第三十四話

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第三十四話
五の線2 第三十四話
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「おいおいおい。」
月曜昼過ぎのセバストポリは比較的空いていた。
「何やこれ。」
「裏取りました。これでどうでしょう。」
黒田から渡された書類にひと通り目を通した片倉はそれを鞄にしまって、タバコに火をつけた。
「やったな。黒田。」
「ありがとうございます。」
「しっかしお前の直感って奴も捨てたもんじゃねぇな。」
黒田はこの言葉に顔を綻ばせた。
「片倉さん。貴方がいま刑事だったらどう対応します。」
「そりゃあ、俺なりに裏取って検挙やろう。」
「そうですよね。正義一直線の片倉肇捜査一課課長でしたからね。」
「なんだよ。気持ち悪いこと言うなま。」
「熨子山の時もそうだったじゃないですか。」
「あん?」
「松永管理官に食ってかかって干されて。」
「うるせぇ。そんな大昔のこととうに忘れたわ。」
「一色部長にもよく突っかかってたらしいじゃないですか。」
片倉はタバコの煙を吹き出して遠くを見つめた。そしてゆっくりと口を開いた。
「背乗りか…。」
「ええ。どのタイミングからは定かではありませんが、おそらく大学入学時からでしょう。」
「しっかしお役所の職務怠慢もいい加減にしろってんだ。」
「血縁者が二人とも死亡し、全く身寄りがない征爾の失踪宣告請求が為されないまま放置ですから。戸籍調べなかったらそのままでしたよ。」
「どうやって調べた。」
「工夫すればできますよ。」
「ふっ。」
黒田はアイスコーヒーに口をつけた。
「で、です。」
「おう。お前が俺に直接会いたいって時は、俺から何かを聞きたい時って決まっとる。」
「ご明察。」
「いいよ。おもれぇネタ引っ張ってきたんやしなんでも聞きな。」
「その仁川征爾の件の続きになるんですが。」
「うん。」
「片倉さん。熨子山事件の際、その昔、赤松忠志が村上と鍋島によって自殺を装って殺害された背景があるとか言ってたじゃないですか。」
「ああ。そんな事までお前にしゃべっとったかな。」
「ええ。ブレーキ踏まずに崖から転落。一件自殺に見えるこの赤松の死を警察は事故として処理した。しかし当時の赤松には自殺する原因が見出せない。赤松忠志は公共事業をめぐる本多の不正の秘密を知っていた。その暴露を恐れた当時の本多の秘書、村上隆二とその仲間である鍋島惇によって事故を装って殺された可能性が高いって。」
「流石熨子山事件ウォッチャー黒田。よく覚えとんな。」
「それに似てるんですよ。」
「何が?」
「仁川の両親の死が。」
「何?」
「いま片倉さんに渡した資料には征爾が近畿地方の土石流災害に遭って、あいつの両親は間も無く事故で死んだって事になっています。」
「おう。」
「ですけど当時のことを知るある人から聞くところによると、2人は自宅近くの山道でブレーキひとつ踏まずに崖から転落して死んだらしいんですよ。」
片倉の眉が少しだけ上がった。
「愛する息子が災害で行方知れず。生きる希望を見出せずに心中したんじゃないかって普通ならそう思うでしょう。」
「おう。」
「けど、これも事故で処理されているんですよ。」
「臭い。」
「ええ。」
片倉の顔つきが変わった。一般商社に勤める男の顔ではない。彼のそれはまさしく往年の刑事の顔つきそのものであった。
「現場は山道ですけど、仁川家の近くです。普段使いしている生活道路でそういう事故起こすって考えられないと思いませんか。」
「車の整備不良は?」
「当時の記録からは確認できません。」
「まぁ一般論で言えばお前の言う通り、事故って言うのは考えにくい。」
