第四十一話

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第四十一話
五の線2 第四十一話
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520年前の加賀一向一揆という歴史的事象から分かるように、石川県は浄土真宗の信徒が多い地域である。それは真宗王国とさえ言われるほどだ。通夜のほとんどが浄土真宗のものだから、何度か経験すればそれがどれくらいの時間で終了するかの見当がつく。相場としては阿弥陀経に引き続いての正信偈のお勤めでおおよそ30分。勤行の後、導師の気分次第のお話があるが長くてそれは15分だろう。金沢銀行総務部長の小松の通夜では彼の死が自死であるということから、内々でのものとなった。参列者のほとんどが金沢銀行総務部の関係者と役員である。生前、小松と個人的に親交があった一般の人間の参列はほとんど無かった。そんな中で導師も参列者に向けて仏法について説くことを躊躇ったようである。通夜は19時半に終了した。
山県は通その場に居た次長の松任にこう言った。
「次長。今日はちょっとどうしても外せん用事があるんや。わりいけど後頼めるか。」
「ええ。わかりました。」
「明日は俺ら役員連中だけ葬儀に出るから、お前らは通常業務でいい。」
「はい。」
「じゃあすまん。お先。」
そう言うと山県は松任の側に居た佐竹の方をちらりと見てその場から消えた。
「次長。俺もいいですか。」
「あ?」
「俺、ちょっと今日は早く帰らないといけないんで。」
「あ、おう…。まぁもう何もする事ないやろうし帰っこっちゃ。」
「ありがとうございます。お先に失礼します。」
「おう。お疲れさん。」

7月半ばの夜の公園は日が沈んでも、芝生やコンクリートから日中に溜め込まれた熱気が大気中に放出されるため、蒸せていた。
葬儀会場から4キロほど離れた公園で山県と佐竹は落ち合った。公園隅に設置された自動販売機で2本の冷たい缶コーヒーを買い、そのうちの1本を山県は佐竹に渡した。
「すまん。結局お前に迷惑をかける事になってしまって。」
「いえ。」
佐竹は缶の蓋を開けそれを飲んだ。冷えきったコーヒーの喉越しは蒸せる公園において格別であった。
「監視カメラの件ですが。」
「おう。」
「もう既に設置されてるそうです。」
「は!?もう?」
「はい。通夜が始まる前に報告がありました。」
「おい。ちょ待て...。どうするんや佐竹。それやったら久美子の様子がまた藤堂に筒抜けじゃいや。」
「はい。なので久美子さんを自分の協力者に監視してもらっているんです。」
「警察OBとか言っとったか…。」
「はい。とにかく部長には久美子さんの送迎、自宅の中、この時だけ彼女の側にいてあげるように言ってくれと言われました。その間はこちらの方で監視するといわれています。」
「佐竹。本当にその人間で大丈夫なんか。藤堂には警察には言うなって言われとれんぞ。」
「警察官じゃありませんから大丈夫でしょう。OBですから。」
「ほやけど...それは屁理屈のような気もするが…。」
「部長。何おっしゃってるんですか。久美子さんが危ないんですよ。俺らは俺らで通常の仕事を抱えている。そんな状況じゃ誰かの協力を仰ぐしかないでしょう。」
缶コーヒーを飲み干した山県はたばこを取り出した。
「間違いない奴なんか。」
「はい。間違いありません。熨子山事件の時、自分がお世話になった刑事さんですから。」
「あ?熨子山事件のときの刑事?」
「ええ。」
「待てま。って事は久美子の過去も何かしら知っとる刑事って事か?」
「はい。その方が話が早いでしょう。」
「じゃあ藤堂についても何か知っとる事があるんか。」


「藤堂という男は山県さんの情報の書き換え、コンドウサトミの情報抹消をいとも簡単にできるほどのそっちの方面のスキルを持ち、守衛の殺害も難なくやってのけた。そう考えるのが今の所一番妥当な線ですな。」
「そんなパーフェクトな人間っているんですか。」
「…います。」
「誰なんです。」
「いや。それはまた今度にしましょう。」
「何で?」
「まだあなたは知らない方がいい。」


