第二十二話

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第二十二話
五の線2 第二十二話
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金沢駅近接のビルに入居するレディスの洋服のみを扱うショップに不相応な男が居た。彼はディスプレイされている洋服類には目もくれず、その場でジャケットを脱ぎ、店員に脚立を持ってくるよう言った。

「脚立ですか?」

20代前半と思われる対応の女性店員は困惑した様子である。無理もない。今はセール期間の日曜日だ。しかも夕方17時半。客足は途絶えるどころか増える一方だ。年頃の女性達がセール品を物色している。その対応に追われているというのに、Yシャツ姿の60代と思われるの白髪の男性が、汗をだらだらと流しながら、脚立を持って来いと言ってくるのだ。業者かと尋ねても男はつべこべ言うなと偉そうな態度で急かす。対応に苦慮した女性店員は店のバックヤードへと一旦姿を消した。しばらくして奥から店長と思し召しき年増の30代の女性が出てきた。彼女は驚いた表情で男を見た。

「何なん。いきなり。」

「いいから脚立を持って来なさい。」

女性は周囲をさっと見回して気まずそうな顔をした。そして男の手を引いてバックヤードに連れ込んだ。

「こんなクソ忙しい時に何でお父さん来とらん。」

「理由は後や。何か脚立の替わりになるようなもん用意せぇま。」

「何言っとれん。今セールねんよ。お客さんいっぱいおれんになんでそんなことせんといかんが?仕事の邪魔せんといてや。」

「だら。それどころじゃねぇわ。」

「何なん。」

男は女性の両腕をごつごつとしたその手で握りしめた。

「久美子。いいか。」

「いいかって…。」

「仕事中かもしれんけど、それよりも大事な話がある。」

「何ぃ…。困るわ…。」

「お前を監視しとる奴がおる。」

「え…。」

「お前、藤堂って男知っとるか。」

「知らんわいね。」

「そいつがここのどこかにカメラみたいなもん仕掛けとるはずや。」

「はぁ?」

「お父さんは見たんや。その映像を。」

「何で?」

「だから言ったやろ。理由は後やって。とにかくそのカメラを取っ払わんことには、ずっと監視されとることになる。」

父の様子がおかしい。いくら真夏であるといっても、店内は空調によって適温を保っている。にも関わらず、彼の額からは滝のような汗が流れ、Yシャツもそれによって肌が透けるくらいである。そして息遣いも粗い。普段は常に平静を保ち悠然としている父が取り乱している。ただ事ではないと久美子は悟った。自分の腕を掴む父の手をそっと退け、隙間から彼女は店の様子を見た。未だ客がいる。

「お父さん。カメラってどこにあるん?」

「あ、ああ。店の入り口の天井辺りやと思う。そこからの奥のレジに向けての映像やった。」

久美子は山県の言う箇所を見た。

「カメラみたいなもんはないよ。」

「ほやから、その天井の中にそれが埋め込まれとるんや。」

「ほんなこと言ってもお客さんもおるし、今そんなこと出来んわいね。もしもそこ調べるってなったら、管理会社の人にあそこの天井の引っぺがしてもらわんといかんがいね。」

「…そ、そうやな…。」

ここでようやく山県は落ち着きを取り戻した。

「どうしたん。初めて店に来たと思ったら…。」

「いや…。すまん…。」

店の閉店時間は21時になる。せめてそれまで待たないことには何もできないと久美子は山県に言った。

「お父さんの言う通り、変なカメラ仕掛けられとるんやったらこうすればいいがいね。」

久美子はそう言うとSALEと書かれた大判のPOPを取り出した。そして脚立を持って父の言う場所へ移動し、その天井あたりにこれを貼り付けた。

「こうすれば取り敢えず目隠しできるでしょ。」

「…あ、おう。」

管理会社に言ったところで、設備の不調とかの話ではないから直ぐには対応してくれない。しかも今はセールという繁忙期。営業時間中に客の入りを妨げるような作業は控えたい。今日の閉店時に一度自分で調べるだけ調べてみると久美子は父に言った。

「ほんなら21時にもう一回来る。」

「やめてよ。いい歳こいた女がお父さんとべたべたするなんて、いややわ。」

そうこうやり取りする中、客数が増えてきた。店入口の天井という意外な場所に貼られたPOPが効き出したのだろうか。スタッフが手張り出していた。その様子を見かねた久美子は父に家で話を聞くと言って接客に向かった。

山県は大きく息を吐いてハンカチで汗を拭い、ジャケットを肩にかけた。そして携帯電話を取り出してそれを耳に当てその場を後にした。




「自殺ですか?」

北署署長室に呼び出された岡田は目の前に座る若林の言葉に疑念たっぷりな声色で返事をした。

「そうです。」

「動機は?」

「あかの他人を傷付けてしまい、良心の呵責に苛まれて。」

「署長。いい加減にしてください。」

「はい?」

「長尾の件といい、小松の件といい、今回の留置所の件といい、署長の処理には私は承服しかねます。」

「私は課長の承認を得ようなんざ、これっぽっちも思ってませんよ。そもそも何で部下であるあなたの意見を求めなければならんのです?第一あなたが捜査の陣頭指揮を執っていると一向にその処理が進まない。遅いんですよ。だから東一卒業のキャリアである私が現場の様子を見て直接判断したまでです。」

若林は岡田とは目を合わせず手元の書類に目を落とすだけである。

「困るんですよね。署長の私が判断した事を、捜査一課の部下たちにおかしいとか吹聴されると統率が執れなくなるでしょう。」

「署長。お言葉ですが、私には署長の判断の根拠がさっぱり理解できんのです。現場の連中も私と同意見です。」

「それはそうでしょう。あなた達ノンキャリの頭脳と我々の頭脳とでは構造がそもそも違いますから。」

岡田は怒髪天を突く思いである。

「兎に角、何度も言っているようにあなた達は私の言う通りに捜査をしなさい。今後、またあなたが私の判断に疑問を呈しているという報告が入ったら…。」

若林は書類をめくる手を止め、岡田の目を鋭い目つきで見つめた。

しばしの間署長室に沈黙が流れた。

岡田はこの先の若林の言わんことを察したが、彼の不合理な推理と判断にどうにも腹の虫が治まらない。彼は肩を震わせながら一礼し若林に背を向けた。

署長室のドアノブに手をかけた時である。岡田は若林に背を向けたままこう呟いた。

「現場を舐めるなよ。」

若林はその言葉には何の反応も示さなかった。

岡田を見届けた若林はため息をついた。

「時間はそうも無いな。」

そう言って彼はおもむろに携帯電話を取り出した。

「もしもし。若林です。…コンドウサトミについて知る人間が死にました。…はい。…その線が強いかと…。自殺という事にしておきました。」

若林は電話の向こう側の人間と会話を続けた。

「ええ…。はい…。どうですかそっちの方は…。ええ…。そうですか、順調ということですね。ええ、もちろん。はい。了解しました。また報告します。」

若林の顔には笑みがこぼれているように見えなくもなかった。