「でしょう。それなのにあそこの当時の警察は事故で処理したんです。」
「裏は?」
「さっき取れました。」
「どこから。」
「それはいくら片倉さんでも拷問にかけられても言えません。」
「本当か?本当のことか?」
「はい。そこで聞きたいんです。これってありなんですか?」
「無い。」
片倉は即答した。
「ではどんな可能性が。」
「黒田。お前もサツ回り長いやろうから馬の耳に念仏かもしれんが、心中には4つの可能性があるのを知っとるやろう。」
「はい。ですが念のため教えてください。」
黒田は確認するようにメモを取り出した。
「心中に見える病死。心中に見える事故死。一方が無理心中。心中に見える他殺。」
「そのうち前の2つはちょっと当時の状況を見て首を傾げたくなるものですけど、後の2つは…。」
「可能性は捨てきれない。」
「問題はこの後の2つに関して、当時充分に捜査がされていたかどうかって事ですね。」
「そう言う事。」
「これ以降はちょっと俺の方で調べることができないんで、警察OBのあなたの力で調べてくれませんか。」
「わかった。」
「そうそう。」
黒田はカバンの中を弄って物を取り出した。
「何やそれ?」
「そのうち片倉さん、仁川と会うんでしょう。」
「おう。」
「その時にこれを見せればいいと思いますよ。」
そう言って黒田はそれを片倉に手渡した。
「カメラなんか何すれん。」
「あいつが俺の調べに反して本物の仁川なら、それを見てきっと何かの反応を見せます。何も反応しなかったら、これで決まりです。」
「どういうことや。」
「あいつの親父のカメラです。」
片倉はわかったと言って、それを鞄にしまった。そして彼は残っていたアイスティーを飲み干し、席を立とうとした。
「待って下さい。片倉さん。」
「何や?」
「今日はまだ有るんですよ。」
片倉は左腕の時計を見た。セバストポリで黒田と合流して30分は経っていた。今日は黒田から一方的に情報を貰っている。これからは黒田のターンだ。しかし今の片倉は次の予定が控えているため、黒田からの質問攻めはほどほどにして欲しいのであった。
「藤堂って誰なんですか。」
「はぁ?」
「金沢銀行の守衛を殺したと思われる藤堂ですよ。」
「分からんよ。てか俺、刑事じゃねぇげんぞ。それは現役の連中に聞いてくれま。俺がお前に教えてやれるのは熨子山事件に関することぐらいや。」
「分かりました。じゃあその現役捜査官を誰か紹介して下さい。後で聞きますから。」
「後で?んなら今日はこれでお開きってことで良いか?」
「駄目です。」
「何ねん。俺、この後商談ねんわ。何でも答えるから頼むから今日のところはこれで勘弁してくれま。」
「事態は急を要します。」
「何ねん。」
「片倉さん俺に教えてくれましたよね。熨子山事件の背景に一色の交際相手である山県久美子のレイプ事件があるって。」
「ああ。こないだお前に渡した胸糞悪りぃ書類な。」
「その山県久美子が今度は藤堂に狙われています。」
貧乏ゆすりが止まらなかった片倉の足の動きがピタリと止んだ。
「何?」
「何のご縁か分かりませんけど、偶然耳にしたんですよ。」
黒田はカバンの中からイヤホンを取り出してそれを携帯電話に挿した。
「俺の個人的な取材にも協力してくれる信頼できる仲間が居ましてね。偶然とある居酒屋でこんな話を耳にしたんですよ。」
黒田は片倉にイヤホンを装着するよう促し、安井からメールで送ってもらった音声ファイルを再生させた。

「藤堂が自分から俺に接触してきた。」
「いつです。」
「ついさっきの事や。」
「警察には? 何で?」
「警察に言うなって。」
「はい?」
「警察に言ったら駄目ねんて。」
「ちょっと待ってくださいよ。それで部長はうんって言ったんですか?」
