第四十四話

ダウンロード
第四十四話
五の線2 第四十四話
45 .m4a.mp4
MP4動画/オーディオファイル 17.2 MB
7月14日という盆のまっただ中であるが、平日ということもあり熨子山墓地公園を訪れる者は少ない。墓参りをする人間の大半が日曜日である昨日までにそれを済ませ、今日からいつもの日常を過ごしているためである。とは言えこの日のこの時でなければ墓参りができないという人間もおり、日が沈んだ真っ暗なこの時間でも、ときおり園内の各所から線香が煙っていた。
赤松剛志は自身の父と母が眠る墓を雑巾で丁寧に拭き、蝋燭と線香に火をつけた。南無阿弥陀仏と刻まれた赤松家先祖代々の墓の前に彼はしゃがみ、額ににじみ出る汗をタオルで拭って合掌し、しばしの間頭を垂れた。
「母さん。みんなに助けられてるよ。」
熨子山事件から間もなく母の文子に病気が見つかった。癌である。医者に進められるあらゆる治療法を試した。一時的に彼女の容態は回復したが、それもつかの間の出来事であった。彼女の容態は一進一退を繰り返した。
そんな中、アサフスのアルバイトである山内美紀がフラワーアレンジメントの大会で受賞した。そのため店としての実力は取引先や業界内で認知されるようになった。彼女の功績が元でいままで敷居が高いと思われていた未知の顧客を誘引することとなり、アサフスの業況は更に伸びることとなった。社長の赤松は多忙を極めることとなり、その中で癌を患った母の看病は妻の綾に頼る他無かった。綾の代わりに自分一人で店の隅々まで切り盛りができるはずもなく、バイトであった山内美紀を正社員に登用し、綾の代わりに店の実務を任せることとした。しかし店の裏方仕事をそこまで経験したことがない山内に、それをいきなりこなせというのも酷な話で、支払い関係でルーズになることもしばしばあり、取引先にあらぬ心配をかけることもあった。
そんな中、挫けそうになる山内を励ましたのは交際相手の佐竹であった。彼はときおり個人的に店に顔を出し、赤松と山内に経理的なアドバイスをほどこした。借り入れがバラけているとその返済期日や残高の管理が大変だから、一本化して事務負担を軽減したほうが良いとか、現金が手元にあるなら多少損をしても、繰り延べ返済をして債務を削減したほうが良いといった具合にである。
不得手な経理仕事を佐竹の補佐を得て山内が何とかこなす中、昨年、癌と闘っていた文子が息を引き取った。店の裏方仕事に綾が復帰することとなり、山内は従来からのフラワーアレンジメントの腕に磨きをかけることができるようになり、アサフスは再びうまく回るようになっていた。
「ご縁、ご縁って言うけど…本当にみんなに支えられてるよ…。」
そう言って赤松は掛けられているキリコを眺めた。佐竹はもちろん、熨子山事件で関わりが生まれた古田、マルホン建設の本多善昌からのものがあった。
「古田さんにもお世話になったし…マルホン建設は善昌の代になって変わったよ…。」
赤松は掛けられているキリコひとつひとつを手にしてそれらを見つめた。
「え…?」
あるキリコを手にした瞬間、赤松の動きが止まった。
「コンドウ…?」
彼の手は震えだした。
「何で…。」
赤松はそのまま地面に膝をつき、しばらくその場で硬直した。


インスタントラーメンを食べ終わった相馬は、ノートパソコンを開きウェブブラウザを立ち上げた。
そしてブックマークリストを表示し、あるサイトを表示させた。
マルKという人物によって運営されている「ほんまごと」である。
「あ、更新されとる。」
更新日時は1時間前。タイトルは「原点回帰」である。

熨子山事件は本多善幸の秘書、村上隆二によるマルホン建設、仁熊会、金沢銀行との癒着関係を世間に明るみにさせないための前代未聞の連続殺人事件だったのは記憶に新しい。しかしその熨子山事件には全く別の背景があったことを私は突き止めた。それはあの事件でいち早く容疑者として警察に公表され、世間を震撼させた一色貴紀県警刑事部長の過去である。

県警に赴任ししばらくして前述のマルホン建設、仁熊会、金沢銀行との癒着関係を突き止め、これら関係団体の一斉捜索を試みる一色の身に予期せぬ事件が起こった。一色の当時の交際相手への強姦事件である。
実行犯は熨子山事件で殺害された穴山和也と井上昌夫。彼らには覚せい剤の売人の顔があり、仁熊会の準構成員でもあった。
つまり、警察の捜査を恐れた村上が、パイプを持つ仁熊会の末端の人間を使って、一色の交際相手を強姦させ、捜査の撹乱を謀ったのである。

