第三十八話

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第三十八話
五の線2 第三十八話
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金沢銀行総務部内の一室では、今日の19時に執り行われる事となった小松部長の葬儀の打ち合わせが始まっていた。葬儀委員長は常務取締役の小堀。それを補佐する形で経営企画部部長兼総務部長の山県、事務企画課の財部とその部下達が選任された。彼らは部内の別室に30分ほど前から篭っている。
「おい佐竹。」
佐竹の名を呼んだのは次長の松任であった。小松亡き後、彼が実質的に総務部を取り仕切っている。日頃、小松の下で実質的に総務部の実務を仕切っていた彼の仕事ぶりは見事であり、部内ではこれといった仕事の遅滞は発生する事なく処理されていた。これも臨時でありながら、決断という重大な責務を肩代わりしてくれる山県という存在があるのが大きいのかもしれない。事件直後の松任の疲労困憊ぶりは改善され、彼の仕事にキレが取り戻されつつあった。
「なんでしょう。」
佐竹は松任の席の横に立った。
「今日は定時で強制終了や。そろそろ終う準備しとけ。」
佐竹は周囲を見渡した。部内のあちらこちらで片付けが始まっていた。彼が壁に掛けてある時計を見ると時刻は16時50分であった。
「今日ぐらいはさっさと上がって部長の通夜に出れ。事務企はあれやけど事務管も金管も終いや。」
「あ、はい…。」
「お前、さっきから何ボーって考えとらんや。」
「あ、ちょっと。」
「何ぃや。」
「あの…コンドウサトミの顧客情報抹消の手がかりになるものはないかなぁって。」
「あぁ事件当日に顧客情報が抹消されとったってやつか。」
「ええ。照会書が来てたやつです。」
松任は肩の凝りをほぐすように首を左右に回した。
「事件翌日の藤堂が行内におると思われる時間帯にコンドウサトミの顧客情報が抹消。藤堂の行内侵入の目的のひとつがその抹消やったって普通ならそう思うわな。」
「ええそうなんです。」
「それなんに、警察にそんな事あったって言ってもあいつら『はいわかりました』ってだけやしな。」
「反応薄すぎません?」
「そうねんて。」
天井向けて両手拳を突き出し、松任が思いっきり背伸びをした瞬間のことである総務部のドアが開かれた。
「ご苦労さん。」
「あっ専務。」
即座に腕をおろし自席に腰を掛けていた松任は立ち上がって直立不動になった。佐竹も突然の役員登場に背筋が伸びた。背筋が伸びたのはこの2人だけでない。帰り支度をする総務部スタッフ全員も同様である。
加賀は総務部スタッフの皆に対して労をねぎらう言葉をかけ、支度ができたものから帰るよう言い渡し、その場の緊張は解かれた。
「常務達は?」
「はい。まだ部屋の中で打ち合わせをされています。」
「君らも定時退行か。」
「いえ、私は皆が退行するのを確認してから現地に向かいます。」
「君は。」
「はい。もう帰ります。」
「そうか。」
加賀は後ろ手に組んで総務部内をうろうろとし出した。
「どうされましたか。専務。」
加賀の様子が気になった松任が恐る恐る声をかけた。
「情報管理課の佐竹君ってのは誰だね。」
「はい。私です。」
松任の横に立っている佐竹本人が返事をした。
「おお、君だったのか。これは失礼した。」
「いえ滅相もございません。」
金沢銀行は地方銀行といえども北陸最大手。東京などの都市部はもちろん、海外ASEAN諸国にも拠点を展開をする規模。従業員数は2,500人であり、金沢銀行の実質的トップである専務の加賀が佐竹や松任などの中間管理職の名前を覚えていることはまず無い。そのため加賀のこの発言は佐竹自身も次長の松任も意外であった。
「当行のシステムはドットメディカル製だ。」
「はい。」
「運営管理もドットメディカルからの出向組で賄っている。」
「ええ。その通りです。」
「その出向組にも怪しいところは無いと山県部長から報告を受けている。」
「はい。彼らの今回の事件に関する対応はむしろ協力的です。」
「その彼らの協力を得て何か新しい事はわかったか。」
「全てが確証に至らない情報になりますが、それでもよろしいでしょうか。」
「かまわない。聞こうか。」
松任が気を利かせて加賀にフロア内の事務椅子を提供した。
「ああ、気を遣わせてすまない。」
