第三十九話

ダウンロード
第三十九話
五の線2 第三十九話
40.m4a.mp4
MP4動画/オーディオファイル 20.0 MB
「そうですか。分かりました。…御役目ご苦労様でした。」
携帯電話を折りたたんだ古田は、それをカメラマンジャケットの数あるポケットの中のひとつにしまった。
「さて…と…。」
一本のたばこを取り出してそれを咥えた瞬間、一組の若い男女が古田がいる喫煙所に入ってきた。どちらも高校を卒業して間もない風だ。幼さがどこか滲みでる顔つきの男女は古田の様子を怪訝な目で見た。それは無理もない。古田がいるここは金沢駅に隣接する複合商業施設。主に10〜40歳代の女性をターゲットとした店舗が数多く入居している。その施設の中に60過ぎの男がひとりでいること自体が不自然なのだ。古田はたばこをしまい、床に無造作に置いていたリュックサックを背負ってその場を後にした。
「場違いやな…。」
喫煙所を出ると、そこはレディスフロアであった。先ほどの男女の古田を見る目が冷ややかであったのは無理もないことであった。
彼は周囲の目も気にせず、軒を並べるアパレルショップの様子をゆっくりとした足取りで歩きながら眺めた。
今年の流行柄であるのか、どこの店にも鮮やかなブルーのボトムス、ボーダー柄のトップスが並べてある。店の前を通過する時、時折店員から「いらっしゃいませ。どうぞご覧下さりませ。」と独特の発音で声をかけられる。全く買う気がない自分に向けてこういった声を掛けられ、気が引ける思いを抱えながら古田は歩いた。
しばらく進んで足を止めた。目の前に自分と同様のその場に似つかわしくない人物が居た。上下作業服。頭には安全第一と書かれた白のヘルメット。首に巻いたタオルでほとばしる汗を拭いながら彼は大きな脚立を畳んでそれを抱え、近くの店員に挨拶をして通用口の方へと消えていった。
古田は廊下の天井を見つめた。そこには空調設備があった。視線をずらすと同じ天井にSALEと書かれた大判のPOPが貼られている。
月曜の夕方ということもあってこの店の客の入りはない。30代の女性が店内カウンターレジの横で何かの書類を見ている。古田の存在に気づく気配は彼女にはない。店の前に並べられたTシャツを眺めつつ、様子を窺った。彼は店の中に足を踏み入れ吊り下げられている夏物のシャツを眺めた。そしてそれを手にとったタイミングで声を掛けられた。
「プレゼントですか?」
「あぁ…。娘がこのブランドのもんが欲しいって言っとって。」
古田は接客に出てきた女性が首から下げている社員証を見た。『店長 山県久美子』とある。
「失礼ですが、娘さまはおいくつなんですか。」
「たしか…えぇ~っと…35?」
「え?」
「あぁすまんすまん。しっかり覚えとらんげんて…。」
「そうなんですか。まぁそれぐらいの方でしたら、今お手にしているシャツはプレゼントにいいと思いますよ。」
「あ…そうけ。」
「ええ。サイズもフリーしかないんで。」
古田は値札を見た。
「3万!!」
「はい。」
「うへぇ…そんなにするんかいや。」
「高いですかね?」
「いやぁ~なんかちょっとあつーなってきたわ。」
古田はポケットからハンカチを取り出して額ににじみ出てきたそれを拭った。
「おかしいですね。さっき空調直してもらったばっかりなんですけど。」
「ああ、そうなんけ。」
「ええ。お客さんの上のエアコン。」
久美子はエアコンの吹き出し口の下に行き、そこで手を上げて風が出ているか確認した。
「大丈夫そうですよ。」
「へぇ。そんなことよくあるんけ。」
「いえ。ここ最近立て続けに調子が悪くなってるんです。でも、対応が早いんで助かっています。」
「あ、さっきのでっけぇ脚立抱えとった人?」
「ええ、そうです。」
古田は頭上にあるエアコンの吹き出し口を暫く見つめた。
「どうされます?」
「え?」
