第二十七話

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第二十七話
五の線2 第二十七話
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「おい。黒田。起きろ。」

北陸新聞テレビ報道フロアの自席に突っ伏して寝ている黒田を安井は摩った。しかし彼はムニャムニャとしか言わない。見かねた安井は渾身の力を込めて彼の頭を叩いた。

「って〜。」

頭を抱えた黒田は顔を上げた。

「おい。オメェ俺様を無視か。こら。」

「知りません。」

再び黒田は机に突っ伏そうとした。

安井は黒田の胸ぐらを掴んで、彼を力ずくで起こした。黒田は眠い目を擦り携帯のホームボタンを押した。

「ヤスさーん。勘弁してくださいよ。1時じゃないですか。」

「ああそうだよ。」

「何すか?火事っすか?火事ならヤスさんひとりで行ってくださいよ。」

「違ぇよ。いいから起きろ。」

安井はミネラルウォーターが入ったペットボトルを黒田に差し出した。大きなあくびをして栓を開けそれに口をつけた。

「うぇー。…あれ?…なんか…酒臭い。」

黒田の目の前には赤ら顔の安井があった。

「何だよ。悪りぃか。」

顔を両手で擦り、黒田は再び時計を見た。時刻はやはり1時である。

「何でヤスさんが此処に居るんです?」

「オメェこそ何でここに居るんだよ。」

「何でって。ちょっと調べものを。」

「あれか。」

「まぁ。」

「お前、好きだねぇ。」

先ほどまで憮然とした表情であった安井の口元に微かな笑みがこぼれた。

「ヤスさんは?」

「俺も調べもの。」

「何の?」

「山県の。」

「え?」

「え?じゃねぇよ。」

「どうしたんです?」

安井は携帯電話を操作した。

「これ聞いてみろ。」


「藤堂が自分から俺に接触してきた。」

「いつです。」

「ついさっきの事や。」

「警察には? 何で?」

「警察に言うなって。」

「はい?」

「警察に言ったら駄目ねんて。」

「ちょっと待ってくださいよ。それで部長はうんって言ったんですか?」

「うんとは言っとらん。」

「それなら早く言ったほうがいいですよ。」

「言えんげんて。」

「え?何言ってるんですか。」

「久美子が人質に取られた。」

「はい?」

「もしも奴のことを警察に言うと久美子がヤられる。」

「何で?」

「知らん。」

「ヤられるって…。まさか殺されるって事ですか?」

「違う。犯される。」


安井は携帯電話をしまった。

「何ですこれ…。」

「お前に言ってたろ、俺が最近よく行く居酒屋に山県が来るって。」

「ええはい。」

「今日もそこに行ったらさ、二階の座敷の方で大声で暴れる山県が居たんだよ。偶然。大将が止めて収まったんだけどさ、また大きな声を出すもんだから、俺に摘み出せって大将が言ってきてさ。」

そう言うと安井は自分の腰回りを大きな右手でボンっと叩いた。相撲留学のため高校時代に金沢にやって来た経歴を持つ彼の腕っぷしの強さは、折り紙つきである。

どういう理由なのか分からないが、石川県は相撲が盛んな地域である。高校相撲の全国大会は金沢市の卯辰山相撲上で毎年行われ、そこは高校相撲のメッカとさえ呼ばれている。地元輩出の大相撲力士も多く、横綱、大関といった実力者も少なくない。安井もかつて金沢の相撲の強豪校にその体格の良さをスカウトされ、角界入りを目指した。しかし夢破れ、いまの報道カメラマンという職に就いているのである。