ー古田さんは知っている…。
「おい。佐竹。」
「あ。すいません。」
山県はベンチに腰をかけてまたもたばこを咥えていた。流石チェーンスモーカーと言われるだけある。もちろん彼のこの喫煙の頻度は、愛娘である久美子が危険に晒されているという現状からくる危機感の現れであることは言うまでもない。
「おそらく彼は藤堂について何かの情報を握っているはずです。ですが詳しい話はまだ聞いていません。」
煙を吐き出し山県は遠くを見た。
「佐竹…。」
「はい。」
「なんで俺の周りはこんなややっこしいことに巻き込まれるんかな…。」
「え?」
普段は悠然と佇む山県の姿が、この時は肩を落とした一介の老人のように見えた。
「どうされたんですか部長。」
力なく紫煙を吐き出した山県は首を垂れた。
「何でなんかな…。」
佐竹は山県の隣に腰を掛け、彼もたばこを取り出してそれに火をつけた。
「部長。」
「あん?」
「何か感じるんですよ。」
「…感じる?」
「匂いがするんです。」
「なんや匂いって。」
「…藤堂とは何か自分と近い匂いがするんです。」
「藤堂とお前と近い?…って…。お前…。」
「あぁ勘違いしないでください。俺は藤堂って奴の事は正直良くわかりません。それに奴がやった事は絶対に許せないことであるのは間違いありません。」
「…それなんになんでお前が藤堂と近いんや。」
「…何か…こう…。」
佐竹は自身の右手を見つめた。
「妙な感じがするんです…。」
「妙な感じ…。」
「部長。熨子山事件の顛末はご存じですよね。」
「あ、おう…。一応警察からひと通り聞いた。」
「当初犯人だったと思われていた一色貴紀は死亡。真犯人は一色と高校の同期である村上隆二だった。村上も一色も俺の高校の同期です。」
山県は黙って佐竹を見た。
「しかし村上は逮捕後、入院中の病院で何者かに殺害された。一見解決したと思われる熨子山事件は実のところ真犯人が死亡したため、その真実は闇の中です。」
山県は吸い終わった煙草の吸殻を指で捻り潰し、それを摘んだまま佐竹の顔を見た。
「そうやな…。」
「俺はあの事件で多くの友人を亡くしました。一色もそうですし、日頃から親交のあった村上もそうです。そして村上の共犯者であり彼の手で殺されたとされる鍋島。あの事件のそもそもの起こりはこれまた俺の高校時代の同期の赤松の親父の事故死が絡んでいます。」
「おい。佐竹。もういい。昔のことをほじくり返すな。」
熨子山事件で一度にあまりにも大きくのものを失ったためか佐竹は精神を病んだ。それを気遣って総務部へ異動させたのは紛れも無く彼の隣にいる山県である。山県は熨子山事件を思い起こし再び精神的負担を背負い込むことになる佐竹を案じたわけである。
「ご心配に及びません。部長。俺は大丈夫です。」
「そ、そうか。」
「俺は事件当時、村上と接触しました。流石にあの時、俺は逆上してたんではっきりとしたことは覚えてませんが、これだけは鮮明に覚えているんです。」
「何だ。」
「村上本人の人格がコロコロ変わっていたのを。」
「…人格が変わる?」
「ええ。俺はあいつとは昨日今日知り合った中じゃありません。なのでアイツのことは良く知っています。これと言ったら真っ直ぐ一直線。クソがつくほど熱い男。そのいつもの村上が現れたかと思えば、冷酷無比で俺を殺そうとする人格が現れる。人を小馬鹿にする人格も現れるって感じです。」
「それが何を意味しているんだ。」
「鍋島の存在。」
「え?」
「一色さえも畏怖した恐るべき能力の持ち主です。」
「鍋島が…か?」
「全てにおいて飲み込み方が尋常じゃないんです。剣道にしたってそうですし、勉強にしてもそうです。だから高校入学時からという僅かな期間であいつはインターハイで優勝した。」
再びたばこを咥えて佐竹は煙を吐き出した。
「残留孤児というとてつもなく大きなハンデを克服して自活していたあいつのことだ。正義の御旗を振りかざす村上のこともきっと疎ましく思えただろう。」
「まて、佐竹。お前疲れとるんじゃないか。鍋島は村上によって殺害されたんやろう。」
佐竹はこの山県の言葉には軽く首を振るだけであった。
「多分、あいつは生きている。」
「何?お前何言っとるんや...。」
とうとう病気をぶり返してしまった。山県はそういう目で佐竹を見た。山県の視線を無視するように佐竹は言葉を続けた。
「部長は天才という人間と付き合ったことがありますか。」
「天才?」
山県は記憶をたどった。
