第三十七話

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第三十七話
五の線2 第三十七話
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「どうしたんですか。先生。」
相馬と京子は先ほどの生徒指導室に戻って、再びソファに座っていた。
「まさか本当にお前らがここに来るとはなぁ…。」
こう言いながら生徒指導室の長である西田は自席の引き出しを開け、何かを探しているようだった。
「あぁ…あったあった。」
お目当てのものが見つかったのか、西田は安堵の声を出しそれをポケットに仕舞いこんで、相馬と京子に向い合ってソファに掛けた。
「相馬周君だね。」
「はい。」
「で、君が片倉京子君。」
「はい。」
西田と2人は直接的な接点はない。そのためか3人の間にはどこかぎこちない空気が漂っていた。
「昔、俺が剣道部の顧問やったん、君ら知っとるか?」
「え?」
「そうなんですか?」
西田が剣道部の顧問だったのは相馬も京子も初耳だった。
「もう随分前のことやけど、俺の顧問の時に県体で準優勝したんやぞ。」
「ええ!? 先生の時やったんですか?」
「ほうや。」
西田には生徒指導の長というイメージしかない。学校内で問題が起こると、この西田が生徒の前に出てきてあれこれと説教を垂れる。時には諭すように、そして時には鬼の形相で生徒たちを叱った。担当科目は日本史だが、相馬も京子も彼の授業を受けたことがなかった。北高には鬼軍曹のような生徒指導の教員、西田がいる。こいつだけには睨まれないようしなければならない。そんな認識しか相馬と京子にはなかった。しかしこの男がかつて剣道部の指導をしていた。しかも黄金期の指導教員である。
「県体準優勝って、一色さんの時代っすね」
「おう。そうや。お前一色のこと知っとるんか。」
「知らんわけないでしょう。最強時代のことっすから。」
「ほうかほうか。」
西田は満更でもない表情であった。
「って言っても…。」
相馬がこう言うと西田の表情は一転して曇った。
「あの事件の世代っすよね。」
「…ああ。」
「インターハイで優勝した鍋島さんとか…。村上さんとか…。」
「相馬君。いいよ。それは気にすんな。君ら世代には直接的に関係はない。当時卜部先生が君に言った通りや。」
「でも…。」
「何や?」
「俺、正直あの時の一色さんらへの対応が正しかったかどうか分からんがです。」
「どういう意味で?」
「だって、結局一色さんは犯人じゃなかったんでしょう。それなんに俺、一色さんはじめあの当時の連中は俺らと一切関わりないって切り捨てたんですから。」
「相馬君。それは当たり前の対応やと思うぞ。」
「え?」
「だって君ら直接、あいつらに接点なんかないやろう。」
「先生。それは違うんですよ。」
「何が?」
「俺ら、一色さんに直接稽古つけてもらったことあるんです。ほんで、あの人から俺らが強くなるための稽古メニューまで貰って、ほんでその通り練習して、一応ベスト4の結果出したんです。」
西田は黙って相馬の言い分を聞いた。
「ほやけど、俺、卜部先生と話して一色さんははじめ、あの世代の人らはあかの他人やって切り捨てたんですよ。」
「そりゃ仕方ねぇやろ。お前ら受験控えとれんし、変な精神状況を創り出すとそれにも響いたやろう。俺だって卜部先生と同じ立場やったらそうしとるわいや。」
相馬は黙った。
「結果的にお前ら連中はみんな受験成功したんやろ。むしろお前自身の決断が正しかったと胸張れま。」
西田は相馬の肩を叩いた。
「しっかし…一回竹刀を交えただけで相馬周っちゅう人物の事をここまで理解しとるとはね。」
「え?何です?」
「君らがいつかまたここに来るのは分かっとった。」
「は?」
「んで、これを君らに渡すよう言われとった。」
西田は長3封筒を相馬と京子の前にそれぞれひとつずつ差し出した。
封筒の宛名面には郵便枠だけが印刷され、ペンで相馬周殿、片倉京子殿と書かれている。それをひっくり返すと裏面には何も書かれていなかった。
「何ですこれ。」
「一色からや。」
「え?」
「え?」
「お前らがここに来たらこれを渡すよう言付かっとったんや。」
「え?西田先生。ちょっと意味がわからんがですけど。」
「心配すんな。俺も意味がわかっとらん。話半分にあいつの話を聞いて頼みごとされて、あれから何年か経って本当にお前らが2人揃ってやって来たってわけや。」
とりあえず開けてみろと西田は促した。しっかりと糊付けされた蓋の部分を2人はハサミで開封した。中には3つに折り畳まれた何枚かの罫紙が入っていた。
「あいつ、予言者かいや。」
相馬と京子はそれを手にしてそれぞれ読み込んだ。
暫くして相馬の手が震え出した。彼の額には汗が滲み出ている。対する京子もただ事では無い様子でそれを読んでいる。
「おい。お前ら大丈夫か。」
西田が掛ける声に2人は反応を示さない。一心不乱に手紙を読んでいる。西田は溜息を吐いて生徒指導室の換気扇の下に移動し、そこで煙草の火をつけた。
回る換気扇に自分が吹き出す紫煙が吸い込まれていく。その様子をただ眺めていた西田の耳に相馬の声が暫くして入ってきた。
「…先生。この手紙っていつ一色さんから受け取ったんですか。」
「あ?」
振り返ると顔つきが変わった2人の姿があった。
「熨子山事件の半年程前か…。」
「って事は、あの人が俺らに稽古つけてくれた頃っすか。」