「録音は途中までだ。この先がある。」

「何なんです?」

「久美子が人質にとられたとか言ってるけど、どうもこの藤堂って奴がカメラかなんかで監視しているようなんだ。ああ因みに久美子は山県のひとり娘な。」

「何ですそれ。ストーカーとかですか。」

「わからんよ。黒田さ。まだあるんだって。」

「はい。」

「その久美子はどうやら既に一回、藤堂に犯されているみたいなんだよ。」

「え…?」

「随分な極悪人だな。で、その藤堂って奴は久美子をストーカーのように未だに監視中。それをわざわざ犯した女の親父に言ってさ、それを警察に言ったらまた久美子をヤるとか言ってんだぜ。なぁ。こりゃマジキチだぜ。」

黒田は慌ただしくカバンの中を弄った。だが彼が欲しい書類はなかなか現れない。とうとう黒田はカバンをひっくり返して中身を床にぶちまけた。

「おいおい。なに慌ててんだよ黒田。」

安井の言葉に耳を貸さずに黒田は書類を探す。クラフト紙の角2封筒を見つけた彼はその中の書類を抜き出してそれに目を落とした。

「ヤスさん。藤堂が久美子を犯したって言ったんですね。」

「ああ…。ってかお前、もうちょっと鞄の中身整理しろよ。」

「穴山とか井上とかって人間の名前は出てきませんでしたか。」

「出てきた。こんなやり取りしてたぞ。」


「穴山でも井上でもない。自分がやった。久美子を味わったと。」

「…何だって。」

「こうも言っとった。今度は一色はいない。」

「一色?」

「今度は佐竹、お前が鬼だと。」

「鬼?」


「穴山でも井上でもなくて、真犯人は藤堂なのか。」

「何だよ、お前何か知ってんのか。」

「いや待て、それにしても最後のくだりが気になる。」

黒田は安井の存在を無視するかのように、唯ひたすらに手元の書類を指でなぞりながら、ぶつぶつと独り言を言っている。

「久美子は一色の婚約者だ。確かに一色は死んだ。だから今はいない。今は…。今は?」

「おいおい俺の存在は無視か?」

「待てよ。今度は一色はいないってフレーズは、1回目の犯行時に藤堂は既に一色という男の存在を認識していたということになる。そして今度は一色の同期であり熨子山事件の当事者佐竹に対してメッセージのようなものを山県を介して送っている…。となると、藤堂って男は一体…。まさか、北高の剣道部の関係者なのか。」