「天才かどうかはわからんが、一色はその部類に入ると思うが。」
「違うんですよ部長。天才っていう人間はまさに人智を超えた存在なんです。全てが圧倒的なんです。」
「まさかお前、その鍋島が天才だとでも。」
佐竹は頷いた。
「一色という男は人並み外れた頭脳の持ち主です。常人の十歩先を読むことができる先見の明を持っている人物でした。それは部長もあいつと付き合ってご存知でしょう。」
「ああ。」
「鍋島も同じです。」
「鍋島も?」
佐竹は頷く。
「鍋島の吸収力は凄まじかった。勉強において大抵のことは一度読み書きすれば修得する。二三回繰り返せば専門化並。これは運動においても同じでした。しかしそんな鍋島でもからっきし駄目な分野があるんです。それが日本語だった。才能の塊であるが言語の修得だけは不得手で、そこに当時の剣道部の先輩連中が目をつけて鍋島をいじめだしたんです。たぶんあいつの余りある才能を潰しにかかったんでしょう。いじめはエスカレートし、俺も村上もいじめの片棒を担ぐようなことをした。そこで声を上げたのが鍋島の日本語修得のサポートをしていた一色だったんです。」
山県は黙って佐竹の昔語りに耳を傾けている。
「鍋島のいじめを止めようとあいつは何度も先輩に言った。しかしそれを説けば説くほど先輩連中の態度は硬化し、いじめの対象はいつの頃からか一色に変わっていた。いわゆるシカトってやつです。どうして先輩らの態度が硬化したかわかりますか。」
「それは一色がでしゃばりすぎたからだろう。」
「いえ違うんです。」
「じゃあ何や。」
「近寄りがたい雰囲気をあいつが醸し出していたからです。」
「近寄りがたい?」
「ええ。人格がころころ変わっていたんです。騒いだと思えば急に落ち込んで自身を無くす。躁鬱病のようにも見えたんです。」
「一色の人格が…だと?」
「はい。結局あいつは鍋島をいじめることは許さんと先輩連中に果たし状のようなものを突きつけて殴り合いの喧嘩みたいになった。一色は強くて先輩らをボコボコにしました。力でねじ伏せることで鍋島の存在を認めさせたんです。それが元で自分ら世代と先輩連中の確執が決定的になり彼らは剣道部を去って行きました。俺らの世代には一色の絶対的なカリスマが形成され、結果鍋島も仲間として迎え入れられたんです。それからしばらく経って一色は俺にこう言いました。」
「何を言った。」
「何で先輩らが剣道部に居ないのかと。」
「え?」
「一色はよく覚えていないんです。自分が先輩連中をボコボコにしたことを。」
「何やって?」
「部長。天才っていうのは人智を超えた存在って言いましたよね。」
「おう。」
「俺は見たんですよ。当時、人を洗脳する術が書かれた本を図書館で読みあさっている鍋島を。」
「…まさか…。」
「そのことが気になって俺は鍋島の行動を観察したことがあるんです。あいつが借りたと思われる図書類を追跡しました。それらは交渉、人心掌握、軍事、警察、スパイ、テロ、安全保障、原発など偏ったものでした。」
「なんでそんな本ばっかり読むんや。」
「わかりません。ですが一色も鍋島のこの偏った情報収集にある時気がついたようでした。」
「どうやって。」
「俺ら剣道部は熨子山全体を使った鬼ごっこをして基礎体力をつけていました。それは途方もなく辛いトレーニングだったんですが、鍋島が鬼の時はことごとく皆捕まったんです。その時一色は俺にこう言ったんです。」

「やっぱ専門知識がある人間は違うな。」
「え?」
「おまえ知っとれんろ。鍋島が変な本を読みあさっとんの。」
「あ?」
「知っとれんぞ。お前が鍋島を付けとんの。」
「あ…ほうなん?」
「ひょっとして俺は鍋島の語学習得を手伝う傍ら、あいつの実験台になっとったんかもしれん。」
「何のことや。」
「俺が先輩らを剣道部から追い出したあれ。」
「そんなことねぇやろ。考え過ぎやわ。頭に血が上って何かのトランス状態みたいやっただけやって。
「あいつ天才や。」
「天才?鍋島が?ははは。確かにあいつはすげぇよ。でもそれはちょっとよく言いすぎじゃねぇか。」
「天才ってのは狂人と紙一重。」
「おい何言っとれん。一色。」
「この先なにも無いことを祈るしかないな。」

「おい佐竹。お前本当に大丈夫か。」
山県が佐竹の身を案じたのも無理もない。ベンチに座ったままの彼は両手拳を握りしめ、額から猛烈な汗を流し肩を身体を震わせていた。

「佐竹にだけはこう言っておけ。今度はお前が鬼だ。」

「鍋島…。」