「まぁそうなるんかな。季節は丁度今時分やった。」
喫煙を終えた西田は2人の前に改めて座った。
「何やお前ら。顔つき変わったな。何書いてあったんや。それ。」
「言えません。」
そう言うと相馬は京子を見た。京子も相馬に同意して頷くだけである。
西田はやれやれと言って、もう一通の封筒を取り出した。
「え?」
「俺もあいつからお前らと同じように手紙貰っとってな。」
彼が手にする封筒にも相馬と京子に渡されたものと同じように、宛名面にペンで西田教諭殿と書かれていた。
「俺はこの手紙に書いてある事だけを今お前ら2人にした。それだけ。」
「マジっすか…。」
「ここにお前に中身の事聞いてもきっと話してくれんって書いてある。」
相馬も京子も信じられないという表情である。
「ヤバいっすよ…。」
「お前らの顔つき見ると、どうも尋常じゃない内容みたいやな。」
「…はい。」
「心配すんな。俺もお前らと同じ反応やった。」
「先生も?」
「ああ。」
大きく息を吐いた西田は相馬の目を見た。
「剣道部内の事は部長がしめろ。」
これには相馬は即答できない。妙な汗がただ頬を伝うだけである。
「何で自分なんやって思うかもしれん。それは分かる。途轍もなく大きな課題を突きつけられとるってのも分かる。ほやけど、お前らぐらいなんやあいつの期待に応えられるのは。」
そう言うと彼は手にしていた封筒の中から書類を抜き出してシュレッダーにかけた。
「打てば響く、叩けば鳴る、当たれば砕く。」
「打てば響く、叩けば鳴る、当たれば砕く…。」
「それが一色のお前に対する評価や。相馬君。」
「…俺の?」
「一回だけ稽古をしたからって何でそんなことが分かるんやって顔に書いてあるぞ。」
「そりゃぶっちゃけそう思いますよ。」
「まぁなんかあいつにお前の存在が響いてんろ。」
「はぁ…。納得いかんですわ。」
「もうひとりお前と同じ評価の人間がおる。」
「誰ですか。」
「いや。それは蛇足やな。気にすんな。」
「教えて下さいよ。西田先生。」
相馬の服の袖口を京子が摘んだ。
「やめなよ。周。」
「何ねん。」
「私は周をセーブする役目があるの。だから止めな。」
「あ…ぉう…。」
2人のやりとりを見て西田は笑みを浮かべた。
「ほら、相馬。片倉はその気やぞ。お前、腹括れや。」
「ちょっと待って下さいよ。」
「何ねん。手紙読んだ直後は結構本気な顔しとったんに、びびったんか。」
「いや、ちょっと…これ…俺っすか?」
相馬の頬が平手打ちされた。
「しっかりしてま‼︎ あんた男やろいね。」
隣に座っている京子であった。
「あん時みたいに逃げるんかいね。」
「京子ちゃん…。」
「卜部先生と示し合わせて、一色さんなんか関係ないって切り捨てた時みたいに、当の本人からの遺言も此の期に及んでびびって逃げるん?」
「何言っとれんて。今回はほんな簡単なもんじゃねぇげんぞ。」
「じゃあ熨子山事件んときは簡単なもんやってんに逃げたん?」
「は?」
「自分がこの世から居らんくなったときの事考えて、こんな遺言まで書いて、私らに仕事を託してくれとれんよ。周は一色さんの事厄介者みたいに思っとるかもしれんけど、あの人、私らの事評価してくれとれんよ。何でもかんでも簡単とか難しいとかって自分の都合で決めんといてや。」
「何ぃね。俺の手紙に何書かれとらんか知らんがに、適当なこと言うなま。」
「知っとるよ。」
「え?」
「周のとこに書かれとること。」
「え?」
「私のとこに全部書いてある。」
「はい?」
相馬は手紙を見直した。
「え?ちょっと待ってや…。俺の手紙の内容は俺だけにしか分からないようになっている。他言無用でお願いします。」
「って書いておいたので、相馬君の手綱は片倉君が引っ張って下さい。」
「はぁ?」
「周。やるよ。」
「ってか…お前…。」
「私らが大きな役割を担っとれんろ。」
「でも…。」
「大丈夫やわ。私らだけじゃないもん。西田先生もそうやったもん。」
京子のこの言葉に西田は頷いた。
「流石、片倉捜査一課課長の娘さんや。肝がすわっとる。」
「あれ?先生。うちのお父さんのこと知っとるん?」
「あぁ。手紙に書いてあった。」
「でもお父さん、今は普通のサラリーマンですよ。」
「あ、そうなん?」
「はい。なんか営業やっとるみたいです。」
片倉肇の近況について言葉を交わす2人を横目に相馬は深く息を吐いた。
「…いいんか?京子ちゃん。」
京子は複雑な表情を見せたが、それを払拭するように相馬の背中を思いっきり叩いた。
「痛っ。」
「仕方ないわいね…。」



金沢駅構内のコンコース。片倉が兼六園口から歩いて来た。スーツ姿に革の鞄。疲れた様子でキヨスクでタバコを買い、それをジャケットのポケットにしまって工事中の北陸新幹線改札口を眺めた。
大きく息を吐くと彼は踵を返して隣接する商業施設に向かって一歩を踏み出そうとした。瞬間何かが当たった。
「あいたたた…。」
「あ‼︎ すんません。」
通りすがりの老婆が片倉に接触したようで、彼女が持っていた買い物袋が床に落ち、その中身が散乱した。
「申し訳ございません。」
片倉はそう言うと散乱するそれらを掻き集めた。
「あーあ。」
「本当に申し訳ございません。」
彼は原状を回復させた買い物袋を彼女に差し出した。
老婆は何度も謝る片倉の様子にかえって恐縮した様子である。
「なおすんません。」
「ご苦労さん。」
こう言うと片倉はニヤリと笑い、握りしめた右手拳をポケットに突っ込んでその場から立ち去っていった。