「うんとは言っとらん。」
「それなら早く言ったほうがいいですよ。」
「言えんげんて。」
「え?何言ってるんですか。」
「久美子が人質に取られた。」
「はい?」
「もしも奴のことを警察に言うと久美子がヤられる。」
「何で?」
「知らん。」
「ヤられるって…。まさか殺されるって事ですか?」
「違う。犯される。」

このわずかな時間の音声を聞いた片倉の表情はこわばった。
「おい…これ山県と佐竹じゃいや。」
「ええ。そうなんです。」
「藤堂が山県と接触したやって?警察に言うな?」
「警察にチクったってのがわかった段階で、山県久美子は再び犯されることになるらしいです。」
片倉は頭を抱えた。
「やべぇな…。」
「はい。やばいんです。」
「うーん…。」
「なんか、片倉さんの力で山県久美子に護衛をつけさせるとかできないんですか。」
「だら。俺は一般サラリーマンやぞ。ほんなもん出来っかいや。」
二人は黙りこんだ。
「そうや。」
「なんです?」
「そうや。なるほど。ナイスタイミング。」
片倉は勝手に納得し、胸元から取り出した携帯電話を操作した。そしてテーブルに備え付けられていた紙ナプキンを一枚引き抜き、そこに携帯電話に表示されている電話番号を転記した。
「これ。」
「誰です?」
「お前、さっき藤堂の情報流してくれる人間教えろって言っとったやろう。」
「ええ。」
「こいつに聞け。ほんで山県久美子の護衛もこいつの力借りろ。」
「え?ちょっと、片倉さん。名前ぐらい教えて下さいよ。電話番号だけ教えられても困るじゃないですか。」
「こっちから一本連絡入れとく。こいつからお前の携帯に連絡するようにしとくから、これアドレス帳に今すぐ登録しろ。」
黒田はメモを見ながらそれを自分のスマートフォンに登録した。片倉は何故か名前を教えてくれないため、彼はそれを仮に「謎の男」と登録した。その様子を覗き見していた片倉はぷぷっと笑い、
メモが書かれた紙ナプキンを回収して、ご丁寧にそれを鞄に仕舞った。
「この人誰なんですか。」
「すぐ分かる。」
片倉はこう言うと一旦席を離れてトイレに向かった。五分ほどして彼は帰ってきた。
「すまんが今日はこれでお開きにしてくれるか。」
「え?」
「ちょっとどうしても離せん商談ねんちゃ。わりぃ。」
「え?ちょっと…片倉さん。こんなので本当に大丈夫なんですか。」
「大丈夫や。心配すんな。正義一直線や。」
荷物を片付ける片倉を黒田は見つめるしかなかった。
「ああ、そうや。その音声ファイル俺んとこにも送ってくれんか。」
「あ、はい。」
「俺も出来るだけのことやってみるわ。」
そう言って片倉は勘定を済ませてセバストポリから去っていった。
「本当に大丈夫かなぁ。」
黒田はスマートフォンを操作し音声ファイルを片倉宛に送った。
「おかわりどうですか?」
しばらくして店主の野本が黒田に声を掛けた。
「あっ…じゃあお願いします…。」
にこやかな笑顔を見せて黒田の目の前のアイスコーヒーを代わりのものに交換した。
「これは片倉さんからです。」
「え?まじですか。」
「あなたの分も済ませて行かれましたよ。どうぞごゆっくり。」
「あ、ええ…。でもそんなにゆっくりもしてられないんです。」
「あれ?お客人が来られるんじゃなかったんですか?」
「客人?」
黒田の携帯電話が鳴った。
謎の男からである。何者か分からない人間からの電話。黒田は一瞬それにでるのを躊躇した。
「お客さんですね。」
この野本の言葉に背中を押されて黒田は電話に出た。
「はい…。黒田です。」
「謎の男です。あと10分でそこに着きますので少しだけ待っとって下さい。」
簡潔なこの一言だけで電話は一方的に切られた。
「それではごゆっくり。」
野本は笑みを浮かべて黒田に背を向けた。