第三十二話

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第三十二話
五の線2 第三十二話
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「やはりまずいですな。」
「そうでしょう。」
月曜14時。勤務先側の蕎麦屋の奥座敷で向かい合って食事をとる加賀と小堀があった。
「どこからの情報なんでしょうか。」
「それは言えません。ですが信頼できるところからです。」
小堀は蕎麦を啜った。
「論より証拠。いくら優良先って言ってもあれじゃあ無理ですわ。」
「百歩譲って随分昔のことで知らなかったって言うならまだ分かりますけど、ごく最近の話ですから。」
「いずれ本店営業部から融資稟議上がってきますよ。」
「稟議が上がってきた段階で対応しましょう。いまのうちから営業部でそれは無理ですって言えないでしょうから。」
「融資部で否決ですか。」
「はい。」
「そんなことしたら営業部が融資部に怒鳴りこんできますよ。」
「それは小堀常務の驚異的な調整で。」
小堀は唸りながら蕎麦を啜った。
「しかし、最近は融資部の成績が芳しくありませんな。」
「代弁、延滞これが冨に多い気がしますね。」
「実行額は昨年対比1割増なんですけどな。ちょっと甘々ですかね。」
「いや、それほどザル融資ってこともないですけどね。何なんでしょう。」
蕎麦を食べ終わった加賀は口元を備え付けの紙ナプキンで拭き、茶を飲んだ。
「今はあまり融資部に言及しないでおきましょう。小池田さんも小松さんを亡くして相当ガックリきてるんですから。」
「そうですな。」
「常務はどう思っているんです?」
一足先に蕎麦を食べ終わっていた小堀は爪楊枝で歯間の手入れに余念がなかった。
「小松部長の件ですか。」
「ええ。」
テーブル隅に置かれた冷えたお茶が入ってるピッチャーを傾げて、小堀は加賀と自分の分を湯のみに注いだ。
「専務…。ワシこそ信じられませんよ。」
小堀はどこからか顆粒の薬を取り出してそれを口に含み、茶で流し込んだ。
「あいつの遺族とも会いましたけど、取り乱し方が半端じゃない。奥さんはとても人前に出られる状況じゃないですわ。それだけ身内の人間でもあいつが自殺なんかすることが予想できんかったって事です。」
「ふーっ。実はね。常務。」
「はい。」
このタイミングで店の扉が開いた。融資部の小池田である。小松の死を受けて彼は憔悴しきった様子でカウンター席に座った。その様子を加賀と小堀は気の毒そうに見た。
「これは流石に今の小池田さんには言えない話なんですよ。」
「なんです?」
「山県部長言ってたでしょう。」
「え?あいつ何言ってましたっけ。」
「コロシじゃないかって。」
「え?まさか?」
加賀は頷いた。
「しかも随分酷い死に方らしいんです。」
「え?どういうことでしょうか。」
小池田に悟られないように小声で加賀は続けた。
「首がない。」
「はぁ?」
思わぬ大きな声を出した小堀の口を加賀は咄嗟に塞いだ。
「こら。常務静かに。」
「あ…すいません。」
加賀は小池田の方を見た。彼は蕎麦を不味そうに啜っている。
「正確には首がなかった。今は現場から随分と離れたところで発見されて繋がれた状態らしいです。」
「どういうことですか。」
「警察発表では自殺ということになっているが、外見上は明らかに他殺だそうです。」
「何やって…。」
「小松部長が誰かによって殺されたってことが世間に明るみになるとまずい事があるんでしょう。だから警察は自殺と公表している。」
「そんなだらな事…。専務その手のオカルト話は信用したらいかんですよ。」
「オカルトならいいんですけど、確かな情報源からです。」
「本当ですか…。」
「小松部長は自殺したわけじゃない。誰かに殺された。常務。小松部長の交友関係で何か思い当たる節はありませんか。」
小堀は動揺を隠しきれない様子で茶をすすった。
「専務、それは警察関係からのリークですか。」
加賀は頷く。
「でも表向き警察は自殺って言っているわけですよね。」
「ええ。」
「そこを儂らの方でこそこそ警察ごっこみたいに詮索するのは、警察組織の内部抗争にまで儂らが巻き込まれることになりませんか。」
「常務。同僚が酷い死に方をしたんですよ。放っておけますか?」
「う~ん…。」
小堀は腕を組んで考えた。
「それは山県は知っとるんですか。」
「彼は知りません。まだ彼の中での推理で止まっています。」
「小松が誰かに殺されるほどまずい話を握っとったか…。」
「何か心当たりはありませんか。」
「融資部とか現場の営業店勤務なら、まだ債務者の恨みとかでってのも分からんでもないですけど…。あいつ総務部でしょう。」
「総務部のステークホルダーは?」
「総務部の?」
「ええ。」
「あ。」
何かに気がついた小堀の表情を見て、加賀は真剣な眼差しを彼に送った。
「ドットメディカル。」
「そう。土曜日に山県部長から報告があったウチのシステムとドットメディカルの関係。」
「まさか…。」
「まさかと思いたいんですがね。」