「娘さまのプレゼントですよ。」
「あ、ええ…。ちょっと思っとったよりも高くて…。」
「お客様の娘さまはこのブランドの服が欲しいんですか?」
「あ…そんなことは言っとらんかったかな…。」
「このブランドであればいいっておっしゃるんでしたら、小物類もありますよ。」
「小物?」
「ええ。ハンカチとか靴下とか。」
久美子はレジ近くに陳列してあったそれらを古田の前に持ってきた。
「これならお求めやすいと思いますよ。」
トリコロールカラーのリネンのハンカチを手にした古田は、それに付いている値札を見た。
「4,800円か…。」
「なかなか自分じゃ買わない値段の小物です。こういったもののほうが意外と喜ばれるんじゃないですか。」
「そうやね…。」
古田は久美子の提案を受け入れてそれを購入した。
「ありがとうございました。」
店を出るわずかの時間、古田は再びエアコンの吹き出し口に目をやった。そしてそこから視線を移して、店内をざっと見た。古田を見送る久美子はなにか不思議そうな顔をしている。
「こっちこそありがとう。」
そう言って彼は久美子の店を後にし、ポケットからイヤホンを取り出してそれを片耳に装着した。
「設置完了。」
「了解。」
歩きながらこう独り言を呟くと、彼は携帯電話を取り出した。
「もしもし。」
「あぁ佐竹さん。あなたが言っとった通りやった。」
「どうでしたか。」
「ちゃっかりもう既にカメラ設置済みですわ。」
「え?もう?」
「はい。」
「どうするんです?」
「ちょっと様子見ますわ。」
「でも古田さんみたいな人がそんなとこにずっと張り付いていたら怪しまれますよ。」
「大丈夫。そこはワシに任せておいてください。」
こう言って古田は電話を切った。電話を切る際にそこに表示された時刻は18時だった。
「そろそろいいやろう…。」
こう呟いて古田は金沢駅舎に消えていった。

金沢駅に隣接する大型立体駐車場の6階に車を止め、エレベーターを呼ぶために下を指す矢印ボタンを押した。なかなか来る気配がない。しびれを切らした彼は階段を降りることにした。鉄骨構造の建物というのは振動がダイレクトに伝わる。彼が急ぎ足で階段を駆け下りるとそれに合わせて周囲が音をたてて揺れた。時折すれ違う者が彼の激しい階段の降りざまを奇異な目で見るが、お構いなしである。地上に降り立った時の彼の息は切れていた。
「はぁはぁ…はぁ…。」
忙しなく腕時計を見る。時刻は18時少し前。半袖ワイシャツの胸ポケットに入れていた手帳のようなものを取り出し、それを捲りながら彼はそのまま金沢駅隣接の商業施設に足を進めた。
「しっかしあちぃな…。」
頬を伝う汗を持っていたタオルハンカチで拭うが、次から次へと様々な体の部位からそれが吹き出てくる。立体駐車場から商業施設までは僅かの距離。彼は汗を拭うことは無駄であると判断し、施設内の整えられた空調設備の下に一刻も早く我が身を置くことにした。
「はぁ…。」
商業施設の自動扉が開かれれると考えられないほどの清涼感溢れる空気が彼を包んだ。それによって彼は思わず息をついた。
「さてと。」
こう言って男はエスカレーターを使用して施設の2階に向かった。後ろ手に組みそのフロアをそれとなく回った。このフロアに来るためには4つの経路がある。施設の北側と南側に設置された2つのエスカレーター。1階から最上階まで移動できるエレベーター。後は職員通用口。彼はその全ての位置関係を把握し、トイレと一緒に喫煙所が設置されていることを確認した。
「あれか…」
男はつぶやくと再び手帳を取り出し、そこに挟まれているものを見て何かを確認した。そして左右を見回し彼は一旦喫煙所に入ることとした。
喫煙所に入ると高校を卒業して間もないと見える男女が何やらじゃれ合っていた。
「何か今日、変なおっさんばっかりおるんじゃないけ…。」
男のほうが小声でこう言った。
ーおっさん?