椅子に腰をかける加賀に対して佐竹は彼と向き合って立ったまま説明を始めた。山県有恒の情報が藤堂豪という人物に置き換わった件に関して、彼は二つの可能性を挙げた。ひとつは行内に藤堂の協力者が存在し、彼が何らかの形で社内システムに不正なプログラムを流し込み、当日、山県の情報を書き換えた可能性。もうひとつはシステム納入時から経営企画部部長のポジションの人間が藤堂という人物に置き換わるプログラムが予め盛り込まれていた可能性である。前者の場合、ドットメディカルからの出向者以上のITスキルが必要であり、行内の人材を見る限りそれは可能性として低いという結論に至った。
「と言うことは、情報の置き換わりはシステム納入時からすでに予定されていたと?」
佐竹は自説が加賀に一笑に付されることを覚悟した。
「荒唐無稽と思われるかもしれませんが、現在のところはその線が一番可能性として高いと判断しています。」
加賀は腕を組んで何かを考えた。そして腕時計を見て辺りを見回した。総務部のスタッフ達はみな帰り始めていた。
「ふたりとも時間は?」
「私は大丈夫です。」
「佐竹君は。」
佐竹は松任を見た。専務から時間を貸してくれというのは恐れ多いお言葉だ。通夜に関しては準備に少しくらい遅れても調整可能だと松任が言ってくれたので、佐竹も松任と同じ答えをした。
「じゃあ、ちょっと私の部屋まで来てくれないか。」


佐竹も松任も専務室は初めてであった。
重要文化財である金沢銀行本店の中でも最も格式が高い部屋のひとつである専務室。奥行きがある12畳ほどの部屋であった。漆喰の天井には天空を飛ぶ鷹が彫られている。部屋の調度品の類はどれもが年代物で気品が漂ってくるものばかり。佐竹と松任は風格溢れる空間に圧倒された。
「まあ掛けて。」
「失礼します。」
二人がかけた革張りのソファーは程よいクッションで彼らを包み込んだ。
「松任次長。ドットメディカルと総務部が付き合うようになったのは、そもそも何がきっかけなんだ。」
「HAJABです。」
「HAJAB?」
「HAJABは端末のベンダーです。ドットメディカルが当行のシステム運用を受注する前から、HAJABが総務部に営業をかけてきたんです。HAJABの製品は使い勝手が良い。だからサンプルで端末を何個か送るから使ってくれって。確かにあの会社の端末は操作方法が直感的に分かることもあって、情報管理課内で評判が良かったんです。その様子を見た小松部長がシステム更新の際、HAJABにもコンペに参加するよう声をかけたんです。ですが、HAJAB自体は仕事を請け負わないといってドットメディカルの情報戦略事業部を紹介されたんです。そこでドットメディカルの情報戦略事業部と総務部の付き合いが始まりました。専務もご存知のように情報戦略事業部の今川さんのプレゼンは見事です。予算は多少オーバーしましたが、今後のことを考えて使い勝手の良さそうなドットメディカルのシステムに移行しました。」
「そうか…総務部とドットメディカルがはじめから直接結びついていたわけではなく、HAJABが間に入っているのか。」
「はい。HAJABの代取は江国健一。彼によるトップセールスでした。」
「その江国と総務部の接点は?」
「橘副部長の紹介です。」
「橘?誰だ。」
「融資部の橘副部長です。」
「融資部の?なんで融資部の橘が総務に。」
これには佐竹が答えた。
「橘副部長も私もかつて駅前支店に赴任していたので当時の事はよく覚えています。」
熨子山連続殺人事件の1年前、金沢駅前支店に北陸の地に拠点を置きたいので相談に乗ってくれと一人の男がやってきた。それが江国健一であった。江国は当時24歳であり。その若さから佐竹の印象に残っていたのである。当時の江国の相談内容はこういったものだった。
自分は創業から1年で東京を中心にIT部門でおおきなビジネスを成功させた。近い将来北陸新幹線が開通し、存在感が薄かった北陸の地にマーケットは拡大するだろう。おそらく東京の競合他社もそのマーケットを狙うはずだ。そこを先んじて手を打ちたい。そのために北陸で最大規模の金沢銀行のシステム端末を無料でいいから試作を作らせて欲しいというものだった。唐突な話であり、はじめは門前払いをしていたが、意外とこの江國は粘り強く営業をかけてきた。そこで橘が窓口となり総務部の代わりに江國とか交渉。金沢銀行としても飛ぶ鳥を落とす勢いのベンチャー企業のサービスというものも試したいという事もあり、試作機を無料で作ってもらう事にした。しかし個人情報そのもので商売をしているような業態であるため、それら情報をHAJABに与えるわけにはいかない。そこで業務の根幹に触れない程度の営業支援端末を作るという事になり、江国は主に橘に対してヒアリングをした。それから3ヶ月ほどで試作機が作られ、総務部長の小松に渡ったのである。
