第四十二話

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第四十二話
五の線2 第四十二話
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「ただいま。」
帰宅した相馬は憮然とした表情でひとりテレビを見る、母尚美に声をかけた。夕飯時であるのに彼女はリビングのソファに腰を掛けスナック菓子を頬張っていた。
「あれ?ご飯は?」
尚美はキッチンのテーブルに置かれているインスタントラーメンを指差した。
「え?これだけ?」
「うん。」
「何で?」
「昨日、昼外で食べたでしょ。だから今日は節約。」
「なんでぃね。今日はお母さんとお父さんの結婚記念日やし、ご馳走作るって朝言っとったがいね。」
「だってお父さん今日も遅くなるもん。」
なにやら部屋のクッションをこねくり回しながら尚美は言った。大の大人がまるでいじける子供である。相馬は首筋になんとも言えない不快な汗をかいた。
「何。」
「あ、ううん。何でもない。」
尚美はちらりと相馬の方を見てスナック菓子に手を付けた。
「あんた今日、昼で学校終わるんじゃなかったん。」
「あ、え?」
「学校終わってどこほっつき歩いとったん。」
「ちょっと友達と出かけとった。」
「周。」
「何。」
「どうなん。」
「え?」
「えって何とぼけとらん。」
「ごめん。お母さん意味わからん。」
相馬は冷蔵庫の開け、いまこの時間に食卓に並ぶ予定であった食材を見てため息をついた。
「昨日、昭和で降ろしたいね。」
「うん。」
相馬は冷えた茶をグラスに注いでそれを飲んだ。
「女の子ねんろ。」
相馬は口に含んだ茶を吹き出し咳き込んだ。盛大にあたりに撒き散らしてしまったそれを雑巾で急いで拭き、顔を上げると母がニヤニヤと笑っていた。
「当たりや。」
「そんなんじゃねぇよ。」
「何言っとらん。あんたデパートに何の用事があるん。」
「…んな、俺だってほら服とか…。」
「服?」
尚美はケタケタ笑い出した。
「あ…あんたが、服?ほんないっつも同じ服着とれんに?」
「駄目け…。」
ため息をついた尚美は笑いながら菓子袋の開け口を丁寧にたたんで、セロハンテープでそれを封した。
「やっぱり女や。」
「何でほんなこと言えるん。」
「基本的に家電製品とゲームとインターネットみたいな自分の部屋の中を充実させることしか興味ない人間が、突然人の目を気にする洋服?」
「悪いか。」
「誰の目気にしとらいね。ほんでいきなりデパートで服やろ。ほんなもん女しかおらんがいね。」
尚美の指摘に相馬はぐうの音も出なかった。
「さしずめ気になる女の子とデパートで待ち合わせして、俺、センスないからちょっとコーディネートしてとかやってんろ。」
どうして母はこうも自分の動きを正確に読むことができるのだろうか。
「ま、お父さんの言っとる通り、自由な時間を有効に使おうっていう気概は評価してあげる。」
「何ねんその上から。」
「私は人生の先輩ですよ。そして女ですよ。」
「女?」
いい年の母が自分を女だと。何を言っているんだ。帰って来た時もそうだ。父の卓が仕事で帰りが遅くなるというだけで子供のようにいじけていた。結婚記念日という妙な括りが母の様子をおかしくしているのか。そう思った相馬の目に尚美の左腕でときおり光る時計が飛び込んだ。
「あ…。」
彼女はなにやらモジモジしながらときどきその時計に指を当てては腰をくねらせている。
ーそういや、あれ鼓動を送ることできるとか言っとったな…。って事は…。
何かを想像したのか、相馬は頭を抱えた。
「何よ。」
「いえ、何でもありません。」
そう言うと相馬はカップにお湯を注ぎ、それを抱えて自分の部屋に消えていった。


観光地として一定の知名度がある東茶屋街と主計町。金沢らしい町やが軒を並べ、この辺りには情緒溢れる街並みがある。ここに1本の川が流れている。大野水系の二級河川である浅野川だ。犀川と比較してどこか繊細で風情がある趣であることから、犀川が男川とされ、この川は女川とも呼ばれている。
相馬卓はこの川添いのとある公園の東屋に座り、左腕に装着している時計に指を当てていた。
「なんだそれ。」
卓はギョッとして顔を上げると目の前が真っ暗になった。
「おっと。」
「あ…。」
「見ちゃダメだぜ。」
男は卓の目にアイマスクを着けた。
「何だよそれ。」
突然目の前に現れた男はずけずけと卓に話しかけてきた。そのため卓は戸惑いながらも自分が身につけているスマートウォッチについて簡単な説明をした。
「で、結局のところ何ができるんだそれ。」
