第二十五話

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第二十五話
五の線2 第二十五話
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金沢駅側のとある鄙びた居酒屋のカウンター席で山県は盃を傾けていた。

「ちょいちょい。山県さん。飲み過ぎじゃないけ?」

居酒屋友路(ともろ)の店主が山県を気遣う言葉をかけた。

「なーんも酔えんがやて。」

「顔真っ赤にして酔えん訳ないやろいね。あんたもいい歳なんやさかい、ほどほどにしときまっしね。」

「はいはい。」

店の戸を開ける音が聞こえた。

「いらっしゃーい。」

「とりあえずビール。」

「はいよー。」

「お疲れ様です。」

「おう。佐竹。」

「どうしたんですか部長。いきなり。」

「あん?」

「かなり飲んだでしょう。顔真っ赤ですよ。」

「はいビール。」

カウンター越しに店主が素早く付き出しとともにビールを提供してくれた。

「お客さん。山県さん、今日の飲み方半端ないげんて。ちょっと抑えさせてくれんけ。」

「あ、はい。」

「おい大将。もう一杯や。」

「部長。止めといた方がいいですよ。」

「止めん。今日はとことん飲む。」

「明日は仕事ですよ。」

「行かん。休む。」

「はぁ?」

「まぁ飲めま。お前も飲まんとやっとれんやろいや。」

「まあ…。」

会社内では悠然と振舞っている山県もこの泥酔ぶりを見る限り相当参っているのか。情管の責は今は問われていないが、ゆくゆくは沙汰が降りるはず。それを気にかけていた佐竹は人事情報管理の責任を問われる立場の山県と同じく、忸怩たる思いを紛らわせるため酒を一気に飲んだ。そして冷酒を店主に頼んだ。

「あちゃーミイラ取りがミイラやわ。」

「急にお前を呼び出したんにはな。ちょっと込み入った話があってな。」

「何です?」

「お前、秘密守れるか。」

突然の山県の質問に佐竹は戸惑った。目の前の山県は正気ではない。泥酔状態だ。そんな男に秘密を守れるかと言われても説得力がない。こんな状態ではひょっとすると山県はこの場で話したことを明日には忘れてしまっているかもしれないからだ。

「守れっか。」

念を押すように聞く山県はどうやら話を聞いて欲しそうである。

「ええ。守ります。」

この返事に頷いた山県は店主に別室を利用することを申し出た。友路の二階には宴会ができる12畳の座敷がある。今日は空いているそうで店主はそこの使用を快く認めてくれた。佐竹は足元がふらつく山県を肩車し二階へ上がった。座敷のためそこで山県は仰向けになり呆然と天井を見つめた。

「うぇー。飲みすぎた。」

「で何ですか。話って。」

「人にはひとつふたつ誰にも言えんことぐらいある。お前もそうやろう。」

「はい?」

「何惚けとれんて。」

「いえ、本当に意味がわかりません。」

この佐竹の問いかけに山県は答えなかった。

「鬼はお前や。」

「はぁ?」

「今度はお前が鬼や。」

思った以上に山県は泥酔している。いや酩酊状態と言ってもいい。佐竹は彼が何を言っているのかさっぱり分からなかった。

「部長。やっぱり今日は終いにしましょう。」

「そうか、そうやってお前は煙に巻くんか。」

山県の目が座っている。佐竹は彼が自分に対して何かとてつもないマイナスの感情を抱いていることを感じ取った。

「部長。約束は守ります。秘密は守ります。ですから順を追ってお話し下さいませんか。」

「藤堂に会ったぞ。」

「ええ⁉︎」

「お前、藤堂の知り合いねんろ。」

「はぁ?ちょっと意味がわかりません。」

「なに言っとれんて。お前だけに言えって言っとったぞ。しらばっくれるなま。」

佐竹は動揺を隠せなかった。山県が今回の事件の重要参考人である藤堂と直接会ったという事実だけでも寝耳に水の話であるのに、彼はその藤堂が自分の知り合いだと言っている。

「部長。すいません。本当に意味がわかりません。俺が藤堂を知ってる?そんな馬鹿な話がありますか⁉︎」

何故こんな根も葉もない話を山県は自分にするのか。自分は山県に疑われているのか。

「感情的になるってことはさてはお前、やっぱりか。」

「部長。あなた酒の飲み過ぎでどうかしてますよ。」

「うるせぇ‼︎飲みすぎてねぇわ‼︎」

ダメだ。こんな取り乱した山県なんか見たことがない。この手の施し用のない状況を変えたのは友路の店主であった。料理を持って階段を上ってきた彼は只ならぬ山県の様子を見て彼を宥めた。しかし落ち着きを取り戻さない山県に店主は実力行使をした。彼は山県を押さえつけて諭すようにこう言った。