「先ほどの次長の説明の通り、HAJABの端末の使い勝手は良く、現在当行で採用されているわけです。」
「ふうむ。」
「どうしましたか。」
松任が加賀に問いかけた。
「あくまでも仮定の話だが、その当時から経営企画部の情報を書き換えることをHAJABは意図していた可能性があるということか。」
「HAJABAなのかそれともシステムそのものを管理運用するドットメディカルなのかは分かりませんが、そういうことになります。」
「となると当時のことは橘副部長に聞く必要があるか。」
「そうですね。可能性を潰していくとするならばそれはやったほうが良いかもしれません。」
「いやむしろ、それは江国に直接聞いたほうが良いかもしれないわけだな。」
「まぁそのほうが早いです。ですが警察の捜査と被るとちょっと厄介じゃありませんか。」
「警察はそのことを知っているのか。」
「分かりませんけど、あそこにもサイバー課という部署があるらしく、結構な凄腕が揃っているようです。」
加賀は松任の進言を聞き入れた。
「専務。もう一つ気がかりなことがあるんです。」
「何だ。」
「山県部長から専務のお見にも入っているかと思いますが、コンドウサトミの件です。」
「あぁ。それこそ藤堂の動機と直接関係することだから警察が捜査しているだろう。」
「それがなんですが、さっきも佐竹と話しをしとったんです。」
「何かわかったのか。」
これについては佐竹が答えた。
「これもドットメディカルからの出向者と話し合ってひとつの可能性に行き着きました。」
「なんだ。」
「藤堂の協力者がいます。」
加賀の目が鋭く光った。
「行内か?」
「それは分かりません。」
「なぜ協力者がいると言える。」
「藤堂がコンドウサトミの顧客情報を抹消するには2つの壁をクリアしなければなりません。」
「それは。」
「ひとつは抹消オペレーションそのものの習得。もうひとつは物理セキュリティの解除即ち、小松部長だけが持っている承認カードです。」
「何?」
「オペレーションコードやシステムの概要を誰かが藤堂にしっかりとレクしないと、まずコンドウサトミの情報を抹消する事はできません。そして仮にそれをあいつができたとしても、部長しか持っていない承認カードがないとそのオペレーションは通りません。つまり。」
「…つまり?」
「当行のシステムの情報を外に流し、小松部長から承認カードを奪った人間がいる。」
「え?」
「専務。本当に小松部長は自殺だったんですか。」
「え?佐竹?お前何言ってんだ。」
佐竹の意表をつく問いかけに松任はあたふたした。それとは対象的に加賀の動きが止まった。
「部長のカードが何らかの形でスキミングされるとか考えられないんです。」
「佐竹君。その手の鍵みたいなものはマスターキーみたいなものがあるだろう。それを使って承認オペをしたとかは考えられないのか。」
「いや。専務。顧客情報の抹消は非常に重要なオペレーションなので、それだけはマスターでできないんです。部長が持っているカードだけがその鍵を開くんです。」
「それは本当のことか?」
「はい。」
肩を落とした加賀はため息を付いた。その様子を見た松任が彼に声をかけた。
「え?専務。」
「自殺ね…。」
「え?違うんですか?」
加賀は頷いた。
「まさか…。」
「公表はされていないがね…。」
松任は膝から崩れ落ちた。
「な…なぜ…警察は公表を…。」
「わからん。都合が悪いことでもあるんだろう。」
ソファーから滑り落ちるように松任は呆然として絨毯に膝をついた。佐竹は彼の様子を横目に口を開いた。
「どおりで…。」
「何だ。」
「警察の反応が薄すぎるって。さっきも次長と話していたんです。」
「そうなのか…」
「ええ。捜査事項照会書の件もほぼスルーです。」
「松任次長。佐竹課長。このことはくれぐれも内密にな。俺もある方面から聞いた話だ。一部の人間しか知らない。」
「ある方面とは?」
「それは言えない。」
佐竹は時計を見た。時刻は17時半を回ろうとしている。総務部は別室にこもる常務たちを除き、他は退行してしまった可能性が高い。彼はその場に項垂れる松任の体を抱え起し、急ぎ専務室を後にした。
専務室でひとりになった加賀は自席に配されているデスクトップ型の端末を操作した。そしてその人事録の中からひとりの男の情報を抽出し、それに見入った。
「橘圭司か…。」
彼は携帯電話を取り出した。
「ああ俺だ。お犬さまがいらっしゃったぞ。」