おっさん呼ばわりされたことに多少気分を害されたが、子どもの戯言と彼はそのままたばこを咥えてそれに火をつけた。
ーそれにしてもこうも場違いなとこやと、難儀やなぁ…。
携帯電話が鳴った。男のものからである。
「はい。」
「どうや。」
「ええ。確認しました。」
「変わりはないか。」
「パッと見たところは。」
「ほうか。」
「でも俺がこのままここに張り付いとると結構怪しい感じですよ。」
じゃれ合う二人と目があったため、彼は目を伏せた。
「心配すんな。岡田。もうちょっとしたら警備会社の人間がそこに着く。そいつから制服貰ってそこの辺り警戒してくれま。」
「はい。」
「まぁ今のお前は署長預かりの身分やからな。警備会社の仕事しても別に問題ねぇやろ。」
「まぁ。」
「警察OBの仕事を斡旋するのも俺の仕事や。取り敢えずは時間を金にせぇま。」
「片倉さん。それにしても情報早いっすね。」
「あ?」
「なんで俺が手帳叩きつけて、あそこ飛び出したって知っとったんですか。」
「だら。いろんな方面にアンテナ張り巡らせてビジネスチャンスを窺うってのは、営業の基本やぞ。警備会社にお前斡旋すりゃ警察上がりの警備員ってことであの会社にとっても即戦力。俺の成績にもなるし、お前の小遣い稼ぎにも成るやろ。三位一体の利益できれいな商売の成立や。」
「ほんと、営業が板についてますね。」
「ははっ。」
喫煙所に思った以上に長い時間滞在する岡田をカップルは邪魔者を見るように見てその場から立ち去っていった。
「片倉さん。」
「何や。」
「さっきの黒田の件ですけど。」
「おう。」
「大丈夫なんですか。あいつ。」
「あ?」
「藤堂の情報を流してやってくれって片倉さんに言われてあいつの顔写真とか分かる範囲で教えましたけど。今のところどういう素性の人間かはウチらでも把握できとらんがです。」
「しゃあねぇよ。分からんもんは分からんがやし。」
「いや、おれが気になっとるのは、今の段階で警察が重要参考人の素性を調べきれていないってことがマスコミに突っつかれると困るってことなんです。」
「心配すんな。黒田はそんなみみっちい報道をするのが目的じゃねぇ。それにお前なんねんて、若林のあほんだらに啖呵きって飛び出してきてんろ。そんな古巣のことなんかほっとけ。もしも黒田がそのことお前が言っとったように報道すりゃあいつの立場が無くなって好都合じゃいや。」
「あぁ…まぁ…。」
「しかし…その藤堂が山県久美子をね…。」
「あぁそうです。これは片倉さんに報告せんといかんと思っとったんですよ。」
「何。」
「ほら、久美子のレイプの件あったでしょう。」
「おう。」
「その実行犯は穴山と井上ってことになっとるんですけど、黒田が言うにはそうじゃないんです。」
「は?」
「藤堂なんです。」
「え?」
「で、その藤堂が再び久美子を犯してやるって山県に脅しをかけているんですよ。」
「ちょっと待て。穴山でも井上でもなくて藤堂?」
「片倉さんにそこまでの説明をする前にあの人は商談があるとかって行ってしまったんで、俺伝いに言っといてくれって。」
「そんな、藤堂って名前、あの時には一切出てこんかったぞ。」
「そうなんです。当時の経緯から言ってレイプを指示した村上とかならまだ分かりますけどね。藤堂本人が山県と接触して、そう告白したそうなんです。」
「待て。…まさか…。」
「何です。」
「なぁ岡田。本当に黒田がそう言っとったんか。」
「ええ。山県が佐竹にそう言っていたのを聞いた人間がいるそうなんです。又聞きの又聞きみたいなもんですけど。」
「いや、そんな理由がない。別人や。」
「どうしました。片倉さん。」
喫煙所の扉が開かれた。
「岡田。」
「え?」
「ほら制服や。」
岡田の視線の先には片倉が立っていた。
「やべぇヤマになってきたな。」
突然の片倉の登場に岡田は手にしていた携帯電話を力なく仕舞った。
「って言うかなんで?」
「つべこべ言うなま。いいからさっさとこれに着替えて久美子を警護せぇま。」
腑に落ちない。岡田の表情はまさにそういったものだった。彼の様子をよそに片倉は煙草を咥えた。
「ふーっ。まさかの五の線か…。」
「え?」
「いや、なんでもねぇよ。」
自分は警備会社の担当者の代わりにお前に制服を届けに来た。社内には話を通してある。お前はこのフロア内の巡回だけをすればいいようになっているから、取り敢えず今日は閉館時間までここに貼り付け。時間が来たら今度こそ担当者が来てお前に今後のことを教える。そう言って片倉はその場から消えた。
「五の線って何ねん…」
施設を後にする片倉は携帯を耳に当てた。
「佐竹と赤松をマークしろ。」