相馬周と片倉京子は金沢駅にあった。長谷部の車で手取ダムまでドライブし、その帰り道で二人はここで降ろされた。長谷部は相馬と京子の微妙な関係のことは理解している。早く二人がくっついてしまえばいいのにとやきもきする長谷部なりの二人に対する気遣いだった。もっとも彼自身が早く岩崎と二人っきりになりたいという意図があってのことだが。
「バス暫く来んね。」
「ほうやね。」
自宅方面に行くバスは先ほどこの停留所を出たばかり。次のバスが来るまで30分ほど待たなければならなかった。
「今日はありがとう。」
京子が突然相馬に言った。
「え?」
「私、誘ってくれたがいね。」
「あ、ああ。」
「ちょっと嬉しかった。」
「やめれま。」
反射的に反応した相馬を快く思わない京子は担いでいたリュックを右手に持ち、彼をそれで殴った。
「痛っ。」
学校の教材がぎっしり入ったそのリュックの重量感は立派なもので、相馬は鈍い衝撃に本気で声を出した。
「だら。」
「なんねん。」
「このタンパク男。」
「うっせー。バイオレンス女子。」
どちらも本気で相手を貶しているわけではない。それは端から見ても分かる。お付き合いしている二人が妙な形でじゃれあっているようにしか見えない。
「あ。」
金沢駅にはバス停が幾つもある。その中のひとつの停留所にひとりも乗客が乗っていない一台のバスが滑りこんできた。
「北高行きのバスや。」
「ほんとうや。」
「あー懐かしい。」
「ほうやね。」
相馬も京子も家が近所であることから同じバスに乗ることがほとんどだった。金沢南部の自宅から香林坊までバスで行き、そこでこの北高行きのバスに乗り換えて片道1時間の道のりを何の言葉も交わさずに過ごした。帰りのバスの中でもあまり口を利かない。そんな高校時代だった。その頃から比べて今の二人は普通に会話をするくらいにまでその距離は近づいているわけだが、あと一歩のところでお互いが結界を張っているかのようである。
「北高か。」
昨日、香林坊の喫茶店で北高剣道部の頃の事を京子に蒸し返された。相馬はその事を思い起こしていた。

「私は周みたいにすっぱり切り捨てることはできんわ。だって一色さん来たことあったいね。」
「一回しか会ったことないけど、北高剣道部の黄金期を作った部長の一色さんやよ。私らあの人が作った練習真似してベスト4まで行ったんやがいね。」
「…。」
「会ったこともない人ならまだ分かるよ。でも私らあの人に会ったことあれんよ。ほんで稽古もつけてもらってんよ。そんねんに周はばっさりその人の事切り捨ててんよ。そら確かに言うほどの繋がりはないよ。けど何かあの時の周…。」
「何?」
「いつか私も周にそうされるんじゃないかって…。」

「北高に行ってみっか。」
「え?」
唐突な相馬の提案に京子は戸惑った。
「何か久しぶりに竹刀振り回したくなってきた。」
「何言っとらん。周、防具も何も持ってきとらんがいね。」
「別に稽古したいわけじゃないよ。ただあそこの空気吸いたくなってきただけや。」
京子は呆れた顔で相馬を見た。
「どう?」
京子は携帯電話を見た。時刻は16時。ここから30分はかかるので北高につく頃は丁度稽古が始まっている頃か。剣道部のOBとOGが二人っきりで母校を訪問する。この情景を見た当時の関係者は二人の関係をどう推察するだろう。きっと卒業し二人は付き合っているのだと思うはずだ。しかし京子は相馬とそれほどまでの距離の詰め方はしていない。変な誤解を他人に生じさせると何かと面倒なことになる。しかし相馬の誘いも嬉しい。逡巡する間に気が付くと彼はバスに乗り込んでいた。それを見た京子は咄嗟にそれに乗り込んだ。
京子がバスに乗り込むのを見計らってバスの扉は締り発進した。
「あのさぁ。」
「ん?」
「昨日、京子ちゃん言ったがいね。」
「何。」
「ほら…俺がいつか京子ちゃんをばっさり切るとか…。」
「あ…うん。」
「そんなことはするつもりはないよ。」
京子は少し顔を赤らめながら隣に座る相馬の方は見ずに頷いた。
「ただ…。」
「ただ?」
「何か無性に気になってきたんやって。」
「何が?」
「ほら一色さんのこと。」
「どういうふうに?」
「何であの人、北高に来て俺らに直接稽古つけてくれてんろって…。」