「何あったんか分からんけど、酔った勢いに任せて喧嘩ってのは、俺はあんまり感心せんわ。喧嘩なら外でやってくれ。ウチは楽しく酒を飲む場所なんでね。」

そう山県に店主は吐き捨て、おしぼりを二人に投げつけた。

「どうなんや。酒飲むんか。喧嘩するんか。」

ぴしゃりと言い放った彼に山県は何も言えなかった。

「もしもまた大きな声出すようなら、すぐに摘まみ出させるさかいな。」

そう釘を刺し店主は冷酒を二合、二人の間に置きその場から立ち去った。その場の二人には沈黙しかなかった。

「すまん。」

山県は佐竹に頭を下げた。突然の身に覚えのない言いがかりをつけられた佐竹の心中も穏やかでなく、山県のこの謝罪を無視し酒に口をつけた。山県は頭を下げたままである。

「頼む…。」

山県の肩が震えていた。

「頼む…頼むから、久美子だけはそっとしといてくれ…。」

鼻をすする音が聞こえた。

「部長…。何で部長の娘さんが。」

「頼む。頼むからお前からもあいつに言ってやってくれ‼︎」

彼は言葉を遮り、佐竹の両腕を力一杯握りしめた。そして佐竹の目を見つめ懇願した。

「頼む。お前、藤堂の知り合いねんろ。ほんならお前からあいつを思いとどまらせてくれま‼︎」

「ちょ、ちょっと…。部長…。」

階段が軋む音が聞こえた。大声を上げた山県の様子を店主が見に来たのだろう。佐竹は店から追い出されることを危惧し、山県を宥めた。

「部長…あまり大きな声を出すと…。」

「今回の件は俺の裁量で何とかしてみせる。お前には一切迷惑はかけん。お前が藤堂と組んで人を殺そうがそれは俺が揉み消す。ほやから…頼むから…久美子だけは…。」

「部長…。本当に俺は藤堂なんか知りませんよ。」

佐竹も山県の目を見つめた。目を見れば人の真意が分かる。山県は佐竹の言葉に嘘はないのではないかと推測した。彼は掴んでいた佐竹の両腕を解き放った。

「ほんなら何であいつはお前のこと知っとるんや。」

「それはこっちが聞きたいくらいです。」

落ち着きを取り戻した山県はぐい呑を手にした。佐竹はそっとそれに酌をした。

「すまん。」

「いえ。」

ぐいっとそれを飲んだ山県は溜息をついた。

「藤堂が自分から俺に接触してきた。」

「いつです。」

「ついさっきの事や。」

「警察には?」

山県は首を振った。

「何で?」

「警察に言うなって。」

「はい?」

「警察に言ったら駄目ねんて。」

「ちょっと待ってくださいよ。それで部長はうんって言ったんですか?」

「うんとは言っとらん。」

「それなら早く言ったほうがいいですよ。」

「言えんげんて。」

「え?何言ってるんですか。」

「久美子が人質に取られた。」

「はい?」

「もしも奴のことを警察に言うと久美子がヤられる。」

「何で?」

「知らん。」

「ヤられるって…。まさか殺されるって事ですか?」

「違う。犯される。」

佐竹は瞬間的に山県の娘のことを思い出した。かつて彼女は犠牲になった。一色による捜査を撹乱させるために村上の指示の下、穴山と井上という男らによって強姦された。その彼女が再び誰かによって人質にとられそのような目に遭う可能性があると言うのか。

「部長。娘さんは今どちらに。」

「仕事中や。」

「すいません。人質に取られているって部長言ったじゃないですか。」

「藤堂に監視されとるんや。久美子を隠しカメラで追っとる。」

「え?」

「いつどこに久美子がおるかあいつは手に取るように分かるらしい。その気になればいつでもイケるとかぬかしとった…。」

「それなら、それこそ警察に言って警備か何かして貰わないと。」

「ダメや。ダメやって佐竹。」

「でも娘さんが危ないでしょう。」

「頼む。警察だけは止めてくれ。なぁ頼む。」

再び佐竹の両腕を掴んで懇願するように山県は佐竹に言った。

「でも…俺、本当に知らないんですよ。あいつが本当に俺のこと知っているとしても、あんな年の離れた男と俺は付き合いなんかないし、思い当たる節がないんです。」

確かにそうだ。佐竹が復元した社員情報にあった藤堂の風貌は冷淡で神経質そうな表情の50代後半の男。仕事なら分かるが私的に繋がる年齢ではない。

「それに俺がもしも藤堂の事を知っていたら、それこそ殺人の片棒を担ぐ共犯者になってしまうじゃないですか。」

佐竹の言うことはもっともだ。今回の事件で割りを食っているのは佐竹である。何故そこまでリスクを冒す必要があるのか。考えてみれば佐竹を藤堂の共謀者として見るのは筋違いも甚だしい。山県は平静を取り戻した。

「部長が会ったのは本当に藤堂なんですか。」

山県はその時の事を振り返った。ニットキャップにサングラス。これだけでは藤堂とは判別できない。彼はその男の顔面に会心の一撃を放った。しかしそれは彼には全く効かなかった。ただそれによってサングラスがずれた。そこから見えた彼の目、表情がまさしく藤堂であった。

「そいつがこう言ったんや。」

「何を言ったんです。」

「久美子を犯したのは自分やと。」

「え?」

「穴山でも井上でもない。自分がやった。久美子を味わったと。」

「…何だって。」

「こうも言っとった。今度は一色はいない。」

「一色?」

「今度は佐竹、お前が鬼だと。」

「鬼?」

佐竹の手からぐい呑がこぼれ落ちた。

「どうや、お前何か心当たり無いか。」

佐竹は山県の問いかけに応えることができなかった。