運転反対に回っているから厄介なんだよ。何遍もあいつに接触して直接話しを聞き出そうとしても、あいつ一切口聞いてくれん。極度のマスコミ嫌いみたいねんて。ほやからお前があいつのゼミ生なら、うまいこと話聞き出せるかもって思ったんや。」
「あ、すんません。お役に立てんくて。」
「ま、しゃあねぇな。」
記者は期待外れな相馬と下間との関係性を意に介さないようだった。
「でも、素人考えなんですけど、原発って環境に優しい電源じゃないんですか。」
「あん?」
「ほら原発って発電時に二酸化炭素とか排出せんから環境に優しいって何かの本で読んだことありますよ。」
「食いつくねぇ。バイト君。」
「あ、すんません。出過ぎました。」
「あのな。簡単に言うと原発ってもんはウランっていう燃料を核分裂させて熱を作って、それで蒸気を作ってその蒸気でタービンを回して発電させるんや。で、その蒸気を作るときに原子炉の中で直接的に蒸気を発生させるのが沸騰水型原子炉。蒸気発生器ってのをかまして蒸気を作り出すのが加圧水型原子炉って言うんや。」
先日これと似たような事を長谷部から聞かされた。相馬は復習するように記者の言葉に耳を傾けた。
「で、そのどちらにしても火力発電みたいにバンバン石油燃やす事が無いから、環境には確かにいい。ほんでコストも低い。でもなあの連中が言っとるのはそこじゃないんや。」
「と言うと?」
「ゴミの扱いや。」
「どういう事ですか?」
「簡単に言うぞ。ウランであろうが薪であろうが燃やしたらゴミでるやろ。」
「はい。」
「薪とかならその灰は捨てればいい。やがて自然に還って肥料にもなる。けどウランのような放射性物質はそうはいかん。」
「と言うと?」
「有害なんや。放射性物質は。特にあの核燃料に含まれるプルトニウムとかなんか凶悪や。」
「ああ聞いた事あります。」
「そいつは一応理論的に処理する方法はあるが、途方もない年月がかかる。んで凶悪な毒物。処理に必要な場所もコストも膨大。誰もそんな危険なもん引き受けんやろ。」
「はい。」
「だから良く例えられるんや。便所のないマンションに住むようなもんやって。容易に発電できるけど、それで出た糞尿を始末できん。糞尿と人間が途方もない期間共存せんといかんってね。」
「へぇ。」
「まぁそんな汚いもんをばんばん作り出すような代物の運転はやめておくんなまし。環境に悪影響でしょ。環境がひどい事になったら結果的には人間の生存を脅かします。これがあいつらの言い分や。」
「良いじゃないですか。正論ですよ。」
「ほうねんて。正論ねんて。けどな、正論だけじゃ世の中うまいこと回らんがや。」
そうこう言っているうちに、安井が休憩から戻ってきた。
「どうした?」
「ああ安井さん。相馬が何の取材かって聞くもんですから、俺なりにちょっと解説しときました。」
「あ、そう。」
「便所のないマンションです。」
相馬がぼそりと言った。
「馬鹿野郎。ここでそんな事つぶやくな。」
安井は相馬をたしなめた。
「大事なスポンサーさんなんだからな。」
そう言うと安井は周囲を見回した。石電関係者はこの場にはいない。
「何かの弾みでマンションの床が抜けて、そのクソや小便が辺りにぶちまけられたらどうなる?」
安井は小声で相馬に言った。
「え…それこそ悲惨な事になりますよ。」
「だろ?」
「ええ。」
「気が狂った人間が部屋に入ってきて、そのクソとか小便を持って住んでる人間を脅したらどうする?」
「…それは非常にまずいです。」
「だろ?」
「はい。」
「その辺りがちゃんとできてりゃ、少しは良いもんなんだろうがなぁ。」
社長室の扉が開かれて来訪者が退出した。皆一様に眉間にしわを寄せる厳しい表情である。特に代表者の鼻息は荒く、顔を紅潮すらさせている。よほど激しいやりとりがあったのか。彼らは報道陣の前に整列し囲み取材に応じた。