「マジかいや…。」
相馬は髪をかき分けた。そしてその記事を読み続けた。

熨子山事件でこの2人は結果的に村上と彼と共犯関係にあった鍋島によって殺害された。一色の本意であったかは分からないが、彼らはその死を持って報いを受けることとなった。そしてその指示をした村上も逮捕後、病院で何者かによって殺害されるのである。穴山と井上の殺害に協力したとされる鍋島も村上によって殺害され、この強姦事件に関しては関係者が皆死亡という結末を迎え、これ以上の解決を迎えること無く、その幕を閉じた。

私は熨子山事件の真相を探るべく、今まで個人的にさまざまなネタ元をあたってきた。この事件はあまりにもその関係者が多岐にわたっている。そのため私はその情報の整理に苦心している。業界団体と政治の癒着、暴力団、政治と警察官僚、ツヴァイスタンと国際テロ組織、警察組織の権力闘争等…。それらはこのブログの過去ログを参照すれば分かるだろう。しかし情報が多すぎる。情報が多すぎるため物事の本質がぼやけてしまうのだ。
そこで私は当時の直接的なステークホルダーに着目することにした。

事件の首謀者であるとされる村上隆二は彼の同期である。また、彼の共犯者とされる鍋島もそうだ。事件終結間際まで、村上と接触を図っていたのも同期であるS氏だし、事件の背景にある癒着構造を知っていたのは、これまた同期のA氏の父親である。
私は、あの事件の背景にあるものを一旦頭の片隅に置くことで、そもそもの起こりであるとされる、これらの関係者を洗うことにした。

無数の情報によって見えなかったものが、あるところに焦点を絞ることで見えるようになる。そういうことは読者諸君にもあることだろう。一色の高校の同期という人間に焦点を絞ることで私にも見えてきたものがある。それが七尾で殺されたとされる鍋島惇の存在である。

七尾で遺体で発見された鍋島の顔は村上の手で粉砕され、その身元の特定が困難であった。警察はその身元を指紋照合の結果、鍋島惇であると判断したが、遺体が鍋島であるとの根拠はこれ以外に何もない。なぜこのようなことを今更書くかといえば、鍋島惇という人間の素性は誰も知らないからだ。
誰も素性を知らない人間を指紋ひとつで本人であると断定する。そこに疑問が残るのである。

ここでひとつの事実を明らかにしよう。警察の調べによると、一色は鍋島によって殺害され、遺体は村上によって埋められた。一色の死因はその頸部をナイフのような鋭利なもので切られることによる失血死であったが、実は彼の遺体には興味深い特徴があったのである。それが吉川線である。吉川線は一般的に絞殺される被害者がその抵抗をするときに刻まれる傷のことであるが、これが一色の遺体にあったのである。

仮に七尾で死亡した男が本当に鍋島惇であるならば、殺害される際に抵抗し、一色の爪に残ったであろう鍋島のDNAと、七尾の身元不明の遺体のDNAを照合する必要もあろう。でなければ、一色を殺害したのは本当に鍋島であるとの証拠は成立しない。しかし警察はこのDNA鑑定を行っていないのである。
DNA鑑定と指紋照合。これら二つの科学的立証を経て、七尾で死んだのは鍋島惇であるとの判断がされれば、私はそこに疑念を抱かない。だが警察は指紋照合だけをもって鍋島の身元確認とした。

県警、いや警察始まって以来の重大事件であるにもかかわらず、容疑者の身元特定に杜撰な箇所がある。
単なる捜査の不手際であるならば良いのだが、私にはこれがどうもそう思えないのだ。

なぜそう思うのか。先日興味深い情報が私の下に寄せられたのである。

一色の交際相手の強姦事件には真犯人がいる。

これ以上はネタ元の身の安全を確保する上で、ここに詳細を記せない。
ただ、私はあまりにも多くの情報によってあの事件の本質を見失っていたのではないかと考えている。

ブログの記事はここで終わっていた。
「なんか、ちょっと良くわからん記事やな…。」
相馬は肘をついて何度かその記事を読み直した。
「あ、そうや…。」
相馬は鞄の中から、西田に手渡された一色からの手紙を取り出し、その一節を読み返した。
「おそらくこの手紙を手にして僕の周辺の事を新たに知ることがあるだろう。それはそれで相馬くんには受け止めて欲しい。剣道部内の事は剣道部内で処理する。これは約束する。君はそれには深入りする必要はない。きっとその問題は別の人間が解決してくれる。ただ、情報は逐一片倉さんと共有しておいて欲しい。」
相馬はため息をついた。
「一色さんの周辺のことってこれか…。」
相馬はメールソフトを起動し、「ほんまごと」のリンクを貼り付けてそれを京子に送った。