「おい黒田!!」

「はい?」

大きめの声で自分の名前を呼ばれた黒田は安井の顔を見た。そして彼の呆れ顔を暫く無言で見つめた。

「ヤスさん。藤堂って誰なんですか?」

「はぁ?おめぇ知らねぇのか?」

「はい。」

「バカ野郎。それをお前に聞きに来たんだよ。」

「あ…。」

「あ…じゃねぇよ。さっさと調べろよ。それはお前の仕事だろ。」

散乱してしまった書類に気がついた黒田は安井の言葉を他所にそれを片付け出した。

「おいてめぇ聞いてんのかコラ。」

「待てよ…。」

「シカトかよ…。」

「ヤスさん。」

「何だよ。」

「警察に言うなって言われてたんですよね。」

「こらっ唾飛ばすんじゃねぇよ。汚ぇな。」

安井は自分の顔面に飛んできた数多の唾液をまるで汚物のように手で払った。しかしその汚物を直接触った手をどうにか始末しなければならない。安井は舌打ちして席を立った。

「警察に言うなってことは、警察は藤堂の存在を知っている。って言うか警察が藤堂を追っている?」

「うわっ臭っせぇ!!」

手に付着した黒田の唾液の匂いを興味本位に嗅いだ安井の絶叫だった。

「山県も佐竹も藤堂の存在を知っている。」

「おいオメェ何食ってんだよ!!」

安井の抗議の声に耳を貸さずに黒田はひとりごとをブツブツと言い始めた。

「警察に言わないといけないって佐竹は山県に言った。佐竹と山県は金沢銀行。金沢銀行と警察…。そうなると昨日の事件か?そうか…そうだろうな…きっとそうだ。」

安井がハンカチで手を拭きながら給湯室から戻ってきた。

「何だ?黒田。」

「ひょっとすると藤堂って男。昨日の金沢銀行守衛殺しのホシかもしれませんよ。」

「マジか。」

「裏とってきます。」

「どこに。」

「県警。」

その辺りに放置していた財布とか携帯電話を鞄に投げ入れ、黒田は出動の構えを見せた。

「待て。」

「え?」

「待て黒田。」

「何で?」

「オメェも聞いたろ。録音。」

「はい。」

安井は黒田が担いだ鞄を奪い取った。

「何すんですか。」

「久美子はどうなるんだよ。」

「あ…。」

「サツに事が知れたら久美子がヤられるんだろ。オメェ責任取れるのかよ。」

「…そうでした。」

「サツにも山県にもパイプを持つ、確実な人間に裏取れよ。」

「誰なんですかそれ。」

安井は机の上に置かれたクラフトの封筒を指さした。

「それしかねぇだろ。」

封筒を手にした黒田はそれをそっと鞄の中に仕舞った。

「さすが目の付け所がヤスさんですね。」

この黒田の言葉に安井はあたりまえだと言わんばかりに頷いた。

「そうだ。ヤスさん。」

「何だよ。」

「ブレーキも踏まずに崖から転落した事故ってヤスさん立ち会ったことありますか?」

「はぁ?」

黒田はおもむろにデスク上のボックステッシュに手を伸ばしてそこから2枚を取り出し、豪快に鼻をかんだ。

「ヤスさん俺より随分キャリアあるから、これと似たような事故現場って知らないかなって思ったんです。」

「なんだよいきなり。」

「いやね。今、ちょっと調べていることがあって、そんな話が昔あったらしいんですよ。警察じゃ事故で処理されたけど、自殺じゃないかって。」

黒田はテッシュを丸めてゴミ箱に投げ入れた。

「おいおい。また警察の胡散臭い話か?金沢港と熨子山の自殺の件でもうお腹いっぱいだぞ。今時ブレーキが故障して崖からダイブするポンコツ車なんかねぇだろ。自殺に決まってるだろう。」

「やっぱり自殺ですよねぇ。」

「あ…。」

「何?」

「待てよ…。」

「なになに?」

「崖からダイブ…。熨子山…。自殺…。黒田…あるぞ…。」

「え?」

「えってお前、知らないのか。」

「何のことですか。」

「赤松だよ。」

「赤松?」

「赤松だよ。ほら熨子山事件のときに出てきたろ。」

「あ…。」

「赤松の親父を、村上と鍋島が共謀して事故に見せかけて殺したって話、無かったか?」

「そう言えば…。そんな話があったような…。」

「何言ってんだよ。その話、お前が俺に教えてくれたんじゃねぇか。」

「言われてみれば…。」

「何?ひょっとしてそれ、お前の創作?」

「いえ…。そうか…通りでどこかで聞いたことがある話だなって思った訳だ。流石ヤスさん‼︎」

「マジかよ。お前、少し休んで頭ん中整理したらどうなんだよ。」

「でも裏とってません。」

この言葉に安井は呆れ顔をし、黒田の鞄を指差した。

「ついでにその事もぶつけてみなよ。」

黒田は自分の鞄に目を落とした。

「久美子って女が危ねぇことになってんだ。報道人って立場もいいけど、兎に角ひとりの人間として何とかしてやるってのも一つ選択だろ。」

「どうしたんですかヤスさん。キレッキレですね。」

「ってかおめぇ何食ったんだって言ってんだよ。」

「はい?」

「口臭ぇんだよ‼︎」

「ゴメンなさい。俺、蓄膿なんです。調子が悪くなると頭、ボーってしてきて…。」

「じゃあさっさと医者に行って来いよ‼︎」

「手術したら一週間は入院ですよ。久美子を放っておくんですか?」

「バカ野郎‼︎」

「ちょっとだけ我慢して下さいね。」

安井は舌打ちし笑みを浮かべた。