「え…ま、まあ…正直自分にもよく分からんがです。スマホの外部装置みたいなもんです。」
「ふうん。」
男は卓の隣に腰をかけた。
「你呢 あんたか。」
卓の体が硬直した。
「从来没有 まさか…。」
「说话只看到,因为它是前  そのまま前だけを見て話せ。」
卓は僅かに頷いた。
「で、なんだ。俺に礼を言いたいって?」
「…あ、はい。」
「何のことだよ。」
「あ、あの…あなたがコンドウさんなんですか。」
「…だったら何だ。」
卓はベンチに座ったまま、誰もいない正面に向かって頭を下げた。
「ありがとうございます。」
「だから何だって言ってんだ。」
「コンドウさんのお陰で、自分はまとまった収入を得とります。」
コンドウと言われる男はニットキャップを外し、髪の毛一本ない頭を人差し指で掻いた。
「これぐらい何のこともない。」
「自分が人並み、いやそれ以上の生活を送れとるのはコンドウさんからの支援のおかげです。」
コンドウは何も応えない。
「私は村上さんの口利きでメーカーの工場で仕事をしていたんですが、紹介者である村上さんがあんなことに成ってしまって、私自身も会社から変な目で見られるようになってしまいました。やっぱり残留孤児って厄介な存在だって陰でよく言われとりましたよ。理不尽ですよ。会社は俺自身を見ずに本多の秘書っていう村上さんしか見とらんかったんです。会社は村上さんに恩を売って、政治的な何かの恩恵を受ける事しか考えとらんかったんです。結果、私は会社は辞めざるを得ず、私の収入も無くなりました。俺は会社が憎い。俺には大学受験を控えた息子がおる。ほんな家庭の状況も知っとるくせにあんまりな仕打ちだと思いませんか。」
コンドウは卓の方は見ずにただ前を見るだけである。
「会社クビになったって事家族に言えるわけもありません。大学に行く気で勉強している息子がいます。私は会社に行くフリをして、銀行を回っとったわけです。」
「そうだな…。」
「銀行は冷たかった。残留孤児とは言え就職して定期収入があればあそこはそれなりの対応はしてくれる。けど、その経済的支えがなくなると金を貸すどころか、貸している金を返済してくれって迫ってくるんです。」
「晴れているときに傘を貸し、雨が降ったら取り上げるか…。」
「俺はわかってるんです。銀行の都合も。そりゃ定期収入がない人間に金なんか貸せませんよ。貸した金がいつ帰ってくるか分からないんですから。決して残留孤児だって事が融資の壁になっているわけじゃない。」
「なんだ…。お前、橘に遠慮でもしてんのか。」
「あの人は特別ですよ。金沢銀行の連中がみんな四角四面な対応ばっかりするのに、あの人は残留孤児である俺を一人の人間として見てくれた。あの人が強引に融資を通してくれたから、今の俺はここにある。」
コンドウは地面を歩く蟻達に目を落とした。
「で、俺の返済を助けるためにコンドウさん、あなたの依頼だと言って仕事を回してくれている。」
コンドウが見る蟻は地面に落ちる大きめの昆虫に群がり、それを皆で巣へ持ち帰るよう動き回っていた。
「橘さんには勿論、感謝しています。ですがあなたからの仕事が無かったら、俺は返す当てのない借金だけを抱える事になり、それこそ首をくくるしか無かった。」
アイマスクをしたまま卓はコンドウの方を見た。
「おい。そんな変な顔こっちに向けるな。」
卓がつけているアイマスクにはふざけた感じの目のイラストが印刷されていたため、コンドウはこう言ったのである。しかし卓はコンドウのこの言葉には何も反応を示さず、地面に膝をつき、コンドウに土下座をした。
「ありがとうございます。」
「止めろ。」
「いえ。これぐらいせんと示しがつきません。」
「俺は橘に仕事を依頼しただけだ。お前に礼なんか言われる事はしていない。」
「私はコンドウさんの事一生忘れません。」
「请退出所以 だからやめろ。」
「这对我是永远的回报  このご恩は必ず返します。」
コンドウは卓から目を逸らした。
「如果你觉得对,不要另一件事  恩を感じるなら、もうそんな事するな。」
「什么? え?」
「我不想目不转睛的看着东西的身影低下头同胞  同胞がひたすら頭を下げる姿なんか見たくない。」
卓はゆっくりと頭を上げた。
「我明白了  わかりました。」
「后  あとな。」
コンドウはニットキャップを被り、立ち上がった。
「再在我面前不要给村上的名字   俺の前で二度と村上の名前を出すな。」
「え?」
「何でですか。」
コンドウの返事がない。
「あれ?コンドウさん。どうしたんですか。」
彼は恐る恐るアイマスクをめくり上げた。コンドウの姿と気配は忽然と消えていた。